●「日米蜜月」第二次世界大戦年表

●1939年
・9月1日: ドイツ、ポーランド侵攻
・9月3日: 英仏、ドイツに宣戦布告。第二次世界大戦勃発。「欧州戦争」と呼ばれる事もある
      日本、アメリカは中立宣言
      日本、アメリカの参戦への意欲が非常に低い(特に民意)
・10月30日: 戦艦《ネルソン》沈没。同乗していた当時海軍大臣だったウィンストン・チャーチル負傷。海軍大臣を辞任。
       以後、日本、アメリカの対英支援の動きが遅れる
・11月30日: 「ソ・フィン戦争」勃発。ソ連がフィンランドに侵攻
・12月13日: ドイツの装甲艦グラーフ・シュペー自沈

●1940年
・3月12日: 「ソ・フィン戦争」終了。
・4月8日: ドイツ、デンマーク、ノルウェー侵攻開始。
・5月10日: ドイツ、西欧侵攻
・5月10日: 英、ウッド・ハリファックスが首相就任。
・イギリス、日本に参戦を強く要請。日本、参戦には前向きながら、準備と派兵のための時間を求める。
・5月16日: 日、英仏と協調して、東南アジアに出動開始。
・5月24日: 日本、対独宣戦布告を実施。第二次世界大戦に参戦。(27日に正式参戦)
・5月27日: 英「ダイナモ作戦」発動。
・5月27日: 日本政府、英仏側に立ってドイツに対して宣戦布告。
・6月4日: 連合軍のダンケルク撤退は、初動の遅れから中途半端に終わる。それでも約半数が撤退に成功。ハリファックスの指導力に疑問が出る。
・6月10日: イタリア参戦
・6月14日: パリ陥落
・6月22日: フランス降伏
・7月1日: ドイツ総統ヒトラーは「イギリス政府の理性的反省にもとづく和平交渉に臨む用意がある」としたうえで、「この提案を無視すればイギリス本土での全面戦争も辞さない」と宣言。
・日本、アメリカはイギリスの停戦を止めようとする。日本は緊急に艦隊派遣を開始。
・イギリスは、ドイツの提案を受け入れ。
・7月5日: ハリファックス内閣はドイツとの停戦に合意。他国には事後報告をするのみ。その後、各自由政府も次々に停戦。
・イギリスは、交戦国全てとの停戦に合意、英連邦各国にも本国に倣うよう通達。停戦には合意するが、各自治国、植民地に温度差。カナダ、アンザックの白人連邦国では、イギリス本国に対する強い失望感。アメリカがカナダ、アンザックに急接近。一方インドでは、独立の気運が盛り上がるも、イギリスは実力で独立を抑え付ける。
・「欧州戦争」終了。
・日本だけが交戦国のまま残る。

・7月初旬〜: イギリスやポルトガルなどから、ヨーロッパを脱出してアメリカなどに向かう船が激増。ナチスに弾圧される人々が流民となる。
・7月7日: 日本、近衛内閣総辞職。七夕辞職とも呼ばれる。
・7月10日: 日本、山梨勝之進を首相とする新内閣発足。戦時用の挙国一致内閣を編成。
・7月10日: イギリス、ジョージ六世退位。エドワード八世復位。元ジョージ六世は隠遁して姿を消す。
・7月18日: パリのベルサイユ宮殿で講和会議開催。
・7月28日: 「ベルサイユ講和会議」閉幕。ドイツの一方的勝利を印象づける会議となり、ドイツを盟主とする「欧州帝国」化を確認する会議となる。

・主にロンドンに亡命していた欧州各国の自由政府は、ドイツによる主権復帰の公約を受けて、ほとんどが解散して王族なども帰国。一部はさらにアメリカなどに亡命。
・フランス、ドイツとの間に改めて領土条約を結び、枢軸陣営にも参加。しかし一部亡命組織が、アメリカへの亡命して「救国フランス政府」を設立。フランス分裂。
・フランス、ベネルクス三国、ノルウェー、デンマークは、枢軸国への参加と親枢軸政権樹立を事実上の条件に独立復帰。
・ポーランド、チェコなど一部の自由政府がアメリカに亡命。
・その後、ユーラシアの殆どの国、地域が枢軸陣営になびく。
・ドイツ、イタリアにイギリス、フランスなど欧州諸国を加え、大防共同盟、通称「枢軸連合(アクシス=ユニオン)」が成立。

・7月30日: 米、移民及び亡命者受け入れと保護のため、大西洋上に艦艇出動を決定。
・8月: ドイツ、シベリア鉄道ルートで中華民国への武器援助を開始。日華関係急速に悪化。
・8月8日: 米重巡《オーガスタ》、亡命客船護衛中に雷撃により沈没。
・8月15日: アメリカ、議会が対ドイツ宣戦布告を承認。
・8月17日: アメリカ、枢軸諸国との戦争状態に突入。

