●フェイズ11 備考:各国概要

 ・日本国(南日本もしくは日本)
再独立時は、関東地方から新潟以南の日本列島。その後、東北地方と沖縄、南方の島の幾つかが復帰。
国土面積/約30万平方キロメートル
建国時の人口 /6900万人(元の86% ※復員者含む)
1951年頃の人口 /7900万人
1980年頃の人口/1億1500万人 (1969年1億人突破)
2010年頃の人口/1億4900万人 (80年/11513.8  90年/12705.1  00年/13898.6)

 政治面ばかりではなく旧大日本帝国のほとんどを継承しているため、実質的には日本そのものといえる。このため日本戦争以後は、「南日本」よりは単に「日本」と呼ばれる事の方が多い。特に日本戦争以後は、合わせて南北日本などと言われる時や、北との比較の場合に限り「南日本」また「南の日本」と言われる。首都は東京で、東京は世界最大の都市圏を形成している。
 領土は明治初期の日本領に北海道とその周辺部の島を欠いた状態で、江戸時代の日本に近い。
 戦後1960年代半ば(法律的には1964年まで)まで、戦災復興と北日本への対抗政策として、食糧自給率に目をつぶって国家を挙げて多産政策を実施。冷戦中も政府は一定の奨励と育児政策を続けたため、人口が大きく拡大した。また所得向上と国力拡大に伴って政策を止めた後も、20世紀末までは順調な人口増加が続いた。21世紀に入り急速な鈍化が見られるが、半ば惰性で一定の育児政策を続けているため、2025年頃に1億5500万人でピークを迎えると予測されている。一方では、急速な高齢化に対する対策が疎かと言われることが多く、2020年以後問題が深刻化すると言われる。
 農業生産力とカロリー摂取量に対して人口が増えすぎたため、極端な食料輸入国となっている。このため、1980年代から国内での農業・農地に対する規制の緩和や大規模な企業経営導入など食糧自給率向上を目指す政策が国を挙げて実施されている。

 経済面では、敗戦から日本戦争までは連合軍の占領に伴う占領政策、戦争による国土の破壊などにより経済は停滞。しかし国内で戦争が起きたことが、きしくも経済が再稼働する大きな機会となる。
 1955年から、高い割合での経済成長が本格化。高度経済成長と呼ばれる。1964年の東京オリンピックを挟んでオイルショックの1973年までに、先進国としての経済成長をほぼ成し遂げる。あまりの発展速度のため、「アジアの奇跡」や「日本の奇跡」と呼ばれた。以後は西側先進国の一角としての存在感を示すようにり、その後も順調な経済発展を遂げる。
 ただし関東地方北部が1950年日本戦争で荒廃し、「回復」した東北の開発と発展を無理に行ったため、公共投資面などでやや歪な点も残すこととなる。開発を強引に推し進めた成田空港や東北、上越新幹線などがその典型とされる。東北のインフラ整備は、一時期自然災害対策などの口実を設けて過剰なほど行われた。
 そして経済的成長と並行するように北日本との緊張緩和や交流を進め、北日本の核兵器開発以後数年間を除いては、北日本との関係を進めることを優先する外交が続いた。民族間の対立より融和を進めた点では、東西ドイツとの違いがよく指摘される。だが、「同じ日本人」という日本人独特の考え方が、極端な対立をもたらさなかったと分析されている。このことを示す日本人の言葉に、「敵だが日本人だ」というものがある。これを、閉鎖社会特有の考え方とする研究が多い。
 1973年以後も一定の経済成長は続き、第二次オイルショックによる省エネと生産合理化がさらなる発展を呼び込んだりもした。日本の好景気は1997年のアジア通貨危機まで続き、その後は構造改革の事実上の失敗や技術革新の停滞などのため、やや停滞した経済運営が続いている。
 21世紀初頭のGDPは、約6兆7000億ドル(約800兆円・1ドル=約120円)に達する(※世界全体のGDPは約51兆ドル。日本の対世界GDP比は約13%)。経済成長と大きな人口が、プラス面で相乗効果をもたらした結果だった。
 1969年以来、アメリカに次ぐ世界第二の経済大国であり、大きな国際的影響力を持っている。

