■産油国日本 軍用エンジンについて
史実の日本製エンジンは、加工精度の不良や発展余地の少ない限界的な設計だったために、大戦後半にアメリカ製P&Wエンジンに完敗することになる。 しかし、史実より豊富なエンジン製作経験、規格化による部品の共通化、豊富な熟練労働者と100オクタン燃料、そして贅沢にも余裕あるエンジン設計が採用されていたとしたら、史実のような問題は生じただろうか?
■史実エンジン諸元 wikipediaより抜粋。
零戦にエンジンの発展余地が小さい栄を採用したことは、零戦の速度性能の進化の最大の障害となった。もし、金星エンジンをベースに機体設計をしていれば・・・・・・とは、誰もが思うことだろう。 陸海軍からは資材を節約しつつ高性能な機材を、という矛盾したプレッシャーが常にかかるため、エンジンや機体の設計者がより限界的な設計を選ぶのは無理からぬことだろう。 天鴎世界で堀越二郎技師が設計した九九式艦上戦闘機は、設計当初から金星エンジンをベースにしている。三菱が設計・生産したのだから当然だろう。ただし、後に中島飛行機が生産した同戦闘機には栄11型エンジンを搭載している(この世界の栄エンジンは金星エンジンと多くの部品が共通しており、直径も史実より70ミリ余り大きい)。 燃費は史実の栄エンジンより大幅に悪かったため、作戦行動距離が制約された。その問題点を改良したエンジンが栄21型である。栄21型は圧縮比を向上させ、高回転化することで出力1300馬力に向上している。 金星・栄ともにエンジンの改良余地が大きく、九九式艦戦22型では金星52型or栄21型を採用し、最高速度560km/hに改良された。 大戦後半の二式艦戦では出力2000馬力の誉エンジンが採用された。このエンジンは直径1300mm、排気量42Lと常識的な線でまとめられており、冷却や加工上の困難は史実の誉よりも大幅に減っている。 クランクシャフトと冷却周りを改良した2000馬力級火星エンジンは既に1940年から生産されていたが、大型であるが故に主に爆撃機に使用された。 火星エンジンは、思い切って零式局地戦闘機”雷電”で使用され、流体力学に基づく層流翼の翼型の採用と併せ高性能を発揮するとみられた。しかし、プロペラ強度の不足が判明し、急遽改良した大径強化プロペラが開発された。 局地戦闘機の配備は、戦域が本土から遠く離れているために優先順位が低かった。それでも1942年には最初の航空隊に配備された。1944年には排気タービン過給器装備の雷電が開発され、最高速度641km/hを発揮した。 同時期には四式局地戦闘機”閃電”がロールアウトしはじめていたが、推進式であるが故に操縦性が特殊だった閃電よりも、雷電の最終改良型である雷電45型の方が操縦者には好まれたという。広い操縦席を有する雷電の方が、機内での食事や排泄、もしくは体のどこかが痒かったりしたときに楽だったからかもしれない。 天鴎世界の日本製航空機やエンジンは無駄を寛大に許容することで、他の先進国並の設計・試作・量産が可能であった。もし日本国内にガソリンが溢れるほどなかったら、こうはいかなかっただろう。