・9月2日: 日米が、アメリカ史上初となる軍事同盟の「日米軍事同盟」締結。
・9月5日: 中華民国、突如満州国境を突破。宣戦布告はしない奇襲攻撃。中華民国は、不法に占拠された自国領土の奪回と諸外国に説明。
・駐留する日本軍とも交戦。自動的に戦争体制に突入。
・9月5日: 日本、満州帝国、中華民国に宣戦布告。同国を強く非難する。
・9月7日: アメリカ、日米軍事同盟を尊重して、中華民国へ宣戦布告。中華民国の説明(言い訳)を無視。
・9月8日: 枢軸各国、中華民国への軍事支援を本格化。初の援助船団が欧州を出発。
・9月15日: カナダのオタワにて「英連邦自由政府(=英自由政府)」が成立。国家元首はジョージ六世、首相にはウィンストン・チャーチルが就任。
・アメリカ、日本など多くの国が自由政府を承認。
・カナダと北米の一部以外の英連邦、英植民地は、英本国政府に付くか、中立を宣言。
・9月16日: 英本国からイギリス海軍の一部の艦艇が脱出。北アメリカ大陸を目指す。
・9月19日: 「北大西洋海戦」。アメリカ初の正式交戦。アメリカ海軍に大きな損害。アメリカと枢軸諸国との戦争状態が決定的となる。
・9月末頃: アメリカ本土で枢軸軍の潜水艦が通商破壊戦を開始。アメリカは、2ヶ月で200万トンの艦船を喪失。
・9月27日: 日本軍、満州に侵攻した中華民国軍に対して大規模な航空反攻作戦を実施。
・9月28日: 「上海沖海戦」。日本海軍に大損害。
・9月: アメリカ、国内の中華系住民を敵性民族だと法律上定義して、国籍剥奪の上に財産没収をして荒れ地に作られた収容所に強制収容決定。

・10月1日: 「錦州(チンチョウ)上陸作戦」開始。同時に満州北西部でも攻勢。日本軍、中華民国軍に対して本格的な反攻作戦実施。
・10月7日: 満州に侵攻した中華民国軍の主力部隊が、日本軍に包囲されて降伏。
・10月14日: 中華民国、上海租界で散発的な攻撃を開始。
・10月末: 中華民国、上海租界外縁に大軍を展開。少数の日本軍と睨み合い。
・秋: ドイツ、海軍拡張計画の「Z計画」を一部再開。戦争資源の一部を対日米戦にシフト。英仏伊もドイツに続く。
・1940年11月5日: アメリカ大統領選挙
・民主党は必死で巻き返しを図るが及ばず、共和党のアルフレッド・ランドンが2選を果たす。
・11月9日: 日本軍、遣米艦隊の第一陣がアメリカ東海岸で活動開始。枢軸軍の潜水艦狩りを始める。
・11月13日: 日本軍、上海郊外の揚子江沿岸部に大軍で上陸。上海租界を攻撃する中華民国軍を包囲。
・11月18日: 中華民国に進出していたイギリス軍が、日本本土爆撃を実施。「バトル・オブ・チャイナ」開始。日本国民に大きな衝撃を与える。
・11月26日: 上海郊外の中華民国軍が降伏。
・12月5日: 「南シナ海海戦」。イギリス東洋艦隊と日本海軍主力が激突。大戦が始まって以来の最大規模の戦闘となる。日本海軍が勝利するが、双方の艦隊規模に比べて消極的な戦闘となる。
・12月8日: 日本軍、中華民国領内のイギリス空軍基地を本格爆撃。反撃開始。防空戦も有利に運ぶようになる。

●1941年
・1月〜5月: 枢軸軍は、潜水艦と水上艦隊を用いて、北大西洋を中心に活発な通商破壊戦を実施。毎月50万トンの船舶を撃沈。
・1月6日: 欧州枢軸、ジャマイカの英空軍がフロリダ半島のマイアミを爆撃。米国民に大きな心理的衝撃を与える。
・2月: 米、「両洋艦隊法案=スターク案」の大規模拡大法案を可決。
・2月11日: イタリア、日本に宣戦布告。同時に、セイロン島にイタリア海軍主力が進出。イギリス東洋艦隊と合流し、東南アジアの海軍バランスが大きく変化。日本海軍を中心とする連合軍が劣勢となる。
・3月: 米、「レンド・リース法(武器貸与法)」可決。軍拡と戦時体制への移行を本格化。
・3月: アメリカ、「レンドリース法案」可決。アメリカの戦時生産もある程度軌道に乗り始める。
・3月末: 「バトル・オブ・チャイナ」終息。枢軸側敗北。
・1941年4月初旬〜: 日本軍を中心とする連合軍、中華民国に対する揚子江方面での航空攻勢を開始。
・1941年4月15日〜: 中華民国、上海方面で攻勢。戦力が劣勢の連合軍は防戦に務める。

