●冷戦時代(大軍拡時代)

 1972年初頭、「佐藤・ニクソン会談」が合意に至り、太平洋戦争、第二次世界大戦から尾を引いていた英米との緩やかな軍事的な対立が政治的に解消し、あわせて欧州勢力と歩調を合わせていた軍縮気運もドイツの事実上の裏切りにより薄くなり、世界は欧州・ユーラシア帝国vs海洋国家群という構図に変化した。
 大軍拡時代の到来だった。
 世界は以後、双方の陣営の市民諸君を納得させるための表面的、暫定的な核軍縮だけは行いつつも、通常兵器における大規模な軍備拡張が行われ、これがドイツ欧州帝国崩壊のファクターとなる。
 この流れは帝国海軍にも押し寄せ、それは久しぶりの超大型空母多数建造とそれに伴う多数の補助艦艇の整備という流れを作り上げる。
 「蒼龍級」攻撃空母、「金剛級」対潜巡洋艦、「高月級」防空駆逐艦、「筑後級」汎用海防艦などがその代表だろう。
 なお、これに平行するように米海軍でも海軍の大拡張が開始され、「セカンド・プレジデント級」とも呼ばれる、「ケネディ級」原子力空母の建造を5年に1隻というハイペースで開始していた。なお、「ケネディ級」は2003年現在6隻も就役し、さらに2隻が10年以内に戦列に参加予定で、これが達成されれば史上最多の空母量産記録を打ち立てる事になる。なお、同級に使用された原子炉技術はアメリカが完成させたものだが日本の技術協力も多くあり、一番艦として1974年に完成した「J・F・ケネディ」は日米協調のシンボルとして、大西洋上においてドイツ欧州帝国にプレッシャーをかける事となる。
 一方、日本海軍の目玉商品の「蒼龍級」攻撃空母だが、この空母は通常動力の空母としては世界最大規模であり、同じく世界最大級の蒸気タービン(プラス当時としては大型のガスタービン機関を併用)を搭載している事、そして世界最初の原子力空母を建造し、アメリカが同時期に原子力空母の建造に踏み切ったのに時代に後退するように通常動力空母を建造した点は技術的には興味深い点だろう。もっともこれは単にこの艦の設計段階で、日本海軍内で原子力空母に否定的な向きが強かったからだと言われている。
 なお、全長360メートル、満載排水量約100,000トンとアメリカのそれと比べるとひと回り大きな船体規模を持っており、搭載機数がキャパシティーの面で大きいのは当然として、さらにアメリカ空母と違い個艦防空能力が高く設定されている点が最大の違いだった。これは、固定装備として多数の中距離対空誘導弾と速射砲、近接防空火器が装備されると言う外観的違いで子供にでも分かりやすく、その差を際立たせている。
 ようするに、見た目にも「強そう」なのだ。
 この日本海軍の傾向を如実に現した重武装は、空母と言う特性を殺すだけでなくダメージコントロールでも誉められる点でないとされ、米海軍では嫌われ同級の評価を低くする最大の要因となっているが、日本の艦隊ドクトリンが一発でも被弾を減らす努力方向にリソースを向けている点と、被弾を考慮に入れてなお戦闘力を保持する方向を目指しているアメリカとの違いとされている。
 なお、日本の艦艇が得てして米艦艇より重武装なのは、どのみち巡洋艦以下の艦艇は大威力兵器を被弾すれば、程度の差こそあれ1発で戦闘能力を失うのだから、それなら多少ダメージコントロールには目をつぶり防衛能力の向上に向けるべきだと言うドクトリンに根ざしている。また、日本軍が航空機をなるべく攻撃的任務に使いたがるという性癖を持っている事による影響も強い。もっとも、一時期航行性に問題を出すほど重武装になり、とある事件以後ある程度適正な数字になっている。
