■ジパング大航海時代 略歴年表

●西暦18世紀
 ・1701年

「イスパニア継承戦争」(〜1713年)イスパニア没落強まる
日本の将軍家とムガール帝家の婚姻成立
 ・1702
「アン女王戦争」(〜13年)
「イスパニア継承戦争」と合わせて、イスパニアは多くの領土を失って没落を加速
日本、現地奉行(総督府)の半ば独断により新大陸で戦乱に介入。日本が西洋の戦争に初めて介入。ただし、欧州の外交に疎いこともあり、正式な宣戦布告はされず
 ・1703年
ロシア、ペテルブルグ建設開始
 ・1704年(〜13年)
日本、多数の探検隊を新大陸各地に派遣して、多くの土地を日本領とした。これにより、新大陸は、日本、イスパニア、フランス、イギリスによりほぼ分割される
 ・1706年
日本、大商人の淀屋が新大陸に大挙進出。冥加金逃れと言われるが、以後新大陸への日本資本の進出と開発が進む
 ・1707年
イングランド、スコットランドを併合してグレートブリテン王国成立(以後ブリテン)
 ・1708年(〜11年)
日本、イスパニアからノヴァ・イスパニア北部全土を正式に譲り受ける
日本、加州奉行を蓬莱奉行(蓬莱州)に拡大。蓬莱奉行は、記念事業として大規模な航路開拓船団を編成して長期航海に派遣。日本による二度目の世界周航になる
 ・1709年
日本、南アメリカ大陸北端部の領有を宣言。以後、大西洋、インド洋、太平洋の南方海域を探索して多数の島々を発見
 ・1710年
この頃に、東南アジアやインド洋で、日本とイングランドが何度も戦闘を行うが概ね日本が優勢を維持
 ・1712年
ロシア、ペテルブルグに遷都。ロシアの近代化が進む
 ・1713年
「ユトレヒト条約」
フランスは、日本の援助により新大陸利権を保持。しかし日本は自ら宣戦布告しなかったため、会議には呼ばれず。フランスよりハドソン湾の利権などを譲渡される
プロイセン、フリードリヒ・ヴィルヘルム一世即位。革新的な軍制改革に着手
 ・1714年
ブリテン、ハノーヴァー朝始まる
 ・1716年(〜45年)
日本、織田信宗将軍親政開始。享保の改革始まる(日本の絶対王政と言われる)
 ・1718年(〜21年)
日本、欧州視察団派遣
ネーデルランド、フランス、イングランド、ベルリン、ストックホルムに赴く
 ・1719年
ムガール帝国、大規模な内紛起きる
 ・1720年
イタリア、サルディニア王国成立
 ・1721年
ロシア、ロシア帝国の成立が宣言される。以後、シベリア、大蝦夷での日本との小競り合いが増える
 ・1724年
日本、軍制改革を行い、武士による常備軍を設置
(フリードリヒ型軍制を取り入れ)
 ・1728年(〜31年)
日本、幕府が大規模な海洋探索を実施
マダガスカルで白人海賊に日本船が初めて攻撃を受ける。以後、インド洋で被害と戦闘が増加。幕府は、インド洋の航路保護のために海賊討伐を熱心に行う。逆に、白人船や国家に対する私掠船を認めて活動させる
 ・1733年
日本、「享保の飢饉」。国内対策として、新大陸への移民が奨励される
 ・1735年(〜95年)
清帝国、乾隆帝即位。清帝国黄金期の最後を飾るも、各地に遠征して国は疲弊。日本とも何度か小競り合い
 ・1735年
ペルシャ、アフシャール朝起こる。最盛期の頃にトルキスタンのジュンガルと何度も衝突
 ・1740年
プロイセン、フリードリヒ・ヴィルヘルム二世即位(フリードリヒ大帝)
 ・1744年
「オーストリア継承戦争」(〜48年)
オーストリアのマリア・テレジアの継承を巡る戦争
「ジョージ王戦争」(〜48年)
新大陸での英仏の争い
「第1カーナティック戦争」(〜48年)
インドでの、ブリテン、フランス(+日本)の勢力争い。第2次まではフランスが戦況を優位に運ぶ。日本は、フランス側に傭兵を派遣したに止まり宣戦布告せず