・4月8日: イタリア艦隊主力、シンガポールに進出。
・5月11日: 「香港沖海戦」。イタリアと日本の中規模な艦隊が戦闘。イタリア海軍史上初の東アジアでの戦闘。
・5月15日: 「第一次カリブ海海戦」。中規模程度の戦闘だったが、カリブ海での戦いの前哨戦となる。
・5月22日: 枢軸軍「バルバロッサ作戦」発動。ソ連に侵攻開始。ドイツ軍を中心に、イタリア、フランスなどほぼ全ての枢軸諸国が順次参戦。ただしイギリス軍は、インド防衛、対日戦重視のため陸軍は派兵せず、限定的な空軍のみの出兵。
・年内に、独3個、伊1個、仏1個の各軍集団を中心にして、総勢500万人以上の大軍団。独空軍も4個航空艦隊の全力を投入。しかしドイツは当初他国には秘密に計画を進めていた為、当初はドイツ軍とルーマニア軍だけがソ連に攻撃。
・ソ連軍は事前に防衛体制を整えていた為、当初は善戦。国境線での激しい攻防戦が続く。
・5月24日〜27日: 「ビスマルク追撃戦」。アメリカ海軍など連合軍は多くの戦力を投入して、ドイツの戦艦ビスマルクを中心とする枢軸側の大規模な通商破壊艦隊と戦闘。双方とも増援を多数送り出したので大規模な戦闘となる。連合軍はビスマルクを逃した上に多くの損害を出すが、枢軸軍の水上艦艇による通商破壊戦を終息に追い込む事に成功。なお、アメリカ海軍では「東大西洋沖海戦」と呼称。
・5月28日: 日本とソ連の間に、満州帝国国境での事実上の不可侵条約成立。
・6月5日: 枢軸軍、中央戦線でソ連軍の前線を突破成功。
・6月8日: ソ連、日本に最初の本格的な援助提案。
・6月10日: 日米がソ連の連合国入りに関して本格的な協議。
・6月12日: 満州のハルピンで日ソ外相会談(幣原=モロトフ会談)。日ソ間の交渉進展。日本はソ連を全面支援し、ソ連は中華民国支援を全面停止。
・ソ連、支援と引き替えに満州帝国、極東共和国を事実上承認。
・6月22日: ロシア戦線、北部、中部のソ連軍戦線が完全に崩壊。ソ連赤軍総崩れ。各地で大規模に包囲殲滅される。
・6月25日: 日本軍、3個師団を杭州湾に上陸。上海方面の中華民国軍は包囲殲滅される。
・6月28日: ロシア戦線、南部戦線のソ連軍も崩壊。枢軸軍がソ連領内になだれ込み、ソ連戦本格化。

・7月3日: 枢軸軍、スモレンスク突入。同時期、レニングラード前面にも迫る。
・7月5日: 日本軍、中華民国の海南島攻略開始。(月半ばに攻略完了。)
・7月6日: ソ連が連合軍に正式参加。
・7月17日: 日満の最初の対ソ支援列車が出発。
・7月後半〜: 「ジャマイカの戦い」。カリブ海のジャマイカ島を巡る空中戦が激化し始める。
・8月4日: 日本軍を中心とする連合軍、中華地域で「一号作戦」開始。総兵力約80万人、700機の航空機が参加。
・8月7日: 中華民国、首都を重慶に疎開。
・8月9〜12日: ハワイのホノルルで「太平洋会談」開催。
 アメリカ、日本、自由イギリスが首脳会談。「太平洋宣言」が出される。「連合軍(UN)」の名が登場。
 これにより1940年7月までの英仏連合軍は「連合軍=アライアンス(alliance)」として、こちらは「連合軍=UN(United Nations)」とされる。
・8月14日: 連合軍、インドシナ進駐。救国フランス政府が支配権を獲得。
・8月末: ウクライナでの戦い終了。ドイツ軍の包囲で、ソ連の大軍が包囲されて多数の捕虜を出す。
・9月12日: 枢軸軍、モスクワ攻略作戦「タイフーン」開始。
・9月: 連合軍、中華民国に対して反撃。満州から中華民国軍を駆逐。新規投入された機械化部隊が活躍。米軍部隊、中華戦線で初参加。
・9月〜: 日本海軍の潜水艦の一部が大西洋で作戦行動開始。この頃に、日本海軍の秘密兵器「酸素魚雷」がアメリカに技術と共に供与される。

