■Phase 4-4 決戦

◆とある市民の回想8(日系ハワイ住民)

 ハイ、あれはまだここがアメリカ領だった頃でしたから、私たちの立場は酷く悪いものでした。
 だからじゃありませんが、あの日、ホノルル市がいや多分オワフ島の殆ど全部が停電した夜のことは忘れられません。

 発電所のある方向から爆発音らしき音が、遠くで雷がなるような感じで響いてくるとすぐに停電になって、慌てて勝手口の側にあった地下の倉庫でロウソクを探して火を付けようとした時でした。
 突然家の勝手口が静かにて開いたかと思うと、数人の男女が押し入って来たんです。
 でまぁ驚いた私は、思わず国言葉で怒鳴りってしまったんです。「誰だ、おみゃーら!」ってね。
 そしたら、向こうも地下の私に気付いて、多分ボロ家だったから空き家だと思ってたんでしょうね。カギもかけてませんでしたし、郊外にある生活感もあまりない家でしたから。
 え、私が何で収容所に送られなかったかですか?
 国籍ですよ。私の父が貿易商なもんで、商売に便利だって事で上海に商売に行く時、そのまま国籍を中華民国に一時的に移していて、日米関係が悪化した昭和27年にホノルルに事務所を構えて、父に修行だって放り出される形でそこに勤務していたんです。
 今考えれば無茶な事してましたよね。
 で、ちょうどあの日の数日前に私が本当は日本人だと言う事がバレて、いやバレたのは日系や華僑が理由じゃありませんよ、FBIの捜査がようやく私たちの元に来ただけです。むしろ華僑の人なんかは、私たちを匿ってくれたもので、その時の家も華僑の人たち、多分中国ヤクザ関係だと思いますが、その人たちが用意してくれたものでした。

 ああ、話の続きですね。
 家に飛び込んでいた人たちは、私が理解する間もなく私を羽交い締めにして、猿ぐつわ付きで後ろ手に縛ってしまい、その後も家を隠れ蓑にするつもりらしく、しばらく一緒にいました。
 終始無言でしたが、別段命を取ろうって感じじゃないと分かるとこちらも心に余裕が出てきて、暗がりながらようやく押し入った人たちの観察が出来るようになりました。
 そこで気付いたんですが、4人入ってきた全員がちゃんと軍服を来ているんですよ。錨の上に「NLF」って腕章付けた。
 あと一番驚いたのは、中の一人、どうやら隊長らしい人が女性だった事ですね。
 でまあ、しばらくすると、私の首もとにナイフを突きつけながら猿ぐつわをといて、二、三私に質問したあと、自分たちの所属、つまり日本海軍陸戦隊だと告げて、戦争が終われば日本政府に賠償を請求するようにと、隊長さんはサイン入りの略式の書類まで用意してくれました。
 まあ、それ以上は話してくれませんでしたし、すぐいなくなりましたが、私は彼らの去り際に「頑張れ!」って言ったら、それまで無表情だった全員の表情が緩んだのを良く覚えています。特に、隊長さんは一瞬笑顔になったのは印象的でした・・・と、これ以上話すと惚気話しになりますね。
 で、その頃には日本軍の・・・
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 1954年5月2日、中部太平洋で巌流島もしくはOK牧場のような、派手なだけの戦闘が行われてから数日が経過し、両軍の前線と後方が損害を受けた部隊と補充部隊の移動で大混乱状態だった頃、約20年ぶりに太平洋随一の要衝と化していたハワイ諸島に戦争の嵐が押し寄せる。
 ハワイ全域が、日本軍コマンドによると思われる攻撃で一時的な大混乱に陥った十数分後、低空侵入で双発の航空機が多数侵入し、各所に設置されていた米軍のレーダーサイトをロケット弾のナパーム式焼夷弾で一時的に破壊してその混乱をさらに拡大した。
 さらにその少し後に、ハワイ諸島全域が電子の嵐、日本軍によるバラージ・ジャミング(広域電波妨害)が仕掛けられ、その混乱が頂点に達した頃、何とか生き残り辛うじて機能を維持しようとしていたレーダーサイトが、大量の光点を捉える。
 日本海軍による二度目のハワイ攻略作戦の始まりだった。
 もっとも、直接的に押し寄せた日本海軍の戦力は、日本本土近海に存在すると見られる戦力から考えると全力とは言い難かったが、第二次世界大戦で形成された戦力を中心としているだけに、その戦力は極めて巨大なものだった。