 なお、1975年に「蒼龍」が就役したのを皮切りに、1977年「飛龍」、1979年「雲龍」、1980年「昇龍」と相次いで就役させ、日本海軍の母艦航空戦力を一気に強化させていた。そして新造艦の戦列参加を受けて、それまで建造された大型空母の中でも最もベテランの「翔鶴」、「瑞鶴」が予備役に編入され(国民になぜか人気のあった「瑞鶴」は、練習空母を一時期勤めた後に記念館として東京有明埠頭に展示されて、「翔鶴」はインド海軍に払い下げされ、それぞれ第二の人生を歩んでいる。)、それらを受けて来るべきドイツとの対決に向けて新たな艦隊計画が策定される事になる。

 中期国防大網の中の「第三次八八艦隊整備計画」とされるものが海軍におけるそれだった。
 同計画では、太平洋の日付変更線からインド洋方面での大陸勢力への対抗を最重要視し、「10年後(1990年)を目標に原子力空母4隻、攻撃空母4隻、大型防空打撃艦8隻を中核とする機動艦隊を編成し、常時3個機動艦隊を洋上(日本海、シナ海、インド洋)に配備する」とされており、そのための膨大な数の新規艦艇が計画・建造される事になっていた。
 個々の艦艇でも多数の特長が挙げられるが、技術的な点でも大きな特長がいくつも存在していた。
 順に見ていこう。
 まずは機関だが、新規戦闘艦艇の全てがオールガスタービン艦にされる予定で、これは空母と潜水艦以外の全てにあてはまっており、現役復帰にあわせた大改装が予定されている戦艦(制海艦)や打撃巡洋艦(旧超甲種巡洋艦)もこの例外ではなかった。そしておお食らいのガスタービン機関に対応すべく新型の大型補給艦も多数計画されていた。日本海軍はあくまで機動力を重視する海軍だと言う事がこの点から見て取れる。
 次に、装甲についてだが、それまで戦艦や空母など大型艦以外では防御のリソースを防空火器や電波兵器に振り向け、軽量化と軽装甲化の傾向が強かったのが、新規素材の開発・採用によりこれが大きく改善され、宇宙技術の応用から開発された軽量カーボン素材と、アメリカで開発された魔法の繊維と呼ばれるケプラー繊維を薄い鋼製素材の間に挟み込む事でそれまでとは比較にならない対弾/爆防御力の付与に成功、特に大型艦では艦の全てを覆うほど大々的に使用され、新造の重装空母に至っては、軽量級の対艦誘導弾はほぼ無力化されたと豪語させる事になる。なお、この新種装甲は海上保安隊の新規艦艇にも取り入れられ、高速の重装甲コルベットが多数出現し、後の海賊、不審船対策に威力を発揮する事になる。
 また余談だが、「大和級」戦艦も改装の際に隔壁や内部装甲の多くが新装甲交換され、それまで戦艦としてあまりに強固に防御された同級の弱点とされた部分が克服されたと、関係者やマニアの間で話題になり、同級が対艦誘導弾にどこまで耐えられるかが議論されたりもしている。
 そして最大の変化として、技術革新による高度電算化と衛星通信技術の応用による、個々の艦艇だけではなく艦隊全体、さらには海軍全体の高度システム化(後のRMA(情報を最優先に置いた艦隊システムと表現できるか?))が挙げられる。
 この象徴的なものとして、大型艦のほとんど全てと防空艦への「天弓」レーダーシステムの装備があるが、それよりも大は原子力空母から小はその艦載機にいたるまで高度な衛星通信機構が搭載され、それらを制御・演算する高速電算機により目に見えないレベルでの圧倒的な戦力価値の向上がある。

●第三次八八艦隊整備計画

 1980年に予算通過した同計画は、世界の富の20%を生み出す経済帝国がその国家予算の15%のうち4割を海軍に投資するという状態で予算通過した、おおよそ四半世紀ぶりの大艦隊整備計画だった。同時期レーガン政権下のアメリカで計画された、攻撃空母12隻、原子力潜水艦80隻を中核とする「400隻体制」と比較してもそん色ないほど巨大な国家プロジェクトだった。
 この時期にこのような計画が承認された背景には、もちろんドイツ欧州帝国に対する通常兵器による大軍拡競争に勝利するという戦略的な大目的があり、同時期に満州国では八旗兵・20個師団・100万人体制が叫ばれていたのと同じだ。
