■第一部「帝國二十一世紀」

 ●導入

 さて、『大日本帝国』を軍国主義化したステロタイプな『大日本帝国』として21世紀まで残すには、どのような歴史上の変化が必要だろうか? 
 いやそれ以前に、まずは明治以降の近代日本を、「我々のよく知る」軍人が偉そうにしている『大日本帝国』にしなければならない。その前提とはなんだろうか。まずは、箇条書きで取り上げなら見ていこう。
 ただし明治維新や大日本帝国憲法などから見ていては前置きとして少し長くなってしまう。そこで、軍国主義化のターニングポイントと言われることの多い1920年代末の辺りから順に見ていこう。
 まずは発端となる事件やキーワードを列挙する。

・張作霖爆殺事件が起きる。
・満州事変が起きる。
・満州國が成立する。
・日本が国際連盟から脱退する。
・軍事費が大幅増額される。(予算の4〜5割程度) 
・五・一五事件が起きる。
・二・二六事件が起きる。
・軍中心の政治が横行する。

 以上ここまでは、史実通りに進めなければならないだろう。でなければ、最低限のステロタイプな軍国主義国家『大日本帝国』にはならない。視野狭窄な当時の軍部の勢力が増し、多くの軍人達に政治を無視して独断専行を行わせる環境を作るのは必須だろう。国際的にも、日本が適度に孤立している必要性がある。
 では次に、俗に言う『十五年戦争』の間をどうすれば帝国は存続できるだろうか。順にキーワードを並べてみよう。

・支那事変が起きない。
・南進政策を採らない。
・ドイツとの防共協定は破棄もしくは空文化する。
・欧米諸国との関係は、自ら悪化させない。
・第二次世界大戦に日本ができるだけ参戦しない。
・アメリカとソ連とは絶対に全面戦争しない。
・そして大東亜戦争が起きない。

 異論はあるかもしれないが、追加として以上の歴史変化が、ほぼ確実に必要となると考える。でなければ、結果として史実と似た『日本国』になるか、共産化した空虚な人民の国になる可能性が高い。当然ながら、米ソによる民族分断の可能性もある。最悪の場合は、国土がめちゃくちゃに破壊されて、列島丸ごと国連の委任統治領化するだろう。特に大東亜戦争による日本の勝利と『大日本帝国』存続の可能性はほぼゼロと言っても過言ではないだろう。
 そして1940年代前半を覆い尽くした大規模戦乱の時代を何らかの方法で乗り切り、長い米ソ冷戦構造の時代になると、『大日本帝国』であるために以下のファクターが必要となる。

・大日本帝國憲法が大きく改正されない。
・憲法は在民主権でなく、あくまで天皇主権。
・できる限り満州国を保持。朝鮮半島や台湾も領有もしくは勢力圏として維持。西太平洋も同様。
・大東亜共栄圏はどちらでもいい。場合による。
・国際社会には最低限復帰する。(国連参加など)
・自立できるだけの軍備が維持される。
・なるべく早く独自の核軍備を保有する。
・軍人の地位が高く、憲兵も強い。
・極端な軍部台頭を阻止するため、内務省の力も維持する。当然特高もいる。
・税制、特に累進課税制度と相続税制度が厳しい制度にはならない。
・外務省と大蔵省の力を多少は強める。
・できるだけ欧米資本主義を否定する。
・国内及び域内の共産化は絶対阻止する。
・アメリカもしくはソ連に対抗できる力を手に入れる。
・もしくはある程度どちらかの陣営に組みする。
・共産中華とは中長期的に妥協しない。
・アメリカ(西側)の力に屈服しない。
・ソ連(東側)の力に屈服しない。
・アメリカ(西側)経済圏に大きく組み込まれない。
・資本主義だがアメリカ型の大量消費者社会には至らない。
・西欧文物の流入が必要最小限。特にアメリカからは最小限なのが望ましい。
・国内の清貧な状態を維持する。
・マクドナルドもディズニーランドもない。