 内政面では、日本戦争によってGHQの占領統治時代に極端に形成された第二次世界大戦へのマイナス感情や負い目が、国民の間でかなり払拭されてしまう。このため日本戦争と社会主義陣営との対立を理由にして、軍拡や外交を実施した。冷戦崩壊後も、第二次世界大戦の謝罪は終了したと宣言し、一部の国から強い非難があったが国際標準以上の言葉を語ることはない。
 また日本人の共産主義者、社会主義者、無政府主義者、反王政派などが北の日本に亡命もしくは移民したため、南の日本での共産主義的活動は極端に低下している。欧米でのリベラル活動と少し異なる日本での市民運動、リベラリストによる活動も抑制され続け、保守的な政治が続くことになる。これを一部近隣諸国は軍国主義への回帰と呼んで、日本の軍備増強と合わせて非難する事が多かった。
 国内政治そのものは、冷戦構造と経済の好調によって安定し、自由党と民主党の二大政党制状態が冷戦中維持される。92年まで共産党は憲法上で非合法とされ、社会党、無産党も政治的規制が厳しいため、少数政党の地位でしかなかった。国民全般も、日本戦争の影響もあって、共産主義的、社会主義的なものを忌避する向きが強い。冷戦構造崩壊後に共産党なども合法とされたが、統一社会党の独裁がいまだ続く北日本との交流と同国の開放政策があっても、特に共産党や社会党系政党が勢力を伸ばすという事はなかった。
 ただし冷戦崩壊後は、内政重視の民主党が政権を続ける向きがしばらく続いた。ただし、共産主義、社会主義と日本人という二つは分けて考える向きが強く、外交にも強く反映される事になる。また、日本的なリベラル思想や市民運動家は、南北日本対立の間は冷遇され続けたが、冷戦構造崩壊後はかなりの政治勢力を持つようになっている。
 外交は、冷戦時代はアメリカとの同盟を基本とした典型的な西側外交だったが、北日本とはドイツ同様に相互承認に至る。同時に、停戦で終わっていた戦争状態にも法的に終止符が打たれた。また北日本とは海を隔てているため、お互いに制御がきくのでむしろ交流がしやすく、対立状態が強い時以外は積極的な交流が続けられた。
 冷戦崩壊後は、ロシア(旧ソ連)との関係は進んだが、いまだ強固な共産主義(+独裁体制と軍国主義)体制の続く人民韓国との対立は続いたままで、国力を急速に増大させている人民中華との関係も軍事面、歴史認識を中心に良好とは言い難い状態が続いている。

 軍事面は、津軽海峡の向こうには北日本、対馬海峡の向こうには人民韓国が存在するため、他の西側諸国の中では比較的多くの多くの軍備を抱え続けた。同時に再軍備も早く進み、日本戦争では海兵隊までが編成された。
 在日米軍も、東北、北九州を中心に展開しており、沖縄を中心に日本各地に約4万人のアメリカ軍が駐留している。冷戦崩壊までは北日本と人民韓国、そしてソビエト連邦を主眼としていたが、冷戦崩壊後は人民韓国が重視され、21世紀初頭ぐらいからは人民中華に対する軍備が重視されつつある。
 日本の軍備そのものは、日本戦争までは陸軍が重視されていたが、日本戦争以後は戦争による領土の変化もあって、自らの効率的な国防のため海空戦力が重視された。さらに国力が付くと、日本領全土の回復のための戦力の整備にも徐々に力が入れられるようになる。
 日本戦争中に海兵隊と軽空母を保有するようになり、その後も順調な拡大を続けて1980年代には中型空母、原子力潜水艦や巡航ミサイルも保有した。21世紀初頭の現在では、固定翼機運用型の6万トンクラスの空母2隻が計画もしくは建造中で、空母型の大型艦艇は揚陸艦を含めて6隻の保有が80年代の軍拡以後続いている。しかしアメリカの保有するような巨大空母は、様々な制約(一番の問題は人員確保)から一度も保有していない。ただし、経済成長が一定段階に至るまでは装備もかなり貧弱で、空母から銃弾に至るまでアメリカの払い下げの兵器ばかりだった。このため対馬海峡、津軽海峡双方の防衛力がないと言われ、国民の危機感情も高かった。