■ハワイ作戦部隊序列
 第三艦隊
BB:<愛宕><高雄>
BB:<加賀><土佐>

 第二機動艦隊(艦載機数:約400)
CVB:<大鳳><海鳳>
CVB:<雄鳳><白鳳>
AC:<白根><鞍馬>

 第四機動艦隊(艦載機数:300)
CV:<飛龍><雲龍>
CVL:<日進><瑞穂><瑞鳳>
CVL:<千歳><千代田>
BB:<葛城><赤城>

 護衛空母群2群(艦載機数:約200)
CVE:8隻

 第一両用戦部隊(艦載機数:約70)
LPH:<大隅><下北><知床>
LPD:<三浦><男鹿><薩摩>
他:輸送艦船、支援艦艇多数

兵力:総数10万6000人
機甲師団:1、機械化歩兵師団:1、歩兵師団:1
海軍陸戦師団:1、他多数

 対する米軍は、損傷を受けた艦艇を除くとハワイにあった海軍戦力は極めて少ないものでしかなかった。

■ハワイ駐留艦隊
BB:<コロラド><カリフォルニア>

■護衛艦隊所属
CVL:1隻
CVE:1隻
 在ハワイ空軍戦力:約350機(訓練機含む)

兵力:総数5万6000人
機甲旅団:1、歩兵師団:2、重砲兵旅団:1

 米軍の戦力が小さいように思えるのは、海軍はもともと正面戦力で日本軍に劣勢な上に、今までの攻勢で消耗しているのが理由で、陸・空軍の方は日本軍に使える戦力の過半がマーシャル諸島以東の北半球太平洋全域に展開しているからだった。
 そして、いまだ本土近在の防衛に戦力を集中すればよかった日本軍は、余剰戦力の多くを大圏航路で極秘裏にハワイ近海にまで送り込み、この時の戦略的奇襲を成功させたと言える。
 もっとも、ハワイそのものを巡る攻防戦は、日本軍の視点から見ると、極めてオーソドックスなものでしかなかった。
 コマンドによる破壊工作と奇襲性の高い航空機による重要目標の破壊に始まり、その後艦隊全体で1,000機を擁する航空機を用いた航空強襲による短期間での制空権の獲得、突出した打撃艦隊による相手防衛艦隊の完全撃破、翌日早朝から始まった強襲上陸作戦という流れで行われ、第一次太平洋戦争や第二次世界大戦で何度も強襲上陸を経験している日本軍の最古参兵からすれば、向こうから派手なだけの実弾が飛んでくる以外、演習と大差ないと言わせる程度のものでしかなかった。
 特に強襲上陸は、日本軍が回転翼機による輸送を前提とした強襲揚陸艦という新型艦艇を多数投入していた事から、スピードという点において今までの数倍になっており、米軍の防衛計画を狂わせるのに大きな役割を果たしている。
 オワフ島を巡る攻防で日本軍にとっての唯一の誤算だったのは、日本軍が橋頭堡を確保するかしないかぐらいに行われた、米陸軍機甲旅団による旅団規模の機甲突破だろう。

