■フェイズ09:「近似値としての歴史概略(10世紀から16世紀まで)」

・10世紀

 ・10世紀半ば(935年)瀬戸内海を中心とした西国と広州で大規模な反乱(939年)が発生。大和朝廷は、より重要な西国の平定を優先。

 ・日本でほぼ初めての大規模な海戦が瀬戸内海で行われる。西国の反乱では、起こしたのは大和の役人だったが、統一時に強い恨みを持った出雲が強く関わる。

 ・反乱軍の藤原純友ら、大陸から技術を導入した北東アジア型のガレー戦艦が登場。

 ・海戦では当初は大和が敗北し、戦乱が長期化。瑞穂領内でも反乱勢力が広がり、西国と大和の全面戦争になる。

 ・広州の平将門が新皇即位を宣言。その後、さらに勢力を拡大。蝦夷国とも連携。奥州藤原氏も孤立状態のためやむなく自立に進む。

 ・大和軍が、富士川の戦いで平将門の軍に大敗。古代型の徴兵軍が、封建型武士団に破れる。またこの時、平将門軍では日本で初めての本格的な騎兵部隊が運用された。

 ・日本統一が崩壊。

 ・平将門の連合軍は、再び大和朝廷軍と戦って痛み分けに終わると状況が固定化。

 ・平将門は新皇の称号を廃して、武士の頭領として大将軍を名乗り、武士による国「武蔵国」を建国。台頭を始めていた武士から多くの支持を得る。日本中から武士が参集。主従関係による封建体制を急速に拡大する。中央政府は「朝廷」ではなく「幕府」と呼ばれるようになる。

 ・武蔵に脅威を感じた大和朝廷は、武士、侍ではなく公家の武装と在地領主化を推進して対向。古くさくなった軍制も大幅に改革。一部封建制的な政治を進める。

 ・両者の対立を利用する形で、信濃方面の自立が進む。武士でも朝廷でもなく、住民本位の政治が行われる。これを日本初の民主制度と言うこともある。実際は豪族、名主の合議制。

 ・大和、武蔵共に互いに攻め込む事が難しいため状況が固定。

 ・その間に、西国の反乱は鎮圧。

 ・武蔵国は北の蝦夷国と同盟。奥州藤原氏の孤立が進む。

 ・武蔵は奥州藤原氏の征伐を推進して国力増強を図るが、蝦夷に移民した藤原氏は現地民族を取り込むことで退けるが、力の差があるため属国状態で落ち着く。武蔵国は、蝦夷国も加えた連合国家状態となる。

・11世紀

 ・その後大和は安定し、日本の二大分裂時代、「西朝東幕時代」が到来。

 ・東西双方ともに、相手に優越するため大陸との接触を求め優れた文物の輸入を積極的に実施。地理的条件から、武蔵の接触は環日本海航路を持つ蝦夷(=陸奥)に頼る傾向を強める。また遠方に赴くため、武蔵での船の技術開発が進む。

 ・大和では上皇の実質的権力が徐々に低下し、有力貴族による政治、「摂関政治」が始まる。

 ・大和では公家の勢力が拡大してむしろ政治も国も安定するが、軍制改革は中途半端なままとなり問題も残す。

 ・12世紀前後の約1世紀程度の安定期となり、再び武装までした公家が中心となった大和では華やかな文化が花開く。

 ・武蔵国では、武士を中心とした封建的な国家と国土開発が進む中で、今までの日本とは違う武士の文化が発展する。

 ・武蔵国は、国の統治と団結のために神道ではなく仏教を重視。

・12世紀

 ・12世紀半ば、大和朝廷の腐敗と堕落が進展。

 ・武蔵も統治体制が緩んで、小規模な内乱が頻発。

 ・大和朝廷中枢内で対立状態。帝位継承を巡り泥沼の政争となる。

 ・内乱で近畿と東海で分裂。

 ・在地領主化していた各地の有力貴族も勝手に動く。

 ・西の瑞穂、出雲、伊予などが相次いで離反して再独立して、動乱時代が到来。

 ・広州でも大規模な混乱に発展。唯一安定していた奥州が自立して、奥州藤原氏を中心にして陸奥国を建国。

 ・北国(越州)、信濃も自立。

 ・「次戦国時代(第二次戦国時代)」到来。

 ・日本各地で激しい戦闘が行われる。

 ・東西双方も激突。

 ・武器売買での利益を当て込み、中華地域から大量の武器が流れ込む。その後ユーラシア各地の武器も流れ込み、同時に大陸の戦術、軍事概念も流れてくる。

 ・大和など中央では、生き残りを賭けた公家の武士化が一気に進展。西方では武士が平民を率いる軍隊となり、大規模化した戦乱が、徴兵による大軍を必要とした。農業生産で劣る東部は、武士団(武士+一族郎党)による編成が主体となり、騎兵を中心とした少数精鋭で対向。信濃では国民皆兵の民衆部隊で、自立を守り抜く。

