■フェイズ07:「もしも十倍日本が海外進出したら? 全時代考察編」


 十倍日本は、列島内で話しが収まっていれば、基本的には事が十倍の規模になるだけで済む。
 だが、日本以外の世界は、もとの大きさのままだ。
 つまり日本が海外に向かう時、自ずと規模は十倍になり、影響も拡大する可能性が高い。海外勢力が日本にちょっかいかけてくる場合も同様だ。
 この点を、かいつまんで歴史順に見ていこう。

・卑弥呼の金印

 この時点での影響はほとんどない。日本が送り出す使節を乗せた船団が大規模だったり、献上する奴隷の数が一桁違うくらいだ。大陸からすれば、東の海の向こうに少し大きめの蛮族の国がある、という認識程度にしか影響はないだろう。他の同様の場合も、似たような変化しかないだろう。
 しかし中華帝国は貢ぎ物に応じた返礼がをするので、日本列島に多数の中華国家の文物が到達しているかもしれない。そうなれば、文明の発展速度が少し早まる可能性もあるだろう。

・神功皇后の遠征辺りから白村江の戦い

 我々の世界では、記録があまりないためどの程度の影響力があったのか不明な点も多いが、遠征や支援の規模が単純に十倍になると、最終的に百済が新羅を滅ぼして朝鮮半島南部を統一する可能性がでてくるかもしれない。もしくは日本の国家が、直接朝鮮半島の一部もしくは全域を統治するという可能性も出てくる。
 そして百済が勢力を拡大した場合、百済と高句麗が朝鮮半島の覇権を争う形になるか、百済、高句麗を後押しする日本が、隋、唐と断続的な戦争状態に陥る可能性もあるだろう。
 また百済が朝鮮半島に残るのなら、朝鮮半島に住む民族(支配民族)そのものが大きく変化する可能性も出てきてしまう。百済の住人は、今の朝鮮民族とは違う民族と考えられているからだ。高句麗についても同様だ。

 なお、仮に「白村江の戦い」が同じように起きるとしたら、単純に十倍にすると1万艘の軍船と27万の大軍を送り込むことになる。唐の二倍にもなる大軍だ。しかし兵站や軍制などを最低限でも考慮すると、この半分も送り込めたら御の字だろう。数字を半分にしても、史実の元寇と同規模だ。
 この辺りでの結末は、やはり最終的に唐が勝利するだろう。史実と同じと仮定すると文明の力、程度が当時の日本は低すぎるから、数が多くても武器や戦術で劣り大軍でも烏合の衆になりかねないからだ。
 また、全く逆に、巨大な日本の内政統治に力を取られて、朝鮮半島への進出は行わないか小規模になる可能性も否定できない。さらに、朝鮮半島が大陸の通過点以上の価値がなくなり、日本の関心が下がる可能性も高い。

・遣唐使

 我々の世界の日本は、遣隋使を15年間に恐らく5回、遣唐使を約200年間に最大推定で20回計画され16回派遣している。船団の規模は1回4隻が基本で、300トン程度の大きさの船に1隻当たり船員と乗客が合わせて250〜500人程度乗り組んだそうだ。
 7世紀は戦争もあって混乱したが、8世紀になると唐の全盛期になり日本も安定したため、文化輸入として遣唐使が発展して往来する頻度が増した。しかし全てを合わせても最大で16回で、平均十数年に一度しか派遣していない。
 しかも皇帝の謁見の時期に合わせるため、気象条件が悪い時期に渡航しなければならず、航海途中で難破することも多かった。
 しかし全てが十倍になると想定すると、ほぼ毎年遣唐使を派遣できる事となる。これだとほぼ定期航路状態で、人の往来も増えて造船技術や航海技術も高まるだろう。また最盛期に派遣頻度は高まるので、年2〜3回派遣するか船や船団の規模そのものが大きくなっている可能性も非常に高い。一部では商業的な目的も生まれてくるかも知れない。

 また、毎年せっせと日本が朝貢にくれば、「辺境の良き属国」と唐の側もさぞ喜んだ事だろう(珍味の乾燥アワビ、乾燥ナマコなどが定期的に運ばれれば、喜ばれたに違いない。)。そして見返りとして多くの文物が日本に流れ込み、日本の文明発展速度を多少なりでも早めたかもしれない。
 一方で日本から大陸に渡る人の数が10倍になると、日本にもたらされる知識、技術も大きく増えるのは間違いない。
 留学生も空海、最澄クラスの人材が十倍いる計算になる。
 さらに日本の首都(京)はより壮大な規模になるだろうから、海の向こうにある辺境の大国に興味を持つ外国人も増えて、長安からわざわざやって来る人々、文物も自然と増加しているだろう。場合によっては、日本文化にも大きな影響を与えたかもしれない。
 とは言え、自画自賛以外でシルクロードの終点と言われるほどにはならないだろう。
 それだけ当時の航海は大変なのだ。

