●フェイズ07:「パラオ沖海戦(2)」

 日付が4月9日に変わった頃、日本艦隊から離脱後のアメリカ太平洋艦隊司令部では、一つの懸念があった。
 敵味方双方の速力の関係から、日本側が夜陰に紛れて高速で追撃を実施した場合、第3任務部隊が日本第一艦隊に翌日の昼までに完全に捕捉される可能性がかなり高かった事だ。しかも翌朝には、日本軍の空母機動部隊の空襲も予測されたが、既に自らの稼働空母がゼロのため、各艦隊の輪形陣を密にする以外に対処方法がなかった。
 また、全ての艦隊を合同する事については、夜間戦闘になった場合の砲雷撃戦用の戦闘隊形への移行が難しい事、主に夜間の対潜水艦陣形や輪形陣が大きくなりすぎることなどから断念された。加えて、既に分かれて移動している各任務群を集合するのに要する時間が惜しまれた結果、そのまま各任務部隊ごとに移動することになった。
 しかし現状のままの位置関係では、北側に位置する第3任務部隊が「おとり」になりかねないため、夜間の移動中に第1、第2任務部隊が第3任務部隊の北側へとあえて回り込んんで互いに少し距離をとった。陣形が完成した太平洋艦隊全体の速度も、第3任務部隊に合わせて16ノットに調整されることになった。
 この陣形は深夜2時までには完成し、合わせて90隻以上の大集団が20〜30海里離れて位置する事で、艦隊ごとの回避機動を容易にすると同時に、日本軍艦載機の攻撃を分散させる事も考えられていた。
 ではここで、改めてアメリカ、日本双方の艦隊編成を水上打撃艦隊においてのみ見ておこう。

・日本海軍第一艦隊:堀大将
戦艦《大和》(旗艦)
戦艦《駿河》《常陸》《紀伊》《尾張》
戦艦《加賀》《土佐》《陸奥》《長門》
戦艦《伊勢》《日向》《扶桑》《山城》
重巡洋艦:4隻 軽巡洋艦:3隻 駆逐艦12隻

・日本海軍第二艦隊:近藤中将
戦艦《富士》《阿蘇》《石鎚》(旗艦)《大雪》
戦艦《天城》《赤城》《高雄》《愛宕》
重巡洋艦:4隻 
軽巡洋艦:1隻 駆逐艦12隻

・日本海軍第三艦隊:南雲中将
戦艦《金剛》(旗艦)《比叡》《榛名》《霧島》
大型軽巡洋艦:6隻 
軽巡洋艦:2隻 駆逐艦24隻(2個水雷戦隊)

・アメリカ太平洋艦隊・第1任務部隊:キンメル大将
戦艦《サウスダコタ》(旗艦)《インディアナ》《マサチューセッツ》
戦艦《アイオワ》《モンタナ》《ノースカロライナ》
戦艦《メリーランド》《ウェストヴァージニア》《ワシントン》
重巡洋艦:6隻 軽巡洋艦:4隻 駆逐艦18隻

・アメリカ太平洋艦隊・第2任務部隊:パイ中将
戦艦《ヴァージニア》《ロードアイランド》(旗艦)
戦艦《レキシントン》《サラトガ》《レンジャー》
重巡洋艦:5隻 大型軽巡洋艦:5隻 
軽巡洋艦:1隻 駆逐艦18隻

・アメリカ太平洋艦隊・第3任務部隊:ブラウン中将
戦艦《テネシー》▲(旗艦)《カリフォルニア》▲
戦艦《ニューメキシコ》《ミシシッピ》《アイダホ》
戦艦《ネヴァダ》▲
重巡洋艦:3隻 軽巡洋艦:1隻 駆逐艦8隻
▲=損傷あり

 沈没:
戦艦《アリゾナ》《オクラホマ》
空母《ヴェスパ》《ヨークタウン》
重巡洋艦:1隻 駆逐艦1隻

 見て分かるとおり、そしてアメリカ海軍の戦前からの思惑通り、戦艦の数はともかく補助艦艇では巡洋艦戦力でアメリカ海軍が優位だった。駆逐艦の数は日本艦隊が逆転していたが、これはアメリカ軍は後方での護衛(潜水艦対策)や攻略部隊の護衛などで、戦力分散を余儀なくされていたためだ。そして主力となる戦艦の数と戦力では、日本の25隻に対してアメリカは22隻と数の上で10%以上不利になっていた。この時点での戦力比は、ほぼ互角と言えるだろう。
 しかしこの大艦隊が、翌朝黎明を期して騎士同士の戦いのように正面から戦うという事はなかった。戦場とは、錯綜と誤りの連続であるからだ。