 21世紀に入っても、装備の多くはアメリカ製やアメリカのライセンス生産が多いが、徐々に国産兵器も増えている。特に艦艇の全てが国産され、一部では輸出も行われている。90年代には、新型戦闘機開発で大きな摩擦も引き起こした。
 国防の目玉商品とされる空母は、1960年代に軽空母を独自建造して以後始まり、ほぼ15年ごとに2隻ずつ程度整備され、現在建造中の空母は戦後四代目にあたる。建造頻度は、イギリスを上回る事と、常に固定翼機を運用する空母を有し続けたため、世界第二の空母大国としても認知されることになる。
 核兵器については、世界唯一の被爆国という事もあって日本国内からの反発も強く、いまだ保有されていない。ただし、アメリカと北日本の二重の核の傘の下にいると皮肉られる事が多い。国防に必要だとして、原子力攻撃潜水艦だけが例外とされている。
 またほとんどの仮想敵国、対立問題を抱える国と海峡もしくは海で隔てられているため、国境警備隊でもある沿岸警備組織は非常に充実しており、自らの海軍と半ば対立しているのが世界的にも知られている。海上保安庁という名称で管轄も軍とは違う省庁が行っているが、対機銃弾用の装甲が施された主要艦艇には平然と3インチ砲を装備するなど、並の海軍よりも重武装となっている。このため「コーストガード」ではなく「セカンドネイビー」と言われることもある。
 海軍と並んで国防の要とされる空軍は、主に防空空軍として高い能力を保持しており、防空密度は世界一、防空能力自体もアメリカに次ぐと言われるほど充実している。早期警戒管制機、空中給油機も早くから多数保有しており、少数精鋭の効率的な防空が常に心がけられている。
 日米貿易摩擦の影響もあって、アメリカからのライセンス生産の贅沢で高性能な機材が多く、訓練機を含めて各種300機あるF15戦闘機は、21世紀初頭でも日本空軍の表看板となっている。21世紀初期の現在は、20世紀末から始められた自主開発の事実上の失敗により、次期主力戦闘機の選定で混乱している。
 陸軍は日本戦争以後最も重要度が低く置かれているが、東北、北九州、首都圏にかなりの部隊を配置している。完全な防衛陸軍として編成されており、北日本の「回復」は海軍の下部組織にあたる海兵隊がその任務を負っている。もっとも、冷戦時代でも陸軍は25万人、海兵隊は3万人程度のため、実質的に海兵隊は機動防御用の予備兵力程度の能力しかなかった。冷戦構造崩壊後は、陸軍が一番の削減対象となり、徴兵制の事実上の解除もあって、陸軍は18万人、海兵隊は2万人の維持が精一杯となっている。
 また冷戦構造崩壊後は、国内外での災害救援組織として軍全体が見直されている。

 仮想敵は、冷戦間は北日本とソ連を第一としていたが、冷戦構造崩壊後は人民韓国とされている。このため九州北部を中心に有力な空陸戦力が一定数配備され続け、対馬海峡(西朝鮮海峡)には強力な国境警備隊が配備され続けている。
 また人民中華との関係も常に一定の緊張状態であり、ミサイル防衛や制海権、さらには今後の東アジアでの覇権を巡る問題での対立が続いている。近年は沖縄方面への軍事力のシフトが進んでいる。
 国防予算は、高度経済成長後の1970年代半ば以後はGNPの2%程度が目安とされ、冷戦ピーク時には一時期突破した。冷戦構造崩壊後は大幅に削減され21世紀初頭は1.5%程度で推移しており、2005年の前後5年ほどは12兆円(1000億ドル)を僅かに切る。近年はGNP比率よりも、12兆円が予算枠の攻防線となっているが、近隣諸国との関係から微増が続いている。
 軍事予算額は冷戦時代からアメリカ、ソ連に次いで世界第3位で、ソ連崩壊後は第2位の地位を維持している。武器輸出も先進国一般レベルで行われており、核兵器を保有しない事を差し引いても、世界的には経済力相応の軍事強国と見られている。このため東アジアの一部の国からは、第二次世界大戦を引き合いに出して日本を非難することが半ば日常的になっている。
 また軍事と密接な関係にある宇宙開発予算も多く、アメリカに次ぐ金額を毎年予算計上している。額は概ね80億ドル程度で、自力で人間を宇宙に打ち上げ帰還させる能力も持ち、衛星自動位置測定能力も構築しつつある。国際宇宙ステーションの建造にも貢献した。政府も、冷戦間は特に国威発揚と北日本との対立に宇宙開発を利用していた。
 なお、核兵器を持てないことの代わりとして、宇宙開発が熱心に行われた向きが強い。近年では、ミサイル迎撃装置などの防衛兵器と並んで、タングステン弾心による弾道弾の研究が始められていると言われる。

 ・日本民主共和国(北日本=DRJ)
建国時は、北海道の南半分と東北地方。
1951年以後は、北海道、樺太、千島列島とその周辺部。
国土面積/約16万平方キロメートル
建国時の人口 /1100万人(もとの14% ※復員者含む)
1951年以後の人口 /550万人
1980年頃の人口/1850万人
2010年頃の人口/2300万人