 5月3日日深夜、それまでオワフ島中心部のコオラオ山脈に待避していた米陸軍・第7騎兵(機甲)旅団は、3個戦車大隊(約160両)を基幹としたオワフ島唯一の重装甲部隊で、現地防衛軍はこれを中心とした約17,000名の兵力で反撃に転じた。
 これに対して日本軍は、戦闘2日目で完全な制空権を確保し、早期警戒機による管制で状況を掌握しており、その日夜の米軍の反撃を早期に察知すると、大型空母から夜間も平然と発艦を続ける全天候型航空機の「紫電改」、「蒼山」による阻止部隊を中隊単位でオワフ島上空に送り込み、地上部隊は急ぎ陣地構築を開始する。
 そして既に旅団単位で展開を終えていた機甲師団と、先に展開していた海軍陸戦師団から抽出された大隊戦闘団をいくつか形成すると、阻止部隊と機動防御部隊が展開し、米軍との間に1945年以来初めてとなる、機甲打撃戦を展開する事になる。
 戦闘開始当初は、日本側による夜間爆撃の精度が低かった事もあり、時間の損失はともかく物理的な損害は比較的小さなレベルで抑えられたセブンズ・キャバリアーによる反撃は、当初比較的順調だった。
 阻止線を張っていた日本軍が、一番最初に上陸した海軍陸戦師団からなる軽装備部隊で、有力な対戦車装甲車両と対戦車火器が陸軍の正規師団に比べると少なく、自軍の損害さえ気にしなければ突破は十分に可能だったからだ。
 また、戦闘初期は米軍側砲兵の活動がまだ活発だった事も幸いしていた。
 しかし、日本軍の海岸堡に近づくにつれて状況は悪化する。原因はいくつもある。最大のものは米軍砲兵部隊を日本軍艦載機がナパーム弾で伏在予測地点一帯もろとも焼き払い始め、重要な時期の砲兵支援が出来なくなった事、日本海軍の水上艦艇が本格的な阻止砲撃を開始した事、そしてセブンズ・キャバリアーが日本陸軍精鋭戦車部隊と激突した事だ。
 この時セブンズ・キャバリアーに対して、伏撃と機動防御を開始した日本軍機甲部隊の主力を構成していたのは、日本陸軍第二機甲師団所属の第26戦車連隊と第2猟兵大隊、第51重戦車大隊で、所属する約140両の戦闘戦車のほぼ全力を以て防戦を開始する。

 なおこの時参加した両軍の主力車両は、米軍が76mm砲を装備した「M4E-8」を主力とし、その他開戦後から量産の始まった新鋭車両が中隊単位で在り、90mm砲を装備した「M26」とその改良型の「M39」、そして105mm砲を装備した自走砲(猟兵戦車)の「M36」が要所をしめていた。
 一方防衛側の日本軍は、海軍陸戦隊こそ旧式化しつつある17ポンド砲装備の「4式改中戦車」を主力としていたが、陸軍部隊は猟兵大隊が懐かしの「カノン」こと「3式砲戦車」を装備して、依然強力な威力を誇る100mm重対戦車砲による重厚な対戦車陣地を作り上げ、主力は「五式改中戦車」(当初重戦車扱いだったがその後英国製20ポンド(83mm)砲を装備した改良型から中戦車に分類変更)を定数一杯装備し、第51重戦車大隊だけが当時最新鋭の「51式重戦車(鉄鬼)」を装備して、この戦場で全てを圧する戦闘力を発揮する事になる。
 「51式重戦車(鉄鬼)」は、それまでの日本戦車である「五式改中戦車」とはかなり違った外見を持ち、西洋甲冑のような印象を与える鋳造砲塔と傾斜装甲の塊は、欧州での技術の全てを投入した事を如実に物語っており、その装備もソ連の「IS-3」とその後継型との対戦を考えたもののため破格のものがあった。
 主砲は、100mm砲同様海軍砲から転用された58口径127mm戦車砲で、他に第二次世界大戦中にライセンス生産、後に自国開発型が生産されるようになった12.7mm重機関銃他2丁の機関銃を装備し、旧ドイツ戦車の標準装備だった対人地雷すら装備する重武装で、これを約60トン・最大180mmの重装甲の車体に積み込み、ロシア戦車のような広い履帯と機械式過給器を装備した900馬力のディーゼルエンジンを搭載した強力な足回りで時速50km/hで機動させるという、当時世界最強と言って間違いないカタログデータを持っていた。
 なお、日本軍が製造した重戦車はこの車両をもって終わっており、以後は完全な主力戦車の時代を迎える事になるが、同車両は「T-54」や「センチュリオン」などと同様に実質的には第1世代主力戦車にあたるので、日本陸軍がなぜ同車両を重戦車と呼称したのかは不明である。