 アメリカ太平洋艦隊の「転進」により、攻守、追う者と追われる者の立場が逆転した。これでアメリカ太平洋艦隊がうまくエニウェトク環礁まで転進できれば、犠牲は大きいが高い授業料と思えば辛うじて納得もいっただろう。長期的に見れば、アメリカという国家の戦力補充能力の高さのおかげで、失点を十分に取り返せるからだ。それに最小限の犠牲で転進出来れば、日本海軍主力を戦略的に拘束し続けることも出来る。そうなれば、攻め込んだ事自体が日本に対する大きな抑止効果を発揮する。
 しかし猛烈な追撃戦を開始した日本海軍は、これで戦闘を終わらせる積もりは毛頭なかった。逃がしたらその後どうなるかは十分以上に分かっていたし、自分たちが有利になっているのだから当然だろう。大量の偵察機、潜水艦を駆使してアメリカ艦隊の捕捉に務め、各艦隊は可能な限りの速度で追跡を実施した。月例は半月を切っていたが、大型飛行艇を中心とした航空機も多数出撃していた。
 では、さらにここで各艦隊の艦隊速度を整理しておこう。

・日本海軍第一艦隊:巡航18ノット・最大24ノット
・日本海軍第二艦隊:巡航20ノット・最大28ノット
・日本海軍第三艦隊:巡航20ノット・最大28ノット

・アメリカ太平洋艦隊・第1任務部隊:巡航16ノット・最大20ノット
・アメリカ太平洋艦隊・第2任務部隊:巡航20ノット・最大28ノット
・アメリカ太平洋艦隊・第3任務部隊:巡航16ノット・最大20ノット
※すべて艦隊最高速度(=艦隊陣形を維持できる速度)
※ただしアメリカ艦隊は、最も遅い艦隊に速度を調整。

 見て分かるとおり、相対的に日本海軍の方が速かった。これは、戦力の根幹となる戦艦の速力差の結果で、日本側の方が総じて速かったためだ。また燃費を考えると、最大速度を出せる時間はお互いに本来はせいぜい2〜3時間でしかないので、通常の移動での速力はどうしても限られてしまう。特に、既に長距離進撃をしていたアメリカの方が、もともと航続距離で劣る上に既に進撃で多くの燃料を消費している為、最大速力が発揮できる時間の制約が大きくなっていた。
 そしてこの時、第3任務部隊の出せる速度は、航空魚雷を複数受けた戦艦を含むため、最大でも16ノットが限界だった。アメリカ太平洋艦隊全体の速度も、自ずと16ノットに制限されていたし、実際艦隊として出せる速力は潜水艦対策の進路変更を含めると最大でも14ノット程度しかなかった。
 一方の日本艦隊は、翌朝もしくは午前中程度に敵の捕捉を目指して移動していたため、巡航速度でも2〜4ノットの優位のまま移動していた。最高速度で進めばもっと差は縮まるが、半日以上の追撃戦を目的としているので燃料問題からあまり速い速度は出せなかった。日本艦隊は、危険と齟齬の多い夜間戦闘は想定していなかった。
 17時に双方が東方もしくは北方に向けた移動を開始し、翌朝5時程度での戦闘と仮定すると、丸半日移動に時間をかけることになる。つまり日本艦隊は、アメリカ側が逃げ続けても24〜48海里距離を詰めている事になる。そして日本側の予測よりもアメリカ側の移動速度が遅かったため、日本側の予測よりも早く戦闘が開始されることになった。