 以上が『大日本帝国』が『大日本帝国』として存続するために必要な前提条件のおおよそになるだろう。ある程度現実的な妥協点として目指される国際状態としては、第三勢力ではなく二・五勢力ぐらいの立ち位置だろうか。悪い方へのフラグを立て続けると、最悪の場合十倍の規模を持ったノースコリアの出現となるだろう。
 なお、アメリカを否定したのは、『大日本帝国』とアメリカの文物が見た目として相容れないという要素が強い。
 後は、補足説明を加えて歴史改変の概論と流れを見ていきたいと思う。

・補足1「概要」

 日本が正式に『大日本帝国』となるには、実は公式文書上の全てで名称(国号)などを正式に大日本帝国と明記する必要がある(※史実は1936年。「大日本帝国憲法」発布時の国号は「大日本帝国」と制定。ただし英語名では「the Empire of Japan」とされて、日本帝國、大日本國、日本、日本國など、日本側の言い方も様々。)。
 だが、現実面、物理面として重要なのは、テロにより軍部が台頭し民主政治が衰退する史実の流れがを作り上げる事だ。ただし、史実のように「支那事変」や「大東亜戦争」を行ってしまうと、大日本帝国はほぼ確実に崩壊してしまう。加えて「支那事変」が起きてしまうと、ほぼ自動的に帝国崩壊の坂道を転がり落ちるだけとなってしまう。
 一方では、1936年2月の「二・二六事件」こそが軍部の明確な台頭と軍部独裁のターニングポイントとされる事が多いので、この事件は外せない。しかしこのままでは、破滅へと向かった史実の流れになってしまう。そこで史実に起きた戦争を阻止する事件が是非とも必要となる。ただし、いくつも歴史改竄を行っては美しくないので(笑)、どこか一点しかもなるべく小さな事件で決定的成果を上げるのが時間犯罪上での理想だ。
 第一の目標が決まったので、順に見てみよう。

