■関東軍特別大演習

 1940年秋を過ぎても欧州での戦争は終わる気配もなく、単独となっても大英帝国の奮闘は続き、ついに英本土航空決戦、通称「バトル・オブ・ブリテン」にも勝利し、さらなる抗戦の意欲も高く不屈のジョンブル魂は、小癪な全体主義国家ナチス・ドイツを相手にして、まだまだやる気満々です。
 世界帝国の肩書きにかけても、負けるつもりは毛頭ありません。
 そして、第二帝国のある意味悲願であった西欧一帯を軍事力でもって征服し、欧州の覇者となったはずのヒトラー総統は、戦局の打開と本来の戦争目的に従って、この年の秋には彼本来の目的である対ソ戦を決意し、翌年から欧州での戦争は泥沼へと突入します。
 この間日本帝国は、西欧植民地列強の相対的地位低下につけ込んで、引き続きアジア植民地の独立勢力への援助と活動を強めますが、日本軍が遠く海外へ派遣される事はありません。せいぜい、海軍の中から八八艦隊の何隻かがフィリピンあたりで欧州列強に見えるように水遊びをする程度です。
 太平洋戦争後の平和条約と日米の表面的な経済的協調もあり、欧州と異なり太平洋ではほとんど波風も立たず、欧州の情勢とは対照的に平和そのもので、時折太平洋を横断する軍艦があっても、英国の船が忙しく移動しているのをのぞけば、日米親善の遠洋航海艦隊程度です。
 この間、アジアで唯一混乱しているのは、支那大陸です。ここでは、折からの国府軍と共産党の対立が激化し、さらに日本やアメリカが武器援助をして火に油を注ぐ中、戦乱の炎は一層燃え上がります。しかし、機動力の低い陸上兵力以外しか持たず、国内での戦争以外する気のない二つの勢力のおかげで、その戦果が外に飛び火する事もなさそうです。
 また、武器商売の関係上、かなりの規模の日米の軍事顧問団が国府軍側に派遣され、共産党撲滅をせっせと行います。この点に関しては、日米の間に全く協調する妨げはないので、仲良く手を取り合って国府軍を支援しています。
 特に日本としては、近隣の安定化を図るという目的もあるので、熱心に行います。
 これの外からの圧力により、体勢を立て直す暇すら与えられない共産党は支那大陸を次第に追いつめられ、1940年代半ばには延安すら追われる最悪の事態に発展し、その前後のソビエトの実質的な崩壊もあり、ついに支那大陸での主流になることなく、歴史の舞台の傍流へと追いつめられていきます。

 そして1941年6月、欧州での英独の戦争が膠着状態に入ったと世界中(日米)が認識した頃、状況が激変します。
 それは、ドイツ第三帝国がソビエト連邦に対して、突如大規模な侵攻を開始するからです。
 さあ、大変です。欧州の情勢は複雑怪奇です。ドイツは戦争では絶対してはいけないと言われる二正面戦争を、自ら望んで始めてしまいました。
 もっとも、日本政府としてはドイツともソ連とも条約と呼べるものはなく、あえて言うならソ連と対立をしているだけであり、ドイツとは何の関係もないというのが実状です。
 ですが、このどさくさにソ連シベリアに侵攻すれば、アジアの安定、特に満州を安定化させる絶好の機会にも思えます。
 外交を無視すればその通りでしょう。
 しかし、当然というべきか、ドイツから何も聞いていない日本軍は、満州防衛の準備こそせっせと行っていますが、侵攻の準備はもしもの場合に備えての演習以上の事は殆どされていません。
 ですが、ソ連と開戦するやドイツ第三帝国は、後背からソビエトを攻撃して欲しいと虫のいいことを言ってきます。
 もっともこれも日本に大きな期待を寄せているのではなく、半ば政治的な駆け引きの一つに過ぎませんでした。

 そして普通なら、外交的信義をまるで無視した(独ソ不可侵条約を一方的に破っている。)ドイツに対する政治的不審を大きくするのですが、ここで日本は、特に日本陸軍はソ連撃滅による極東の安定と支配という夢(妄想)を思い描くでしょう。
 しかも、日本はいまだどことも戦争状態になく、ノモンハンでの対立もあり日本軍の軍事力のほぼ全力が本土近辺で遊んでいる状態で、これを全て極東ソ連軍に叩き付ければ、対独戦で戦力の低下するであろう極東ソ連軍を撃滅する事ぐらい容易そうに思えます。
 はたして、日本陸軍に対ソ開戦は可能でしょうか?

