■05 亜大陸列島「日本」付近の海上交通■


神の視点より

地図は前回と同じだが、海流と密接に関係のある海上交通について少し見ていく。

いわゆる「帆船」が発明か渡来するまで、日本の海上交通は沿岸航路のみだった。
しかも太平洋が荒波なので、少しマシな日本海航路が発達した。(黒潮、親潮の流れも影響している。)
海外との交通網は海上しかないが、穏やかな東シナ海を越えるのも大変だったし、
対馬海峡は海の難所だった。(海峡とは海の難所なのが普通。)

翻って、この亜大陸列島だが、日本のどちらも外洋となる。
北側は日本海のように閉じた海ではない。
南側はより北太平洋海流(黒潮)と接するので、さらに行き来が難しい。(西から東に向かう場合は少し別。)
このため外洋の海上交通の発達が、我々の世界以上に難しい。
逆に、瀬戸内海は面積10倍、各海峡の幅が約3倍なので、潮流は少し穏やかになる。
しかも閉じた海なので、波も穏やかなままだ。
大陸における巨大河川のような役割を果たし、西(筑紫)と東(近畿)の大動脈となる。

それでもこの世界の日本全体の海上交通は、
距離で3倍以上となるので我々の世界と比較すると非常に構築するのが難しい。

そこで今回の想定では、琵琶湖北端から若狭湾の敦賀を河川で抜けられる地形に変更したい。
これをしておかないと、東西南北に細長い地域の一体性が大きく遠のいてしまうからだ。

地形自体の調整で斜面の傾斜角が半分になっているとは言え、地形による地域の断絶度合いは強くなるので、
それを少しでも緩和する。

それでも津軽海峡越えは、東西を行き来するのも蝦夷に渡るのもかなり厳しい。
航海技術が高くなるまで地域の断絶は強いままとなる。
逆に蝦夷北端から北東部沿岸が冬は流氷で閉ざされるので、アラスカ地域との行き来が生まれる。
同様にシベリア北東端部との交流も生まれる。

一方で南部は、フィリピンなど北太平洋海流の影響する地域から、
筑紫南部への渡航、航海の成功確率がかなり高くなる。
アウトリガーカヌーが発明される紀元前3000年くらいから、台湾、フィリピン方面からの来訪、移民が増える。
(紀元前2000年くらいからか?)
また余録だが、海流を通じて日本に流れ着く種子(植物)も少し増えているかもしれない。