■フェイズ05:「人類の足跡」

 我々の世界とかなり違う地形と配置になった亜大陸列島の日本だが、人類はどこからどんな人々がやって来るのだろうか?
 彼らの足音を少し聞いてみよう。

 新人(ホモ・サピエンス)が北東アジアまでやって来るまでに、我々の世界の日本列島に人類の痕跡が見られる。しかし彼らは、北京原人などの原人から進化したネアンデルタールのような旧人だと見られている。
 そして新人(ホモ・サピエンス)がやって来る頃には姿を消していた。新人との生存競争に敗れたか、寒冷な気候に耐えられなかったかで滅びたと言われる事が多い。
 そして早くは5〜6万年前に、チャイナ地域にまでクロマニョン人を祖とする現生人類の一派が到達する。彼らが最初に北東アジアに到達する現生人類=新人(ホモ・サピエンス)だ。
 そしてこの時期は当時氷河期(ヴェルム氷期)なので、最大で120メートル海面が低下して、大陸棚のほとんどが地表に露出していたと言われている。
 そして陸地となった大陸棚を通って、大陸近在の島々に西からはナウマン象やオオツノジカ、北からはマンモスやヘラジカなど様々な動物を追いかける形で人類(ホモ・サピエンス)もやって来た。この点に変化は起きない。
 これが日本列島での人類、そして縄文人の始まりとなる。
 そして現在までの調査では、1万8000年前の化石が発掘されているらしい。また約3万年前に、沖縄近辺に海を越えて移住している形跡も発見されている。(海を越えたのではなく、氷河期で海面が大きく低下して歩いて渡ってきた可能性もある。)

 とはいえ、彼らはまだ縄文人とは言い難い。
 だが狩猟採集民族は、1年に10キロ程度は移動する。つまり1000年で1万キロ移動することになる。実際、南北アメリカ大陸は短期間で移住が進んでいる。
 十倍日本でも、十分に横断可能というわけだ。
 また、狩猟採集民族の人口密度は非常に低いのが一般的なので、この時点で日本列島に人類が「溢れた」と定義することもできるだろう。彼らを「前縄文人」としてみよう。
 次に、1万5000年前の氷河期に、2万年前にシベリア方面(バイカル湖辺り?)に移り、さらにアメリカ大陸へ渡る人々の一派が、進路を少し南寄りに取った結果、ベーリング海に鎮座する北海道に上陸する。
 この世界では北海道がベーリング海にあるので、北海道にアメリカ大陸への氷河の合間の道が出来る可能性が高いからだ。
 もちろん、我々の世界ではあり得ない移動だ。この時、マンモス、オオツノシカ、ヘラジカなどのほ乳類も同時に北海道に上陸する。
 他にも狼、キタキツネ、熊、トナカイ、さらには北米大陸からサーベルタイガー、ダイアウルフなどもやって来るかもしれない。北米大陸からの動物の移住は、人の移動よりもずっと早く起きている可能性も十分にある。
 ユーラシア大陸から動物たちを追いかけてやって来た人々は、優れた石器(細石刃)を持ち寒い地域での生存方法を熟知しているので、先住者となる前縄文人を押しのけながら着実に南に向けて浸透していく。
 彼らは、広義では縄文人と祖を同じくする場合もあるが、アメリカ先住民の祖となる人々になるので、ここでは「北方人」としておきたい。
 しかし彼らが日本列島全域に広がるよりも早く、自分たちと同程度の文明を持つ人々と出会う事になる。