 ・中世温暖期に伴う生産力と人口の拡大が戦乱を支える。

 ・距離と地形の問題を克服できず戦乱は泥沼化。

 ・戦乱は経済的な問題から、30年ほどで自然収束。

・13世紀

 ・13世紀初頭、日本中心部(大和)は日本最大の勢力として一応安定。しかし日本各地はそれぞれ大きな勢力を形成して独立し、日本の統一は完全に崩れる。戦乱で消耗した大和には、再び西日本を統合する力はなし。

 ・大和は伝統的に国家君主を上帝と呼称したが、実質的には形骸化。

 ・農業生産拡大による各地の国力増進が、統一から分裂を促進する形となった。

 ・国家君主は、大和が上帝、瑞穂が天皇、武蔵が将軍、出雲は神権が強く祭皇、他は王。信濃のみ君主を持たず、代表が「大長(おおおさ)」と呼ばれるのみ。

 ・三大五王時代。
   三大国= 大和、武蔵、瑞穂
   五王国= 出雲、吉備、信濃、陸奥、伊予

 ・主に西部で公家政権、東部で武士政権が各地に分立。

 ・13世紀半ば、大陸の元(モンゴル帝国)が日本各地の諸王に使節を送る。互いに牽制し合ってまともな返答がされず。

 ・元は日本への懲罰として瑞穂に遠征。

 ・一度目は瑞穂だけで撃退。

 ・日本中で危機感が高まる。

 ・厳島神社に日本中の君主が集結。「惣議」と呼ばれる。

 ・元の侵攻に対する団結で決議。瑞穂と出雲、吉備は迎撃準備。他は物資や人の支援。援軍の準備などを実施。

 ・二度目の元寇の部分的成功。日本中の危機感高まる。

 ・しかし、瑞穂以外の日本から多数の援軍が駆けつけたこともあって元軍は撃滅される。

 ・各国が大規模な艦隊も派遣したため、日本人にとって久しぶりとなる海外勢力との海戦も発生。

 ・外圧によって、日本人達が日本を一つの地域として意識する大きな切っ掛けとなる。

・14世紀

 ・14世紀に入ると、元との間では貿易が活発化。日本各国は、競って元と貿易を実施して優れた文物や知識、珍品を手に入れる。

 ・特に小国の信濃、陸奥、伊予は、便宜上朝貢関係すら結ぶ。

 ・その中で、当時中華地域でも大流行していた黒死病(ペスト)が日本に到達。

 ・14世紀半ば(1330年代)、ペスト(黒死病)の大流行による人口激減。湿潤な温帯地域なので衛生観念は他の地域より高かったが、それでも大規模な人口減少が発生。

 ・各国の衰退に伴い戦乱となり、「前戦国時代(第三次戦国時代)」到来。

 ・各地の国家の王朝の交代。

 ・農村の荒廃、荒れ地の増加。一部里山の野生(原生林)化。
 ・特に東部、北部での農業の変化(労働集約から資本集約へ)
 ・家畜の増加、一人当たりカロリー摂取量の変化。

