■防共協定締結
1936年11月、1935年のロンドン海軍軍縮会議よりドイツが兼ねてから日本政府と交渉を進めていたソビエト連邦に対する協定、「日独防共協定」が成立します。 この協定に対してのドイツの目的は、天敵たるロシア人の国にして共産主義国であるソビエト連邦の反対側にある日本と同盟する事で、ソ連からの圧力を減らし東方の安全を確保すると同時に、東西からソビエトを包囲する事にあります。 このどちらもが、ドイツの政策に合致しており、ドイツにとってソビエトを正反対の位置から圧力を加えることの出来る軍事強国たる日本との実質を伴わないとはいえ、事実上の軍事同盟の締結は大きな外交勝利になります。 ドイツにとり、強大な海軍力を持ち陸軍もそれなりに強力な日本がドイツの反対側でソ連と対峙するのですから、これで安心して欧州外交を展開できると言うものです。しかも、先年の戦いで欧州外交の邪魔者の一つと言えるアメリカを叩き潰してくれているのですから、まさに日本様々でしょう。 一方ドイツからのラブコールに応えた日本は、ロンドン会議後、国連でいまだ一応の地位にあるとは言え、最近流されるままにイギリスを実施的に見限ってしまい、貿易相手としてのアメリカも当てにならず、北からはソ連が脅威を徐々に大きくしており、何かと心寂しい状態でした。 そうした時、遠く中欧のヒトラー率いるドイツ第三帝国が、強力な行政指導でどん底だった国内経済を立て直し大いに国威を取り戻しつつあると共に、共産主義との対決姿勢を強くしつつあります。そして、そのため是非とも我々と連帯しようと日本に熱いラブコールを送ります。 それに、日本が何となく応えたのです。 日本にとっても、天敵たるロシア人の国を自国の反対側から圧力が加えられる国との盟約成立ですので、政府としては万々歳と言ったところでしょう。 これに、あと英国を巻き込めば、日本政府が目指す外交、「反共同盟」の完成です。 この時点での日本政府は絶好調な事でしょう。 しかもこれに1年後の1937年11月にはイタリアも加盟してきて、反共同盟はますます強固なものとなってきます。 こうした中、日本政府は己が理想を実現すべく、日英同盟を解消したばかりなのに、英国にラブコールを積極的に送り始めます。当然、周りの事など見えていません。ドイツにしても、日本が親英に熱心なのは自らの外交方針に適うことなので、それとなく応援もしてくれるでしょう。 しかし、その大英帝国にとって、長年の同盟者だった自分たちを差し置いての反共を目的としているとは言え、日本とドイツとの協調外交は、裏切り感が大きなものと映るでしょう。しかも、自分たちにはよく分からない理由で、突然、東亜新秩序などと言うものが日本国内で囁かれるようになっています。これには、植民地を持たないドイツも植民地解体という点では、同調しているようです。 このような変節のない日本外交に、英国は日本に対する不信を大きくする事でしょう。 しかし、英国にとって軍事・外交上、東洋で強大な軍事力を保持する日本を敵としてのアジア戦略は成り立ちません。ここは「グッ」と我慢して、ある程度日本外交に歩調を合わせる事になります。東亜解放という戯言はともかく、反共に熱心なのは英国の利にもかなっています。それに、さしあたって植民地経営で、英国の利権をどうこうすると言う事もなさそうです。今のところ、東亜解放は単なる遠吠えに過ぎないみたいです。 一方、先年日本に完敗したアメリカは、不景気のまっただ中で、共和党の閉鎖外交もあり、支那利権で多少うるさい以外は、対外的に閉じこもっており、日本やドイツの動きには特に無関心です。 それに、アメリカは行動を取りたくても、未曾有の不景気でそれどころでなく、取りあえず当面自分たちに不利益がないのならかまっている暇などありません。