 1937年7月の「盧溝橋事件」と「第二次上海事変」そして第二次国共合作の発端となった「西安事件」が、「支那事変」の発端であり最大原因とされる事が多い。それまでの歴史上での流れは色々あるが、これらの事件で日中間の全面戦争の撃鉄が落とされたのはほぼ間違いないだろう。
 また一方では「第二次国共合作」がなければ、仮に「盧溝橋事件」など中華共産党の悪質なテロ行為が頻発しても、「第二次上海事変」がなければ支那事変にまで発展しなかった可能性があったと言われる。確かに、当時の共産党軍の戦力や勢力だけでは、物理的に全面戦争になり得ないし、日本軍も本気にならない。日本軍としては、共産党との戦闘行為は「アカ」や「便衣」、「匪賊」の「討伐」でしかない。戦争どころか事変ですらないのだ。また基本的に国民党は、外国勢力撃退よりも国内の共産党殲滅を第一目的としていた。1930年代の蒋介石は、日本が万里の長城を本格的に越えなければ、当面は座視するつもりだったとも言われている(※日本が明確に万里の長城を越えたのは1935年以後)。
 そして日本にとっては、「支那事変」さえ起きなければ、中華民国との事実上の全面戦争と軍の大動員はもちろんの事、仏印進駐も英米との対立も、当然ながら大東亜戦争も取りあえずは不要となる。支那事変発生以後の事は、日本にとって支那事変を収拾するための行動であると同時に、支那事変が行き詰まったから起こされた事件や戦闘ばかりだからだ。計画的侵略の意図など、残念ながらどこにも存在しない。
 そもそも「大東亜共栄圏」や「世界征服の陰謀」など、日本人のポケットには大きすぎて入らないのだ。
 結果論的ではあるが、無定見、その場しのぎ、場当たり的、行き当たりばったり、こそが1930年代の日本が歩んだ外交と戦争の道筋となるだろう。
 一方、1936年に結ばれた「日独防共協定」を何らかの方法で破棄もしくは空文化できれば、アメリカが日本を挑発する大きな理由が一つなくなる。加えてアメリカは、日本が支那事変をしていないければ、日本と深く対立して戦争する理由がなくなってしまう。アメリカが支援する中華民国ですら、まずは国内の共産主義駆逐が必要と考える可能性の方が高い。アメリカが日本を外交的に責める口実は満州国問題だけとなり、事実上アメリカと中華民国以外が問題としない国際問題なのでパンチ力がなくなってしまう。満州国建国はともかく、帝国主義的政治観点から見れば満州は「歴史的事実」として日本の既得権益なのだ。
 ソビエト連邦は極東の安全を脅かされる事になるが、コミンテルンを通じた中華共産党によるテロや謀略が通じなければ当面は手詰まりとなる。自分自身で日本と全面戦争するには、極東でするには不利な面が多すぎる。正直、ノモンハン事変が精一杯ですらある。ロシア極東部には、様々な意味でその程度の価値しかないのだ。
 そして日本とドイツとの関係がなくなれば、欧州と日本の関係も薄れる。第二次世界大戦の様相も大きく変わるだろう。しかし、欧州での戦争に大きな違いはない筈だ。史実でも日本が直接欧州戦線に与えた影響が低いため、日本がドイツと同盟していようがいまいが、欧州での戦争に与える変化は極めて小さい。仮に日本が連合国側で参戦しても、距離の関係から程度問題になってしまう可能性の方が高い。どうしても欧州情勢が気になるなら、アジアで日本がおとなしい事とアメリカの若干の参戦遅延をイーブンとして第二次世界大戦を再構築すれば良いだろう。
 欧州大戦で重要な要素は、日本の去就よりもアメリカ参戦の時期と規模なのは明白だ。
 一方で大東亜戦争(太平洋戦争)が起きなければ、東南アジアの夜明けは遠のくだろう。支那事変がなければ、中華共産党の台頭が進まなかった可能性もある。大日本帝国が崩壊しなければ、朝鮮半島と台湾、さらには満州(東北部)の情勢も大きく変化するだろう。しかし、欧州での大規模な戦乱で欧州列強が衰退すれば、史実より数年もしくは10年程度遅れて、東南アジアではほぼ同じ状況が訪れる可能性が高い。それが時代の流れというものだ。ただし大日本帝国が存続する前提なので、北東アジアの日本人以外には不本意な状況が続くだろう。
 欧州大戦(第二次世界大戦)が終われば、米ソの対立、いわゆる冷戦が始まる。そして二つの戦乱がない前提上での日本は、特にどことも戦争をせずにそのまま孤立して残っている可能性が高くなる。そうした状態こそが架空戦記的ではない本来の大日本帝国らしい筈だ。市販されている架空戦記では実に色々な状況で事件が起こされているが、あれらはあくまで戦争起こさないとそれこそお話にならないからに過ぎない筈だ。
 話を戻すが、日本(大日本帝国)がもともと反共産主義・反ロシア国家だった事を考えれば、米ソ冷戦構造の中での日本の立ち位置は、史実の日本の立ち位置に近くなる可能性が高くなる。加えて、戦前でも日本人の多くは文化面おいて親米傾向が強いのだから、国民感情面でもアメリカ寄りの姿勢は正しい道筋ですらある。しかも日本は、取りあえず資本主義国だ。
 しかし、日本とアメリカの同盟は、力の絶対的な差から必然的に日本がアメリカの経済圏に飲み込まれ、日本の相応の発展により大量消費時代に流れ込む可能性が極めて高くなる。世界経済の主導権を握るアメリカ側に与した段階で、当時世界でも数少ない成長途上の新興国であった日本が、史実の流れに近い形で大量消費時代を迎えるのは必然ですらある。
 だが、アメリカ型の大量消費時代を迎えてしまうと、日本が『大日本帝国』ではなくなる可能性が高くなってしまう。急速な豊かさの拡大に伴い軍人の地位が急落し、国民はより多くの権利を求めるようになるのが自然な流れだからだ。史実での1920年代の日本都市部の状態が近似値としての例となるだろう。現代日本並みに豊かな『大日本帝国』らしい『大日本帝国』という図式は、ほとんどの場合成り立たないのだ。
 そして親米大日本帝国となった後の姿は、我々の知る日本よりも少しばかり我が儘で、国内の左翼勢力が小さく、少しばかり軍事力の多い姿になるだろうか。地域国家としてかなり自立できているかもしれないが、国民の気分的には現代日本と大きな違いはなくなってしまうだろう。大量消費時代の波に飲まれてしまうと言うことは、そう言うことを意味している。別の言い方をすれば、文明の寵児であるアメリカ合衆国によって、大日本帝国が時代の川に流されてしまうのだ。東西冷戦崩壊後の東側陣営や、21世紀初頭の新興国が近年での良い例であろう。北東アジアの日本以外の国の方が、本来ならば例外的であろう。
 そして今回は日本を『大日本帝国』として21世紀を迎えさせるのを時間犯罪の最大の目的とするので、それらの点を考えながら歴史改竄を進めていきたいと思う。

