■白色帝国

 1949年9月17日、英独との間にこれで何度目かとなる停戦が実現した。
 約三ヶ月の時間を要したが、9月までにロイヤル・エア・フォースの活動レベルを限定的防空能力しか維持できないまでに低下させ、その間の大規模な通商破壊作戦の過程で発生した、グランド・フリートと大海艦隊との対決に辛うじて勝利した事により、欧州近海ならびに北大西洋での限定的制海権を確保した事を確認したドイツ政府が、英国政府に手をさしのべた事により実現したものだった。
 もちろん、その停戦時に破滅的な破壊力を持つ新型爆弾の抑止力が果たした役割も無視できないが、これはドイツ有利の戦況に日米が同時に政治的抑止効果として使ったのだから、お互い様と言うべきだろう。
 つまり、この時の日米の行動が、英国本土を欧州帝国に組み込むこと、つまりドイツが英国をその軍門に下す事が世界的に認められた瞬間と認識できるだろう。
 そしてこの瞬間、ドイツを中心とした新たなローマ帝国が誕生し、以後欧州世界は、ドイツ総統を中心とした「白色帝国」という称号を太平洋圏の列強から贈られる事となり、世界は二極化する事になる。

 そしてその後英国は、ドイツによる欧州秩序の中での自らの地位を取り戻す動きを見せるようになり、イタリア、フランス、ウクライナなど欧州列強の中でも随一の影響力を誇るようになり、欧州の新たなローマたるドイツにとっての最も重要なファクターとなっていった。
 だが欧州が安定化したからと言って、世界中に平和が訪れたワケではなかった。
 むしろ問題は表面化したと言えるだろう。
 それは、日米を中心とする自由主義連合(環太平洋条約機構)が、自由主義と民族自決を旗印にしているのと対照的に、旧体制の打破を目的とした筈のドイツ第三帝国が、それまでの欧州列強の過半を飲み込んだ事で、旧世界を代表する存在として祭り上げられ、ドイツ自身も自らの覇権維持のためにはこれを肯定せざるを得なくなったからだ。
 また、英国という「盾」を失った事で欧州世界と直接向き合わなければならなくなったアメリカが、今更ながらその脅威を認識するようになり、極端なまでの軍国主義に傾いた事も世界の緊張を高める大きな要因になっていった。
 一方、欧州を統合したと言っても、ドイツ率いる欧州世界が中東、アフリカなどでの現地住民との軋轢による消耗から逃れる事はできず、しかも事実上の東西分裂をしたロシアでの不健康極まりない国境紛争は、欧州の国家財政にこれ以上ない財政負担を強いる事になる。
 そして、その全ての混沌の中で最大の利益をあげているのが、太平洋の奥地から無尽蔵に武器をはじめとするありとあらゆる製品を送りだしている日本帝国だった。
 確かに1950年統計では、アメリカ、ドイツ、日本の順番の工業力指数だったが、欧州各地に存在するありとあらゆるシンクタンクは1970年代までに日本とその衛星国(満州国、韓国など)が生み出す工業製品は世界の半分を越えると予測しており、史上最小の新たなカルタゴの誕生を告げていた。
 しかも現在のカルタゴたるアメリカが、欧州との対抗上日本の力とアジア市場を必要としている限りこの流れを押し止めることは難しく、ましては破滅的兵器を使っての戦争など論外という点は誰もが分かり切っているだけに始末が悪かった。
 そして、欧州を統一して平和を掴んだ筈のドイツは、四半世紀後には太平洋の二つのカルタゴが生み出す巨大な国力の前に膝を屈するしかなく、これを否定するには自らアルマゲドンなりラグナロックをするしかないだろうと言うことだった。

 いったい我々はどこで間違ったのだろうか。カルタゴは早期に滅ぼしてしまうべきだったのだろうか、それとも強引にでも握手してしまい、世界支配の共犯者にしてしまうべきだったのだろうか・・・

 

 

NORMAL END 1

 

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