・10月初旬: アメリカ海軍、通商破壊戦のために空母部隊を大西洋に放つ。
・10月4日: 日本海軍、空母機動部隊でシンガポールを大空襲。激しい空中戦となるが、日本海軍が一方的に勝利。枢軸側は反撃も撃退され惨憺たる結果に終わる。
・10月5日: 「東部大西洋海戦」。世界初の空母対空母の戦い。双方とも空母1隻を喪失。
・10月6日: 「リンガ沖海戦」。インド洋に後退する英伊合同の枢軸軍東洋艦隊を、連合軍艦隊が挟撃。枢軸側は戦艦1隻、巡洋艦多数などの大損害を受ける。連合軍、東南アジアの制海権奪取。インド洋への道も開ける。
・蘭領東インド、オランダ自由政府並びに連合軍に参加することを発表。
・10月6日〜7日: 欧州ロシア中原で初雪。例年より早い冬の到来。
・10月初旬〜: 連合軍、ジャマイカ島への航空攻勢を激化。
・10月12日: アメリカ、ソ連をレンドリース対象国とする。
・10月: 米軍、大西洋で枢軸艦隊に攻撃を仕掛けるも大損害。
・秋頃から深刻化したロシア戦線での補給問題で、ドイツ軍とフランス軍の間に亀裂。
・10月中頃: 中華民国軍主力は壊滅。中華民国の華北、華中の主要な沿岸地域が連合軍の占領下となる。
・10月中頃: 満州帝国、遣露軍団を前線配備。(※12月までに50万、翌年春までに80万に増加。)
・10月31日: 枢軸軍、モスクワ攻略を中止。戦線整理のための計画的後退も始まる。さらに東部戦線の枢軸軍は冬営準備に入る。
・11月: 上海で連合軍初の占領軍司令部となる「中華地域・連合軍総司令部(C-GHQ)」設置。中華民国占領地域での軍政開始。
・11月3〜5日: 「カリブ海中部海戦」。枢軸側のジャマイカ補給船団が壊滅。さらに枢軸側は、巡洋艦も大量損失。この後、ジャマイカ島の戦闘継続力は大きく低下。
・11月13日: ロシアに例年より早い冬が本格化。冬将軍到来。
・11月中頃: アメリカ、初の対ソ援助船団が満州の大連に到着。
・11月17日: 枢軸軍、セバストポリ要塞の攻略開始。(年内に陥落)
・12月初旬: ソ連、冬季反抗開始。(翌年3月までに沈静化。)
・12月3日、7日:ボストン港で、アメリカ軍の大型戦艦2隻《オクラホマ》、《カリフォルニア》が大破着底。イタリア軍の人間魚雷の仕業。
・この時期、アメリカ海軍の大型艦が不足し、アメリカが海上戦で一番の苦境な時期となる。
・12月4日: 枢軸軍、ソ連南部のロストフ攻略。
・12月5日: ソ連軍、冬季反攻開始。(3月頃に沈静化。)
・12月7日: 日本軍を中心とする連合軍、マレー半島に上陸。山下奉文将軍が指揮。以後彼は、欧州まで進撃していく事になる。
・12月中頃: 連合軍、タイからビルマ国境を突破。

●1942年
・1月: アメリカ、国内の中華系住民強制収容を完了。約30万人が収容される。
・2月7〜15日: 「シンガポールの戦い」。シンガポール陥落。欧州世界に衝撃。
・2月25〜28日: 枢軸軍、ジャマイカ島から無血撤退に成功。
・3月1日: オーストラリア連邦、ニュージーランド、フィジーなどイギリス連邦を構成するオセアニア、南太平洋地域の全てが、英連邦自由政府への加盟と連合軍への参加を表明。
・3月: 日本軍、本格的にビルマに侵攻開始。
・3月〜5月: 枢軸側の潜水艦による通商破壊戦のピーク。大西洋、カリブ海の連合軍海軍にとって試練の時期。

・4月5・6日: 「アッズ空襲」。日本の空母機動部隊が枢軸軍の秘密基地だったアッズ環礁の枢軸軍艦隊を攻撃。激しい波状攻撃によって、イギリス、イタリア両東洋艦隊壊滅。戦艦6隻、軽空母1隻、巡洋艦各種合計11隻などを一度に喪失。インド洋の制海権地図が激変。
・4月〜6月: カリブ海では枢軸軍が航空戦力で優勢。連合軍にとって苦しい時期となる。
・4月初旬: ドイツ、インドに陸軍派遣を決定。 
・4月9日: ソ連軍が、中華民国に宣戦布告。ウイグル(東トルキスタン)に一部部隊が侵攻。
・4月16日: モンゴル、連合軍に参加。連合軍が即座に展開し、連合軍は中華民国領内の内蒙古などに侵攻。
・4月23日: 連合軍、インド洋のアッズ環礁を占領。多くの損傷艦艇を捕獲。後に一部を再生。
・5月: 枢軸軍、ロシア戦線の総兵力は20個軍、550万人と最大数字となる。
・5月11日: 「アゾレス諸島沖海戦」。米英艦隊が大西洋で激突。米艦隊は大きな損害を受けるが、英船団は引き返したので戦略的にアメリカの勝利。
・5月22日: 枢軸軍、対ソ夏季攻勢「青作戦(オペラツィオーン・ブラウ)」発動。コーカサスのバクー油田目指して進撃開始。
・5月25日: 連合軍、重慶爆撃開始。日米の重爆撃部隊が激しい空襲を実施。この大戦初の大規模戦略爆撃となる。
・6月1日: 連合軍、セイロン島空襲。
・6月5日: 連合軍、セイロン島を再度空襲。
・6月8日: 連合軍、セイロン島に上陸。インド戦役開始。
・6月20日: 枢軸軍、ボルガ川中流域の要衝スターリングラード占領。その前に、ソ連はボルゴグラードと改称。