 では、ここで少し本題と離れるようにも思えますが、日本陸軍について見てみましょう。
 1941年夏頃の日本陸軍は、全体で25個師団体制の元整備されています。
 うち、満州には防衛に最低限必要とされる15個師団があります。もっとも、15個のうち3個は事実上衛星国である韓国軍となります。さらに二線級と張り付け師団として満州国軍として編成された4個師団程度と各独立守備隊があります。あと2個師団程度の韓国陸軍が韓国・ソ連国境に展開しています。
 また、これ以外に戦車旅団、砲兵旅団が各軍(軍団)に配備され、これら全てを陸軍航空隊が全面的に支援します。さらに海軍は、南シナ海で欧州の植民地海軍をビビらせている南遣艦隊以外は全てが内地で待機しており、海軍航空隊についても同様に内地で訓練に明け暮れている状態です。

 一方陸軍は、内地に残りの13個師団が待機しており、準戦時体制と言うこともあり、うち半数近くが即時対応が可能ですが、このうち半数が本土防衛とアジア情勢用に待機させる必要があるので、実際増援としてすぐに送り込めるのはせいぜい1個軍(軍団)の3〜4個師団程度です。
 さらに、戦争の勃発で潤沢になった予算のもと、陸軍の拡張も推進されつつありますので、戦争が長引けば順次これを動員する事も可能になります。
 ちなみに、史実の関特演に動員された師団数は当初戦力として歩兵16個師団、戦車団3個(ただの戦車集団、旅団程度)、これに陸軍航空隊の主力です。さらに最大25個師団が投入予定だったとされています。総兵員数85万人と言われる、「関東軍100万」と言われた時代の、関東軍が最も充実していた時期です。
 当然、八八艦隊1934世界の日本陸軍に、これだけの動員能力はありません。先述したように、満州に集中できる軍事力は、同盟国を含めても20個師団程度です。
 ただし、五割り増しの予算で作られてる上に支那事変を行っていない陸軍なので、史実より機械化、重武装化が進んでいます。1個師団当たりの戦闘力もソ連軍のそれと比較しても決して劣るものではなくなっています。(兵員数的にはむしろに勝っているが。)
 満州には大きく、西部国境を守る第六軍(1個師団基幹)、北部国境を守る第四軍(1個師団基幹)、そして東部に第三軍(3個師団基幹)と第五軍(3個師団基幹)があり、機動打撃力となる予備戦力の第二十軍(2個師団基幹)があります。
 第二十軍は完全な機械化部隊で、この世界では師団以外に3〜4個の諸兵科統合の戦車旅団を持っており、強大な打撃力を保持しています。
 あと、韓国第一軍(3個師団基幹)と後から予備で追加される満州国師団が各軍に1個ずつぐらいあります。
 そして、部隊配置を見ても分かる通り、関東軍の第一目標はウスリー、沿海州地方の制圧です。
 しかし、これらの部隊が配置に着くには、史実のスケジュールと同じなら8月半ばか後半と言う事になります。
 果たして、見切り発車で対ソ極東侵攻を行っても作戦を完遂できるでしょうか。史実では8月末に開戦し、10月までに第一目標を達成し、12月までにハバロフスクを攻略する事になっていました。同時に、アムール河流域も制圧予定でした。
 ただし、この世界では戦力が不足するので、ハバロフスクまでの占領が年内の目標となるでしょう。
 なお、いかに史実より機械化が進んでいても、最初からチタ方面が攻撃目標にされる事はありません。それは、この方面に50〜100万もの軍隊が展開したら、史実での米軍並の補給能力が存在しない限り継続的に十分な補給を行えないからです。