 なお今回は、『大日本帝国』が出現する36年2月から支那事変が起きる37年7月の間に最初のターニングポイントを置く事とする。

・補足2「大日本帝国に必要な要素は何か」

 一言に『大日本帝国』と言うが、21世紀に至っても日本が『大日本帝国』であるには何が必要だろうか。
 まずは『天皇主権』の維持とそれを法的に裏付ける『大日本帝国憲法』の存続になるだろう。事実がほとんど在民主権の憲法と制度であろうとも、これは欠かせない。でないと統帥権などを悪用した日本だけで通じるレトリックが成立しなくなってしまう。
 次に必要なのは、表面的でも良いので『軍事独裁』、『軍事国家』の維持になるだろう。史実がそうであったように、軍人が現役のまま内閣総理大臣になるなど、民主主義国家として相応しくない制度が存在している必要がある。そして支那事変が起きる前に『軍部現役大臣武官制』が復活するので、これがある程度維持されていけば問題ない。そして加えて必要なのが、軍部と組んだ財閥系企業、アメリカ風に言えば『軍産複合体』の存在だ。制度と軍隊と経済が強く結びつくことで、『軍国主義』の継続的な存続が可能となる。
 一方内政面で必要なのは、『内務省』の権限を強いまま保持しておく事になるだろうか。無論、『特高』などに代表される警察組織(警視庁と警保局=警察庁)の所属も内務省のままが望ましい。地方自治と警察権を握った状態でこそ、強大化した軍部に対抗できると言えるだろう。そして彼らには、徹底的に国内及び域内の共産主義者や反動分子を弾圧してもらう。国内の制度に社会主義的保険制度や戦後行われた各種改革が行われても構わないが、共産主義者や無政府主義者を排除しないと『大日本帝国』とは言えないだろう。あえてソ連に例えて言えば、特高がKGBで憲兵や中野学校などがGRUになるだろうか。
 それ以外の面では、概ね1930年代の雰囲気が維持できる経済、文化、思想があれば取りあえず何とかなるはずだ。欧米から情報が沢山入れば民意の点で変化が訪れるかもしれないが、軍が兵器と兵隊を揃えることで満足し国内経済が極度に発展せず、傾かない程度に何とか維持・成長していれば、『大日本帝国』は民意の点でも存続できるだろう。戦前の価値観を持ち続けた人々にとっては、徴兵制があって軍人が少し多い以外さして不自由しない世界、というわけだ。
 恐らく21世紀初頭の景色は、我々の世界から四半世紀ほど昔に通り過ぎた姿に似ているのではないだろうか。
 また日本は、天皇を中心とした立憲君主制度国家であるが天皇独裁ではない事を国民が知っている。悪政が行われても、悪いのは政治家か軍人だと「判断」するだろう。故に、国家を根本から転覆しようという大きな動きが起きない可能性が高い。それでも『二・二六事件』のように軍事クーデターの可能性があるが、共産主義革命のように体制そのものをひっくり返す政府にはならないし、クーデター政権は日本の歴史上で長持ちする可能性が低い。加えて、市民革命など下からの変革とは無縁のまま過ごす筈だ。日本には、『国民』もしくは『臣民』はいても、『市民』はいないからだ。