・7月1日: 枢軸軍、カリブ海のプエルトリコ島に上陸作戦開始。「プエルトリコ島の戦い」始まる。
・7月7日: 枢軸軍、プエルトリコ島に上陸。
・7月8日: 「第一次プエルトリコ島沖海戦」。アメリカ海軍の勝利。枢軸側の侵攻艦隊に大損害。
・7月9日: セイロン島のイギリス本国軍、残存部隊がインド本土に後退。
・7月17日: カリブ海に日本海軍の大艦隊が到着。
・7月24日: 「バミューダ沖海戦」。米海軍、空母対決で敗北。プエルトリコ島への増援作戦失敗。大損害を受ける。
・7月26日: 枢軸軍、カスピ海に面するアストラハンに到達。攻勢終末点に到達。
・8月4日: プエルトリコ島陥落。枢軸軍が占領。しかし島の内陸部には米軍の遊撃部隊が残って抵抗を続ける。
・8月13日: 日本艦隊、プエルトリコ島の枢軸軍飛行場を戦艦を用いて冒険的な夜間艦砲射撃を実施。大成功を収める。
・8月中頃〜: 連合軍の対潜水艦戦と航空撃滅戦が激化。
・8月末〜: 中華戦線、連合軍は戦略爆撃の対象を奥地の都市から交通網に変更。
・9月: カリブ海方面の枢軸軍の劣勢が明らかになる。
・9月24日: 「中部大西洋海戦」。空母機動部隊同士の戦いで連合軍大勝利。枢軸側は特にドイツ海軍が大損害を受ける。

・10月10日: 連合軍、「ウォッチ・タワー」作戦開始。プエルトリコ島奪還作戦発動。
・10月10日: 「第二次プエルトリコ島沖海戦」。大規模な夜間戦闘となり米新鋭戦艦撃沈。
・10月11日: 「サン・ファン沖海戦」。連合軍、警戒中の枢軸艦隊を退け、プエルトリコ島砲撃に成功。
・10月13日: 「第三次プエルトリコ島沖海戦」。再び大規模な夜間戦闘。枢軸側は戦艦2隻を失い連合軍が勝利。連合軍は、プエルトリコ島の制海権を獲得。
・10月15日: 連合軍、プエルトリコ島に逆上陸開始。
・10月18日: 連合軍、季節的な悪天候のため中華地域奥地の爆撃を一旦停止。
・10月20日: 日本軍を中心とする連合軍、インド洋西部のソコトラ島攻撃開始。
・10月21日: 「ソコトラ島沖海戦」。イタリア艦隊が日本の攻略船団を攻撃。日本軍、ソコトラ島攻略を中止。
・10月30日: 「バージン諸島沖海戦」。カリブ海で劣勢な枢軸艦隊が大勝利。
・11月11日: 「アングィラ沖海戦」。連合軍勝利。枢軸側のプエルトリコ島への海上輸送が事実上途絶。
・11月末: ロシア、コーカサス方面での枢軸軍の攻勢が完全に停滞。攻勢発起点のロストフから800キロメートルも先まで前線が延びる。
・11月30日: 枢軸軍、プエルトリコ島からの撤退を決定。
・12月1日: 連合軍、大艦隊がシンガポールから出撃。インド上陸作戦開始。
・12月6日: 連合軍、インド半島南部に上陸。
・12月8日: 日本の山梨首相がソ連を訪問。スターリンも出迎えのため東に向かい、シベリアのノボシビルスクで日ソ首脳会談を開催。
・12月13日: 連合軍、インド南部の主要都市マドラスを包囲。
・12月15日: マドラス降伏。
・12月27日: ハイデラバード降伏。インド南部解放。

