■フェイズ21「アメリカ中間選挙」

 1942年11月、アメリカ合衆国で世界中から注目された出来事があった。
 アメリカ中間選挙だ。
 いまだ中立を維持している世界最大の経済大国アメリカの国民が、どのような結論を下すのかに世界が注目した。
 何しろアメリカが第二次世界大戦に参戦しない一番の理由は、アメリカ市民(国民)が参戦を否定し続けているからだった。

 この頃世界は、枢軸陣営の一方的な勝利で覆われつつあった。
 日本列島から地中海に至るユーラシア・リングは完成され、イギリスはインド洋から叩き出されていた。しかもイギリスを数百年間守ってきた海軍も大きく衰退しており、商船隊も既に半壊状態だった。ソ連はモスクワに続いてコーカサスでも敗北し、ほとんどヨーロッパロシアから追い出されていた。極東でも惨敗している。
 フランスも、自由フランスと名乗る亡命組織よりは、ヴィシー・フランスの方が徐々に存在感を強めていた。枢軸への参加ばかりか正式参戦も時間の問題と言われている。水面下では、ドイツとの間に本土領土の返還と捕虜釈放の交渉が行われていると言われていた。
 日本と戦っているはずの中華民国は、いるのかいないのかすら分からないほど何もしていなかった。
 アメリカ大陸は南北共に静かなものだったが、二度目の世界大戦はいよいよイギリス、ロシアの降伏による終戦というクライマックスに向かっているように見えた。
 1942年夏以降は、日本海軍が一旦本土に艦隊主力を戻しているため、ヨーロッパに大艦隊を派遣する準備だという憶測が流れていた。そのヨーロッパでは、ドイツ本土の防空のために外征していた1個航空艦隊が戻ったため、イギリスの都市爆撃部隊は大損害を受けていた。
 そしてこの頃、流石のアメリカ市民も、事態がアメリカにとっても厳しくなりつつある事を理解しつつあった。枢軸陣営とソ連との戦争により独裁国と共産主義国が潰し合ってくれると思われたのに、ソ連は負けつつあった。ソ連のおかげでイギリスの負担は今のところ減っているが、既にカナダ以外まともに使える植民地がない上に輸送船団は半壊しているため、戦争経済すら失いつつあった。
 このまま戦争が推移すれば、翌年夏にはソ連は崩壊するかドイツに全く逆らえないほどの弱小国に転落すると予測された。さらに次の年の夏には、枢軸の大艦隊が英本土に上陸し、戦争の帰趨は決すると見られていた。それ以前に、ソ連、イギリス共に枢軸側との講和を始める可能性もあった。ソ連、イギリス共に、敗北で多少領土を切り捨てても国家として生き残れるだけの領土を持っているからだ。

 そして、現在の戦争が終わった次に枢軸の脅威にさらされるのは、アメリカ合衆国だと認識されつつあった。
 アメリカは、世界最大の経済大国であり国内の地下資源も豊富だった。食料も十分自給できた。これを戦争で疲弊した枢軸陣営が、見逃すとは考えにくいとされた。少なくとも、戦争の中で育て上げた巨大な軍隊で脅してくるのは確実と考えられた。これが国を憂いる識者の一般的見解だった。
 もっとも、アメリカ市民の全てが今後の世界情勢を憂慮していたかと言えば、そうでもない。
 枢軸に対向すべきアメリカ合衆国連邦軍は、海軍の増強は一定レベルで続いているし、陸軍も選抜徴兵制度のおかげで、北米内の国境線の向こうに大軍が布陣でもしない限りは問題ないレベルにあった。これは国防面ではかなりの安心材料だった。この時点でのアメリカ軍は、常備軍としてはアメリカ史上最大規模となっていたのだ。
 それに太平洋、大西洋という世界で最も強固な天然の防壁が、アメリカを守っていた。だからこそアメリカ市民はユーラシアでの戦争に無関心でいられたと言えるだろう。そしていまだ市民の多くは、戦争は対岸の火事に過ぎないと考えていた。