・独自文化

 遣唐使が途絶えると、日本では独自の文化が花開いた。
 だが日本からの文化の輸出にまでは至らないだろう。
 同様に10倍の規模があろうとも、独自の新規技術の発明や発展という可能性も低い筈だ。
 一方で、日本国内で10倍もの規模があるので、そこから生み出される富みの量はバカには出来ない。
 しかし9世紀、10世紀、大陸は混乱の時代なので交易や交流は難しく、次の時代に期待するしかないだろう。

・日宋貿易

 10世紀末に、唐に次ぐ中華帝国として宋が成立する。宋の全盛期は商工業が非常に盛んで、このまま良性の発展を続ければ数百年早い文明の発展(産業革命の前段階)の可能性があったと言われるほどだ。
 そうした中で日本の平清盛は、日宋貿易を盛んにして国を富ませようとしたと言われる。また、当時宋から輸入された銅銭により、日本の貨幣経済が進んだとも言われる。
 なお、宋に続いた元の時代は、中華地域が世界で最も経済を発展させた時代だったと言われる。GDPも当時の世界の半分を占めていたと推定されている。この恩恵に日本も与れれば、さらなる発展も期待できそうだ。日本の規模が十倍となれば、産み出す富みにつられた中華商人も多く日本を訪れるだろう。
 とはいえ、交流の規模以外で日宋の関係にあまり変化はない可能性は高いだろう。

・元寇

 13世紀半ば、モンゴル帝国(元)が日本に二度侵攻した。しかし日本の規模が十倍もあると、話しも変わってくる。当時の九州だけで、総人口は1000万人になってしまう。この数字は、我々の世界の当時の日本全体の総人口に匹敵する。また、博多湾は人口が多い地域で大陸に近いので、文化も発展している筈だ。
 つまり博多湾には、比較的容易く10万人単位の大軍を持って来る事ができる。西日本中から武士達が集まれば、元軍を越える大軍が博多湾に集結する事も十分に可能だ。
 恐らくは防塁を造る必要も低く、神風の到来を待つまでもなく元軍を撃退できてしまう可能性が高い。
 モンゴル軍も、雲霞のごとくの鎌倉武士の群れにドン引きな事だろう。
 もっとも、十倍日本の世界だと、モンゴル軍が殺到するのは博多湾ではなく、唐津湾などもう少し西側になるだろう。恐らくは長崎県の松浦辺りになると予測される。
 しかし、14世紀に入れば両者普通に貿易を行ってウィンウィンな状態に落ち着く点に変化はないだろう。

・鄭和の遠征

 14世紀末から15世紀前半にかけて、明の宦官だった鄭和が世界規模での朝貢貿易を実施した。
 日本が十倍の規模で、しかも統一された王朝でない場合は、ほぼ確実に東に向けた船団を派遣するだろう。そして太平洋の荒波は苦難を伴うので、日本各地への寄港が増える可能性が十分にある。そして寄港すれば、修理や補給の特需が発生する。当時の中華帝国は、(内政が大変なので)基本的に従いさえすれば比較的寛容だから、侵略したり攻撃する可能性は極めて低いだろう。
 この事件は、日本人が高度な航海技術を手にするまたとない機会となる。加えて、世界に出ていく契機にもなるだろう。何しろ鄭和の船団は、インド洋各地にも赴いている。船(と船員)を献上するという表向きの理由で船の技術を貰って自前で船を作り、世界の海に出ていく好機だ。
 そしてここで優れた外洋航海技術と船(+造船技術)を手に入れると、日本人達は早くから海外へと脚を伸ばせるようになる。
 逆に手に入れておかないと、巨大な日本列島沿岸での洋上輸送が追いつかないので、主に東日本の発展が大きく遅れる可能性もある。海運の発達は、非常に大きい利点をもたらす。
 なお、勘合貿易や諸々も、日本に遠征に来るのなら規模は自ずと拡大しているだろう。