●1943年
・1月2日: 枢軸軍、プエルトリコ島からの無血撤退に成功。
・1月25日: 連合軍、ガンジス川河口部に上陸。
・1月28日: 枢軸軍、中華民国への支援終了を通告。
・2月2日〜5日: 「小アンティル諸島の戦い(ドミニカの悲劇)」などカリブ海のグアデルーペ島を巡る諸戦闘発生。枢軸軍の輸送作戦失敗。
・2月4日: カルカッタ無血開城。インド総督府はデリーに疎開。
・2月半ば: ドイツ・インド軍団が、インドでの初戦を勝利を飾る。
・2月19日: 「ヴォロネジ包囲戦」開始。ロシア戦線のヴォロネジ付近に派遣されていた満州帝国軍が奇襲的な反撃を開始。
・2月23日: ロシア戦線中央部で、ソ連赤軍も反攻開始。ヴォロネジを占領するドイツ軍に対する包囲作戦が本格化。
・2月26日: 連合軍、ヴォロネジのドイツ第2軍などを包囲下に置く。
・3月3日: インド戦線で連合軍が大規模な攻勢。通称「雛祭り(ガールズ・フェスティバル)」攻勢を開始。
・3月6日: 連合軍、インド戦線南部で初の大規模な空挺作戦「ガルーダ」を実施。
・3月10日: インド戦線、ガンジス川方面のイギリス軍戦線崩壊。20万人が連合軍に包囲される。
・3月12日: ロシア戦線、ドイツ軍がヴォロネジ救援作戦開始。
・3月16日: インド戦線、南部と東部の連合軍が握手。イギリス軍60万を実質的に包囲。
・3月19日: インド戦線、イギリス軍の約半数が包囲網から脱出。
・3月21日: インド総督府、ラホールに疎開。
・3月23日: ロシア戦線、ドイツ軍の救援作戦中止。
・3月23日: インド戦線、デリー陥落。
・3月31日: ヴォロネジのドイツ第2軍降伏。

・5月19日: 中華戦線、連合軍、中華奥地への戦略爆撃再開。
・5月19日: インド総督府、ペシャワール手前で連合軍の空挺部隊に捕虜となる。インド戦役はほぼ終了。
・5月22日: ロシア戦線、枢軸軍の三度目の夏季攻勢が開始。バクー油田への再攻勢開始。ロシア軍の重厚な縦深陣地帯に正面から進撃。
・6月6日: 連合軍、インド東部のカラチに強襲上陸。
・6月6日: カリブ海、「トリニダード島沖航空戦」開始。以後、連合軍は空母機動部隊を中心としてカリブ南東部から南米ギニアにかけての枢軸軍拠点を激しく空襲。
・6月末: ロシア戦線、枢軸軍がバクー前面のロシア軍陣地帯まで到達。

・7月3日: ロシア戦線、ドイツ軍がバクー前面の陣地帯への総攻撃開始。
・7月5日: ロシア戦線、ボルゴグラード近辺でソ連軍が大規模な反攻作戦を開始。予期していた枢軸側は、主にドイツ軍が機動防御戦で対抗。
・7月6日: ドイツ、バクーへの進撃継続を決定。
・7月8日: ロシア戦線、ドイツ軍がバクー前面の陣地帯に対する攻勢が完全な手詰まりとなる。
・7月10日: ドイツ、バクーの軍主力部隊のボルガ川方面への「転進」を許可。以後、ドイツ軍を中心とする枢軸軍の大規模な「転進」と陣地替えが行われる。
・7月10日: ドイツ軍、バクー油田に大規模な空爆と長距離砲撃を実施。バクー油田は、一時的に30%の産油量低下。
・7月25日: 中華民国、蒋介石がクーデターで失脚。事実上の内戦状態に陥る。
・7月末: ロシア戦線、ソ連軍の攻勢続く。ボルガ川近辺にいた150万の枢軸軍のうち、約3分の1が壊滅。
・枢軸軍、5月下旬から二ヶ月間に死傷者100万人、戦車3000両の損害を出す。
・8月1日: 南米ギアナの枢軸軍拠点壊滅。カリブでの戦いは実質的に終了。
・8月3日: インド東部カラチの連合軍の重爆撃部隊が、初めてアラビア半島ペルシャ湾口のホルムズ海峡の枢軸軍拠点を空爆。中東での戦いが始まる。
・8月18日: 日本の空母機動部隊、紅海の入り口にあるアデンを空襲。アデンのイタリア艦隊に大損害を与える。
・8月20日: 連合軍、アラビア半島先端部のマスカットを空襲。
・8月24日: 連合軍、マスカットに上陸。
・8月26日: 「アンカレッジ会談」。アメリカ・アラスカのアンカレッジで開催。アメリカ、日本、ソ連、自由英の首脳によるトップ会談。アメリカのアルフレッド・M・ランドン大統領、日本の山梨勝之進首相、英連邦自由政府のウィンストン・チャーチル首相、ソビエト連邦ロシアのヨシフ・スターリン書記長が初めて顔を合わせる。今後の連合軍の作戦について話し合われる。
・9月3日: 連合軍、ペルシャ湾中部を空襲。
・9月6日: 連合軍、アラビア半島のドバイ、アブダビに上陸。
・9月8日: 中華民国政府、連合軍に対して降伏。汪精衛(汪兆銘)が政府臨時総統をとして調印。
・9月半〜: ペルシャ湾内での航空撃滅戦開始。

