Phase 03:開戦前 各国戦力概要

Phase 03-2:その他

日本帝国
 【陸軍】
 英国同様基本的に島国である日本の陸軍だったが、満州に大きな勢力圏を持つ事で性質が変化し、太平洋戦争による大規模な軍拡で大きな戦力を保持するに至った。そして、人口の大きな国であるだけにその規模は、たとえ本格的動員がなされなくとも大きな規模となった。
 だが、戦争の終了と共に一斉に軍縮が行われ、最大40個師団、150万人以上の陣容を誇っていた日本陸軍は(本格動員を行えばこの二倍の数字が容易に達成可能である)、32個師団、60万人体制を維持するにとどまっている。
 32個の内訳は、近衛師団2個、戦車師団4個、歩兵師団26個で、うち日本本土駐留の8個師団が完全な留守師団(スケルトン師団)で、実質的には合わせて24個師団が実動戦力となり、このうち16個師団をソ連と国境の接する満州に配備し、うち三分の一は自動車化が進められ、解体された師団の装備受取により重武装化も進められており、一個師団単位でなら陸軍大国のそれと比較してもひけを取らない程重武装化されている。特に戦車師団だけでなく通常師団にも戦車連隊(増強大隊程度)や捜索(偵察)連隊が編成されている点は、歩兵師団の今後の機動化と自動化の点から無視できない。
 装備の点でもタイプ-97と呼ばれるバランスのとれた中戦車を多数生産し、対ソ戦を意識した新型戦車(タイプ1、ヘビー・タイプ2)なども開発されつつあり、太平洋戦争で軍需に特化された事によるアドバンテージを維持していた。
 また、衛星国の大韓国や満州国も固有の陸軍を保有しており、これらを合計すると常備戦力として10個師団程度がさらに対北アジア防衛に利用できる。
 なお、情勢がひっ迫する中にあって陸軍が大きく勢力を減退させているのは、ひとえに日本帝国の財政状況が太平洋戦争での濫費で崩壊寸前になり、さらには健全な経済再建の為には是非とも多くの若い労働力を必要としたからに他ならない。
 そして、そうであるが故に、この時期の日本陸軍の基本姿勢は防衛陸軍である。これは、防衛戦の切り札ともなる砲兵部隊が太平洋戦争前とほぼ同規模で維持されている事からも見てとれる。

 【空軍】
 日本は、欧州諸国のように独自の空軍を保有しておらず、陸軍と海軍がそれぞれ航空隊という名の空軍戦力を保持している。
 このため、それぞれにだけ目を向ければ任務に特化した効率的ともいえる軍備を保有していたが、国家全体で事に当たらねばならない時には不利な点とされている。
 だが、日本の場合はアメリカとの長い戦争の間に棲み分けとも言える状態にそれぞれが変化し、陸軍航空隊が局地防空と近距離制空・対地支援に特化した戦術空軍(タコム)となり、海軍航空隊が空母機動部隊と水上機部隊を除けば、全ての意味においての遠距離攻撃を主任務とした世界初の戦略空軍(ストライコム)となっている。
 なお、双方第一線機1500機程度を抱えており、戦争末期に開発・生産された優れた機体とその改良型を多数保有し、しかも実戦経験も豊富な事から英国、ドイツと並んで世界第一級の空軍戦力を保有していると見られていた。

 【海軍】
 世界最大の海洋を舞台に未曾有の大戦争を勝利という形で戦い抜いた日本海軍の陣容は、大戦争を経過したにも関わらず豊富なものとなっている。
 大型戦艦10隻、戦艦5隻、大型空母4隻、軽空母4隻、重巡洋艦11隻、軽巡洋艦12隻がその主力となり、さらに大型戦艦からの改装空母4隻と新規建造の大型空母が4隻、軽空母4隻、各種巡洋艦10隻が建造ないしは改装中で、これらは大平洋戦争の終戦に伴い建造速度を落としていたが、その後建造ペースをあげ1942年中には全て戦力化できる見込みだった。
 もちろん、戦争中に肥大化した海上護衛戦力を中心とした護衛空母、護衛駆逐艦を中心とした補助艦艇の数は、その規模において世界第一級のものであり、この時点では米国のそれに次ぐ規模となっている。ただし、護衛艦艇の過半は、戦争の終わりと共に人員が確保できなくなり予備役や保管状態におかれている。
 そして、大平洋戦争の戦訓に従いこの時点において海軍の大規模な改編を実施中で、これが完成すれば世界に先駆けて空母を中心にした革新的な海上戦力に生まれ変わる事になる。なお、装備改編が終了する1943年夏の時点で大型空母12隻を中心に艦載機1200機を抱える一大洋上機動集団になり、空母4〜6隻に高速戦艦2〜4隻をまとめた艦隊が4つ編成される予定になっている。