 ・1745年
日本、織田信重が将軍就任(〜61年)。信宗は勇退(1751年没)
 ・1748年
「アーヘンの和約」
 ・1749年(〜54年)
「第2次カーナティック戦争」
インドでのブリテンとフランスの争い。日本はフランス側に傭兵を派兵
 ・1755年(〜63年)
「フレンチ・インディアン戦争」(〜63年)
ブリテンとフランス、日本による新大陸を巡る戦争。日本が大規模に介入したため、ブリテンの劣勢続く。この時日本は、初めてヨーロッパ諸国に宣戦布告を行う。前後して大量の日本私掠船が各地で活動
 ・1756年
「七年戦争」(〜63年)
ヨーロッパ大陸でのプロイセンとその他の列強の戦争。プロイセンは戦術的勝利を積み上げるが、次第に劣勢に追いやられる
「第3次カーナティック戦争」(〜63年)
インドでの英仏の戦争。日本はマラータ同盟からの政治干渉を受けて参戦せず
 ・1757年
インド「プラッシーの戦い」
ブリテン、インド支配の基礎を築く。以後、フランス、日本はインドから実質的に手を引く
 ・1760年
ジュンガル、トルキスタン地域のほぼ全土を掌握。ロシア、オスマン朝トルコ、ペルシャ、アフガン地域と境界線を接し、ペルシャとの戦闘にも勝利。同時期、トルキスタン地域での改宗が盛んに行われ、ラマ教が広まりイスラム教が駆逐される。一方で旧時代的国家だったため、近代化のために商工業分野で日本人の進出が強まる
 ・1762年
ロシア、エカテリーナ二世即位(〜96年)
 ・1763年
「パリ会議」(パリ条約)
プロイセンヨーロッパの大国として隆盛。
日本、初めてヨーロッパの国際会議に参加。
日本、新大陸(蓬莱大陸)での優勢確立。ルイジアナのミシシッピ川以西獲得。以後日本は、四半世紀近くの重商主義路線に傾倒。以後半世紀ほどは日本の黄金期と言われる
フランス、ルイジアナ東岸、カナダを保持。
ブリテン、インドの覇権を確立。一方で新大陸で不利となり、ブリテン十三植民地が脅威にさらされ続け、多くの努力を新大陸に注がなくてはならなくなる。十三植民地も反発しつつも、ブリテンの庇護下に甘んじる
 ・1767年
ブリテン、ワットの蒸気機関発明(ブリテンで産業革命が始まる)
ブリテン、4度に渡る「マイソール戦争」(〜1799年)でインドでの勢力を広げる
 ・1768年(〜74年)
「第1次露土戦争」
ロシアの南進と膨張政策が顕著になり始める
 ・1772年(〜95年)
ポーランド分割(ロシア、プロイセン、オーストリアによる分割)
 ・1773年
イエズス会解散。しかし新大陸の日本の領域で生き残る
ロシア、「プガチョフの乱」(〜76年)
 ・1783年
ロシア、クリミア汗国を併合
 ・1784年
日本、火山噴火とポテトの全滅を原因として大飢饉発生。大量餓死回避のため、1782年〜87年に600万人、18世紀中に総計約1000万人の日本人が海外に移民。逆に蓬莱、南天など日本の入植地の開拓が大きく進み、国内の混乱も最小限で切り抜ける
 ・1787年
日本、織田信斉が将軍に就任(〜1837年)。日本の啓蒙君主として知られる
「第2次露土戦争」(〜92年)
 ・1789年
「フランス大革命」始まる
フランス人権宣言
以後「フランス革命戦争」(〜1897年)
 ・1792年
「日本=ロシア協定」
大蝦夷、シベリアの境界線を設定。ジュンガル、日本にとっては不利な条約のためロシアへの反発強まる。しかしロシア側にも不満が残る
 ・1793年
フランス、ルイ16世を処刑
「第1回対仏大同盟」(〜97年)
フランス革命の拡大阻止を目的とする。新大陸では、フランス側に日本が与して、ブリテンと対立
 ・1795年
フランス、ナポレオンがイタリア遠征