 一方アメリカの対外関係だが、基本的に共和党政権下のアメリカ政府が、ヨーロッパ近辺に近寄ることを自国民、自国商船に厳しい規制を設けているため、大西洋側では向こうからやって来た船とだけの貿易を行っていた。また太平洋では、一部を除いてほぼ今まで通りの貿易や交流が続いていた。太平洋での戦前との違いは、極論してしまえばイギリス船籍の船が激減したことぐらいだった。中立法が邪魔をして各戦争当事国との貿易が積極的に出来ないが、第三国経由での貿易は活発に行われていた。アメリカ国内の一部には、戦争当事国との貿易自粛を求める声も強かったが、企業が求めるため止める事も出来なかった。
 そして太平洋間の日米の貿易だが、開戦後日本が間接的にアメリカから輸入するのは主に工作機械、各種自動車で、1941年以後は石油は一部高オクタンガソリンだけになっていた。原綿もそのうち日本は欲しがらなくなっていた。戦争のため生産量が減っているのと、日本が自前の資源地帯(インドの一部)を得たからだ。屑鉄についても輸入は続いているが、量はむしろ減っていた。無論だが、アメリカ側の取り決めにより武器の輸出は一切行われていないし、工作機械もボールベアリングを作るなどの精密工作機械は兵器開発に直結するとして、中立法をたてにして自粛されていた。
 アメリカの側から日本に船が行く事も、許可が出された客船以外は厳しい監視が行われるか自粛されていた。物資の輸送として、戦争協力になりかねないからだ。貿易そのものも、基本的には第三国経由とされていた。
 このためアメリカ産業界は、対日貿易の表面的な縮小を前に、中立法の改定と日本への戦争に関わりない機械製品輸出すら求めていた。そして市民の意見は、中立政策を掲げている以上、イギリスだけを贔屓することはアメリカの精神に反するという実にアメリカらしい意見だった。しかも共和党政権は、前の民主党政権の対日強硬路線の反動から、親日とはいかなくても日本に対する風当たりは比較的弱かった。日本政府も、共和党政権成立以後はアメリカへの友好姿勢を拡大している。大規模な軍隊がフィリピン近海を通過するときは、わざわざ事前通達しているほどだった。アメリカ軍が求めた場合に限ってだが、観戦武官の受け入れすら行っていた。しかも日本は大戦争のため支那進出や中華民国との全面的な戦争どころではないので、中華地域への進出などは戦争前よりも後退していた。
 そしてフィリピンの独立が1941年に前倒しされた上で局外中立を宣言し、アメリカにとっての日本、中華民国への一大輸出拠点となっていた。
 共和党政権としては、日本が西太平洋及びアメリカ領の近く以外で派手な軍事活動をしないかぎり、日本をアメリカの側から刺激しないのが基本政策になっていた。無論枢軸陣営が展開する無制限通商破壊への非難の声はアメリカ国内でも強かったが、イギリスも規模は小さいながら枢軸側商船を狙って無差別攻撃しているし、ドイツや西ヨーロッパに対して無差別爆撃を行っているのだから、枢軸側だけを非難するわけにもいかなかった。
 しかも日本政府は、公式発表において今回の戦争目的の一つをヨーロッパ各国の植民地「解放」にあるとしていた。実際、一部の地域では既に民族自治政府も成立しており、インドでのインド民衆の独立に向けての熱狂などが現地入りしたアメリカの報道関係者から直接伝えられている以上、日本を単純に侵略国とは定義し辛いのが、政治上での現状だった。
 加えて言えば、ユーラシア各地でアメリカ人記者が聞いて回った限りでは、日本人とドイツ人は現地で比較的歓迎されており、嫌われているのはほとんどの場合イギリス人、ロシア人だった。枢軸側がそう仕向けているのは間違いないが、それが歴史的経緯からくるユーラシアの民意であることもまた真実の一面だった。
 一方、前民主党政権が重視していた対中華民国外交だが、共和党政権下では大きく後退していた。中華民国は、アメリカから借款したうえで武器の大量密輸を求めるなど、共和党政権の神経を逆なでする要求ばかりしてきていた。明確な武器に関してはイギリスにすら直接輸出していないのに、例外が適用できるわけがなかった。しかもアメリカからの借金でアメリカの武器を買おうなど虫が良すぎるというのが、共和党政権内での一般的な論調だった。さらに中華民国は、アメリカが日本に戦争を仕掛けることを常に求めてすらいた。
 そして共和党政権としては、民主党政権とは違うことをアメリカ市民に伝えるため、中華民国との関係は非常に冷却化していた。アメリカ市民の間には、中華系移民がもたらした異国文化にロマンを感じる人々(=チャイナ・シンドローム)もかなりいたが、政府により中華民国政府の強欲で約束破りな一面が暴露されると、ロマンと現実を混同する雰囲気も大きく低下した。
 特に、民主党政権時代に伝えられていた、中華民国だけがアジアで唯一の民主主義国家であるという報道が、実のところほとんどねつ造や間違いでしかないことが伝わった事は、中華民国の対米外交としては致命的な失点となった。そして中華民国にとって致命的となったのは、国民党がアメリカから受けた援助金で民主党を支援していることが共和党に判明した事だった。このため共和党の大物議員などは、アメリカ唯一の敵は中華民国の国民党であると発言したほどだ。当然、アメリカの中華民国を見る目は、一段と冷ややかなものとなった。