 日本占領時のソ連占領地域に建国される。
 建国時は、満州、朝鮮、さらには華北北部にいた日本人を根こそぎ移住させて不足する人口を強引に補った。またその後は、他国からの花嫁を大量に移住して補填した。さらに建国以来ずっと続く強力な多産政策を実施して人口増加に努める。また人民韓国からの移民と「日本人」としての帰化もかなり行われた。
 北海道が比較的人口包容能力が高いため、1970年代まではなんとか食料自給は行われている。しかし野放図な人口拡大政策のおかげで人口増加したため、1980年代に入ると食料輸入国となっている。また経済発展後の一人当たり摂取カロリーの増加と贅沢品への指向が、食料輸入の増加を助長している。
 建国当初の総人口は1100万人ほどだったが、戦後の復員で満州、朝鮮半島の日本人を、ソ連が根こそぎ強制移住させて水増ししていた。当初は日本共産党が政治権力を握るが、その後は旧満州国官僚団と財界人そして旧軍人が、国家の中枢を占めるようになる。国家の団結も、南の日本への反発よりも、常にアメリカへの反発に向いていた。
 南の日本にいる天皇(皇族)に対しても、常に一定の関心と敬意が払われているという特殊な状況にあった。その証拠の一つとして、天皇(皇族)に対する非難は一度も行われていない。
 政治は、1980年頃までは野坂参三が書記長として30年以上の独裁体制を敷いた。野坂の引退後は独裁体制は事実上解除される。その後は基本的に4年ごとに書記長が交代し、軍と党と官僚の三頭政治状態が維持されている。政党は統一社会党以外にも多数存在しているが、実際はヘゲモニー政党ばかりで事実上の一党独裁が現在も続いている。首都は札幌で、2010年頃の人口は450万人。
 中央官僚専制ながら安定しており、野坂参三が引退そして死去した後は独裁者と呼べるほどの人物はいない。野坂参三個人への崇拝も、実質的にはほとんど行われていない。銅像が最も少ない社会主義国とも言われるほど。一方では、かつての戦争で軍の失態が大きいという国民感情が強いため、軍の政治力も大きくはない。
 中央官僚による専政傾向が強く、共産主義国としてはむしろ珍しい型となっている。これが南北融和の北の側での大きな理由ではないかと言われることが多い。共産主義国の中では、党及び党員の権力は低い。
 一方では、一種の特権階級といえる官僚による腐敗は既に深刻化しており、国家体制の行き詰まりを好調な経済が覆い隠している状況が続いている。

 国土の関係から、かつての戊辰戦争に存在した函館政府と自らをなぞらえる事が多く、自らの共和国の祖としている。国民の間でも、幕末の北海道戦争で活躍した榎本武揚や土方歳三の人気が高い。軍艦の名前などにすら採用されている(※「土方級」原子力攻撃潜水艦など)。国内にある銅像も、野坂参三より北海道政府の要人の方が多いとすら言われる。
 冷戦構造は、既に野坂引退後の体制が確立していた事もあって、共産主義陣営の崩壊に際しても国民の間に大きな政治的な動揺は見られなかった。そのまま市場経済への移行と南日本との融和を行って、独立を維持し続けた。
 南日本との対話と交流は冷戦中も継続的に行われ、冷戦崩壊後は親密な関係を構築したが、いまだ民族統合には至っていない。これは東西ドイツと違って、南北双方の民意が統合を拒んでいることを原因としている。また、冷戦時代の中途半端な交流と相互承認がそのまま続いた結果でもあったと言われている。海峡で二分されている事も大きな要因となった。
 また近年では、南の日本とは違う国という面を強調するためか、先住民文化であるアイヌ文化に対する傾倒が盛んになっている。オホーツクという言葉が使われることも多い。これは、北東アジア諸民族の国家という面を押し出すことで、国家自立の維持と、国民の新しいアイデンティティーを目指そうという動きのためだ。ただし国民の多くは「日本人」というアイデンティティーが強く、あまり成功しているとは言えない。