 ・1798年
フランス、エジプト遠征
 ・1799年
フランス、ナポレオンがクーデターで第一統領となる
「第2回対仏大同盟」(〜1802年)
以後「ナポレオン戦争」(〜1815年)

●西暦19世紀
 ・1803年

フランス、日本に東ルイジアナを1500万両で売却。日本は蓬莱に併合し、ブリテン十三植民地と接触。フランスは戦費を獲得
フランスと日本は事実上の同盟関係を結ぶ
日本、ヨーロッパ以外の地域でブリテンと戦闘に発展
 ・1804年
フランス、ナポレオン皇帝即位
フランス、「フランス民法典(ナポレオン法典)」制定
 ・1805年
「第3回対仏大同盟」(〜05年)
「トラファルガー海戦」
フランス、スペイン聯合艦隊にブリテンが勝利
「アウステルリッツの三帝会戦」
オーストリア、ロシアに対してフランスが勝利
 ・1806年
「アメリカ独立戦争」(〜15年)
フィラデルフィアでアメリカ合衆国の独立宣言。ブリテンの重税と防衛不備への反発。ブリテンが回せる戦力は少なかったため、大規模な戦闘はほとんど発生せず。日本、フランス、スペインは独立を援助
神聖ローマ帝国滅亡
「大陸封鎖令」
 ・1808年
スペイン反乱(〜14年)
ナポレオンの覇権が傾き始める
 ・1810年
ナポレオン、オーストリア皇女と結婚
ネーデルランド、フランスに併合。植民地のほとんどはブリテンに占領される
 ・1811年
パラグアイ独立。以後ラテンアメリカ地域での独立相次ぐ(〜25年)
 ・1812年
「ロシア遠征」(〜13年)
フランス、日本が中心となってロシア帝国に侵攻。
日本側は一定の成果を挙げてロシアと停戦するが、フランスがその後大敗
 ・1813年
日本、フランスとの同盟関係を解消
「諸国民の自由解放戦争」起こる。フランスへの反撃開始
「第4回対仏大同盟」(〜14年)
同盟には、日本も参加
 ・1814年(〜15年)
「ウィーン会議」
ヨーロッパ列強と日本が出席
フランス、ナポレオン復活。「百日天下」
「ワーテルローの戦い」
ナポレオン敗北
フランス、ブルボン朝復活
 ・1815年
「ウィーン会議」閉幕。
ヨーロッパではフランス革命以前への復帰、他の地域では新たな境界線の設定が行われる。
アメリカ合衆国の独立認定。
カナダ自治権獲得。
王国となったネーデルランドは、植民地の殆ど全てを失った上に後にベルギーが独立して完全に没落。スペインも完全に衰退。
会議の結果、ブリテンと日本の台頭が強まる。
織田幕府の版図が世界最大規模に拡大。織田幕府(大坂時代)の絶頂期を迎える
 ・1821年
日本、東インドのアチェの独立運動に干渉。ブリテンがウィーン体制への逸脱として強く非難して以後浸透強める
ナポレオン死去
 ・1823年
アメリカ、「モンロー宣言」
新大陸以外の不干渉を宣言
 ・1830年
フランス、「七月革命」
 ・1833年
日本、「天保の大飢饉」(〜36年)
日本列島で大規模な飢饉発生し、植民地などに穀物の拠出や重税を課す。一方で、大量の逃亡移民が発生
 ・1834年
「蓬莱独立戦争」(〜40年)
日本からの重税などに対して、蓬莱が独立を図る。アメリカ、ブリテンが独立勢力を支援
 ・1835年
「蓬莱連合共和国」櫻芽市で独立宣言。初代議長に二宮尊徳
 ・1836年
新大陸のフロリダが、スペインから独立。その後1845年にアメリカ合衆国に合流
 ・1837年
日本、「大塩平八郎の乱」
日本本国で封建制に対する反発。首都大坂が火災で壊滅し、幕府の統治能力低下
ロシア、大蝦夷に対する圧力強める。日本人全体に危機感
ブリテン、ヴィクトリア女王即位(〜1901年)
日本、織田慶信第十代将軍就任。最後の将軍となる
 ・1838年
日本、国内の混乱強まり事実上の内乱状態