 しかし、この時点で日本政府は「否戦」方針を可能な限り堅持する方針を固めており、いかにソ連軍が苦境にあるからと言って、火事場泥棒のような戦争を開始するわけにはいきません。それに、すぐに大戦争を始めることなど、そう簡単に出来るわけもなく、今から国内の即応体制を高めて増援などを派遣して準備を整えていたら、それだけで冬になってしまい、時期を逸する事になります。
 これは、日本軍がまだ準戦時体制にしかなっていない事が大きく影響しています。
 また、日本とソ連は先だって大規模な国境紛争こそしていますが、表面的にはごく普通の国家関係を維持しており、これを無視していきなり戦争をしかけるような事をすれば、日本の外交的信義に関わります。
 水面下の謀略によりアジアの覇権を手に入れようとしている以上、この外交的失点を看過するわけにはいきません。
 ついでに言えば、最近経済的な妥協により仲良くなりつつあるアメリカは、主に市民レベルで、外交の横紙破りを許してくれるような風潮にはありません。日本としても、商売相手の意向は大切にしないといけないので、外交的にこれも無視出来ない要素です。
 ですから、陸軍がいかにいきり立とうが、ソ連に侵攻することを認める訳にはいきません。
 日本としては、ドイツからの要請をそのような国家関係にないからと毅然と断り、ソ連に対しても義理も何もないので、援助などは一切しません。当然、スキを与えない程度にソ連国境近辺の軍備を維持し、満州防衛を国防の第一とするそれまでの体勢を堅持します。
 そして、独ソ戦も「傍観」です。
 なお、取引相手は大切にするのは当然の事ですので、ソ連が武器を求めて現金なりバーター取引なりを持ちかけてくれば、それに応じる程度は行います。今の日本にとって、お金儲けは何にも勝るものです。これには、アメリカも仲間に入れてあげましょう。抜け駆けしたら、後で何を言われるか分かったものではありません。

 こうして独ソ戦は、純粋に欧州での戦争となりますが、ソ連としては不気味に沈黙を保ちつつも、満州に集結させた膨大な戦力を全く移動させないどころか、むしろ増強させている日本帝国に対する警戒を解くわけにはいきません。
 何しろ日本の軍備の大半は本土と満州に集結しており、現状ですらこれを押しとどめる事は難しいとすら言える状態です。
 特に陸海3000機に及ぶ航空戦力と、大英帝国海軍にすら匹敵する八八艦隊を中核とする大艦隊が押し寄せてきたら、極東ソ連軍は為す術もありません。
 しかも、頼みの日本国内のスパイの情報も要領を得ません。そしてその情報の大半が、ドイツとの同盟には踏み切らないが、ソ連に対する警戒感を高めているという報告ばかりです。もちろん、火事場泥棒のような東南アジア侵攻など言葉の端にも出てきません。
 このためソ連政府は、シベリア軍の欧州戦線投入が遅れる事になります。それどころか一部は全く動かせないという状態にまでおかれます。さらに、戦争物資を支援してくれる国はいまだ総力戦体制の確立途上のイギリスしかない事から、わずかな援助しか期待できない状態です。
 はたして、ソ連赤軍はモスクワを護りきる事ができるでしょうか? 