 経済面は、建国から日本戦争後十年ほどは非常に困窮していた。ソ連から北樺太の譲渡を受けた事による燃料資源自給体制確立と、ソ連からの手厚い援助と同盟国価格での資源輸入がなければ、国家が崩壊してもおかしくなかった。1960年代までは人民韓国から援助を受けていたほどだった。
 しかし日本との一時的な融和が行われた時期に、思い切って軍備削減に踏み切って余剰資金を経済建設と社会資本の整備に投入して一定の成功を収めた。特に70年代までは、繊維産業を中心にした民生品の軽工業に力が入れられ、東側への輸出で発展した。また食料を自給できた効果も大きく、国も農業・漁業振興を熱心に行ったため、21世紀初頭の現在でも食糧自給率は70%を越え、一部海産物は南の日本にも大量に輸出されている。
 その後もソ連からの援助もあって、共産主義国家的ではあったが工業化を何とか行い、東ドイツもしくは南日本と同じ加工貿易国家として国を立てていくようになる。またソ連から譲り受けた北樺太の油田及び天然ガス資源は国の発展に大きな貢献を果たし、比較的豊富な天然ガスは自給自足ばかりか一部が南日本などへの輸出にも回されている。また北日本の存在は、ソ連の極東開発や経済にも好影響を与え、今現在でも北日本とロシア極東の関係は深い。
 1970年代末には、ソ連製兵器のライセンス生産と輸出を行えるまでに工業力を発展させ、安価に生産した兵器輸出によって外貨獲得に努めた(※国営企業の南部重工が製造するAK-47J系列の銃器は有名)。1980年代中頃の一人当たりGNPも、4000ドル近い数字となっている(※当時、サミット参加国の平均は約9000ドル程度。東欧平均値よりも高い)。
 そしてソ連のペレストロイカにならう形で市場経済を導入し、冷戦崩壊後は南日本の膨大な資本と技術を引き入れて一気に経済発展を行った。21世紀初頭は先進国とは言わないまでも、新興国としては水準以上の経済力を持つまでに成長している。一人当たりGDPも、先進国に準じる2万ドルに達するようになった(※南日本の約4割)。
 首都札幌は都市圏としての人口が1000万人近くに達し、石狩平野には北日本の総人口の半数近くが居住する。街の中心部には東アジア的な過密都市の景観に加えて、近年のハイテックな構想ビル群が林立するようになっている。また北日本全体で、人口拡大後の都市住民率は非常に高くなっている。

 軍事面は、日本戦争までは陸軍重視だったが、東北地方を失った戦後は一転して海空軍重視となる。軍の方針も、「統一」から「国防」へと転換した。
 1960年代に経済発展に力が入れられるようになると海空重視の傾向は強まり、冷戦最盛期の1980年代にはソ連に次ぐ東側第二の海軍を保有するようになる。旧日本海軍から強引に引き継いだ形の戦艦「長門」は長い間国防の象徴であり、1960年代までは実働状態に置かれ、その後も予備役艦とされた。冷戦崩壊後は、記念艦として保存され観光名所となっている。
 しかし南の日本やアメリカに対して水上艦艇の劣勢は覆いがたく、対向可能で効率的な国防が行える戦力として潜水艦の整備が熱心に行われ、ソ連以外で唯一原子力潜水艦を保有するまでに至る。また冷戦時代においては、ソ連が簡単に太平洋に出ることができる場所として北日本は重宝され、ソ連軍も使用する巨大な潜水艦基地が存在し、今も北日本海軍の基地として稼働している。
 このためアメリカ海軍も、北日本近辺の接近には高い注意を払っていた。また北日本の原子力潜水艦保有は、日本の原子力潜水艦建造に大きな影響も与える皮肉も生んでいる。
 多くの艦艇はソ連からの輸入によってまかなわれ、一部は国産されるようになった。また1980年代以後は、ソ連が維持できなくなった艦艇の一部を押し売りの形で受け取り、一時期非常に大きな規模の海軍となっている。それでも絶対的な国力差から、アメリカだけでなく南日本単独でも太刀打ちできる戦力ではなかった。ソ連時代末期に得た艦艇の多くも、20世紀中に退役、破棄された。
 そして通常戦力では仮想敵に対向できないため核開発を熱心に行い、1980年代初頭に保有を実現する。ただし開発当初は、短距離以外の弾道兵器を有しなかった。その後弾道弾開発にも傾倒して、21世紀初頭までには人民中華の北京や上海を射程距離に収める中距離弾道弾を保有するに至り、同国との対立が深まっている。ただし、南日本との対立にはほとんど利用されていない。