 4月10日午前4時を迎えようとしていた頃、最初に相手を見付けたのは、マリアナ諸島方面から突進に突進を重ねて前進を続けていた日本海軍第三艦隊の、その先鋒を進んでいた5500トン級とも呼ばれる軽巡洋艦《川内》だった。発見は優れた夜間見張り員の目視によってであり、距離は約2万1000メートル。この夜の周辺海域は比較的晴れて月も出ていたため、夜間としてはかなりの距離での発見となった。
 位置関係は日本側が北西から突き進み、アメリカ側は北北西に向かっているので、ほぼ平行していた。
 この時点でアメリカ海軍は、初期型のレーダーである「CXAM対空レーダー」を何隻かの艦艇が装備・運用していたが、対空用のためこの時はほとんど用をなさなかった。「SC」というレーダー、「SG」という砲撃戦にも使える対水上レーダーの開発と実戦配備に向けた動きは急ぎ進んでいたが、この戦闘にはまったく間に合っていなかった。加えて、レーダーの操作員も新しい機械に慣れていなかった。
 故にこの時の戦闘は、電子の目が存在しない旧来の戦闘開始となった。

 日本海軍第三艦隊は、日本海軍の中にあって圧倒的多数を擁する筈の敵の補助艦艇群の排除を目的として編成された特殊な艦隊だった。後世からは、艦隊構成から夜間戦闘を目的とした艦隊だと思われがちだが、実際は違っていた。確かに日本海軍は、日露戦争での水雷戦隊の活躍から、他国に比べて夜間戦闘は重視していた。第三艦隊も相応の夜間戦闘訓練は積んでいた。しかし、夜間戦闘は常に混乱が付きまとう。日本海軍も今までの実戦と訓練の中で夜間戦闘の危険性と賭博性はよく理解しており、大規模な夜間戦闘専用の艦隊を保有するという事は無かった。日本海軍でも、夜間戦闘を重視しているのは水雷戦隊ぐらいまでだった。
 日本海軍の第三艦隊は、あくまでアメリカ海軍、イギリス海軍との補助艦艇の不利を覆すために編成された艦隊だった。その証拠に、敵重巡洋艦を短時間で排除するための《金剛型》以外は、砲撃戦、特に砲撃回数や砲門の多さを買われた艦艇がほとんどを占めていた。駆逐艦は61cm魚雷を6〜8発を装備していたが、雷撃数自体で見れば数の劣勢が明らかだ。これは日本海軍が、雷撃よりも砲撃を重視していることを雄弁に物語っている。魚雷は駆逐艦の必殺の武器ではあるが、あくまで弱った敵にトドメを刺すための武器だった。巡洋艦についても同様だ。
 加えて全ての艦艇が東南アジア方面での戦いに従事した直後で、実戦経験も豊富だった。魚雷の信管の過敏性についても、既に問題がかなり改善されていた。単に戦闘に熟練しているだけでなく、既に実戦での経験を経て利点と欠点もある程度洗い出されていた。
 そして、夜間に敵艦隊を発見した後の日本艦隊の行動からも、日本海軍の戦闘方針を見ることができる。

 なお、この時日本第三艦隊が発見したのは、アメリカ第2任務部隊。きしくも高速艦隊同士の対決の舞台が、偶然かつ強引に訪れた事になる。しかし最初はアメリカ艦隊は敵の接近に気付かず、そのまま日本艦隊は若干の優速を活かして、有利な位置を占めるべく静かに行動した。艦隊の一部からは夜戦を望む声もあったが、夜間に大規模戦闘を仕掛けることもなかった。
 アメリカ艦隊が日本艦隊に気付いたのは、夜が明け始めた頃だった。対潜水艦警戒陣の端に位置していた駆逐艦が、暁の水平線の先に小さなマストを多数確認し、これがアメリカ艦隊側の日本艦隊発見となっていた。そして敵の無線から自らの暴露を知った日本艦隊は、既に準備していた事もあって次々に行動に移った。
 水上偵察機、観測機の発進。友軍への自らと敵の位置の送信。さらに有利な位置を占めるための増速が主なところだった。
 この段階でも日本艦隊は即座に戦闘(砲雷撃戦)を仕掛ける素振りはなく、距離にして約20海里を挟んで相手の頭を押さるように、そして頭を押さえられたアメリカ艦隊が東ではなく北に向かうように強いた。

 この時アメリカ第2任務部隊は、夜間に友軍を守るための陣形により、第1任務部隊から30海里近く離れた位置にあった。そして日本艦隊の動きのため、夜が明けるまでにさらに5海里近く離されてしまう。しかも友軍との間には、長い時間スコール雲が存在し、友軍艦隊から完全に孤立していた。
 その間日本艦隊はジワジワと接近し、アメリカ側の戦艦の砲撃戦距離ギリギリの15海里まで接近する。
 そしてそこに、日本艦隊の第三艦隊が夜明けよりも待っていたものが到来、いや襲来する。
 前日の戦闘で猛威を振るった、日本の空母艦載機群だった。