・補足3「財政と軍事費」

 『大日本帝国』が出現する頃、日本の国家財政は軍事費偏重へと傾いている。
 それまでの1920年代が概ね16億円程度の歳出総額で、うち軍事費は4から5億円を推移する。対GDP比率だとだいたい4%台だ。おおよそ国家予算の三割が軍事費になり、本来ならこの程度が健全な軍事費比率の上限である。関東大震災や金融恐慌、八八艦隊計画はあったが、1920年代は概ね健全な財政状態にあったと言える。
 しかし満州事変のあった31年から、軍事費は急上昇する。以後五年間の平均軍事費は、それまでの二倍近い9億円近くで推移する。いっぽう国家予算はせいぜい22億円だ。これは紛争による臨時軍事費もあるが、実は別の事情もあった。
 当時財政を切り盛りしていた日本稀代の財政家である高橋是清が、ケインズ理論の登場よりも早い傾斜生産の合理的実践、もしくは積極財政の推進によって国民所得と国家財政を上向かせる政策を行ったからだ。当然ながら余分な軍事費の分だけ国債が発行されたが、日本の景気は一種の公共投資により持ち直し、どん底から逆転して高い成長率を達成した。成長率は高度成長と言っても良いだろう。好景気は都市部に限定されてもいたが、他国に先駆け景気が持ち直した事は確かだった。そして高橋は、過分な軍事費支出を数年間行った後に財政圧縮を図るつもりだった。ケインズ理論と同じ経緯で、景気が上向いた時点で支出を引き締め、また好景気による税収増大によって後の財政を良好なものとする予定だったからだ。そして財政引き締めを1936年に行おうとしたため近視眼的な軍人の大きな反感を買い、近視眼的な視野しか持てない軍部により彼の日本経済救済策は無に帰してしまう。『二・二六事件』の発生だ。
 この軍事テロ事件により、軍部の勢力はもはや怯えきった政治家では止められれなくなり、軍人の言うがままさらなる軍事費の増大へと傾く。しかも史実では37年に支那事変が勃発して軍事費天井知らずとなり、国家財政は破綻へと突き進んでいく。株と軍事費(戦争)の違いはあるが、どこかバブル期との近似値を感じる。
 しかし今回の想定では、支那事変は起きないし日本は自ら大きな戦乱を引き起こさない前提で話を進める。つまり『二・二六事件』後の1936年の軍事支出が、今後の指標となる。
 この年の歳出総額は約27億円で、軍事費は陸海合計で約12億円になる。比率にするとおおよそ四割五分。通常ならば軍事費は5億円程度に収めなければいけない筈だから、7億円はみ出ている計算になる。つまり平時なら歳出総額は約20億円ぐらいが妥当で、7億円が国債となる計算だ。軍事費も対GDP比率で約8・5%。すでに国家財政上だと悪夢だ。平時の限界まであと4%しかない。
 また何事もなければ、高橋のおかげで税収は約4億円も増額している計算になるので、本来の国家予算枠も20億円ほどとなる。そして本来健全な状態なら日本の国家財政は、過去数年間増やしていた軍事費を2割程度圧縮すれば済むはずだったのだ。しかしテロによる政府の擬似的な軍国主義化により、野放図な軍事支出へと傾いていく。
 この状態を多少なりとも救わなくては、大戦争がなくても『大日本帝国』の継続的存続は極めて難しくなる。財政逼迫により、ソ連のように倒れるか、ノースコリアのようになるか、日本で共産革命が起きるか、どちらにせよロクな事はない。
 そこで国家財政と軍事費を、最低限でよいので何とかする道筋を少しばかり考えてみよう。
 一番良いのは、日本に長期的な好景気を起こしてしまう事だ。そしてこれには好都合な歴史的大事件が存在する。そう第二次世界大戦だ。ありがとう総統閣下という訳だ。