 話を戻すが、5月4日に日付が変わった頃、日米の戦車部隊は本格的な戦闘を開始し、約400両の戦車がオワフ島北部の比較的開けた台地状の地形で激突する。
 これは密度を考えれば、独ソ戦のクルスク戦車戦以上になる。
 戦闘当初は、先に書いたように米軍優位に進展した。もともと数で勝っており、攻撃側のイニシアチブを維持していたからだ。
 そして、主力同士が激突する頃になると、米軍にとっておかしな方向に流れていく。各所でアンブッシュしていた車両や陣地から各種の攻撃を受け、幾重にも重ねられた紙に吸収される水のように戦力が磨り減り、太平洋を望もうかと言う頃、目的半ばに攻勢限界に達してしまったからだ。
 そして、これは日本軍が後方を遮断しつつあると言う報告が米軍の前線部隊に入る事で、一気に破断界に向けて突き進んでいく。
 だが、米軍が総崩れになったわけではない。
 後方を遮断された事を知った米軍の前線部隊指揮官は、後方からの後退命令を半ば無視する形で、日本軍海岸堡への突撃を継続したからだ。
 戦闘後捕虜になった、わずかな指揮官クラスの生き残り証言によると、旅団司令部はこの段階で日本軍海岸堡を破壊できれば、戦闘は長期化し米軍全体による反撃のチャンスが生まれると考え、それが可能なのは今この時、自分たちの部隊しかないと、壊滅を覚悟して戦闘を継続したと言う。
 そして、その時日本軍海岸堡にあった日本軍装甲戦力は、予備兵力として拘束されていた第51重戦車大隊だけになっており、依然100両近い戦力を保持していた米第七騎兵旅団をわずか36両の戦車が防衛するという、異常な戦闘が発生する流れが生み出される。
 別に三倍の兵力差など、ドイツ軍からすればロシア戦線では日常茶飯事だったと言う意見もあるだろうが、これは本来の攻撃側である日本軍が劣勢に立たされた事が異常なのであり、米軍指揮官の決断が尋常ならざるが故の異常さなのだ。

 しかし、「51式重戦車(鉄鬼)」の装備する58口径127mm戦車砲は、野戦重砲に匹敵する強力な砲だけにその戦力差を埋めるにたる十分な効果を発揮し、圧倒的なまでの重装甲は米軍の105mm砲すら弾いて見せ、欧州での戦いが無駄ではなかった事を日本軍戦車兵に教える事になる。
 なお、戦闘全体の経過は、重戦車大隊の第二中隊が陣地で篭もってダッグ・イン戦法を繰り返して時間を稼ぐと同時に出血を強要している間に、残りの主力が側面に回り込み一気に包囲殲滅しようという、劣勢側である日本軍とすればその戦闘範囲を思うとかなり野心的な機動防御戦術を選択し、日本軍の陣地突破寸前まで突進した米軍の撃退に成功しており、これを成功させたのが「鉄鬼」の威力であり、それを操った精鋭戦車連隊と援護した随伴歩兵達の活躍だと言えるだろう。ちなみにこの戦いでは、血みどろの防衛戦を展開し、単独で倍近い敵戦車を撃破した第51重戦車大隊・第二中隊が一番の勲章を獲得している。

 米軍の組織的攻勢防御は、この夜半の反撃が粉砕された事で潰えてしまい、以後は日本軍側による進撃と掃討作戦を経てコオラオ山脈に後退した部隊の包囲作戦に移行し、食料、弾薬が尽きた現地部隊は2週間を待たずして全軍降伏に追いやられ、ここに日本軍の戦略的奇襲は成功裏に終わる事になる。
 なお、米軍がハワイに対して組織的な救援が行えなかった理由は、この戦闘の数日前に米軍の都合により始められた大規模海上戦闘で多すぎる犠牲が生じていた事と、他から隔絶されすぎた場所に存在するハワイ諸島という場所に対して送り込める兵力が、一部の戦略爆撃機以外は海軍しかなかったこと、そして日本軍によるもう一方での同時攻勢にも対応しなければならなかった事が挙げられる。
 つまりは神重徳連合艦隊司令長官による大バクチが、米軍の予測をはるかに上回っていたのだ。

■Turn 5:判定結果
 Phase 5-1 回天