 先ほども少し触れたが、同計画は攻撃空母8隻と大型防空打撃艦8隻を中核とする水上艦隊を作り上げ、その圧倒的威力によりアジア全域にパワープロジェクションを展開しようと言うものだった。なお、同計画での潜水艦戦力は、弾道弾搭載巡洋潜水艦(SSBN)16隻を含む約70隻が予定されていた。
 そして、贅沢な資金を手に作られた計画だけに、目玉商品が満載だった。いや、新技術を用いた新鋭艦ばかりなのだから全てが目玉商品と言えた。
 順に「赤城級」CVN、「長門級」SSBN、「伊707級」SSN、「大和級」BB、「剣級」CGA、「睦月級」DDG、「初雪級」DD、「大隅級」LPHが挙げられるだろう。
 中でもインパクトという点で列強の度胆を抜いたのが「赤城級」CVNと「大和級」BBだった。
 「伊707級」SSNや「睦月級」DDGは、技術的にはいくつも見るべき点はあったが、同時期にアメリカと共同で開発されたウェポンシステムや技術を使用しただけのワークホースとしての存在達であるだけに、その有効性の高さはともかくインパクトに欠けていたのだ。また、同様に水中戦艦とすら言われた「長門級」SSBNもアメリカの「オハイオ級」SSBNと同程度の能力を持った艦だったため、戦略的価値の高さはともかくドイツが建造した潜水空母などに比べて全く目立たないものとなっていた。なお、日米で潜水空母が建造されなかったのは、本物の空母をどこであろうとも堂々と運用出来るので必要無いというのが最大の理由だったが、航空機1機には地上基地では整備兵が10名と必要され、空母であるから複数の艦載機を持つ事になりそのような多数の乗員を抱える潜水艦の運用効率は悪夢でしかないという人間工学的な点があるからだ。それを現すかのように、1990年代に日米では旧式のSSBNの搭載弾を巡行誘導弾に載せ換えて強大な戦力を保持したSSGNとして、ドイツの潜水空母に準じた任務に投入している。
 「赤城級」CVNは、1980年に計画され1番艦の「赤城」は1982年に建造開始4年で就役にこぎ着け、その後1995年までに同型艦2隻の合計3隻が建造された超大型原子力空母だ。
 基本的に日本の空母はアメリカに比べて大きくなる傾向があるが、同級3隻もその例にもれず全長370メートル、満載排水量130,000トンという常識を疑いたくなるような巨体となって洋上に姿を現した。これは、1985年から再就役を開始した「大和級」戦艦を越える排水量で、当然世界最大の軍艦としてギネスブックにもしばらく登録される事となる。
 その艤装も航空母艦としては非常に贅沢で、航空機用の通信装置全般は当然として、主電探は最新の天弓システムで、これを多数の従来型電探と多数の衛星通信・情報システムが支援しており、さらに1990年代半ばの小規模改装の際には、火器管制用に自律型天弓システムすら装備し、個艦防空能力が高められていた。当然防空火器もアメリカのそれと比べると多く、短中距離型の対空誘導弾の垂直発射装置をそれまでの防空駆逐艦並みの64発も装備し、近距離防空装置については、各エリア二重に装備されてすらいた。しかも、船体と飛行甲板主要部を構成する装甲には、ケプラー繊維と柔剛炭素素材(ハイパー・カーボン)を挟み込んだ異常な強度を誇る新型装甲が施さているのだから、誰がどう見ても過剰防御と言えるだろう。なお、全身を覆ったこの装甲材質のため、1970年代より採用されたライトグレーの塗装では綺麗に塗装できないため、旧来の色に近い重厚なネイビーブルーで全身を覆っており、より重厚、もしくは凶悪な外見となっていた。