 この戦争は日本が積極的に動かなければ、欧州と大西洋だけで事が収まるので、第一次世界大戦のように日本が金儲けに専念できる大戦争となる可能性を持っている。しかも、1939年9月から5年半もの長期間にわたって戦争が行われ、フランスなどを始め多くの国が一時的であれドイツに倒されてしまう。
 しかし騎兵隊よろしくアメリカが登場してくれれば、戦争は全体主義ドイツの敗北で終わるのはほぼ確実なので、中途半端な状態の日本の出る幕はない。国際社会に対する動きを考えないのなら、日本は傾いた国家財政をなんとかするべく金儲けだけしておけばよいのだ。
 そして戦争期間中に12%前後の極めて高い経済成長率を維持できれば、国家予算も二倍に膨れあがる計算になる。20億円が40億円だ。無論軍事費も予算内の比率分だけ増額するだろうが、この間に国債発行を行わないでおけば、財政全体が傾くことは阻止できる。しかも国債発行がなければ、軍事費の対GDP比率はガタ落ちだ。だいたい6%台になる。ついでに借金(国債)返済もできれば、この時点では言うことはないだろう。延命のためには、ガンを直すより出血を止めることが先決だからだ。
 また日支事変以後の日本経済の混乱がないので、円の対ドルレートは3・5円程度のままだろう。戦時特需で経済が盛り返していると過程すれば、満州事変頃の1ドル2・5円程度の可能性も十分にある。ただしドルが異常に強くなるのは、アメリカ参戦+勝利という過程を経た第二次世界大戦上での必然だ。ここでは我々にとって少し分かりやすくするため、1ドル=3円と想定してみよう。そして大戦末期の日本の国家予算は、ドル換算でも借金なしで10億ドル以上ある計算になる。国債発行と増税なしでこの数字なので、いかに状態が良いかが分かるだろう。実質国民総生産だと、約900億円台前半(円換算で史実の2割り増し。ドル換算で300億ドルになるから約1・5倍。ちなみに、この頃のヤンキーのGDPは約2000億ドル!)に程度にまで成長している可能性がある(※あくまで可能性だが)。しかも、戦争していないので損失はゼロな上に、無茶な総力戦をしていないので経済全体は健全である。つまり1945年の時点で史実の1960年代半ばぐらいの経済規模にある事を意味している。
 そして大戦後だが、日本が何を行うにしても平時における最大上限である5割以下の軍事費比率(対GDP比率6%台)を維持しておけば、何とか国家財政も国内経済も維持できる。限定的ながら、ソ連がその例となるだろう。健全な国家でいようとするなら、できれば3割まで落としたいところだが、それでは軍事国家としては役不足だし、最低でも4割程度はむさぼり食い続けるだろう。それに指標通りならば、45%が継続的な軍事費支出となる。それにこのぐらいの支出なら、ある程度の経済成長すら可能だろう。あのアメリカだって、軍事費はGDPの4%台だ。
 なお軍事費に国費の多くが流れれば、軍事関連産業と技術は発達するが再生産型の公共事業などに予算が流れず、史実のような高度経済成長からは縁遠くなってしまう。貧乏国家が軍備の傾斜生産をしても効果は限定的でしかない。しかし経済のゆるやかな成長もしくは停滞こそが大日本帝国の存続を約束する事象の一つとなるので、今回は日本経済の躍進や常識はずれの成長についてはあまり考えないこととする。
 つまり、最低限健全な国家財政の上で大きな軍事費支出をする事により、『大日本帝国』は自動的に存続していく可能性を持っているのだ。
 そして逆を言えば、高度経済成長のような状況が出現した時点で、『大日本帝国』消滅のカウントダウンが始まるとも言える。