 ・疫病の恐怖もあって、東部を中心に仏教(禅宗=浄土真宗、日蓮宗)の大流行。

 ・神道国家は、神道を強化して禅宗に対向して統治の維持を図る。神道の国教化が進展。

 ・あまりに国力が衰退したため、各国、各領主は民を守る事を真剣に考えるようになる。

 ・しかしペストの打撃から回復し始めると、再び支配を強化して住民の反発が強まる。

 ・14世紀後半から15世紀初頭にかけて、停滞時代・分立再び。

 ・中世停滞期が半世紀ほど続く。

・15世紀

 ・15世紀初頭、明の鄭和による日本来訪。日本の東国諸国が勘合貿易も行わなかったため実施される。

 ・勘合を持つ国限定だが、鄭和の船団は日本の沿岸国は全てまわり、奥州まで赴く。

 ・日本経済活性化の起爆剤となる。

 ・鄭和の船団は、日本列島を越えて一部外蝦夷(荒須加)に到達。現地の乾人(イヌイット)を北京に連れ帰る。

 ・15世紀初頭、明の鄭和による日本訪問を切っ掛けとする、外航海運の発展による日本全体の交通網の整備。外洋を用いた海運が大きく発展。

 ・明船の技術は、その後日本で受け継がれてさらに発展していく。

 ・その後の鄭和の航海に日本各地が同行。日本人の世界進出の切っ掛けとなる。

 ・東国は主に沿岸流通を発達させ、西国は東南アジア進出を開始。

 ・日本沿岸での船の運航が安定、巨大化。日本全体の経済発展を大きく促す。

 ・中継港となる港町が発展。

 ・主に九州、瀬戸内海の港湾都市が大きく拡大。

 ・関門海峡の両側の都市が繁栄。瑞穂と出雲、吉備が海外貿易で競い合う。
 ・日本商人の海外進出が本格的に始まる。

 ・この時期に多くの技術、異文化が日本に紹介される。

 ・遣明船も大型化して交流も拡大。勘合を持つ国と持たない国との間に貿易格差が拡大。不満の温床の一つとなる。勘合札を持たない国は、明以外の貿易相手を求めて主に東南アジアに進出。

 ・15世紀半ばには、インド洋にも貿易船が出るようになる。

 ・広州、奥州での北、東への拡大事業が本格化。主に貿易品目となる毛皮と鯨油、乾物用の海産物を求めて蝦夷島に進出。そのまま外蝦夷、北米、ユーラシア大陸双方にまで進んでいく。航海技術の発達が進出を後押し。

 ・15世紀半ば、日本各地の国家が国力と人口を回復。

 ・各国の国家体制の停滞と疲弊が進む。急速な経済回復もあって、賄賂、不正が横行。

 ・1467年、近畿を中心とする「応仁の乱」を契機として、「後戦国時代(第四次戦国時代)」到来。大和国は実質的に崩壊し、群雄割拠。上帝の権威は完全に失墜する。

 ・一向宗が急速に拡大。大和の混乱はさらに拡大。宗教戦争の様相を呈するようになる。

 ・傭兵の拡大。混乱と戦乱地域の疲弊に拍車をかける。

 ・各国が大和情勢に介入。戦乱が拡大し、各国は遠征により財政悪化。

 ・少し遅れて各国の崩壊や内乱、中央政府の形骸化が進む。

 ・既存王家、特権階級の崩壊が進む。

・16世紀

 ・後戦国時代は、16世紀に入って本格化。日本全体で下克上となり、諸国はさらに分立する。特に16世紀前半は分裂の時代となり、約半世紀かけて各地は分立から再統合へ向かう。

 ・16世紀中頃、日本各地の国家再編が進む。

 ・大和の再統合とそれを巡る各国の動きが活発化。

 ・「日本統一」の機運が大きく上昇。

 ・16世紀中頃、ヨーロッパの到来(それ以前に東南アジア、インドで接触あり。)

 ・ポルトガルは商人単独が主体。スペインは太平洋航路の中継地として九州南部と伊豆諸島を利用。

 ・スペインとの関係が深まる

 ・日本の海外進出も進む(東南アジア、北米北西部沿岸中心)

 ・日本中央(大和国)で織田信長台頭。大和に対する各国の緩衝をはね除けつつ、急速に大和国を統一。周辺からの侵略に、大和国内が団結。

 ・織田信長は、大和統一後に日本統一を開始。

 

 

●織田朝・日本帝国ルート

※この先は可能性の一つの提示という形でしかありません。一つのルートでもありません。色々な可能性を提示しているだけなのでご注意下さい。

 

 ・織田信長による日本統一の完成。

 ・織田信長、日本帝国を再び建国。上帝を廃して皇帝を制定して自ら即位。大和国の上帝は伊勢神宮など祭祀の管理者として残り、名称も上皇と改名。日本各地の皇族、王族も生き残ったものは自らの下に置いた中央集権体制確立。