アメリカ合衆国
 【陸軍】
 南北戦争以後は、伝統的に陸軍を重視しない国柄を反映して太平洋戦争までは大規模な陸軍を保有する事はなかったが、日本軍が北米大陸西海岸まで達した時点で比較的大規模な動員を行い、一時期(1937〜39年)は大人口を抱える国に相応しく80個師団・300万人もの大陸軍を編成したが、太平洋戦争の終了と共に動員が一斉に解除され、1941年を迎えようとしていたこの時点で、すでに24個師団、50万人にまで削減されていた。しかも、うち三分の一は「州軍」と呼ばれるアメリカ合衆国独自の郷土防衛部隊で、当然海外への遠征は考慮していない部隊であり、この事からもアメリカ陸軍が防衛陸軍だと見て取る事ができる。
 24個師団の内訳は、機甲師団4、騎兵(機甲)師団2、空挺師団1、歩兵師団15となり、これに2個師団の部隊編成を持つ海兵隊が加わる。そして、動員解除が近隣に脅威を抱える日本などと違い進んでおり、部隊の三分の二程度しか実動状態ににはなく、情勢によってはさらに動員解除される可能性も極めて高いとされていた。
 装備についてだが、大規模な陸戦はなかったとは言え5年にもわたる戦いの教訓が活かされており、自国の巨大な工業力を用いて機械化が大いに進んでいる。このため、世界で唯一全部隊の自動車化が達成され、機甲師団など各種車両合計で2500両も保有し、この点ではドイツやソ連など世界第一級の陸軍大国すら追随を許していない。これは、終戦時の1939年の時点で早くも75mm砲を装備した(主力)中戦車が登場していた事で端的に示されている。
 なお、海兵隊はアメリカにあっては独自の軍と言ってよい程の独自性を持った部隊だが、ここでは他国との比較のため陸軍に含めている。

 【空軍】
 対戦相手だった日本同様独自の空軍は保有しておらず、陸軍と海軍そして海兵隊が独自に航空隊を保有している。
 だが、機材などは日本などよりも共用が進んでおり、さらに海軍は空母艦載機と水上機にほぼ特化している事から、陸軍航空隊が欧州での空軍の役割を担っている言ってよい。
 装備の点では、欧州から様々なものをなり振りかまわず輸入していた日本と違い、英国との仲が険悪な同国においては独自開発が主流であり、高い基礎工業力に裏打ちされた頑健な機体設計こそ第一級だが、他国との技術交流が少ない分、エンジンなどの高度技術分野ではやや遅れており、世界平均の水準をかろうじて維持する程度のものしかない。
 ただし、大国であるだけにその戦力規模は大きく、全てを含めると約5000機(訓練機除く)の勢力を持ち、ソ連、ドイツに並ぶ規模を誇っている。

 【海軍】
 太平洋戦争前の1934年時点では、戦艦30隻、空母3隻を保有し事実上世界最強の布陣を誇り、さらに太平洋戦争中に18隻もの大型戦艦を建造し、その上1940年の時点で戦時建造中だった戦艦のうち建造の続行されていた4隻の就役が確定されていた。つまり、もしこれら全てが存在していれば50隻以上の戦艦を保有する、まるで第一次世界大戦が終った頃の英国のような状態になっていた筈だった。
 だがその実状は、太平洋戦争で日本海軍の極端なまでの艦隊決戦ドクトリンの前に、戦力の逐次投入のような形で各個撃破され続け連続して大敗北を喫し、戦争が終った段階では大型戦艦4隻、戦艦3隻、巡洋戦艦2隻、重巡洋艦8隻、軽巡洋艦11隻を保有するに過ぎなかった。もちろんこれでも十二分に強力な海軍で、列強第三位を維持していた。また、戦時計画のまま計画が残された大型戦艦4隻、大型空母6隻、各種巡洋艦約20隻が沈んだ艦艇の補充として建造中で、1942年までには全てが就役する予定だった。
 また、日本海軍と同様に巨大な海上護衛艦隊も保有しており、単に護衛駆逐艦以上も数の上なら、護衛空母約20隻、護衛駆逐艦300隻もの布陣でもって世界最大級の規模を保持していた。