 冷戦崩壊後は、南日本との融和が行われ経済的にも市場経済となったが、統一社会党による一党独裁政治と中央官僚専制はそのままとなっている。近年は、党と官僚の腐敗が指摘され社会問題化しており、民主化の可能性が高まっていると見られている。
 軍備は、南との和解進展により通常戦力は大幅に削減されたが(何しろ周辺には、南の日本以外の敵がいない)、海軍と核戦力はむしろ増強されている。海軍増強は、資源の輸出入が盛んになった事が強く影響している。21世紀初頭では、多目的艦艇として揚陸艦の独自建造までが計画されている。
 核戦力増強は、南日本ではなく冷戦時代半ばから続く人民中華との対立が原因している。この事も原因して、いまだ人民中華との国交回復には至っていない。また核兵器を保有する事から、9.11テロ後の親米政策転換後もアメリカとの関係も常に一定の緊張状態が続いている。日本との関係進展でも、核兵器問題が常に課題となっている。
 また一方では、南北日本が統合することは常に各国から警戒されている。日本人が一つになることよりも、世界第二位の経済力と通常戦力が核兵器と結びつくことでスーパーパワーが生まれることを警戒しているからだ。特にアメリカの北日本に対する外交は、南北日本の関係によって極めて慎重なものとなっている。
 外交関係では、いまだ中華人民共和国との断交状態が続いている。冷戦崩壊後は、中華民国(台湾)との外交関係まで構築した。アメリカとの関係は、核兵器開発もあって冷戦崩壊後も緊張状態が続いていたが、9.11テロ後に親米政策に大きく舵を切ったため、関係はある程度改善されている。
 また冷戦時代常に友好的だった人民韓国との関係は、今現在も一定レベルで維持されている。しかし、北日本の市場経済導入、新しい金体制成立、南北日本の和解進展、と事件を経るごとに関係が冷却化しているのが現状となっている。

 ・大韓人民共和国(人民韓国)
朝鮮半島全土
国土面積/約21.8万平方キロメートル
建国時の人口 /3200万人
1980年頃の人口/5400万人
2010年頃の人口/6100万人

 成立時点から民族自決国家として、独裁者の金日成のもとで相応に安定した国家となった。旧朝鮮王国の領土をほぼ引き継ぐ、歴史的に見てもほぼ完全な民族自決国家。だが、米ソ冷戦構造の結果、旧領土のうち済州島だけ手にすることができず、済州島併合のため海軍増強と国土統一を国是とする。後に人民中華との関係が極度に悪化したため陸軍に偏重。海峡を挟んだだけの南の日本とも対立状態を続けている。
 首都はソウルで、共産主義的な都市化が比較的進んでいる。

 建国すぐにも民族自決国家として、ソ連の後押しを受けて国際連合に加盟した。建国頃、周辺には南日本以外に特に外敵はなく安定している筈だったが、アメリカ軍が占領を続けた済州島は強く問題視された。
 このため、アメリカ委任統治領とされた済州島(※1965年以後は朝鮮共和国)に対する武力併合を常に画策したり、アメリカや南日本に対する強い敵意を見せる。しかし海空戦力の大きな不足から自力での物理的解決手段がないため、その後は人民中華国境近辺の「同胞」救済に傾いた。中韓国境では今も激しい対立が続いている。またソ連寄りの共産主義国のため、中華人民共和国との関係も1960年代から急速に悪化して、冷戦構造崩壊後も軍事的緊張が続いている。そして旧満州地域の朝鮮民族解放が、最も重視される国是となっている。
 冷戦時代、北日本との関係は良好で、互いに足りないものを補う関係が続いた。しかし北日本の市場経済導入と南日本との完全な融和後は、関係冷却化が進んでいる。それでも関係が断絶していないのは、北日本の資源や工業製品などを得るためで、また他の国との外交チャンネル確保のためとされている。ただし北日本との経済関係を深めるのが地理的に難しいので、最近では陸で僅かに国境を接するロシアとの関係を再び深めている。なお、核兵器関連に関して世界から疑惑が持たれたため、以後北日本から人民韓国への技術輸出は完全に閉ざされ、両国の関係を悪化させる要因の一つとなっている。
 軍備については、建国当初は済州島奪回や南日本への対抗から海空軍が重視されたが、自力での兵器開発がほぼ不可能な上にソ連からの供与が少ないため停滞し続けた。その後、人民中華との対立から満州国境沿いの陸軍が重視されるようになる。
 工業力、技術力さらには開発力の欠如から、21世紀初頭でも有力な海空軍を有するには至っていない。冷戦崩壊後は、ロシアからいくらかの有力な兵器を輸入して、日本との一定の緊張状態を継続する程度となった。むしろ冷戦半ば以後は、主敵は人民中華となっている。
 なお、1990年代に核兵器保有を実現した。保有する核兵器の数と破壊力は少ないが、中距離弾道弾もソ連の技術を基礎に自力で開発したため近隣に大きな脅威を与え、特に人民中華とは激しく対立している。

