■Case 03-00「さらばボルシェビキ?」
書記長と呼ばれたまだ中年の男は、その日極北のとある街に在り、そこで何人かのスーツ姿の男達と対峙していた。 話し相手は、向こうの方がずっと多く、それは交渉相手が多い事を現すのでなく、向こうが大同団結して書記長がその手に握っている国の未来を、自分たちの都合のいいようにどうにか利用しようとしている、と言うことだった。 何しろ、彼らは国家やイデオロギーよりもカネに対して執着を示す連中だと、書記長の国では定義されているからだ。 だが、その中に一人だけ、老齢ながらガッチリした体格の東洋人は、その書記長に対して同情的なのが少し話した中で理解できた。 その事をフと思い出した書記長は、改めて会話を再開した。 「大日本帝国並びにアメリカ合衆国を始めとする各国の代表の皆さん。先ほどから説明している通り、我が国は、いや我が民族は今重大な危機に瀕しており、それを避ける手だては私達の手には存在しない、もしくは在ったとしても、それは苦難の道のりになるだろうと言うことです」 書記長のあからさまな、ともすれば感情的な言葉に露骨な嫌悪感を示した交渉相手もいたが、書記長の対面に座る、典型的なアングロ・サクソン系の白人が蝋人形のような表情をしたまま応えた 「書記長閣下。それは我々も存じております。そして、それを憂慮するからこそ我々はここに参集したのであり、今こうして遠くアンカレジにまで足を運んでいただきました。だからこそ、我々は貴国が示される態度に今重大な関心を向けているのであり、そのお言葉を待っているのです」 白人の言葉もあからさまなものとなった。もちろん意図しているのだが、移民の国の子孫であるからこそ、ハッキリした答えを欲しがっているようにも見えた。 そこにガッチリした体格の東洋人が 「書記長閣下、我々の潜在的な敵は共通の筈です。それは、これまでの私達の関係を加味したとしても、変わるものではありません。だからこそ、我々はドイツ政府の度重なる要請を無視して、貴国との外交関係並びに通商関係を維持してきて、水面下ではありますが、武器や物資の援助や供与すらしてまいりました。ただ、我々の中には改善されてなお、あなた方の国家体制に不審の目を向ける者が多く、それをあなた方が克服してくださらない限り覆る事はありません。我々は立憲国家であり、国民の目を無視する事はできないのです。ですが、我々が求めるのは今すぐの変革ではなく、この危機を乗り越えた後に達成していただければ問題ない事象であり、これなら貴国が受け入れる余地もあると考え、本日の交渉に及びました。その事はお分かりの筈です」 「つまり、我々が示せる譲歩は、これ以上ないと言うことだ。我々の間をかけずり回った、ミスター・ヒロセに感謝する事だな」 少し後ろで控えていた初老の好戦的な男性が吐き捨てるように言い放ち、書記長と呼ばれる男を睨み付けた。それは無礼極まりない態度だったので形式上彼の国の上司にとがめられたが、書記長に向けられたその瞳は敵を見るようであり、とても有益な交渉を行う時に向けるべき眼差しではなかった。
なお、極東の島国の東洋人と新大陸の白人が求めているのは、今現在もロシアの残りの大地を支配している政体、つまり一党独裁の共産主義体制を改め、二大政党制による議会を設ける事であり、しかも10年のタイムスパンを認めているだけでなく、これには民主主義国家にならずに社会主義体制のままでも問題としないという付帯事項すら付けられた穏便なもので、好戦的な白人の言った通り、自由主義、資本主義を標榜とする彼らの陣営から示せる最大限の譲歩と言ってよく、このままでは確実に黒い帝国に蹂躙されるであろう国家に示せる好意であった。 もちろん、資本主義陣営の国が共産主義国にこれだけの好意を示している理由は、初老の東洋人の尽力だけではもちろんなく、共産主義国を完全に滅ぼして、さらにその勢力を大きくしようとしている黒い帝国を、共産主義国家よりも遙かに大きな脅威と認識しているからであり、自らの商売のために邪魔だと判断しているからだった。 なお、この会議には、会談もちかけたアメリカ合衆国をホスト国として、交渉相手のソヴィエト連邦、立憲資本主義国の代表と言える日本帝国、そして米日を盟主とするアジア・太平洋各地の代表がその場に来ていた。なお、その中にはオーストラリアなど英連邦の代表もオブザーバーとして送り込まれており、英国がこれに対して非常に高い関心を示している事を雄弁に伝えていた。
全てを一瞬で考え直した書記長は、少しの時間を置いた後、臨席する相手交渉者全てを見回してから発言を再開した。 「実に現実を要約した発言・・・とお答えすればよろしいでしょうか。では、反対にこちらから一つ問いますが、もし仮に皆様の祖国が提示された条件を我々が受け入れた場合、貴国は我々そしてドイツ人に対して、どれ程の行動をしてくださるのでしょうか? 彼らの進撃が止まるまでですか? 我が国が祖国を全て奪回するまでですか? 英国人が安心できるまでですか? それともベルリンに進撃するまでですか? いや、この時点でこの答えを返すことが難しいのは重々承知しております。ですが、我々が一つの決断を迫られている以上、そちらの決意の一つなりとも聞いておかねば、我々も決断が付けかねます。そして、今までそちらが提示されている条件は、漠然としたものすぎて、判断の材料足り得ないと判断いたしますが、如何か?」
今度は、日米の代表が黙る番だった。 そして、一瞬の目配せの後、最年長と思われる老齢ながらガッチリした体格の東洋人が発言の構えを見せた。 そしてそれが、交渉が本格的に回転した瞬間だった。