 そしてヨーロッパ情勢だが、アメリカにとっても最も大切なのはイギリス外交と貿易、そしてアメリカが抱えるイギリスを中心とした各国の債権だった。フランスも重視したかったが、既に親枢軸のヴィシー政府しかまともな政府がないので、イギリスだけがアメリカと同じ民主主義国だった。
 しかもアメリカにとっての一番の取引先はイギリスであり、アメリカでの限定的な戦争特需の受注先のダントツ一位もイギリスだった。イギリスは、カナダからアメリカの物産を購入して、自前の船で本土に送り込んでいた。
 しかしイギリスの敗色が濃くなった1940年後半に共和党政権が成立して以後、アメリカの姿勢は政府、産業界共に微妙だった。イギリスが負けたら、債権や為替が不当たりになるかもしれないからだ。このため現金決済か原料資源でのバーター取引が増えたが、アメリカが欲しい地下資源は高品質の鉄鉱石程度など僅かな品目しかなかったので、一番の取引物は南アフリカで豊富に採掘される、黄金、白金、ダイヤモンドとなった。
 そしてアメリカが「自由」への戦いに参加しないことにイギリスは苛立っており、貿易や支援姿勢の変化もあって関係は悪化していた。しかしいざという時、アメリカは枢軸陣営との外交的橋渡し役になりうるので一定の関係は維持されていた。だいいち、アメリカとの取引無くしてイギリスの戦争継続はもはや不可能だった。
 一方、ドイツに対するアメリカの市民感情だが、ナチズムとファッショでありヨーロッパを征服した侵略国だとして、従来通り反発は強くあった。外交も常に最小限とされていた。しかしこの頃には、もう一つの報道が対ドイツ感情を悪化させていた。
 アメリカの報道組織がイギリス経由で伝えた報道は、ユダヤ人差別が年々過酷になっているというものだった。財産を没収し民族丸ごとを強制収容所に入れ、さらには強制労働に従事させるという過酷な政策は、アメリカ人の一部市民感情に大きな反発を呼び込んだ。東部の一部新聞も、反ナチス報道を毎日のようにしていた。特にユダヤ資本系、民主党系新聞は、ナチスを非難するのはもはや日常だった。
 これは枢軸側のパレスチナ侵入で一つのピークを迎えるが、枢軸側が波風を立てない政治的手法を取る事で若干沈静化した。また一方では、アメリカ国内にもユダヤ人を快く思わない保守層は非常に多いので、ナチスのユダヤ人弾圧への反発がアメリカの総意となる事もなかった。金を持つユダヤロビーと、圧倒的多数の反ユダヤロビー、やや中立的な善人達という構図になるだろう。
 そしてその後、ドイツなどから「そんなにユダヤ人政策で文句を言うなら、おまえらが全員引き取ってくれ」というメッセージが送られると、一部を除いて一気に大きな反発が出た。反発もドイツの身勝手と横暴に対するものではなく、600万人ものユダヤ人の引き取りに対してアメリカ市民の殆どが反対するという方向での反発だった。無責任な同情や支援程度ならするが、自分たちの隣人や同じ市民として多数のユダヤ人がやって来ることには、善良なだけの人々も反対だった。人種問題もそうだが、彼らの職を奪うかもしれないからだ。そして何より、ユダヤ人という点が感情面で重視されていた。
 つまりアメリカも、まだまだヨーロッパ的な市民感情が強かったという事だった。無論ここに、黒人など有色人種の意見は反映されていない。