 いまだまともに市場開放もせず金一族による独裁体制が続いているため、アメリカを始めとするほとんどの国との関係は常に最低限であり、済州島を「奪回」するという国是を頑なに維持もしているためアメリカとの対立状態が続いている。核拡散防止条約にも加盟していない。
 そうした状態から、南の日本にまで対立の手が回らないため、緊張状態が比較的緩いという皮肉な状態となっている。ただし、日本の対馬を挟んだ西朝鮮海峡は、国際的にも知られた危険地帯であり、南日本の国境警備隊(海上保安庁)との対立が日常的に行われている。

 ・朝鮮共和国
領土は済州島のみ。
国土面積/1,845万平方キロメートル
建国時の人口 /70万人
1980年頃の人口/200万人
2010年頃の人口/200万人
 第二次世界大戦直後にアメリカ軍が占領。以後アメリカの委任統治領となり、イ・スンマンが朝鮮民族を代表した行政の長(自治政府代表)となった。
 そして1965年にアメリカの国連委任統治領から独立。国名は、最初は頭に「大」の文字を入れようとしたが、あまりにも相応しくないと判断せざるを得ず、単に朝鮮共和国とされた。また、国名に「韓」の文字が用いられなかったのは、相手が先に使っていたからだった。
 なお、アメリカが独立に踏み切ったのは、直接抱え込むことが政治的に難しくなった事よりも、偏狭なナショナリストとされたイ・スンマンが死去したからだと言われる。
 そして冷戦構造の中にあっては、国家としては存在しないに等しいほどの弱小国として過ごすことになる。アメリカの面子のために、アメリカの庇護により存在しているだけと言えような状態だった。南日本は、長らく援助の余力なしとして交流も最小限として過ごしていた。朝鮮共和国政府側も、反日姿勢を隠そうともしなかった。今現在でも関係は希薄で、人道支援以外で日本の援助や交流はあまり行われていない。北日本との関係は、今に至るも成立していない。
 冷戦時代は、人民韓国とソ連を海上から封じるためだけに存続が許されていたと言える。国力、経済力も低く、21世紀初頭の主要産業は依然として貧弱な三次産業が占めている。最大の外貨獲得手段は、駐留米軍の基地のレンタル料となっているほどである。
 冷戦構造崩壊後も人民韓国がずっと存続しているため、大きな変化は起きていない。
 21世紀初頭の現在でも人民韓国との政治対立が日常的に行われているが、圧倒的不利な事に変化はない。しかも、人民韓国が金体制の放棄と民主化、市場経済を導入するような事があれば、その時点で人民韓国に併合されると言われるような皮肉な状態に置かれている。アメリカもしくは人民中華と人民韓国が和解しただけでも危ういとすら言われている。状況としては、規模ははるかに小さいながら人民中華と中華民国の関係にも近い。

 ・中華民国(台湾)
台湾島に存在。
国土面積/約3.6万平方キロメートル
建国時の人口 /600万人
1980年頃の人口/1900万人
2010年頃の人口/2300万人

 「国共内戦」の結果、大陸から追い出された中華民国の国民党の支配が続いている。
 人民中華との長い対立関係が現在進行形で続いているが、近年は経済交流を中心に接近が見られる。
 1970年代前半に人民中華の国際承認により窮地に立ち、南日本との国交も1980年初期にとぎれた。しかし北日本との関係を冷戦構造崩壊後に締結し、今現在も北日本を通じて近隣各国との間接的外交関係が維持されている。また経済や民間交流面は、人民韓国を除けばむしろ活発化している。
 1980年代後半に、国民党の独裁体制から民主化を実現。経済発展とアメリカの庇護も重なって、当面は人民中華による併合や統合はないと言われている。ただし21世紀に入ってからは、急速に産業の空洞化と人口の少子高齢化が進み、衰退に入る可能性が高まっている。

 ・中華人民共和国(人民中華)
旧清王朝時代の領土のほとんどを継承。
国土面積/約959.7万平方キロメートル
建国時の人口 /4億5000万人
1980年頃の人口/10億5000万人
2010年頃の人口/約13億人

