■Case 02-E「同時参戦」

中東方面の安定確保のため日本に対する限定的な戦争を意図したドイツ軍であったが、日本軍が駐留する中東、インド洋方面には当初義勇軍として参加したアメリカ軍も、「治安維持」を目的としてなし崩しに長期駐留を行うようになっていた。
 なお中東地域での駐留は、日本軍とアメリカ軍が2年周期で主力部隊派遣を順番に行うのが両者の取り決めとなっていてが、どちらかの軍隊だけが駐留するという状況は皆無であり、当然中東方面で戦端を開こうとしても日本軍だけを対象とする事は事実上不可能だった。
 また、日本だけに戦端を開くと言っても、ドイツ自体がインドを手にすることは無駄、無理、無茶の三拍子が揃った行動に他なく、日本本土を攻撃できる自軍戦力などほぼ皆無で、できたとしても少数の潜水艦が苦労して通称破壊をするのが関の山という状況では、戦略的妥当性はどこにも存在せず、ドイツにとっての安定した資源地帯としての中東を戦場として選択する限り、日本だけを対象とした限定的戦争は画餅としか言えなかった。
 しかも、日本とアメリカはドイツとの関係が冷却化した1949年初頭に、周辺諸国の過半を巻き込んだ攻撃的な安全保障条約の締結に踏み切っており、この条約に従えばそれらの加盟国に戦争を仕掛ける事は、条約参加国全てに参戦するに等しく、それは似たような攻守同盟を作り上げていた欧州も同じで、ドイツ中央政府が日本に対する改選を決意することは、それは自動的に三度目の世界大戦を、今回も自らの手で引き起こすことにほかならなかった。

◆第三次世界大戦へ続く

 

 Case 06-01「奇襲攻撃」