 続いて1万3000〜4000年前に、日本民族の根幹の一つとなった縄文人の根幹をなしたグループが、中華北部内陸もしくはバイカル湖辺りから出発して九州方面からやって来るからだ。
 氷河期なので、樺太からも当時は陸地だったであろう日本海の浅い地域を伝って来る人々もいるかもしれない。どちらも、我々の世界の縄文人の祖先達が辿ってきたルートだ。
 なお、我々の世界でシベリアから北海道に至った縄文人の祖の一派となる人々の集団は、そのままの経路だと日本列島には至れない可能性がある。だが氷河期に大陸棚辺りまで海水面が後退すれば、陸地になっている可能性のある海の浅い地域を歩いて渡ってきた事になるだろう。(※そのように海底地形とプレートの形も設定しておいた。)
 日本に至った彼らは、土器の鍋(=ポット)を使った先進集団であり、北方人同様の優れた石器も持っていた。後に作られる芸術的な土器は、彼ら独自の優れた文化の証と言えるだろう。
 同時に土器は壊れやすいので、長期間定住していないと発明される可能性が低い。たいていは、農耕の開始とセットの発明とされている。
 つまり縄文人達は、定住に成功した民族(の一つ)とも言えるだろう。そして日本は、農耕ではなく狩猟採集で定住化できるほど豊かな土地だったと考えられる。
 十倍日本でも、九州や西日本は同様とみて問題ないだろう。少し乾燥する東日本だと少し条件が厳しくなるが、人口密度の低下程度になる筈だ。だが東日本は、気象変動で環境が変化して、狩猟、採集では暮らしていけなくなる可能性が高い。もしかしたら、乾燥という環境圧力によって、独自に本格的な農耕を始めるかもしれない。
 そして彼らは、今の東アジア系ではない「濃い顔」な人々だ。

 そして以上の人々が合わさって縄文人が形成されるが、その後しばらくは海で閉ざされてしまうため新規来訪者はなく、1万年近く縄文時代が続く。
 ここでの可能性は、彼らが独自に文明を作り上げるかだろう。
 文明を築くには、相応の自然環境と理由が必要となる。
 また、文明を作るための穀物となる作物と、家畜になる大型動物が必要となる(※大型動物がいない場合も多い)。四大文明が典型例で、特にオリエント地域は好条件が揃っていた。
 加えて、農業を始めるための環境圧力(※気候の乾燥化による狩猟、採取の激減)など、その他にも適切な条件が揃っていた。
 そして文明を築く上で一番重要なのが、本格的な農耕が勃興するかどうかだ。この場合、日本列島は十倍に広がっても相応しいとは言えるだろうか。農業を始めるには、食べ物を作らなければならないほど不足していなければならない。
 気候も雨季と乾季がある場合が都合がよい。
 世界中を見渡した場合の例外は、ニューギニア島の山岳部の合間の孤立した盆地になるが、ここの場合は農業は始めたが、金属の利用まで文明が発展する事は無かった。
 古代の日本列島での文明の利器と言えば、縄文土器になるだろう。そして土器は壊れやすい。つまり長期間にわたって定住か定住に近い環境になければ、土器という文明の利器が誕生する可能性は極めて低い。そして我々の世界では縄文式土器が誕生して、それを用いて縄文人は食べ物の煮炊きをしていた。
 また定住の証拠として、日本各地に貝塚が残され、恒久的な住居どころか場所によってはかなり大規模な集落まで形成している。
 そしてここから分かることは、日本は農業をしなくても定住できるほど食べ物が豊富にあったという事になる。
 しかも縄文人は彼らの住む周りの木々、ドングリ(楢や樫)やトチ、クリを、好みの種をばらまくことで増やしている。これは農業の前段階と言える。稲作を始めるまでにも、様々な植物の実質的な栽培も始めている。
 また一方では、日本には農作物になる植物、家畜になる動物がほとんど存在していない。また自然の産物が豊かなので、食糧危機による圧迫が存在していない。あっても、長期間でゆっくりと影響を与えるに止まっている。
 これらの事から考えて、我々の視点での農業が独自に始まる可能性はかなり低い。そして農業が始まらなければ、分業や富の蓄積、土木技術の向上、天測、そして古代型国家の形成といった文明の勃興が起きない。
 少し話しが逸れたので先へ進もう。

 氷河期が終わり日本は二つの大陸から完全に離れて、4つの巨大な島を中心とするも他の地域から孤立する。
 この孤立の中で人口の拡大と混血が進み、我々が良く知る縄文人となっていく。しかも我々の世界の日本の約8倍の規模で。
 本来はインディアンやインディオ、もしくはイヌイットの一派となった北からやって来た人々も、主に北の大地で独自の文化を育てるかもしれない。
 次に平穏を破るのは、世界で初めて長距離外洋航海の能力を備えたアウトリガーカヌーを手にしたマレー・ポリネシア系の人々だ。
 彼らは、約3000年前に島々を渡りながら海流に乗って日本列島の南部に到達する。彼らは台湾島発祥と言われ、彼らの一派が最終的にハワイ諸島にまで到達してしまう民族集団だ。
 我々の世界の日本列島にはほとんど到達しなかった筈だが、この世界では日本列島に日本海流が接触する箇所が多いため、また日本列島の一部が少し南に位置しているため、一定の頻度で移民として至る事ができる。
 彼らは南方人とでも仮称しよう。
 彼らは好戦的な事も多いと言われるし、縄文人よりも少し高度な文明を持っているので、数は少ないながらも日本の太平洋岸南部、西部地域で一定の広がりを見せるだろう。
 そして数が多ければ、南洋産の鶏や豚を早々に日本にもたらしている可能性が十分にある。南方原産の各種芋類も、最初は多くは彼らが持ってくる。場合によっては、サトウキビもやって来るかも知れない。

