■欧州大戦勃発
ノモンハン事件による日ソの極東での緊張をよそに、ついに1939年9月、事実上の同盟国であるドイツ第三帝国は、ポーランドに突如侵攻を開始、これを電撃的に成功させたった一ヶ月足らずでポーランドを占領します。これに対して英仏はロクに戦争準備もできていないのに、ドイツの膨張をこれ以上看過できないとして宣戦を布告。第二次世界大戦が勃発します。 しかし、不思議な事に時間差こそありましたが、同じくポーランドに侵攻したソビエト連邦に対して英仏は宣戦布告などの措置を取ることなく、ドイツのみを一方的に敵としてしまいました。 本来なら欧州で再び発生したこの戦乱は、日本(そして合衆国)にとって、第一次世界大戦に続いてのビック・ビジネスチャンス到来・・・のはずでした。 ホンネとしては日本としては、今回も戦争当事者でないのですから、ノモンハン事件などとっとと片づけて、せっせと金儲けに精を出したい所です。 なお、国際的に日本は、いまだ国連常任理事国ですが、ドイツとは防共協定を結んでしましました。そして、英仏に対しても実効力のある軍事条約はありません。米国については、戦後それほど深い関係はなく、米国自身は外交には不介入を決め込んでいるようです。 しかし、日本にとってもう一つショッキングな出来事が、同時期欧州で発生しています。 それは、ノモンハン事件のさなか、不倶戴天の敵同士であるはずの独ソが不可侵条約を締結した事です。 まさに、「欧州事情は複雑怪奇」です。日本政府は、史実同様さぞ混乱する事でしょう。 協定を結んだドイツへの不信が大きくなる事にもなります。 しかも、共にポーランドに攻め込んでいるのですから、この時点での焦燥は極めて大きなものとなります。 順当な線からいけば、このため対ソ戦備をしないといけないので、東亜解放どころではありません。当然、欧州の戦争への介入など以ての外です。ドイツが英仏と開戦し、これに協力しろと言ってきても一朝一夕に「はい、わかりました」と返事できるものでもありません。 かくして、ここで日本が選択する可能性が最も高いのが、やはり「傍観」です。 ソ連脅威を盾にして、英仏開戦をしきりに言ってくるドイツには、取りあえず「防共協定」である事を強調し、英仏との戦争はこれに該当しないと、案にソ連とドイツの妥協を非難しつつこれを退けます。そして、その裏で軍備増強のスピードを上げ、アジア情勢が変化するまで何もしない可能性が最も高い選択肢です。 また、欧州での戦乱発生で支那市場から英国の影響力が低下するのですから、そちらに努力を傾倒するかもしれません。これは、史実のように軍事力を伴ったものでなく、純粋に「円」攻勢になるでしょう。年々大きくなる国内産業を維持することにもこれは合致することです。 ただ、ここでもう一つ首をもたげてくる外交方針が、「ソ連を巻き込んでのユーラシア同盟」の形成です。 この同盟を作り上げることにより、英仏の植民地列強に対抗しようと言うものです。 史実と違いこれにアメリカが抜け落ちていますが、史実同様の外交感覚を持っているならここで同じ道を歩もうとする可能性は高いでしょう。もちろん、諸外国の思惑など日本政府はお構いなしです。ただし、これは史実でも一人の人間が主に強引に推進した主流とは言い難い外交方針ですので、急に動き出す事はありません。
そうして、日本が嵐の準備をしつつも商売にも精を出して、増える財布の中身と懐の鉄砲玉の数を勘定しつつ傍観している間に、欧州の状況はさらに激変します。 1940年5月、ドイツがついに西欧侵攻を始めるからです。 ドイツ軍は、奇襲と呼んでよい矢継ぎ早の戦争展開と、連合国のミスに付け入るような形で勝利を積み重ね、たった二ヶ月でフランス、ベネルクス三国、デンマーク、ノルウェーを軍門に下し、英国も風前の灯火に見えるまで追いつめる事に成功します。 この時点で、英独は活発に外交活動を展開します。 英国はもちろん、敗北を避けるために様々な努力を始めます。ですが、同盟相手がどうしても足りません。かつての同盟者である日本帝国は、ドイツと仲良く「新秩序」とやらの建設のために、このスキに大英帝国の版図をかすめ取ろうとアジアでこそこそ動いていますし、アメリカ合衆国は、共和党政権がモンロー主義にガチガチに回帰してしまっており、欧州不干渉を決め込んでいます。その上共産主義国のソ連は、ドイツと不可侵条約すら結んでおり、欧州は自分以外全て軍門に下ってしまっています。当面は、一人で戦うしかありません。 そこで英国は、せめて枢軸に揺さぶりをかけるため、日本に東洋の権益をいくらか分け与えるから、ドイツの安易な誘いに乗らないように活動が行われます。 一方ドイツも英国にトドメを刺し、戦争の短期終結を画策するため、また次なる本当の戦い(もちろんソ連との)のために日本と米国により積極的にアプローチしてくる事になります。 つまり、日本がどちらの言う事を聞くかで、大英帝国の命運を握っていると言っても過言ではないでしょう。 もちろん、傍観と言う選択肢もあります。 しかし、日本政府はすでにドイツと防共協定を結んでいます。軍事同盟でないとは言え、実質的な同盟であり、外交的にこれを無視して昔の同盟相手の言う事を聞くのは、いささか節操がないと言えるでしょう。