 日本艦隊(主に第三艦隊)の思惑は、砲雷撃戦用の縦列を組んで対空防御力が大きく低下した敵艦隊に対して、優位な空襲を実施することにあった。またそれよりも、空と海の双方から一気に攻めかかる事で、自らの艦隊を含めより優位な戦闘を行おうとしていた。
 艦載機の接近と共に日本艦隊は一斉に突撃を開始し、全ての艦艇が日本艦隊とアメリカ側の戦艦と重巡洋艦の隊列の前を進む、突撃を開始したアメリカ艦隊の水雷戦隊に砲火を集中した。
 一方のアメリカ第2任務部隊は、日本艦隊発見時にただちに戦闘態勢に移行して砲雷撃戦を行おうとした。だが日本側が距離を取ったり、逆に進路を強いる圧迫をかけてくるだけで戦闘に及ぼうとしないため、焦る時間を過ごした。アメリカ艦隊も、日本側の意図がアメリカ艦隊の分断だけでなく艦載機の航空機の襲来を待つことだと気付いていた。
 しかし、レーダーにより日本軍機の接近を知ると混乱した。だが混乱は短時間で、艦載機の攻撃が来る前に日本艦隊に組み付いてしまい、相手の空襲をある程度でも封殺しよう試みる。この時日本艦隊から一旦は遠ざかる意見も強かったが、空襲で混乱している間に追いつかれた場合のリスクが指摘され、即時戦闘が決断された。
 しかし日本側の積極性の方が、アメリカ側の思惑を文字通り吹き飛ばした。
 日本艦隊に、急接近しようとしたアメリカ第2任務部隊の軽巡洋艦《ミルウォーキー》と駆逐艦18隻に対して、戦艦の14インチ砲(※主に軽艦艇用に開発された対水上戦用の専門榴弾(試製三式弾)を装填)から駆逐艦の5インチ砲に至る全ての攻撃が集中したからだ。
 主力の隊列から3海里ほど前で隊列を組んで突撃したアメリカ側の水雷戦隊は、自らも突撃を開始するとほぼ同時に、距離2万メートルからの戦艦の集中砲火を浴びる結果となったのだ。その後距離が詰まると共に集中する火砲が増え、日本艦隊の猛火力に包み込まれた。
 これに慌てたアメリカ側の巡洋艦、戦艦の隊列も日本艦隊への接近を図ろうとするが、日本側が火蓋を切った距離2万メートルの時点で、日本艦隊は距離を均等に開けるべく進路を変更し、そこに日本軍艦載機の空襲がアメリカ側の大型艦艇を襲った。
 この日、日本軍空母機動部隊は、旗艦《飛龍》以下の正規空母3隻、軽空母2隻から第一次攻撃隊として、合わせて約110機の攻撃隊を送り込んでいた。このうち80機が攻撃機か急降下爆撃機で、さらに30分の距離を置いて約70機の第二次攻撃隊が続いていた。前日とほとんど同規模の大規模な空襲だった。
 このためアメリカ軍の大型艦艇は、水上戦用の隊列をといて回避運動を取るか、空襲を半ば無視して一方的に水雷戦隊を叩く敵艦隊との砲雷撃戦を重視するかの選択を迫られた。
 ここでアメリカ軍指揮官のパイ中将は、水雷戦隊に煙幕を張りつつの待避と主要艦艇の対空回避運動を命令した。
 しかしアメリカ側の動きが変わると、《金剛型》戦艦4隻が突撃するべく進路を変更。さらに《金剛型》は、大型艦へと目標を変更して砲撃を開始する。航空攻撃回避のため、ある程度決まった回避機動を取ることを逆手にとっての砲撃だった。加えて言えば、相手は自分たちの砲撃どころでない事につけ込むのが、最大の目的と言えただろう。
 しかも日本軍艦艇は、この時点でアメリカ側水雷戦隊の3分の1を撃破しており、残りも水雷戦隊同士の戦闘で拘束され、容易にアメリカ艦隊主力に接近出来るようになっていた。しかもアメリカ側が回避運動のため自らに砲撃できないのをいいことに急接近し、戦艦、重巡洋艦を手当たり次第に砲撃した。