 最後に、主に揚子江河口域から、船に乗って弥生人となる人々が、農業という革新的な文明を携えてやって来る。
 彼らは2500年から2300年前ぐらいに日本にやって来るが、主に中華大陸の戦乱(春秋戦国時代)から逃れた人々の末裔だと言われる。
 また一説では、3000年前に農業をもたらした人々の移住は始まっていたとも言われている。とはいえ、今の漢民族とは違う民族集団の人々ばかりで、日本に来てからの彼らのことを主に「弥生人」と呼ぶ。
 そして弥生人と縄文人が程良く混ざり合った結果、現代に至る日本民族が完成する。
 弥生人たちは、水耕稲作が可能な日本で急速に版図を広げていく。さらに鉄器や青銅器、磨製石器、織物、馬、牛などの大型家畜などを同時にもたらす。日本は弥生人によって、初めて文明化されるわけだ。
 なお、日本に柑橘類やカイコ、さらには南方系の文物をもたらしたのが、揚子江地域からではなく華南かベトナム北部地域から移民してきた人々だと言われている。
 これは、恐らくは当時東シナ海全域に広がっていた海洋民族たちが行ったことだそうだが、マレー・ポリネシア系ではなく東アジア系なので、彼らも弥生人の一派といえるかもしれない。
 つまり弥生人は一派だけでなく、中華辺境部の各地からやって来た様々な人々と言うことになる。

 そして弥生人が到来した時点で問題となるのが、それぞれの人種が到達した時間だ。なぜなら競争相手がいなければ、人口飽和に至るまで数が増えるからだ。
 この時期を無印日本で見てみると、縄文人は最盛時(4000年から5000年前の温暖期)に推定で26万人いたと推定されている。
 だが、巨大火山の大噴火の影響と、その後の寒冷化により木の実や獲物が激減した。縄文時代後期で16万人、弥生時代に入る頃は8万人だったと推定されている。
 寒冷化が終わると人口も徐々に回復したが、最盛時ほど増加もしていない。そしてその間に弥生人が増え、混血していった。
 そして日本全体での人口は、紀元前3世紀頃に始まった農業の力により、約1000年間増加し続けていく。
 だがこの増加には、大陸での混乱などを原因とする移民も非常に多いというシュミレーション結果もあり、弥生時代から奈良時代初期の間までの約1000年間に合計で150万人、年平均だと1500人の移民があったとも推定されている。縄文人よりもずっと多く、日本人の顔が東アジア系になるのも当然だろう。
(※近年ではさらに別の説もある。)

 


▲人類の移動の経路

 さて、十倍日本に話しを戻すが、前縄文人は次の人々が来る間に、日本列島全体に広がることが出来る。そして北に行き着いた時に、アメリカ大陸に行き損ねた北方人とも出会う。
 それでも結果として、多数派を形成できることになる。しかし文明が劣ったままの可能性が高いため、勢力の縮小と他民族への吸収を余儀なくされる。この流れは縄文人の到来で決定的となるだろう。
 そして温暖な土地で数を増やす縄文人が、次の多数派となる。
 かなりが北方人との混血も進むだろうが、北の生活に特化した北方人の一部は、そのまま残るかもしれない。だが一万年の長い時間の間に混血が進み、縄文人が形成されていく。
 そしてさらに1万年後、南方人、弥生人が立て続けにやって来るが、農業の力をもってしても、広大な土地に繁栄する縄文人に対向するのは大きな苦労を強いられる可能性が高い。
 この世界の縄文人の数を単純に十倍と想定すると最低数でも約80万人(最盛時で260万人)となるが、大陸からの渡来、移民数は変化がないからだ。