 またこのリヴァイアサンは搭載機数も当然多く、12機編成の戦闘爆撃機中隊4、攻撃機中隊1を中核に対潜哨戒機、電子作戦機、早期警戒機、燃料給油機、汎用ヘリ、輸送機あわせて合計86機もの艦載機を常時搭載し、さらに状況によっては予備飛行隊や戦艦、強襲揚陸艦所属の固定翼機またはV/STOL機を2個中隊搭載可能だった。
 一方三度復活した「大和級」戦艦は、もとが半世紀近く前に建造された世界最大の戦艦であると言う事だけで大きな特長だったが、それを同型艦4隻合計で原子力空母1隻分と言われる改装費用をかけて再生している点がまず異常だとされていた。
 そして10万トンという巨大なプラットフォームに搭載できるかぎりの新機軸をつくした艤装を施す事になる。水上から見えない点から見ると、すでに一部姉妹艦で寿命がきていた機関のオールガスタービン化はもちろん、各種隔壁やバルジの改装、バウ・スラスターや現代型のスタビライザー、果ては各種ソナーまであり余っている船内エリアを利用して搭載されていた。そして、蒸気タービンからガスタービンになった事で機関部が、機関の換装と兵器の自動化などによる省力化で居住区が異常な程スペースが余ってしまい、居住区は住環境の大幅改善(一人当たり従来の二倍近いスペースになる)として何とか埋められたが、機関部の余り区画は発電施設を増設するだけでは埋められないので、機関のガスタービン化でさらに大喰らいとなった彼女たちのお腹のベルトを緩くする方向に区画変更されていた。
 そして、目に見える部分はまさに海に浮かべた要塞だった。これを船が女性名詞で現されるという点から衣装に例えるなら、吉原の花魁の盛装のような出で立ちだと表現できよう。
 天弓システムと無数の電波兵器と衛星通信システムで覆われた艦橋構造物を頂点に、バランス良く配置された史上最大の艦載砲である51センチ砲以外、艦の全てが新規装備で埋め尽くされる事になる。
 各4組ずつの「長距離巡航弾装甲発射筒」、「対艦誘導弾発射筒」、「多目的誘導弾垂直発射装置(61セル)」、「127mm連装速射砲」、「76mm速射砲」を主装備に、全身を覆う近接防空火器が各所に配され、それに各装備の火器管制電探がその仕上げを行い、ただでさえ重厚な外見をより凶悪なものとしていた。
 しかも、完全な空きスペースとなった艦尾区画一帯を利用して、軽空母並みの航空機運用区画が設けられ、各種電波装置を満載した新設の後部艦橋の有人区画も航空機の管制施設として、最大14機もの艦載機を搭載できる、1隻の艦に全ての能力を盛り込もうとするような改装が施され、日本各地の軍港に陣取る改装ドックから4隻の姉妹たちは揃って洋上にその姿を現す事になった。
 余談だが、この改装の終了したその年の観艦式の民間応募はこの四姉妹見たさに数倍になり、海外からの観閲武官希望者は10数倍になったと言われている。
 しかも、1990年代なかばの改装で小規模改装が施され、その防空能力をさらに増していた。
 なお、日本海軍が『戦艦』を再生したのは、ドイツが同じく戦艦を再生させた事への対応が表面的理由だったが、何も主砲戦をしようと言うのではなく、少々の事では沈みそうにない艦を再利用し、なおかつその広大な甲板と艦内スペースを限界まで利用してみたかったと言う事になるのだろう。そして、演習に関する限りその防空能力は単艦であってもそれまでの1個艦隊以上とされ、同クラスが複数随伴していればその空母機動部隊は直衛戦闘機を上げる必要は存在しないとすら豪語された。もっとも、当の連合艦隊自身は、彼女達の最大の特徴である残存性の高さを見込んで空母部隊の前衛斥候艦として多用しており、直接の護衛はそれまでどおり防空駆逐艦群に任せている。
 結局の所海軍の主力は、戦艦の手に戻る事はなく空母だったのだ。
 ただし、こうして巨費と新技術を注ぎ込んだ大艦隊の行方は、時代の急激な変化により大転換を余儀無くされる

 ●Phase 0-6