 日本軍艦載機群の攻撃は、基本的に一回につき15分程度。しかし二度に分かれていた事、制空権が完全なため戦闘機が機銃掃射を行った事、そして何より各攻撃隊が十分に狙いを定めて行ったため、二波合わせてあしかけ1時間近くにわたって続いた。
 そしてその間、第2任務部隊への接近を許さないように展開する日本艦隊が、回避の甘い艦艇、損傷した艦艇、そして本来の目標である大型艦への攻撃を集中。そして日本軍の砲雷撃戦と空襲の双方を受けることになったアメリカ第2任務部隊は、常にどっちつかずな戦闘を強いられて、相手に有効な攻撃ができないばかりか損害が続発した。そして損害を受けた艦艇は、さらに攻撃を受けて反撃もままならず沈黙していった。

 日本軍艦載機は、合わせて約70発の各種爆弾と約50発の航空魚雷をアメリカ艦隊に対して投下。このうち実に約30%が命中し、さらに爆弾のうち10%以上が至近弾となった。他の戦闘と比べて命中数が非常に多いのは、アメリカ側が結局空と海どちらの回避にも集中できなかった事と、的確な陣形(輪形陣)を取れなかった事、対空防御が十分で無かった事が大きく原因していた。またこの頃のアメリカ軍艦艇は防空能力自体がかなり低く、これも日本軍艦載機の大きな戦果に結びついていた。加えて、行動が鈍った艦艇に多数の命中弾があった為でもあった。もちろんだが、この時の日本軍艦載機の練度も非常に高かった。
 そして日本軍艦載機は主に大型艦を狙ったため、損害も大型艦に集中した。空襲だけで、新鋭戦艦《ロードアイランド》、巡洋戦艦《レキシントン》《サラトガ》、重巡洋艦2隻、大型軽巡洋艦1隻、駆逐艦1隻が被弾し、ほとんどの大型艦が行動が鈍った所で複数を被弾した。
 《ロードアイランド》、《レキシントン》、重巡洋艦1隻、大型軽巡洋艦1隻が、各2〜4本の命中魚雷を受けた。重巡洋艦1隻、大型軽巡洋艦1隻はそれぞれ2発が命中した時点で完全に大破。速力も大きく落ちて、戦闘力を喪失していた。1本で済んだ別の重巡洋艦は辛うじて戦闘力は維持されていたが、運悪くボイラーの半分が破壊されたため巡航速度程度での航行しか出来なくなっていた。2隻の戦艦は最高速力が大きく落ちていたが、戦闘力も通常航行程度での戦闘力も残していた。ただし《レキシントン》の方は、機関部の4分の1が破壊されているため、もはや33ノットの俊足は発揮できなくなっていた。
 また爆弾による被害も無視できず、魚雷を浴びた艦の多くが複数の命中弾を受けていた。しかも命中弾の数は魚雷の二倍あり、さらに至近弾も場合によっては無視できない損害を与えていた。中には直撃1、至近弾1発を受けて撃沈された駆逐艦もあった。また大型艦の中には、測距装置などが故障して統一射撃が出来なくなった艦もあった。中には衝撃で電気系統がやられて、ほとんど何も出来なくなった艦もあった。