・和冦

 前期、後期共に規模が拡大する可能性が高い。
 前期は、参加する日本人が多くなるから。後期は、日本との絹の取引量が膨大な量になるからだ。
 前期和冦は、規模が大きくなると、明の衰退にも影響するかも知れない。我々の世界の十倍も押し掛けてきたら、朝鮮半島の国家は壊滅状態になる可能性すらあるだろう。
 まさに東洋のバイキング状態だ。
 そして大陸や半島が衰退すれば、さらに海賊行為がし易くなるので、東シナ海が日本の海賊で溢れるという事態すら起こりかねない。儲かると分かれば、商人達も支援するようになるだろう。
 最も大きな想定の場合、14世紀に日系和冦を国王や支配民族とする朝鮮王朝が成立しているかもしれない。この世界の朝鮮住民が百済系であるなら、この可能性はさらに高まるだろう。
 後期の主力は、基本的に日本に絹や陶磁器の密輸を行う中華系商人なので、起きたとしても大勢に変化はないだろう。日本側の需要に比例して単純に規模が拡大し、中華地域の経済的混乱が拡大する程度だ。
 ただし北虜南倭という言葉が残されているように、規模が大きく拡大するであろう後期和冦が、明王朝の衰退をより早めたる可能性は十分にある。

・琉球の中継貿易

 明王朝が鄭和による朝貢貿易を否定して鎖国すると、その抜け道として封冊下にあった琉球を拠点とした貿易が実施された。
 だがこの世界では、琉球は巨大化した九州にさらに近いため、恐らく自立した地域にはならないし、中華帝国の封冊も受けない可能性が高い。独特の文化も薄れているだろう。
 そして明は、貿易に利用できる洋上の小国が無くなるので、さぞ困るだろう。明の鎖国政策も、我々とはかなり違っている可能性が非常に高い筈だ。場合によっては、台湾や海南島に傀儡国家をでっち上げて貿易を実施するかも知れない。

・南蛮来航

 16世紀になると、ヨーロッパ勢力が東アジアに進出を開始する。
 16世紀半ばには日本にまで到達し、当時戦乱のまっただ中にあった日本が金銀で溢れて消費熱も高かったため、互いに交流を活発にさせた。
 象徴的なのは、鉄砲伝来とキリスト教布教だろう。
 数字を単純に十倍にすると、半世紀後には鉄砲100万丁、キリスト教徒300万人という巨大な数字になってしまう。南蛮人の皆様は、キリスト教徒が増える事を喜ぶよりも、巨大すぎる人口と軍事力に南蛮人の皆様もドン引きの事だろう。十倍日本だと、総人口は当時のヨーロッパ世界にも匹敵するのだから、安易な干渉どころではない筈だ。
 逆に、チャイナですら侵略を考えていたので、史実と違う感想は抱かなかったかもしれない。
 どちらにせよ、史実と違わないのなら日本側から海外への大きなアプローチではないので、大勢に変化はないだろう。

・禁教

 巨大な日本で、果たしてキリスト教の禁止は行われるだろうか。
 日本に統一国家が誕生している場合、かなりの確率で実施される可能性が高い筈だ。これは海外がどうこうよりも、日本国内の問題だからだ。しかし、地域ごとに国家が成立していた場合は、恐らく一部の地域で禁教はあっても日本全体では禁教はされず、むしろ様々な国と地域が利害に応じて保護したり禁教したりして、モザイク状態になるかも知れない。そしてやってくる南蛮国家を外交手段として使う可能性が高そうだ。
 とはいえ、十倍となった日本でキリスト教が広がるのかというと疑問が多い。と言うのも九州南部にキリスト教徒は多かったが、それは主に痩せた土地で搾取される貧困を理由としていた。
 しかしこの世界だと、九州が一つの国家だった場合国の約約半分に及ぶので、不当な搾取をしていると国家の根幹に関わってしまう。九州単独で国家の場合は、キリスト教徒の増加比率は我々の世界よりもむしろ低い数字を示すだろう。