・10月〜: ロシア戦線、満州帝国空軍が活動を開始。
・10月13日: 欧州枢軸、「バイエルン会談」開催。枢軸の首脳が集合。連合軍に対抗。
・10月半ば: 中東のイギリス軍は戦力再編のため後退。独伊空軍が戦線を担当。
・11月3日: 「ダカール航空戦」。連合軍、西アフリカのダカールを空襲。
・11月6日: 連合軍、ペルシャ湾奥のダンマームに上陸。
・11月7日: 連合軍、ダカールに上陸。
・11月11日: ダカール市陥落。ダカールでの戦いは大勢が決する。
・11月中旬: 連合軍、ペルシャ湾最深部のクウェートに到達。枢軸軍反撃するも連合軍が撃退。日独の新型重戦車同士が初対戦。
・12月6日: 南アフリカがイギリス本国から離脱宣言。英連邦自由政府への参加表明。
・12月25日: 連合軍、西アフリカ・ダカール北方各地に上陸。

●1944年
・1月3日: 中東戦線、連合軍はイラク方面に向けて攻勢開始。「バグダッド大突破」と呼ばれる。中東の枢軸軍総崩れ。エジプトなどへの退却。
・1月末頃: 連合軍、パレスチナ地域解放。ナチスのユダヤ人収容施設群を解放。
・2月初旬: 連合軍、地中海に戦線を展開。
・2月17〜18日: 「カサブランカ沖航空戦」。米機動部隊がモロッコのカサブランカを激しく空襲。双方が勝利宣言するが、米機動部隊は大きな損害を受ける。実質的な痛み分けで、連合軍の進行スケジュールが数ヶ月遅延。指揮官のハルゼー提督は実質的に左遷。
・3月18日: 連合軍、エジプト侵攻開始。スエズ運河を強行渡河。大規模な空挺作戦も実施。
・3月22日: 連合軍、ナイル川デルタ地帯に侵攻。
・3月24日: カイロ無血開城。
・3月30日: 連合軍、アレキサンドリア入城。

・4月1日: 連合軍、トブルクに海路侵攻。
・4月4日: 「トブルク沖海戦」。二つの陣営のイタリア艦隊が戦闘。
・4月6日: 「第一次マルタ沖海戦」。日本軍水雷戦隊が、枢軸側のリビア補給路を襲撃。日本艦隊の一方的勝利。以後、連合軍水雷戦隊による水上艦による輸送船団襲撃が日常化。
・4月初旬〜: 「クレタ島航空戦」開始。
・1944年4月10日: 「上海国際軍事裁判」開催。戦争中に中華民国の独立停止と解体、連合軍の統治などが決まる。ここで事後法の「戦争を起こした罪」が適用され、蒋介石など政府要人の死刑が実施される。
・4月中旬〜: 連合軍、地中海での潜水艦による通商破壊戦開始。
・4月中旬〜: ロシア戦線、満州帝国は空軍の総力を展開。ロシア戦線の一部で、ドイツ空軍が劣勢になる。
・4月下旬〜: 日本の京都で、日米蘇(+満)外相会談。戦後の東アジア情勢を議論。
・5月13日: 「第五次マルタ沖海戦」。イタリア艦隊が襲来する連合軍艦隊の返り討ちを企図するが大打撃を受ける。
・5月22日: ロシア戦線、満州帝国軍がクルスク目指して大規模な攻勢を開始。
・5月24日: ロシア戦線、満州帝国軍がドイツ軍の重厚な舵一戦陣地の突破に成功。
・5月25日: 連合軍、クレタ島上陸。
・5月25日: ロシア戦線、ソ連赤軍が攻勢開始。両軍の総力を挙げた激戦に拡大。
・5月27日: 「クルスク大戦車戦」。両軍合わせて1万両以上の機甲兵力が大きく南北二カ所の戦場で激突。一時膠着状態に陥るが、連合軍側がさらなる増援を投入して勝利。
・5月31日: 満州帝国軍がクルスク市を奪還。
・6月1日〜: ソ連軍、南部戦線で全面的な攻勢。
・6月4日: ソ連軍、オリョール奪回。
・6月6日〜: 連合軍、日本の空母機動部隊がヘブリディース諸島を皮切りに英本土北部各地を空襲。
・6月6日〜: 連合軍、アイスランド侵攻。
・6月12日〜13日: 「アイスランド沖海戦」もしくは「フェロー諸島沖海戦」。日本の空母機動部隊と枢軸側の連合空母機動部隊が衝突。日本艦隊が一方的に勝利するが、アイスランド侵攻作戦を優先して追撃せず。
・6月16日: 連合軍、「B-29」による欧州爆撃開始。