 以上のような外交情勢で迎えたアメリカ中間選挙だが、選挙前情勢そのものは基本的に共和党の優勢が伝えられていた。自由主義経済への回帰は減税を生み、それは富裕層の支持を生み出し、彼らの消費拡大を促していた。また一定の戦争特需がアメリカ経済を潤しており、数字の上では共和党の掲げる中立主義が正しいことを示していた。
 確かに、共和党政権の中立姿勢に対しては、全体主義に対する危険性の増大から、イギリスを助けるため参戦を促す声も日に日に拡大していた。だが参戦に対しては、アメリカの若者を戦場に送るなという声は依然として根強く、加えて既に参戦の時機を逸したという声も強かった。そして参戦よりも中立という立場を利用して、一日も早い平和に向けての橋渡し外交に力を入れるべきだという意見の方が強まりつつあった。
 対する民主党は、先の大統領選挙の敗北以後、戦況が枢軸側有利になるに従い主戦論を煽るようになっていた。だが、この頃の民主党は、フランクリン・ルーズベルトのようなカリスマ性のある指導者に欠けていた事もあり、共和党に対する攻勢も成果は今ひとつだった。ルーズベルトは1940年の大統領選挙での敗北以後、主に精神面が原因で持病が悪化し、既に政治の第一線に立てる状態にはなかった。一時は、ウィルキーが民主党に戻るという話しもあったが、二度の変節を受け入れるほど誰もが甘くはなかった。
 そして11月1日からの投票が開始され、数日後には大勢が見えてくる。
 結果は共和党の勝利だった。もともと先の大統領選挙での共和党は僅差の勝利だったが、今回も多少共和党が支持を伸ばしただけで、ほぼ同様の結果となった。そしてこれは、依然として非戦論が国民全体の7割以上を占めているという世論の反映だった。

 アメリカ中間選挙の結果に、枢軸陣営はヒトラー、ムッソリーニ、近衛以下全員が安堵し祝杯を挙げ、イタリアのように共和党の勝利に祝電を送った国もあった。
 対して落胆を深くしたのが、1941年秋頃から「連合国(Allies)」と呼ばれるようになっていた陣営の側だった。ちなみに、「Allies」という英語は、日本語に訳した場合「連合国」、「同盟国」、「協商国」「同盟軍」など様々な翻訳が可能な言葉なので、「axis」を「枢軸国」と訳した事に対する日本語上での意訳として「連合国」が用いられていた。
 話しが少し逸れたが、連合に属するイギリス、ソ連の落胆は大きかった。そしてそれ以上に落胆したのが、イギリスに身を寄せていたヨーロッパ各地の「自由政府」だった。
 アメリカ参戦がさらに遠のいた事で、彼らが本国に返り咲いて祖国の中枢を担えるという可能性も大きく後退したからだ。しかも主要参戦国のイギリス、ソ連共に青息吐息。それに比べて枢軸陣営の勢力は、ますます拡大していた。中間選挙の結果を受けて、遂にスペインが枢軸への参加と参戦を行うという噂も流れていた。ロシア人を憎むトルコの枢軸参加も、もはや時間の問題だろうと言われていた。中立国として有名なスウェーデンも、親枢軸姿勢を強めていると言われていた。
 自由フランス政府を自ら名乗る組織の指導者となったド・ゴール将軍だけが、依然として口先と態度だけは意気軒昂だったが、自由フランス政府自体はアメリカからは前首相もいない上にフランスの民意を受けていないので政府として認められていないような状態で、その点は他の自由政府も似たり寄ったりだった。国家元首である王族が名目の首班となっている自由政府はまだマシだったが、国家元首のいない自由政府は実質的には相手にもされなくなっていた。
 正直なところ、枢軸陣営のチェックメイト一歩手前というのが、アメリカ中間選挙の結果発生した心理面での政治状況だった。

