■産油国日本 造船(2)
■海軍工廠概要 ■横須賀工廠 慶応2年に横須賀製鉄所が置かれたのがはじまり。昭和15年の工員数は41000名。船台3基、船渠6基保有。 明治大正年間には戦艦薩摩・河内・山城・陸奥、巡洋戦艦比叡などを建造した。 船台で建造可能な艦艇サイズ(単位:m)
入渠可能な艦艇サイズ(単位:m)
*加賀は川崎で進水した戦艦を改装。 *瑞鳳は潜水母艦高崎を改装。 *小艦艇としては、昭和18年より駆逐艦14隻、小型潜水艦9隻を建造。 ■呉工廠 明治26年に呉鎮守府造船部として発足。明治36年から海軍工廠。海軍工廠のなかでは最大規模を誇り、砲熕部では大口径の砲身・砲塔・砲弾の全部を製造した。 製鋼部では甲鉄の大部分を、水雷部では魚雷の大部分を製造した。 昭和15年の工員数は56650名。船台3基、船渠5基保有。 明治大正年間には戦艦安芸・摂津・扶桑・長門、巡洋艦3などを建造した。 船台で建造可能な艦艇サイズ(単位:m)
戦艦大和は1937年、呉海軍工廠の第四船渠で起工された。 大和の全幅は38.9mだったので、これもまた制限一杯に近い大きさだった。 1940年11月、4番艦111号艦が着工。 昭和年間主要建造艦一覧
一等輸送艦は造船船渠で2隻同時にブロック建造を行い、戦時中に15隻建造した。排水量1500t程度で、後期には1隻75日で艤装まで完了した。 他に伊201型3隻竣工。
■佐世保工廠 明治22年に佐世保鎮守府造船部として発足。明治36年から海軍工廠。 船台船渠等は大正2年に完成した。 昭和15年の工員数は30000名。船台3基、船渠6基保有。 明治大正年間には巡洋艦7などを建造した。 船台で建造可能な艦艇サイズ(単位:m)
昭和年間主要建造艦一覧
その他海防艦、潜水艦、魚雷艇など多数。
■舞鶴工廠 明治34年に舞鶴造船廠として発足。明治36年から海軍工廠。 昭和15年の工員数は12000名。船台5基、船渠3基保有。 明治大正年間には駆逐艦26などを建造した。 昭和期に海防艦を6隻同時に建造できる第四、五、六船台を建設した。 船台で建造可能な艦艇サイズ(単位:m)
船渠寸法(単位:m) *入渠可能な艦艇サイズは下記数値とほぼ同じ
その他、松型5、橘型5、海防艦3、魚雷艇多数建造。
■広工廠 大正12年広海軍工廠として独立。 八八艦隊計画立案時、海軍工廠の造艦能力が特に造機関係で不足したため、機関製造に従事する目的で設立。
■工作部 艦船兵器の修理及び特務艇や雑役船製造を担う。 大湊・鎮海(朝鮮)・馬港(台湾)・高雄(台湾)の4ヶ所がおかれた。高雄は海軍工廠にするために、船台・船渠も計画されたが開戦に伴い中止になった。 ■大湊工作部の船渠
第一号船渠は10000トン級の巡洋艦が入渠でき、昭和19年完成。浮船渠は峯風型駆逐艦が入渠可能だった。 ■民間造船所概要 戦前に船舶修理を行っていた造船所は48ヶ所であり、そのうち年間能力30万総トン以上のものは、 浅野船渠 三菱横浜 三菱神戸 日立築港 日立因島 播磨造船 三井玉野 三菱長崎 の8造船所であった。 年間能力13万総トン以上のものは、 函館船渠 石川島 浦賀船渠 藤永田 名村造船 笠戸船渠 日立向島 日立桜島 三菱下関 の9造船所であった。 ■三菱長崎造船所 明治32年にはじめて海軍省から建造受注。明治44年には巡洋戦艦霧島を受注。大正期には戦艦日向・土佐を建造した。 武蔵は長崎造船所第二船台で建造された。 船台6、船渠3。 昭和年間主要建造艦一覧
その他、海防艦31、魚雷艇62、震洋1566など。 ■川崎重工 明治27年にはじめて水雷敷設艦を建造。戦艦加賀(のち空母)・伊勢、巡洋戦艦榛名を建造した。 船台6、船渠1。 ■三菱神戸 川崎に次ぎ、大正6年に潜水艦の建造開始。 船台5、浮船渠3。 第一、二、三船渠は浮船渠であり、昭和13年に着工し21年に竣工した第四船渠は日本初の潜函式船渠であった。 ■浦賀船渠 明治29年創業。主に駆逐艦を建造。 船台3、船渠1。船渠は150m級。 ■藤永田 大正8年に海軍指定工場になり、主に駆逐艦を建造。 ■三井玉造 艦艇建造は大正12年掃海艇を納品したことにはじまる。 船台4、船渠3。 ■川南香焼 建造船渠の全てを屋根付きにしたことで、雨天での建造が可能だった。 また、建造能力10万トンの第九建造船渠を備えた。 建造能力1万トンの船渠3も備えた。 船渠5。 ■三菱横浜 巡洋艦以下の中小型艦を建造。 船台5、船渠3。 ■播磨 大正年間操業開始。陸軍の特殊輸送船を建造。 船台7、船渠2。船渠の一つは200m級。 ■鶴見 船台6。 ■大阪鉄工所因島 船台4、船渠3。 ■横浜船渠 船台5、船渠3。 ■浅野船渠 船台1、船渠2。 ■船台数について
table.7 戦時中の船台能力増加と造船能力
艦艇建造に回された能力はほぼ1/3だから、220万総トンが、商船建造に回せる計算になる。もし、資材が造船所建造に十分まわされたら、 より多くの船台能力を確保できただろう。 ■船渠数について 昭和初期の船渠は全国に40基を数えたが、長さ600ft以上のものは3基(浅野、横浜船渠、三菱長崎)であった。 長さ480ft以上のものが5基(函館、浅野、三菱神戸、笠戸、三菱長崎)であった。 浅間丸、新田丸等の客船(長さ168m程度)は600ft以上の3船渠に入渠できる。 日本郵船S型(長さ145m程度)は480ft以上の5船渠に入渠できる。 昭和17年、造船統制会の答申によると、1000総トン以上の船舶の入渠可能な船渠は65基あり、建設中のものが20基あるとの報告があった。 また、外地及び占領地に16基あり、稼働率を考慮して8基分に相当すると試算された。 ■航空母艦緊急増勢
Table.8 史実空母建造実績
Table.9 空母諸元