・朝鮮出兵

 総兵力300万。出兵兵力150万。軍船一万艘。
 我々の世界の規模を単純に十倍にすると、「どこの三国志ですか?」や「今日はD-dayですか?」と言った数字になってしまう。
 この世界の豊臣秀吉も、出現した軍団に驚く事だろう。
 これだけ途方もない規模が本当に遠征可能なら、そして兵站(補給)さえ維持できるのなら、一気に北京まで攻め上ることも十分に可能だろう。それどころか、日本人が新たな中華王朝を作り出してしまいそうだ。
 少なくとも、我々の世界の朝鮮半島に派遣された明の援軍では、太刀打ちできる規模では無くなってしまう。
 日本のサムラーイは、我々の世界とは逆に明朝の軍隊を飲み込んで押しつぶしてしまう事だろう。
 とはいえ、当時の技術力、軍の統制能力などから普通に考えたら、150万人もの渡洋遠征は物理的に不可能だ。しかし我々の世界の二倍程度の軍団を送り込むぐらいは、十倍の国力があれば十分に可能となるだろう。
 しかし当時の朝鮮半島は、19世紀同様に荒れ果てて余剰生産力(=食糧)がないので、兵站(主に食糧と飼い葉の補給)面の不利は兵隊が多いほど酷くなる。
 ローマ軍のように兵站を十分整えた遠征軍でない限り、かなりの確率で遠征は失敗するだろう。
 逆に、朝鮮半島など最初から無視して、物量に任せて中華本土を直接攻撃する可能性が出てくるが、短期的にはともかく長期的に成功する可能性は低いと考えるのが妥当だろう。
 しかし、この時点で日本が外洋航行可能な船を自力で多数建造するようになっていた場合、国の規模も大きいのでほぼ確実に中華大陸に直接攻め寄せるだろう。
 それ以上考察するのはここでは避けたいが、明朝をより一層傾かせるか、場合によっては打倒する可能性は十分にあるだろう。
 ただし、日本人が中華王朝を作るのかという点では、否定的に考えざるを得ない。ただでさえ十倍日本の統治をしなければならないのに、これに加えてほぼ同じかそれ以上の規模の大陸を抱えることは、当時の文明程度から物理的な限界を超えているからだ。

・朱印船

 1604年から1635年の約30年間に、徳川幕府などが海外に出した日本の朱印船(海外貿易船)の数は、合計で356隻になる。
 これを10倍にすると3560隻、1年当たり100隻程度になる。1隻に乗り込むのは約200人なので、最低でも年間で2万人の船乗りが居ることになる。
 この数字は、十倍に巨大化した日本列島の中だと「大したことない」規模なのだが、この時代の海外貿易船の規模としてはかなり大規模になってしまう。東南アジアの海は、日本の船ばかりという情景に近くなるだろう。
 何しろ3日に1隻のハイペースで、外洋航行可能な貿易船(恐らくは300〜500トン級の中型以上の船)が巨大な日本列島から旅立つのだ。数が多いので、安全のため船団を組む事も多くなるだろう。
 この時期に海外に出る日本人の数も、単純に十倍にすると100万人の規模に達してしまう。
 こうなると、もはや移民だ。規模の限られた日本町を形成するどころか、十分な民族集団となってしまう。華僑のように「日僑」と呼ばれるような集団を形成する可能性が高い。そして十倍日本に統一国家が存在しない場合、日本人の海外進出を止めることは物理的に不可能になるだろう。

・鎖国

 十倍の国家規模と言うことは、内政統治に非常に大きな労力が必要となり、民心の安定を維持するのも難しい。
 単純に十倍にすると、浪人(失業武士)の数だけで300万人にもなってしまうし、総人口に至っては初期で1億5000万人程度で、最終的には3億人を突破してしまう。
 地形障害の多い地域に3億人も住み、しかもそれを統治するとか、統治側からすれば罰ゲームも良いところだ。無理ゲーと悲鳴を上げたくなるだろう。
 そして中華王朝の多くと同じように、他国の事情、世界情勢に関係なく、国内の理由で鎖国する可能性が非常に高い。
 海外進出したくても、全力で内政に力を入れなければならないので、その余力を政府が持てなくなるのだ。

・欧米の東アジア進出

 十倍日本の地形だと、日本人が17世紀の段階で北海道に進出していたら、この時点でロシアのコサックと出会ってしまう。
 日本人が極寒の北海道にあまり移民していなくても、ロシア人が勝手に津軽海峡を越える可能性すらかなり高くなる。
 鎖国したばかりだというのに、忙しい話しだ。
 加えて、鎖国しても九州南端部、特に屋久島や種子島は、かなりの確率でスペインの太平洋貿易航路の中継点になる。海流の関係で、これはどうにもならない。最低でも鹿児島沖合を通過する事になってしまう。八丈島辺りも、中継点になる可能性が高いだろう。
 ロシア人だけに限っても、日本が「外国」を意識するには十分だろう。もしくは、北の大地、さらには北と東に延びる新大陸(北米大陸)に足を伸ばす契機になるかもしれない。
 また一方では、鎖国が早期に崩壊する可能性もある。
 何しろロシア人はどん欲だ。蝦夷(北海道)を自分たちの領域だと思っていれば、日本人達も「天下太平」に安穏とせずに行動に出る可能性は十分にある。

・開国

 我々の世界では、1853年にアメリカのペリー提督によって開国した。だがこの時期には、ロシアのプチャーチン提督もきていたし、イギリスも機会を伺っていた。
 日本が全ての面で江戸幕府の十倍の規模だったとしても、我々の世界と同じ技術レベルしかなければ、史実と同じ状態に変化は起きない。白人達は清朝に手加減していないのだから、日本に遠慮する理由もない。
 そして十倍日本が統一国家だった場合は、国家規模が巨大すぎて身動きが取れず、史実よりも事態が悪化する可能性の方が高いだろう。