ブリテン、織田幕府を支援するとして、マレー半島南部一帯を占領。アチェにも進軍
 ・1839年
「日本帝国」成立。古代権威の天皇を名目君主とした議会制民主国家として成立。幼少の孝明天皇が新たな天皇(121代代)として即位(〜66年)。「孝明」に改元し以後一元一世とする
日本、「革命戦争」
日本が大蝦夷西部でロシアに対して反撃。逆侵攻を行う。
他の地域でも、諸外国の干渉に対して反撃
 ・1840年
日本、蓬莱の独立を承認。相互に国交樹立
日本人圏内の国民国家化プロセスが完了
「アヘン戦争」(〜42年)
ブリテン、清帝国に一方的に戦闘を仕掛ける。清帝国は敗北して、開国に転じる
 ・1845年
アイルランド、ポテト飢饉。餓死を避けるため、多数が新大陸に移民
アメリカ、「明白な運命(マニュフェスト・デスティニー)
発表。新大陸での膨張主義に転換し、蓬莱やカナダ、メヒコが脅威を感じる
 ・1848年
「フランス二月革命」
ルイ=フィリップ亡命。第二共和制成立
オーストリア帝国からハンガリーが共和制国家として分離独立
「ドイツ統一戦争」
オーストリアを中心にした大ドイツ成立を前に、フランス、ロシアが干渉。プロイセン、オーストリアの勝利に終わる
「南天連邦共和国」、「朱雀列島共和国」が日本から独立
 ・1849年
ドイツ帝国成立。
ドイツ、オーストリア、プロイセン地域の全てが統合。独立当初は連合国家として運営
フランスは、アルザス・ロレーヌをドイツに割譲
「カナダ連邦」がフランスから独立
これで、自由主義に関連する動きが一旦沈静化。
 ・1851年
ロンドン万国博覧会
清帝国、「太平天国の乱」(〜64年)
清帝国は大きく疲弊
 ・1853年
「クリミア戦争」勃発(〜56年)
当初はロシア、トルコ間の戦争だったが、トルコ側にブリテン、フランス、ドイツ、サルジニアそして日本が荷担。ロシアは袋叩きに合う
 ・1855年
パリ万国博覧会
 ・1856年
「アロー戦争」(〜60年)
清帝国に、ブリテン、フランスが荷担。日本が講和を仲介
「パリ宣言」
列強全てが参加して、略奪許可状を禁止する(海賊禁止)
クリミア戦争終戦。ロシアはバルト三国の独立、フィンランドの自治、日本への領土割譲を認める
 ・1857年
インド、「シパーヒーの乱」(〜58年)
 ・1858年
「アイグン条約」、「天津条約」
アロー戦争の決着を付けるための条約だが、戦争継続
「デンマーク戦争」
ドイツ、デンマークと戦争。ブリテンがデンマークを支援して戦争が長引く
「仏越戦争」(〜62年)
フランスが、インドシナ進出を本格化
インド、ムガール帝国滅亡
 ・1859年(〜63年)
「イタリア統一戦争」
フランスの支援を受けたサルジニアが、イタリアの回復と統合を掲げて戦争。ドイツはデンマークとの戦争もあって後手後手に回る
蓬莱、最初の大陸横断鉄道開通
 ・1860年
英仏連合軍、北京占領
「北京条約」
清帝国、戦争敗北を認め領土割譲とさらなる開国を進める。また日本に対して講和の報償として多くの領土を割譲(日本沿海州、黒竜川以北を獲得)
戦争後、列強は太平天国の乱鎮圧に積極的に協力
 ・1861年
「統合戦争」勃発(〜65年)
アメリカと蓬莱による新大陸での全面戦争。史上最大規模の戦争となり、世界初の工業力を前面に押し出した国家総力戦となる。双方で約800万人の兵士が従軍
 ・1862年
ドイツ、ビスマルクが宰相就任。以後ドイツ外交及びヨーロッパ外交の安定化が進む
 ・1863年
ドイツ、イタリアと講和
イタリア王国成立
 ・1865年
「統合戦争」終戦。
アメリカ合衆国滅亡。蓬莱に併合される。
また、以後アメリカという名前が消え去る。
(北アメリカ大陸=蓬莱大陸、中米=カリブ、南アメリカ大陸=ラテン大陸)