 ・織田信長による「日本帝国」成立。

 ・信長自身は大規模な海外進出の思惑があったが、広大な国内統治に多くの努力を費やさざるを得なくなる。
 ・海外進出は、植民地獲得という面では少ない。鎖国はせず。
 ・探検隊は各地に派遣し、世界一周も実施。

・信長没後

・大東亜帝国
 ・大陸出兵。明朝を崩壊させ、長江流域などで大掠奪。
 ・「信」を一時的に建国。
 ・日本に本拠を置いたままのため、中華地域から反発続く。中華帝国とも認められず。
 ・中華地域の混乱と織田帝国の散財続く。
 ・女真族の台頭で17世紀半ばに日本は大陸から叩き出される。

 ・大陸進出を棚上げ(諦め)、交易帝国の建設に路線変更。

・イスパニア型植民地帝国
 ・16世紀終盤頃から東南アジアには主に商業進出し、現地に進出していた欧州列強と衝突を繰り返す。だが力の差で押し切り、17世紀中にほぼ勢力圏として確立。
 ・毛皮、鯨油獲得のため外蝦夷(荒須加)に進出
 ・さらにユーラシア大陸北東部、北米大陸北西部にも進出。
 ・18世紀には北米西海岸に本格的入植開始。(日本での人口飽和が本格化。)
 ・17世紀半ば、ユーラシア大陸でロシア人と遭遇。
 ・交易品の毛皮獲得の為、ロシア人との衝突を繰り返しつつ東シベリア(東サハ)地域進出を進める。
 ・17世紀後半から印度進出を本格化。
 ・インドを巡りヨーロッパ列強と争う。「印度百年戦争」。
 ・18世紀、豪州進出。
 ・同時期、北太平洋の鯨を取り尽くしたので南太平洋に進出。

・以後・・・

 ・列島内では人口飽和が本格化
 ・内外での散在による財政破綻
 ・増税、飢饉による不満拡大
 ・統治の強化に対する反発
 ・日本各地の反発強まり内戦化
 ・日本帝国崩壊(織田帝国は1世紀半ほどで崩壊)

・新戦国時代
 ・18世紀初頭、「新戦国時代(第五次戦国時代)」
 ・オランダ、ブリテン、スペインが日本に武器を輸出。装備だけでなく、戦術、兵制も変化(欧風化)
 ・四半世紀ほどで沈静化
 ・18世紀半ば、再び分立時代が到来。
  (瑞穂、大和、武蔵と、それ以外の小国(陸奥(蝦夷)、信濃、出雲、伊予)に分裂)

・分裂時代
 ・18世紀半ば以後、一定の安定の中で日本各地は再び人口拡大と飽和が進む。
 ・瑞穂など西国で商業・鉱工業の発展。
 ・各地で分立するも、再び停滞しはじめ逼塞感高まる。
 ・海外植民地で欧米列強との接触が増える。
 ・インドでは、統一国家で無くなった影響で植民地獲得競争に敗北。
 ・東南アジア交易は、瑞穂が圧倒的優位。
 ・豪州大陸は大和が独占。
 ・北米は日本各国が進出するも武蔵が圧倒的優位。
 ・人口包容力の小さい(飢饉に弱い)陸奥、信濃は、移民をどんどん海外に出すようになる。
 ・19世紀までには、北米ミシシッピ川への本格的入植。
 ・逆に新しい文物が日本へ急速に流入。
 ・思想も流れ込み、一部の国では近代国家の制度が作られる。
 ・19世紀前半(1830年代)、日本西部で西欧からの技術伝播もあり緩やかに産業革命開始。
 ・武蔵では大飢饉を契機として市民革命発生(天保革命)

・近代の到来
 ・欧州のウィーン体制時代、日本では様々な不満と軋轢から「現戦国時代(第六次戦国時代)」が勃発。
 ・欧米の干渉(距離の関係で武器売買が主。一部は植民地化を狙う)
 ・戦争の近代化と同時に、日本国内での急速な近代化の進展。
 ・英仏の日本の海外植民地奪取の動きと、日本自体への植民地化行動に各地で強い反発。
 ・日本統合を目指した最後の戦国時代が祖国防衛戦争に変化。
 ・日本統一(連邦(=連合)制国家となる)