 しかし当の共和党政権とアメリカ合衆国大統領トマス・デューイは、不干渉主義、中立主義だけの政策を行うつもりはなかった。
 アメリカの民意の半分近くは、世界大戦への参戦と積極的な外交にある事を留意すべきだったし、現実問題としてアメリカを取り巻く外交状況が逼迫しているからだった。加えて、大恐慌以後生産が冷え込んだままの産業界のかなりが、アメリカ参戦という巨大な需要を望んでいた。これもまた民意だった。
 そして中間選挙後のデューイ政権は、国防の充実を理由として先の大統領選挙以後後退させていた自国軍備の増強をまずは提案。選抜徴兵制度の強化、陸海軍の増強を議会に提出し、議会工作の結果もあって賛成多数で可決された。時間のかかる艦艇建造計画も、日本海軍、ドイツ海軍の増強とイギリス海軍の衰退に対応するため促進される事になった。そしてイギリスへの支援が、少しずつ増やされるようになった。民主党から提出された「武器貸与(レンド・リース)法案」は、戦争協力であるばかりか実質的な参戦になるという国際的な常識論の前に廃案となったが、イギリスが倒れるような情勢は困るという姿勢を、政府レベルでは一層強めるようになった。
 しかし、一つの報告がアメリカの参戦への道のりを躊躇させていた。
 複数のシンクタンク、軍部が行ったアメリカ参戦の各種シュミレーションの結果、仮に参戦した場合にアメリカが受ける損害についてだった。
 一番の問題は、突き詰めてしまうと戦時生産にあった。
 今現在、枢軸陣営の戦時生産はピークに向かっていた。これに対してアメリカが戦時生産に入るのは、もし今すぐ始めたとしても全てがこれからだった。それ以前の問題として、兵器の開発、生産も他国に比べて大きく遅れていた。仮に即時参戦して総力戦体制に移行したとしても、アメリカの生産力がフル稼働するには2年という時間が必要だった。つまり1944年末頃だ。兵力や兵器を蓄積するとなると、さらに半年の時間が必要になる。
 枢軸陣営全てを相手にするには、そこまで持ち込まないと既にアメリカでも勝利できなかった。
 この分かりやすい例として、日本海軍との差が日常的に取りざたされていた。
 アメリカ海軍は、1942年秋の時点で新鋭戦艦2隻を迎え入れただけだった。しかも人員、予算の不足から、旧式戦艦を同じ数だけ退役させている。これに対して日本海軍は、アメリカが急ぎ建造を始めたばかり巨大戦艦と同等かそれ以上の巨大戦艦を4隻も保有していた。日本海軍の運用により、新たな主力艦という認識が高まりつつある航空母艦については、1942年に入ってからの日本は2ヶ月に1隻の割合で中型高速空母が就役しつつあった。1942年秋の時点での高速空母の数は、日本海軍が10隻に対して、アメリカは8隻と劣勢で、しかも高速軽空母を含めるとさらにその差は開いた。1年後にはアメリカ海軍はかなり増強される見込みだったが、アメリカ海軍の当面の軍備増強計画が完成する1946年頃には、日本海軍はさらなる巨大戦艦を就役させ、航空母艦の数でも依然として優位にあると予測されていた。そして既にイギリス海軍は半壊しているので、日本はアメリカだけを敵としても当面は問題ない状態だった。ドイツ海軍も、ロシア人との戦いが見えてくると増強されつつあるからだ。
 つまりアメリカ政府が参戦したくても、当面は負け続けると分かっているアメリカ海軍が首を縦に振らなかった。海軍が負け続ければ、アメリカ本土での戦う可能性があるからだ。それは軍ばかりでなく、政府の沽券に関わることだった。それに、アメリカ本土を戦場とすることを、納税者も是としない可能性が高かった。実際、この報告の一部がどこからともなく流出すると、国民から強い反発が出た。
 しかもこの報告では、動くに動けないアメリカの戦時生産が仮にフル稼働する頃には、イギリス、ソ連共に枢軸陣営に敗北していると結論されていた。今すぐに援助するにしても、ソ連への援助ルートは既に殆ど途絶していた。今から援助を強化すればイギリスは倒れない可能性は高いが、ソ連は既に手遅れだった。それにアメリカの民意は、共産主義国への支援に否定的だった。
 またアメリカが戦時生産を一定レベルにまで持っていき、兵士、兵器の数が増えるまでに、枢軸陣営に受ける損害は恐らくアメリカ本土にまで及ぶと考えられた。本土侵攻を受けても敗北する可能性はほぼゼロだが、市民にも多数の犠牲が出ることは確実だった。国富の損害も無視できない。そして何より、現政権が1944年の大統領選挙で敗北する可能性も十分にあると記されていた。
 しかも即時参戦、即時総力戦体制を行ってという前提でこの結果だった。現実は、即時参戦はあり得ないし、自由主義経済を事実上否定した総力戦体制への移行はもっとあり得なかった。あり得るとしたら、枢軸陣営がアメリカを突然攻撃してくる場合だけだが、枢軸陣営の対米姿勢からそれもあり得なかった。
 だからこそアメリカ市民は、参戦を否定したと言えるかもしれない。
 そう、経済の巨人は、起きあがるべき時期を間違ってしまったのだ。


フェイズ21「スターリン最後の賭け」