チェコスロヴァキア
 東欧の小国のひとつながら、ロシアの統治下にある頃から工業化が進んでおり、1940年の時点でも東欧においてはドイツの唯一と言ってよい重工業上でのライバル国とされている。
 ガラス工芸などが民間レベルではその代表となる。
 当然これは軍備にも大きく影響しており、有名な武器メーカーの「スコダ社」を中心として生み出された優れた陸戦兵器を装備した精強な陸軍を有している。分かりやすい数字で見ると、1940年の時点で約500両もの世界水準に達している戦車を保有している事がその好例だろう。そして、この500両の戦車を中心に動員時20個師団の陸軍を構成している。
 だが、ソ連やドイツの侵略外交の狭間にあって国としては非常に苦しい立場に立たされており、それなりの軍を有していると言っても決して楽観できず、英国が親独姿勢を維持している事から、ポーランドの事には目をつむり、ドイツ寄りの姿勢を維持している。

ハンガリー
 チェコスロヴァキア程ではないが、単翼機や戦車を製造できる程度の工業力は辛うじて保持しているが、小国であるだけに国力と基礎工業力は低く、その生産施設の規模も極めて限定的なものであり、単翼機については列強の水準からすると二線級がやっと、戦車も軽戦車から中戦車を辛うじて自国生産で保有できると言う程度しかない。
 国としては、近隣のドイツなどと関係を深くして技術導入や兵器輸入してなんとかソ連の脅威に対抗しようとしているが、状況は芳しくない。また、伝統的な対抗国であるルーマニアの状況によっては旗色をどうするか非常に微妙である。

ルーマニア
 東欧においてそれなりの領土を持ち、また唯一と言ってよい産油国だが工業化は遅れており、当然軍の近代化も遅れている。このためそれなりの数は維持していたが部隊編成の点では歩兵師団と騎兵部隊しか保有しておらず、その編成表には戦車部隊なども存在しないし対戦車火器なども貧弱である。もちろん戦車の自国生産などはできない。
 編成上では30個師団近い兵力を動員できる事になっていたが、国内防衛と任務を限定したとしても、単独でドイツやソ連に対抗するのは極めて難しく、事実ソ連の武力外交の前に領土を割譲されている。
 この時点ではドイツ寄りの姿勢を強くして、ドイツからの技術援助で軍の近代化を計ろうとしている。

 さて、極めて乱暴ではあるがこれ以上紙面を割く事も出来ないので、1940年頃の各国の戦力概要の説明をこれで打きり、極めて簡単な各国の戦争遂行能力比較を行って実際の戦いを見ていきたい。

◆戦争遂行能力比較(全世界=100)(1940年統計)
国名 指数
アメリカ 26.8
ソ連邦 16.9
ドイツ 16.4
イギリス 13.7
日本 7.6
フランス 4.6
イタリア 2.8
その他 11.2
合 計 100

 第一次世界大戦を契機として、1930年の大恐慌、太平洋戦争を経過した世界のパワーバランスかおおむね以上のようになっている。
 英国やドイツの国力が大きく計算されているのは、日米の戦争による恩恵に一番潤ったのがこの二国であり、戦時特需による外貨と工業生産の拡大を加味してのことだ。
 また、アメリカと日本の指数については、ある程度健全な財政状態であったならという前提条件が付加されるので、実際戦争を行った場合はなり振りかまわない総力戦か防衛戦争でもない限り、この半分の数字を達成出来るかどうかの能力しか発揮できない。つまり、この時点での侵略戦争能力が一番大きいのはドイツとソ連と言う事になる。そして、どちらも防衛戦争と言う名の侵略戦争についてはやる気満々だった。

 Phase 04:1941年夏 ルーマニア戦役