・補足4「軍備」

 『大日本帝国』を存続させる大きな柱となる軍備だが、当時の世界が脅威と考える日本の軍備は、何を置いても海軍の強力な艦艇群だろう。陸軍は航空戦力はともかく陸上装備や編成で近代化に失敗しているので、他の先進国列強から見れば三流に過ぎない。米ソ独とは比較にもならない。翻って海軍は、世界の三大海軍と自画自賛したほど強力だ。この点は、客観的に見ても米英に続いていると判断できるだろう。そのための国家のリソースが注ぎ込まれているのだから当然の結果だ。
 第二次世界大戦でアメリカ(海空)軍が異常に強力となるが、それでも魔力の全てが失われる訳ではない。それにアメリカも、大戦で作った巨大すぎる海軍をずっと維持できるわけではない(※「太平洋戦争」をしなくても十分に海軍も異常膨張している筈)。日本としては、平時のアメリカ海軍が西太平洋奥地に踏み込んで来ることを躊躇(ちゅうちょ)する海軍があれば当面は事足りる。総力戦時代の過ぎ去った大戦後ならば、「撃破」や「撃滅」ではなく「躊躇」でよいのだ。まさに抑止力というわけだ。
 第二次世界大戦の「派手さ」に目を奪われがちだが、第二次世界大戦方が異常時代なのだ。そしてこの時代に自ら波風を立てなければ後は何とかなる。
 1930年代半ばから以後十年の日本海軍の軍備で誕生する艦艇には、巨大戦艦『大和級』がある。『超大和級』戦艦も建造中だろう。「太平洋戦争」がなければ、戦艦の魔力は失われていない筈なので、十分とは言えないまでもかなりの抑止力足り得る。加えて大型空母の数も相応数あるので、取りあえずジェット艦載機時代が来るまでは何とかなるだろう。しかも「太平洋戦争」がなければ、アメリカで空母の価値が低くなるのは確実だ。海兵隊も小規模のままだろう。母艦数は、日本を取りあえず越える程度の戦力が保持されるまで削減されている可能性が十分にある。さらにアメリカにとって朝鮮戦争に当たる戦争がなければ、空母の価値上昇とジェット化が遅れる可能性も高い。恐らくこの世界の戦後アメリカ海軍は、世界中にすぐさま展開できる万能海軍としての役割は低く、太平洋においてはそれまで通り日本に対抗できる海軍という役割が第一のままだろう。
 陸軍に関しては、ソ連を敵としてしまった場合甚だ心許ないのだが、万が一ソ連を敵として戦えばアメリカが(自身が得られる利権のため)味方として現れる可能性が高いので、満州を失うぐらいで何とか収まるだろう。ただ、今回は誰も激発(全面戦争)しない前提で話を進めるので、日本陸軍にもソ連を力で押しとどめる抑止力が欲しいところだ。取りあえず陸では数をそろえるぐらいしか手がないのだが、相手は日本以上に数があるので陸上戦力は諦めて航空隊の拡充が最良の選択となるだろうか。この場合なら海軍の航空隊も数に入れることが可能なので、抑止力としてはかなり有力だ。しかもソ連を軍事力で抑止する場合は、ソ連は日本海軍を恐れていたので海軍による抑止力も大いに期待できる。とどのつまり、満州のボディガードとしての陸軍を置く以外は、海空戦力拡充に力を入れておければ当面は何とかなる。
 そして米ソどちらか、もしくは双方を対抗相手とした場合、当面何とかしている間に一日も早く独自の核戦力を整備する必要が出てくる。冷戦時代に大日本帝国が軍事力で自立するには、是非とも必要な最重要ファクターだ。
 そして核兵器と最低限の運搬手段を一定量確保すれば、冷戦中はどうとでもなる。無論、日本が全面核戦争の引き金を引かないというのが条件となる。
 もっとも以上の条件を全て揃えても、日本単独ではやはり力不足だ。ある程度東西両陣営のどちらかに寄りかかるのが、様々な面で日本に優位に働く可能性が高くなるだろう。この場合、ナンバー1に寄りかかるのが最良かも知れないが、『大日本帝国』らしい『大日本帝国』の存続を考えるとナンバー2と組む方が存続の可能性は高まるのではないだろうか。第三世界、特にインドのような立ち位置になれれば良いかも知れないが、地理、経済、軍事など様々な要因から難しいだろう。20世紀末以後のチャイナのような状態も、大日本帝国では重荷だろう。最悪の場合、10倍の規模と能力を持ったノース・コリア化だ。
 そして最低限の裏打ちのある経済力、国力を前提とした必要十分の軍事力と戦略レベルでの核戦力さえ持っておけば、米ソと言えど大きな顔はできない。多少どちらかの超大国に寄りかかったぐらいならば、軍事面での『大日本帝国』の存続・維持はさらに容易となるだろう。

 以上、『大日本帝国』存続に必要な前提条件や最低限の概要を見てきたが、次からは二十一世紀に至るまでの歴史的流れを概要として見ていきたいと思う。


●『帝國二十一世紀』歴史概要