 まあ、非戦方針堅持の日本に関係もない事ですし、陸戦で八八艦隊とあまり関係もないので、スパーっと詳細は飛ばしますが、ドイツ第三帝国は41年中にケリを付けようと懸命に進撃を行い、史実と同程度の9月末ないしは10月から始まった「タイフーン」作戦を始動させます。
 例年より早い冬の到来、軍中央の誤断など史実同様の展開したとしても、ソ連軍の予備兵力と後方支援物資が乏しい事から、12月に入る直前モスクワ攻略に成功、付近一帯の防衛陣地と工業地帯の占領と破壊にも合わせて成功します。
 そして、ここでドイツは、ようやく越冬体勢に入り、戦線を一部整理して冬の間は守勢を維持する事になります。
 この時の東部戦線は、レニングラード=モスクワ=ハリコフのラインで停止します。
 当然、遅ればせながらシベリアなどからの予備戦力を主力とした反撃を行いますが、モスクワ陥落による戦力の低下から失敗に終わり、大きな戦力と政治、経済、産業、全ての中心である「モスクワ」を完全に失うこととなります。
 この独ソ戦は、英国、日本、米国、全ての国にとって、全体主義と共産主義が共倒れになってくれればという気持ちを込めて注目こそしますが、この年のうちは、結果としてそれなりに丁度いいところで両者がにらみ合いに入ったので、英国以外は傍観姿勢崩さずです。
 また、日本も米国も欧州で商売したくても、ドイツはイギリスが封鎖していて、ソ連は商売でなく援助しか欲しがっていない始末ですので、どちらも商売相手として適していると言えず、むなしく指をくわえる事になります。ついでに、アメリカとしては、英国との貿易は英国の船がやって来るならそれなりにしていますが、ドイツがいつ何時この国を蹂躙するか分かったものでないので、資金回収ができなない場合を考えて必然的に控えめとなります。
 もちろん、共和党政権の合衆国に、参戦などの意志はまるでありません。アジア利権に食い込むため日本の謀略に密かに手を貸すだけで、貿易で不景気回復の糸口を探しつつ完全な傍観です。

 北の大地で血みどろの地上戦が行われているうちに、怒濤の1941年は過ぎ去っていきます。
 ただし、欧州での戦争は太平洋諸国が不干渉を決め込んでいるので、いまだ欧州大戦の域を出ておらず、第二次世界大戦と呼ぶにはいささか規模の小さな戦闘と言える状態です。

 さて、明けて1942年。この年の戦局の推移はどのようなものになるでしょうか。
 純粋な戦争遂行能力だと、枢軸国(独伊)vs英国+ソ連で比較すれば3:5程度で、枢軸側を贔屓目に見れば占領地域の事などを考えれば、4:5ぐらいになります。どちらにせよ、長期戦になれば枢軸国側の不利です。
 なお、日本と合衆国の力の合計は、主に経済力・生産力と言う点で全欧州を合わせたぐらいにまで強まっていますが、戦争参加をする気は今のところ全くなく、日米ともにブクブクと増える財布の中身だけを気にしている状況です。
 一方、純軍事的に見るなら、言うまでもなく枢軸国(ドイツ)側が圧倒的に優勢です。
 各戦線ごとに見ると、西欧ではドイツとイギリスがドーバーを挟んで激しく航空戦を展開して、一進一退の空の攻防を続けています。大西洋でもドイツのUボートなどの通商破壊とそれを守る英海軍との熾烈な戦いが展開されており、こちらも予断を許さない状況です。北アフリカでは、枢軸側が若干有利に戦況を展開しています。
 また、ソ連戦線では、ドイツがソ連の冬季反攻を防ぎきり、翌年ウラルに向けての再度の夏季攻勢のために体制を立て直しているところです。
 もちろんソ連では、この攻勢を何とか防ぐべく、懸命の防戦準備が行われています。ですが、物資の欠乏は厳しく、主要工業地帯であるモスクワ地域を失った損失は大きく、ドイツ軍がウラルに達するか油田地帯であるコーカサス地帯を抑えられた時点で、近代国家としての命運がつきることは間違いないとすら言える状態です。なお、まだウラルの工場は稼働し始めたばかりで、工場移転と戦争の混乱、物資の欠乏で生産も思うに任せません。
 これは、英国の援助が先細りなのも影響しています。ソ連では戦車と兵隊以外の全てが不足しつつあります。
 もちろん、これを援助する国が英国以外にはなく、その英国も自国の事で手いっぱいで、とても他には手が回りません。

■欧州大戦の終結と新しい時代の幕開け