 また稲作は、約半世紀の時間で日本列島に浸透したと言われるが、この世界の日本列島は距離三倍、面積十倍なので、距離の面だけでも三倍の時間がかかる計算になる。つまり150年かかるのだ。しかもこの世界の東日本では、気候の問題から稲作が難しく同じ農法が使えないので、農業の広がりはさらに時間がかかる可能性がある。東の方だと、伝わらない地域も出てくる。
 我々の世界でも、古代の農業では当時稲作が出来なかった利根川を超えられなかったと言われているが、この世界での稲作はずっと西の浜名湖辺りで止まるはずだ。東の方では稗や粟の栽培が進むだろうが、日本の原風景とは少し違う形になるだろう。
 またもう一つの可能性として、寒冷化により食糧が激減した縄文人達が、独自に農業を開始する可能性が若干だが存在する。とはいえ日本列島で農作物となるのは、稗や粟ぐらいだろう。
 家畜としては、犬ぐらいしか居ないはずだ。他に、家畜になりうるものとしては、野生の猪がある。そして好意的に想定すれば、ヨーロッパのように森林で家畜化して野豚に変化していく猪を家畜として、初期的な放牧農業を開始する可能性が存在する。
 これらの事から、農業を得て勢力を拡大した縄文人系の国家が主に東日本で成立する可能性が少しばかり出てくる。
 この時期に形成される日本人も、東アジア系としては「濃い顔」な人々の比率がさらに高まるのは間違いない。史実での弥生人の移民と増加から単純な数字を割り出せば、東アジア系「2」に対して縄文人系「1」の割合となってしまう。
 その上に、アメリカ渡った褐色系の北方系と、南洋から来たマレー・ポリネシア系までもが住み着いている。弥生人は、さらに劣勢を強いられる。
 この世界の日本は人種が完全に混ざり合わず、北東アジアだと考えるとかなり変化に富んだ人々によって構成されることになるだろう。
 つまり「単一民族」から、かなり離れてしまう事になる。

 また、「日本人」としての単一民族の構成要素となる言葉についても、統一される可能性はかなり低いと予測される。
 何しろ距離が無印日本の三倍以上もある。しかも、多少マイルドになったとはいえ、依然として大きな地形障害が日本各所に存在している。
 ごく普通に考えれば、地中海のラテン系民族のように、似ているけど違う言葉を話している可能性が高いだろう。欧州の南部と北部ほどの違いはでないだろうが、統一国家が長い間存在し続けない限り統一されない筈だ。
 逆に欧州と違い、ゲルマンやスラブに当たる民族はいないので、欧州ほど言語は分かれない可能性が高い筈だ。
 また一方では、アイヌ語のおおもとになる縄文人の言葉のかなりも生き残り、欧州世界でのゲール語(ケルト人の言葉)のように残されている可能性も高い。
 そして文字については、十倍日本で高度文明が勃興しない限り、漢字で統一される可能性の方が高いだろう。
 欧州でも多くがアルファベットだし、便利なものを使うのが道理だからだ。カナ文字が発明されれば、誰もが使うようになるだろう。

 そして農業が始まらない限り文明も始まらないわけだが、我々の世界の日本列島と同様だと想定すると、西暦が始まる頃には各地に農業社会が出来て争いと統合、合流が発生し、国家の胎動が始まることとなる。
 中華大陸からの移民以外を支配層とする国々も形成される可能性も十分にある。
 さらに西暦2世紀頃には、大陸から鉄器も伝えられるので(※製造方法はもう1世紀ぐらい後)、この辺りから本格的に古代国家の形成が開始される。
 ただし、弥生人達は最初数が少ないので、我々の世界より10倍の規模の縄文人を圧倒するのに時間がかかり、縄文人が技術の模倣で農業をはじめて国家の形成を始めてしまう可能性が十分に存在する。
 この世界のスサノオやヤマトタケルのモデルとなる人々は、さぞ苦労する事だろう。異民族の古代国家を征服を神話化する日本神話は、壮大で多彩になる筈だ。場合によっては、北欧神話やケルト神話並の派手な戦いの神話になるかもしれない。
 とにかく、西暦3世紀には日本での国家の胎動が本格化する。

 だが以上の事は、我々の世界の日本列島と似通った場合を想定したもので、十倍日本の本当の日本は一帯どうなるのだろうか。
 それについては、この少し先でゆっくりと触れていきたいと思う。


▲古代日本の勢力図の一例