・1868年「日本帝国」成立
 ・各国と講和
 ・海外を含めた日本の領土確定
 ・日本、統一国家としての近代化と帝国主義化を開始

 ・19世紀半ばの国土は、亜大陸列島、荒須加(マッケンジー川以西)、東シベリアの東端部から千島列島にかけて、ボルネオ島北部、太平洋の島嶼の一部が本国直轄。
 ・東南アジアの半分程度、太平洋各地の島嶼は植民地。
 ・豪州大陸全土、新海諸島、北米大陸西部一帯は日系自治領か植民地。

 ・1861〜65年「亜米利加戦争」。
 ・北軍、南軍、日系中心の西米の全面戦争。途中から、日本が全面参加。
 ・日本参戦で北軍の思惑は瓦解。
 ・南軍と西米が実質的に同盟状態という、人種差別的には歪な構造。
 ・ミシシッピ川を挟んで凄まじい破壊が行われる。
 ・決着が付かず痛み分け。それぞれに膨大な犠牲と戦時国債が積み上がる。
 ・以後北米は3つに分裂が固定。(他に大陸北東部のカナダ、南部のメキシコもある。)
 ・日本帝国は、西米に膨大な支援を援助、そして移民を送り込む。
 ・欧州から北米への移民は戦争以後低下。

 ・アロー戦争などで、清朝から沿海州、黒竜江一帯、満州北部を割譲。
 ・ロシアとは大陸奥地での対立を激化。
 ・中華地域の蚕食も北部から進める。
 ・万里の長城以北の満州全域、蒙古の切り離し。

 ・日清戦争で清帝国を袋叩き。
 ・日本が巨大帝国であることが、欧州列強に強く認識されるようになる。
 ・20世紀に突入していく。

 

・徳川ルート

・日本中枢は再び戦乱化

 ・瑞穂、武蔵など各地は、ほぼ達成されていた域内統一から独立に進む。

 ・西国は中国と四国に分立。瑞穂は隼人系の民族が統一。安定に欠くが、大陸交易と南方進出に熱心。常に北部の内乱の危機が付きまとう。

 ・広州は武蔵国として再統一。奥州も陸奥国で統一。

 ・近畿を中心とした日本中央は、何とか再統合に成功するが、その頃には各地が統治体制を固め、さらに連携していた為、「日本統一」は断念。

 ・日本中枢部は、日本とは名乗れず大和帝国と呼称。

 ・三大五王時代に近い状態で安定化。
 (瑞穂、大和、武蔵とそれ以外の小国(陸奥(蝦夷)、信濃、出雲、伊予)

 ・海外より日本内での競争に勝つため、各国は海外進出と海外での貿易品目の獲得に力を入れる。

 ・鎖国などは、全く考えすら起きず。(統一政府がないので不可能)

 ・東南アジア、環太平洋地域に進出。インド洋にも貿易で進出。

 ・欧米の知識、技術は一定程度流れ込む。

 ・瑞穂などは中華の戦乱に介入

 ・スペイン側、ネーデルランド側についた国同士が対立

 ・禁教は日本全体ではできず。

 ・ユーラシア北東部では、ロシアと接触。以後、境界線を巡る散発的ながら断続的な紛争、衝突状態になる。

 ・18世紀初頭には、北米大陸北西部沿岸に進出。(当初は毛皮と捕鯨目的。)

 ・南方の物産を手に入れる為、東南アジアに植民地を作る日本域内の国が複数出て競争となる。

 ・競争からインド洋、南太平洋への進出を強化。各地に拠点を建設。

 ・インド洋での欧州列強との衝突が頻発。

 ・
 ・
 ・

 以後、欧州列強との衝突を繰り返す18世紀へと突入していくようになる。
(勢力圏自体は、織田ルートと似た状態にまで拡大。)

・さいごに

 最後は、あくまで可能性の提示で、書き散らしたモノをそのままアップしました。
 我々の歴史に似せると可能性が色々とあると思われるので、一つに絞るのも難しいと感じたからです。

 また、19世紀後半以後は、一部の方にとってはこれからが「本番」なのだとは思います。
 ですが、私個人としては書く意味は無く、構想すらしていません。正直この世界の20世紀、21世紀には興味が湧きません。
 誠に勝手ですが、ご理解よろしくお願いします。

 なお、全く新しいゼロから亜大陸日本列島の構築を試みようとは構想しましたが、自生もしくは近隣にある穀物と家畜(になりうる動物)の問題から断念しました。
 自力で農業を始めたとしても、文明を作るまでに至るのは非常に難しいと思われます。(正直、無理ゲー)