■日独防共協定締結
日独防共協定が締結されましたが、ここで少し現在の状況を要約しましょう。日本は太平洋戦争の大勝利と折からの経済の成功により大躍進中、アメリカは未曾有の不景気の中奇妙な限定的軍拡を推進中、英国は経済再建と国際秩序の維持を画策しつつも孤立状態、支那は国共内戦のまっただ中、ソ連は、多大な犠牲を払いつつも五カ年計画を成功させますが、軍では粛正の嵐が吹き荒れ、そして日独が反共政策の合致と言うお題目のもと急速に接近を図ります。
1936年11月、ドイツが兼ねてから日本政府と交渉を進めていたソヴィエト連邦に対する協定、「日独防共協定」が成立します。 この協定に対してのドイツの目的は、天敵たるロシア人の国にして共産主義国であるソヴィエト連邦の反対側にある日本と同盟する事で、ソ連からの圧力を減らし東方の安全を確保すると同時に、東西からソヴィエトを包囲する事にあります。 このどちらもが、ドイツの政策に合致しており、ドイツにとってソヴィエトを正反対の位置から圧力を加えることの出来る軍事強国たる日本との実質を伴わないとはいえ、事実上の軍事同盟の締結は大きな外交勝利になります。 ドイツにとり、強大な海軍力を持ち陸軍もそれなりに強力な日本がドイツの反対側でソ連と対峙するのですから、これで安心して欧州外交を展開できると言うものです。しかも、先年の戦いで、欧州外交の邪魔者の一つと言えるアメリカの軍事力を叩き潰してくれているのですから、まさに日本様々でしょう。 一方ドイツからのラブコールに応えた日本は、太平洋戦争後、国連など国際社会でいまだ一応の地位にあるとは言え、最近流されるままにイギリスを実施的に見限ってしまい、アメリカは再びアジアを虎視眈々と狙ってうるさく、北からはソ連が脅威を徐々に大きくしており、何かと心寂しい状態でした。 そうした時、遠く中欧のヒトラー率いるドイツ第三帝国では、強力な行政指導でどん底だった国内経済を立て直し大いに国威を取り戻しつつあると共に、共産主義との対決姿勢を強くしつつあります。そして、共産主義に対抗するために是非とも我々と連帯しようと日本に熱いラブコールを送ります。 それに、日本が何となく応えたのです。 日本にとっても、天敵たるロシア人の国を自国の反対側から圧力が加えられる国との盟約成立ですので、政府としては万々歳と言ったところでしょう。 これに、あと英国を巻き込めば、日本政府が目指す大戦略である、「反共大同盟」の完成です。 この時点での日本政府は、内心絶好調な事でしょう。 しかもこれに1年後の1937年11月には、イタリアも防共同盟に加盟してきて、反共同盟はますます強固なものとなってきます。 こうした中、日本政府は己が理想たる完全な反共包囲網を実現すべく、日英同盟を解消してその後も半ば無視していたのに、ドイツとの協定が成立すると英国にラブコールを積極的に送り始めます。当然、周りの事など見えていません。ドイツにしても、日本が親英に熱心なのは自らの外交方針に適うことなので、それとなく応援もしてくれるでしょう。 しかし、その大英帝国にとって反共を目的としているとは言え、長年の同盟者だった自分たちを差し置いての日本のドイツとの協調外交は、裏切り感が大きなものと映るでしょう。しかも、自分たちにはよく分からない理由で、突然、東亜新秩序などと言うものが日本国内で囁かれるようにもなっています。これには、植民地を持たないドイツも植民地解体という点では、同調しているようです。 このような変節のない日本外交に、英国は日本に対する不信を大きくする事でしょう。 しかし、英国にとって軍事・外交上、東洋で強大な軍事力を保持するようになった日本を敵としてのアジア戦略は成り立ちません。ここは「グッ」と我慢して、ある程度日本外交に歩調を合わせる事になります。東亜解放という戯言はともかく、反共に熱心なのは英国の利にもかなっています。それに、さしあたって植民地経営で、英国の利権をどうこうすると言う事もなさそうです。今のところ、東亜解放は単なるアメリカの勝利からくる戯れ言に過ぎないようです。 一方、先年日本に完敗したアメリカ合衆国は、不景気のまっただ中ですが、いまだに軍備の再建中であり、支那利権で多少うるさい以外は対外的に閉じこもっており、日本やドイツの動きには表面上特に無関心です。しかし、日本新たに列強との同盟に踏み切ったことに、それなりに警戒感を強くします。 そして合衆国では、ドイツとの同盟でソ連の圧力が減少したのですから、日本がアジア経営を強化してくる事は目に見えており、これを何とかすべく国内的には38年辺りからマスコミにより市民を煽り、対外的には、国府軍への支援を強化するなど、アジアと日本をターゲットとした政策を次々と打ち出してきます。