・幕末

 領土や国力が十倍あれば、考え方がより内向きになって所謂「中華思想」に傾き、外からの影響、干渉に対して鈍感になる可能性が高い。隣国で阿片戦争が起きても、関心は我々の世界よりも低いだろう。
 もちろんこの時までに、日本が受ける海外からの干渉が最低限だったと仮定しての話だ。
 また、国家規模が史実より十倍の規模もあると、革新的な改革に向かう事を非常に難しくする。中華帝国同様に、巨体過ぎて動きたくても動けないのだ。
 かなりの可能性として、中華帝国つまり清帝国と似たような状態に陥り、そして欧米列強の軍門に長らく降ること可能性が高いと言えるだろう。

・明治維新

 明治維新によって誕生する明治政府の目的は、「富国強兵」という言葉に代表されるように、列強から日本を守るために近代国家を建設する事にある。
 結果として、日露戦争によって目的を達成した。
 しかし、幕末から明治維新にかけての急激な変化は、十倍の規模の日本では物理的に不可能と考えられる。今まで書いてきた通り、国家規模が巨体過ぎて内政面などでの手間と面倒が多くなりすぎ、変化したくても出来ないのだ。
 巨体を利用して列強の支配に抵抗している間に、緩やかに変化を継続していく流れが最も可能性が高いだろう。

・20世紀以後

 汽船、鉄道、電信で始まる物流の情報通信の革新によって、徐々に巨大すぎる国家も身動きがしやすくなっていく。
 我々の世界の巨体を持つ国家を見る限り、20世紀の後半以後、恐らくは20世紀末になれば加速度的な発展も可能になるだろう。
 だが、帝国主義が全盛となる19世紀半ばから以後一世紀は、巨大化した日本列島にとって、ほぼ確実に蹂躙される側であり、耐える時代になる可能性が高いはずだ。
 「大日本帝国」は、史実日本以上の幸運がない限り恐らく存在しない。
 十倍日本の世界には、超巨大な大艦隊を率いる東郷平八郎も山本五十六も出現しないのではないだろうか。

・そして現代へ

 暫定的な結論として、統一国家の日本が歴史上で存在し続ける限り、19世紀半ば以後はインド、チャイナの近似値の歴史を歩む可能性がかなり高いと予測される。
 ただし十倍日本は、ヨーロッパからインド、チャイナよりも遠いので、中印より少しマシな状態かもしれない。アメリカにはより近くなるが、20世紀に入るまでのアメリカ西海岸はアメリカにとっても辺境のようなものなので、19世紀の間は投射できる国力、軍事力は限られている。
 また欧米は、距離の問題からまず獲物とする可能性が高いチャイナの蚕食に力を入れ、次に日本の順番になるだろう。
 つまり侵略が本格化する時期が遅くなり、日本を食べ尽くすかその前に第一次世界大戦が起きてヨーロッパの繁栄に終止符が打たれる流れになる可能性が十分に出てくる。
 結果として、日本はインド、チャイナより侵略を受ける密度が低下し、近代国家として出発するスタートラインは有利になるのではないだろうか。
 だが、明治維新のような革新的な政権変更と改革の開始は起きない可能性が高く、近代国家としての十倍日本の発展と繁栄は、我々の無印日本よりも最大で半世紀ほど遅くなると見られる。
 当然だが第二次世界大戦が起きても、日本が主導的な役割を果たす可能性は低い。
 十倍日本の発展は、この世界での第二次世界大戦後、という事になるだろう。

 そして我々の世界で、有色人種国家の近代化に貢献した形の日本が存在しない以上、白人社会以外の自立と近代化は20世紀半ば以降を待たねばならない可能性が高く、十倍日本もこの程度の時代にならなければ近代へと進むのは難しいだろう。
 しかし21世紀になれば、巨体であるが故に経済成長に成功しさえすれば空前の繁栄と大国化が待っている。
 十倍日本が存在する世界では、日本が我々の世界のチャイナの立ち位置に存在しているのかもしれない。

・総括

 それぞれ史実の事象を十倍にして駆け足で考えていったが、19世紀以後に統一国家のままだった十倍日本には、明るい未来が開けている可能性は低いと想定できるのが少しは分かっていただけたと思う。
 我々の歴史と似た流れの上の十倍の面積の日本列島に、十倍の規模と国力と軍事力を持つ超大日本帝国は成立しない可能性がかなり低いと言うことだ。