 そして日本側の水上艦だが、水雷戦隊二つが軽巡洋艦をそれぞれ伴って、包囲するように二手に分かれて進路上にたちふさがって動きを制約した。中央から《金剛型》は、高速戦艦が目に付く目標に順次砲撃を実施していった。
 戦場は空襲と対空砲火、爆煙と水柱、さらには火災の煙、そして煙幕により視界が低下していった。だが、日本側艦艇は多数の偵察機、観測機の情報を元に行動しているため、極端な情報不足には陥らなかった。空には、日本軍機が乱舞していた。
 煙幕などの視界不良で情報不足に陥ったのはアメリカ艦隊の方で、思わぬところから空襲や砲雷撃を受け、ジリジリと損害を積み上げた。
 そして艦艇同士の戦闘も徐々に接近戦となり、最も接近したものは機銃を相手に向けて撃つほどだった。場合によっては、まるで夜間戦闘のような有様だった。
 こうなると双方に損害が積み重なるものだが、日本側は基本的に最低でも戦隊レベルで行動しているのに対して、アメリカ側は水雷戦隊が序盤で半壊し、大型艦は空襲のためにそれぞれ回避運動を行うため、個艦レベルでの対応が主となっていた。当然だが火力の集中と言う点でアメリカ側が劣り、双方の損害に大きな差が出た。
 そして乱戦の中で証明されたのが、日本海軍が中距離以下での砲撃戦を重視するという戦術(=近迫猛撃)の正しさだった。咄嗟では雷撃する機会は少なく、雷撃は主に動きが鈍くなった敵へのトドメの一撃という場合が多かった(※例外もあった)。しかしアメリカ海軍も砲撃戦を重視している海軍のため、巡洋艦レベルでは単純な弾薬投射量では日本海軍に負けていなかった。
 そしてそうした中で威力を発揮したのが、《金剛》《比叡》《榛名》《霧島》の4隻の《金剛型》戦艦だった。
 《金剛型》戦艦は、もともと巡洋戦艦として誕生するも、日本海軍が原型を留めないほど徹底的に近代改装する事で、速力30ノットの発揮ができる中型の高速戦艦として再生した。改装の目的は《レキシントン級》への限定的対応と、重巡洋艦不足を解消する事にあった。
 それでも戦争が無ければ1944年には順次予備役への編入が予定されているほどの旧式艦(※《金剛》は1913年就役)だったが、旧式艦であるだけに乗組員は艦に馴染んでおり、砲撃も正確で各艦の連携も十分に取れていた。しかも日本海軍自体が損失をあまり恐れていないため、戦闘も非常に積極的だった。猛烈な接近戦を意味する「近迫猛撃」が《金剛型》の合い言葉だった。
 そしてこの戦場では主に2隻ずつで行動して、重巡洋艦、巡洋戦艦、戦艦を見付け次第狙い打った。
 着弾観測機を飛ばしているため正確な砲撃が実施され、敵を見付けるのも特に問題はなかったとされる。しかも砲撃は日本側が先に仕掛けることがほとんどで、砲撃を受けていると知ってアメリカ側が慌てて反撃に転じる事が多かった。そして距離1万5000メートルを切れば、14インチ砲弾でも16インチ砲戦艦の撃破が十分可能だった。
 そしてアメリカ側は、空襲からの回避を重視して攻撃できない事もあり、また視界が悪いためどこから攻撃されているかすら分からないまま撃破された艦もあった。この戦場での混乱が、アメリカ側にレーダー開発と戦闘指揮所の双方の開発を促進させたと言われるほどだった。