 ・1866年
日本、明治天皇即位。明治に改元
朝鮮、ドイツの手により強引に開国
「独清戦争」
清帝国にドイツが宣戦布告。朝鮮の所属を巡った戦争。その後、フランス、ブリテンがドイツ側に荷担。日本が清側に仲介を申し出る
 ・1867年
「博多会議」
独清戦争の講和会議。ドイツは朝鮮、フランスはインドシナの優先権を獲得。ブリテンは清国内の権益を拡大。仲介した日本は、仲介料として北満州の割譲を受ける。また既に決まっていた上海租界の拡大も決められる
 ・1868年
日本、大蝦夷鉄道建設開始
日本以外にも、蓬莱、ドイツが資本参加して建設が進む
蓬莱、アフリカ奥地の探検成功。以後アフリカへの進出強まる
 ・1869年
スエズ運河開通。ヨーロッパのアジア進出が加速。
日本圏内での結束強化の会議が初めて開催される
中華、上海に広大な租界出現。
ブリテン、フランス、日本、ドイツ、蓬莱、共同租界に分けられる
 ・1871年
イタリア、首都がローマになる(教皇領消滅)
 ・1875年
蓬莱、アフリカ大陸に初めての拠点を建設
 ・1876年
日本、大蝦夷鉄道開通。日本の大蝦夷開発が大きく進展し、ロシアに強い懸念
 ・1877年
ブリテン、インド帝国成立
「露土戦争」
何度目かのロシアとトルコの戦争
 ・1878年
「サン=ステファノ条約」でロシアの横暴に列強が反発
「ベルリン会議」
露土戦争の講和会議だったが、ドイツ優位の条約となる。バルト海に公国3つが成立。またフィンランドの自治権も拡大してドイツ資本が進出
 ・1881年
ロシア、皇帝アレクサンドル2世爆殺
 ・1882年(〜84年)
「日露戦争」
ロシアが日本の大蝦夷、ジュンガルに侵攻。戦争後半に逆侵攻を受けてロシアが敗北。日本の大量動員と文明力の差が勝敗を決める
 ・1884年
「パリ会議」
日本とロシアが講和。ロシア、ウラル山脈西部を失う。
またジュンガルの統治能力の低さから、ほとんどが日本の手に帰する
「清仏戦争」(〜85年)
戦争はフランスの一方的展開で、フランスがインドシナ利権を完全獲得
 ・1885年
「ベルリン会議」
実質的な蓬莱領であるコンゴ連合国が成立。
ヨーロッパ列強によるアフリカ分割が本格化
 ・1887年
フランス、インドシナ連邦結成
 ・1889年
「北アジア首長国連合」成立。
大蝦夷が日本から独立してジュンガル汗国と合併。世界最大の面積を持つ国となる。トルキスタンとも呼ばれる
 ・1890年
ブリテン、セシル・ローズがケープ植民地の首相に就任。南アフリカでの拡大政策を推進
 ・1894年
「京都会議」
ドイツと清帝国の対立を前に世界中の列強が調停。
京都議定書と呼ばれる約束が交わされる
 ・1895年
ブリテン、マレー連邦結成(アチェとの内乱が続く)
ドイツ、朝鮮植民地成立
 ・1896年
ブリテン、「3C政策」推進。インド洋帝国建設
フランス、本国、カナダ、サハラを軸とした「北大西洋国家政策」推進。ブリテン、ドイツに対抗
同時期、ヨーロッパ列強によるアフリカ分割が進み、ブリテン、フランス、ドイツ、蓬莱が中心となる
「第一回近代オリンピック開催」
 ・1898年
「蓬西戦争」
蓬莱とスペインの戦争。蓬莱の一方的勝利に終わり、蓬莱の帝国主義的傾向強まる。
蓬莱、キューバ、プエルトリコ、グァム島を領有
ヨーロッパの対蓬莱及び日本圏への脅威感情が強まる
 ・1899年
「ブーア戦争」(〜1901年)
ブリテン、南アフリカ近在のトランスバール、オレンジ自由国に侵攻。既に多数が移民していた現地アングロ系住民が大量に動員され、南アフリカがアングロ系の入植地であることを印象づける

●西暦20世紀
 1901年

ブリテン、ビクトリア女王死去

 1917年
日本、織田信長没後三百年