ここは、ドイツの提案に応えるのが(多少それが無茶であっても)外交的にも筋と言えるでしょう。 そして日本にとって、ここで一つ頭をもたげてくるのが、「東亜解放」、「大東亜共栄圏」です。 仏蘭が実質的に滅び、英国が風前の灯火である今こそ東亜を開放し、亜細亜の同胞(はらから)に自由をもたらし、共に歩み出すチャンスではないかと。 まあ、史実で東条英機が言ったように「どろぼう」でしかありませんが、この時代にそんなきれい事など、どこかに捨ててしまいましょう。この時代、強い者が外交的にも正義なのです。 「大東亜共栄圏」確立と東亜の開放。先ほどから言っているように、これほど日本人を誘惑する幻想は存在しないでしょう。しかも、日本にはいつの間にかそれだけの力を備えるようになりました。少なくとも無敵の八八艦隊を持つ帝国臣民はそう考えるはずです。護国の為に作ったはずの八八艦隊という業界最強(?)のブランドが、幻想を見せてしまう一助になるわけです。政府も安易にこの論調に乗る可能性は極めて高いと言えるでしょう。 しかも東亜を開放し、そこを自らの勢力圏としてしまえば、問題となっている資源的にも自立する事が可能です。 そして、友邦ドイツやイタリアは、自分たちの懐が全然痛まないのをいいことに、この日本独自の外交に対しても、新秩序の一環と言うことで景気のいいことばかり言ってくれます。 ついでに言えば、1930年代に一番のライバルだった米国は、自分で躓いた上にしばらくは足腰も立たないぐらいに叩きのめしてあります。 もちろん、仏、蘭は実質的に滅亡、大英帝国もドイツの猛攻の前に崩壊3分前に見えます。 かくして、ようやく日本政府の次なる目標が決定しました。 まずは、防共協定を結んでいるドイツにさらに接近し、防共同盟の強化を図ろうとします。そしてその同盟のもと最終的には全アジアを開放し、日本中心の新たな秩序を作り上げ、枢軸国で世界を分割統治するのです。 とどのつまり、史実が辿ったルートを追っていくわけです。 そして、ドイツとの接近を行った後、日本が最初に行動するのは、ドイツ占領下にある政府に、亡命政府から守るために進駐してやろうと提案します。当然、同意しなければ武力侵攻で占領をするぞと言う事です。ドイツには、その宗主国として便宜を計ってもらいます。 また、もうこの政策を選択した時点で、しばらく西欧列強の亡命政権がうるさい国連の事はほぼ無視します。新たな世界の為です、国連から除名されても気にしないでおきましょう。これからは、防共協定を中心とする枢軸が世界をリードして、新たな世界秩序を構築するのですから。 ですが一応昔の義理もあるので、英独の講和の斡旋ぐらい一度はしておきましょう。それが大人の国の態度と言うものです。 表面的には国連常任理事国にして現時点での中立国として、さらに英独双方と関係の深い大国と言う態度で双方の中を取り持ち、一日も早い平和を実現するためと説明されるかもしれません。 もちろん、日本政府の意向がどうあれ、実質的に単なる平和を望む信義の国日本をアピールするための政策になります。これは、国際的に日本にいかに正義があるかを見せるためですが、国際的・外交的には打っておいて悪いという事はない政治的行動でしょう。特にアメリカの世論を再び硬化させないためにも、必要な外交措置でしょう。 なお、これらの交渉が持ちかけられるのは、バトル・オブ・ブリテンまっただ中の1940年7月〜8月です。まさに「バスに乗り遅れるな」的な行動です。 ですがこれは、当然大英帝国を激怒させる事になります。 国力や状況でなく、心理的に東洋人から「オマエの負け」と言われたのが気に入らないからです。かの英国民、そしてチャーチル氏がこのような屈辱的な勧告を受け入れるとは到底考えられません。さらに日本は、何を考えたのか英国人には全く理解できない理論でもって、戦争の原因である市場を開放し、さらに植民地を解体して独立させよとも言ってきます。そう、「英国の時代は終わった」とも言っているのです。 しかし、史実同様単独でも英国の奮闘は続き、ついにバトル・オブ・ブリテンに勝利し抗戦の意欲も高く、不屈のジョンブル魂は、まだまだやる気満々です。 困ったヒトラー総統は、技術援助と支配下にある国の傀儡政権に東亜植民地の進駐許可を餌に日本に参戦を促します。 ただし、この年の秋には総統閣下は、対ソ戦を決意しているので、それを悟られないような外交交渉をしてきます。
さて、お膳立ては整いました。 あとは、千両役者よろしく大日本帝国が、堂々とアジアを開放するために立ち上がるだけです。 まあ、単に周りに踊らされているだけかも知れませんが(笑)
ともかく、進駐という政治的建前と解放という錦の御旗を以て、まずはインドシナへ進出する事ができます。 邪魔な国は英国ぐらいですが、極東英軍ぐらい無敵の八八艦隊を擁する日本にとっては何する程でもありません。艦隊の一部を見せびらかせば、怯えてシンガポールから出てこないに違いありません。 さっそく、「大東亜共栄圏」という錦の御旗を用意して、東亜解放にいそしむ事と相成ります。 かくして1940年冬、日本も第二次世界大戦に裏口参加を図ります。 では、次は、一度この当時の太平洋の戦力を、海軍編成を中心に見てみることにしましょう。