 しかし圧倒的優位な状況にあっても、旧式で最も軽量級の戦艦である《金剛型》4隻では、第3任務部隊の戦艦、巡洋戦艦全てを撃破するには戦力が不足していた。特にアメリカ海軍の新鋭戦艦である《ヴァージニア》《ロードアイランド》は、基準排水量4万3000トンの巨体に16インチ砲9門を搭載するので、旧式14インチ砲での撃破は難しかった。
 それでも《金剛》《榛名》は果敢に接近して砲撃戦を挑み、既に空襲で中破にまで損傷して戦闘力がかなり低下していた《ロードアイランド》に致命傷を与る事に成功する。
 この時《ロードアイランド》は孤立していた上に、雷撃による浸水や機関部の破壊に加えて、爆弾を艦橋に受けたため統一射撃すら実質的に不可能になっていた。さらに艦内ではかなりの規模の火災も発生していた。もっとも《金剛》《榛名》は、見張り員が敵艦のマストに上がった旗を見て砲撃戦を挑んだのであり、相手の苦境はあまり分かっていなかった。
 そして砲撃戦の代償として、《金剛》は16インチ砲弾数発を受けて上部構造物の半分近くを失い大破したが、事実上の主将対決を格下の戦艦が勝利したことは大きな殊勲といえるだろう。また新造戦艦の16インチ砲に辛うじてであるが耐えられたのは、《金剛型》の近代改装の正しさを示すものだった。
 いっぽう《比叡》《霧島》はある程度秩序を保っていた重巡洋艦群の一群を最初に発見して、戦艦にとっての近距離となる1万5000メートル以下の距離から速射していった。1万5000メートルの距離は重巡洋艦の8インチ砲にとってはまだ遠距離だが、《金剛型》の仰角を上げた14インチ砲にとって既に水平射撃に等しい距離だった。距離が近いので発射から40秒ほどで着弾するため、回避運動をしても咄嗟に避けることは難しくなり、アメリカ軍の重巡洋艦、大型軽巡洋艦は戦艦との正面からの砲撃戦という想定外の戦闘で次々に撃破されていった。それでも4隻が撃破された時点で2隻の戦艦からの待避に成功したが、これは逆に他の艦艇を支援できなくなった事を意味しており、本来の目的だった水雷戦隊救援も出来なかった。
 次の「獲物」を求める《比叡》《霧島》は、黒煙を吹き上げながら爆撃回避中の《サラトガ》を発見。円運動をしていて照準が容易だった同艦に不意の痛撃を浴びせた。《サラトガ》は自らの黒煙と煤煙のため、《比叡》《霧島》を発見出来なかったのだ。
 そして戦艦どころか巡洋戦艦としても直接防御力に劣る《レキシントン級》の《サラトガ》は、新たな敵に対処する回避機動を取るまでに船体各所を14インチ砲に容易く貫かれ、動力部を破壊されて殆ど停止してしまう。しかも既に受けた魚雷の損害が足を引っ張り、まともな反撃も出来なかった。あとは砲撃と空襲でめった打ちにされ、最後に接近して放たれた駆逐艦の魚雷6本が致命傷となって横転沈没した。
 また他の《レキシントン級》も短時間の間に砲火を交えた《金剛型》各艦などに痛撃を浴びており、格下の相手との戦いとは思えない惨状を示した。中には軽巡洋艦の6インチ砲(長砲身の6.1インチ砲)の砲撃で、バイタルパートを貫通されている場合もあった。この事は、本級の超高速、軽防御という建造コンセプトが戦艦として完全に間違っていた事の証明となった。

 戦闘は、終始個艦能力、戦力共に勝るアメリカ側の混乱と、日本側の海空両面からの立体攻撃によって推移した。しかもアメリカ側は、戦闘半ばで艦隊旗艦の《ロードアイランド》が砲撃戦で撃破されて艦隊司令部ごと失われた為、混乱は一層拡大した。
 そして戦闘開始から1時間近くが経過した頃、艦隊が大混乱に陥って時間と共に撃破される艦が増えていることは一目瞭然だった。そこで、この時何とか生きていた水雷戦隊(※この時の最高司令部になる)が、第3任務部隊全艦に戦場からの離脱と再集合を命令。日本側の空襲がほぼ終わりつつあった事もあり、日本側も自らの損害が無視できない事もあって一旦戦場から距離を空けようとしたため、戦闘は徐々に終息していった(※一部のアメリカ軍の艦艇は、一時スコール雲に待避している)。

 かくして、都合1時間以上かけて行われた洋上での極めて大規模な立体戦闘は、日本側の圧勝といえるほどの勝利で終わった。
 この戦いで日本側は、大型艦の半数が大破もしくは中破する大損害を受け、さらに駆逐艦4隻を失った。が、空襲と連携したことで多くの戦果を勝ち得ていた。16インチ砲弾を多数受けた《金剛》も、戦闘力をほぼ失いながらも何とか自力でパラオまで帰投できた。他の大型艦にも沈没は無かった。
 一方のアメリカ側だが、艦隊旗艦にして新鋭戦艦の《ロードアイランド》を始め多数の損害を出した。所属艦艇のほぼ半数を喪失し、生き残りの艦艇の半数が中破程度の損害を受けていた。大破した艦艇がないのは、戦場で大破した艦艇もあったが、この戦闘後の後退中に沈められるか自沈しているためだった。
 そして戦闘終了時に戦艦で戦闘力を完全に保持している艦は、戦艦《ヴァージニア》一隻という状態だった。水雷戦隊は半壊し、重巡洋艦、大型軽巡洋艦も空襲と14インチ砲にめった打ちにされて壊滅しており、友軍の支援や次の戦闘は不可能というのがこの時の惨状だった。
 そして他のアメリカ艦隊が「アテ」にしていた第2任務部隊が戦闘を終える頃、水平線から太陽が完全に顔を出すが、それは次なる戦闘の幕開けを告げるものでもあった。



●フェイズ07:「パラオ沖海戦(3)」