 1948年に独立を宣言した共産主義国家。しかし建国当初は、中華民国(国民党)をアメリカなど資本主義国が認めていたため、多くの国から国家として承認されなかった。
 建国後は、スターリン批判への迎合、大躍進政策、文化大革命を経て、他の共産主義諸国との関係を極度に悪化させて国際的に孤立。その後、西側資本主義国との関係改善を行う。ただし、東側陣営内での北日本との対立関係から、南日本と関係(国交)を結ぶまでにはさらに十年近くを要した。
 1972年に東側陣営以外の国々の多くから承認され、国連常任理事国の地位も得てすぐに大国の位置に立つが、この頃の国力は失政の影響で経済が崩壊しておりどん底の状態に陥っていた。当時は、国が崩壊していないのが不思議だと言われたほどだった。

 その後の南日本との関係も、南日本が人民中華との対立を止めない北日本との関係を重視するため、常に遅れがちとなっている。また、天安門事件後の関係の停滞と、20世紀末からの江沢民政権下での反日教育の影響で、両者の交流は政治、経済など多くの面で停滞を続けた。
 南日本からの投資や企業進出、技術輸出も、欧米諸国に比べて常に大きく遅れた。しかも1990年代半ば以後の南日本の企業は、今更中華地域での遅れが挽回できるとは考えず、北日本や東南アジア、さらにはインドなど他のアジアへの進出を強化して対応した。このため人民中華側は、南日本の資本と技術を得る機会を逸したと言われている。逆に南日本は、21世紀に入り本格的に経済発展しつつある中華市場では完全なマイナーとなり、どちらの経済的損失が大きかったのかが経済学者の間でよく議論されている。
 外交面では、表裏どちらも南日本との間の実質的な戦後賠償の要求と反省を促すやり取りが恒例となっている。南日本側は、日本戦争の政治的影響もあって第二次世界大戦の事について常に既に過去の清算は済んでいると一方的に宣言しているため、両者の政治的溝と感情的対立が埋まっていないのが現状である。ただし、人民中華自身の抱える反政府暴動への警戒から、近年では安易な日本バッシングは低調となって、南日本側も中華市場にある程度入りたいため、経済面を中心に相互の歩み寄りが進んでいる。
 一方北日本との関係は、1960年代に国交そのものが断絶したままの状態が約半世紀を経た今も続き、互いに核兵器を向け合っている事を表明するほど悪い。しかも北日本を、いまだに国家として正式承認していない。また北日本の存在があるため、南の日本も常に北日本の動きを気にしたものとなり関係悪化に拍車をかける大きな要因となっている。
 また1960年代に大規模な武力衝突した人民韓国との関係は現在も極めて悪く、国境を挟んで大軍を並べる対立状態が今も続いている。これは東北軍への過度の予算、装備の投入が行われ国内的に問題視されると同時に、国庫に少なくない負担を与え続けている。

 経済面では、1978年に始まった市場経済導入によって、着実に国力及び経済力の拡大が続いている。天安門事件の影響が薄れた1993年頃から外資が戻り始め、世界規模で製造業が中華域内に移り始め、ようやく経済発展が本格化した。
 平行して、90年代後半からはすさまじい勢いで軍事費も増額しており、人口が多いだけの発展の遅れた国から内実を伴った世界の大国としての地位を確実に築きつつある。
 ただし近隣各国との対立関係が多く、近隣で最も発展している日本からの投資や援助が低調なため、もし日本との関係が良好だったら経済発展は今よりも最低でも三割り増しで進展していたという予測もある。もしその予測通りなら、2010年の時点でドイツのGDPを越えていた可能性を指摘する経済学者もいる。
 現在の予測では、順調に経済発展した場合、早ければ2020年頃にドイツのGDPを越えると予測されている。第二位の日本には、早くても2025年から30年頃に追いつくか追い越すのでないかと言われている。
 しかし人口面など様々な要素から、既に経済発展が爆発的に伸びる時期は過ぎたと言われる。労働人口の供給は頭打ちとなり、学術的に言うところの人口ボーナス期も終了した。海外からの移民も考えられない。そして2020年代には、世界で最初に国民が豊かになれないまま老人大国になるという予測が同時に立てられている。
 20世紀の大国と言われながらも、政治形態、環境問題などその他多くの問題も含めて、前途が明るいとは言い切れない矛盾した状況を多く抱えている。

 

(※我々の世界からの視点:人民中華の経済発展は、10年から15年遅れています。高度経済成長にも入り始めたぐらいです。)