・7月3日〜: 「第二次ハリコフ攻防戦」。
・7月16日: ソ連軍、ハリコフ奪回。
・8月〜: ソ連軍、南部戦線のほぼ全域で攻勢。枢軸軍はジリジリと後退。
・8月9日〜: 満州帝国皇帝溥儀がソ連を訪問。スターリン書記長と会談し、現地将兵を激励。
・8月23日〜24日: 「カサブランカ航空戦」。連合軍、空母機動部隊でモロッコ攻撃。
・8月25日: 連合軍、リビア西部に上陸。
・8月27日: 「西リビア沖海戦」。イタリア海軍の反撃失敗。イタリア海軍は、大規模な作戦が出来ないまでに大損害を受ける。

・9月5日: 連合軍、ブリテン島南西部のプリマスに大規模な艦砲射撃を実施。
・9月6日: 「ケルト海航空戦」。帰投中の日本艦隊を周辺の枢軸側空軍が総攻撃。枢軸側は日本の空母部隊に返り討ちに合い、大損害を受ける。
・9月8日: 連合軍、フランスのブレスト軍港を大規模に空襲。
・9月9日: 連合軍、リビア西部の主要部をほぼ制圧。
・9月13日: 連合軍、「トーチ作戦」開始。空前の規模の大艦隊で、モロッコに侵攻。
・9月15日: 連合軍、カサブランカに上陸。
・9月22日: 連合軍、カサブランカ北部のラバトに上陸。後退する枢軸軍の退路を遮断。
・9月25日: 連合軍、オラン、アルジェに中規模な部隊で上陸。ほぼ無血で現地を占領。枢軸軍の退路を断つ。これにより、北アフリカのフランス軍100万の兵士が孤立。
・9月28日: ジブラルタルの枢軸軍が降伏。
・9月29日: ソ連軍、スモレンスク奪回。

・10月1日: 連合軍、チュニジア入り。
・10月18日: 米機動部隊、イタリア南部を激しく空襲。
・10月20日: 連合軍、ギリシア作戦開始。
・10月22日: 連合軍、「ジュピター作戦」開始。大規模な空挺作戦を実施。ギリシア各所に降下。
・10月24日: 連合軍、海路ギリシア南部のサロニカに上陸。
・11月初旬: ギリシア領内の枢軸軍はほぼ壊滅。もしくは後退。
・11月6日: ソ連軍、ドニエプル川渡河。キエフ奪回。
・11月7日: アメリカ大統領選挙で民主党のコーデル・ハル当選。
・11月中旬: ギリシア戦線は、ギリシア国境でほぼ固定化。

●1945年
・1月6日: 北アフリカ、チュニジアの枢軸軍降伏。
・1月25日: 「ハスキー作戦」発動。連合軍、シチリア島上陸作戦開始。
・2月10日: イタリア、ムッソリーニが総統から解任される。
・3月10日: 連合軍、アイスランドからB-29編隊でブリテン北部のグラスゴーを空襲。
・2月21日: 連合軍、シチリア島占領。
・3月12日: 連合軍、イタリア半島南端に上陸。
・3月18日: 連合軍、サレルノとタラントに上陸。

・4月1日: 連合軍、アンツィオに上陸。南イタリアの枢軸軍の退路を断つ。
・4月1日〜3日: 「あ号作戦」発動。連合軍、大機動部隊で英本土北部各地を空襲。
・4月5日〜6日: 連合軍、英本土北部を空襲。
・4月12日〜13日: 連合軍、英本土北部を空襲。
・4月15日〜: 連合軍、南フランスに対する航空撃滅戦開始。
・4月17日: 連合軍、英本土南西部を空襲。
・4月18日: 満州帝国空軍、奇襲的にベルリン空襲に成功。
・4月30日: 連合軍、英本土南西部を空襲。
・4月28日: イタリア、連合軍との停戦に調印。
・4月30日: イタリア社会共和国(=通称サロ共和国)の成立。ドイツの傀儡政権。
・5月6日: 連合軍、北イタリア手前のルビコン川に到達。
・5月9日: イタリア王国、枢軸同盟破棄。連合軍に参加。イタリア分裂状態となる。

・5月24日: 連合軍、艦隊の本隊が北米大陸を出撃。
・5月27日〜: 連合軍、史上空前の規模の空母機動部隊で英本土北西部を再び空襲。
・5月28日: 連合軍、ヘブリディース諸島に上陸。英本土の第一歩とする。

・6月1日: 連合軍、アイラ島に上陸。
・6月5日: 連合軍、アイルランド島北東部沖合に展開。
・6月5日: 枢軸軍、反撃作戦の「ラグナロク作戦」発動。温存していた海空戦力が全力出撃。
・6月6日: 連合軍、ノースアイルランド北部に上陸。
・6月5日〜7日: 「ブリテン北部沖の諸戦闘」発生。個々の戦いは「フェロー諸島沖海戦」、「ノースアイルランド沖海戦(航空戦)」、「ノース海峡海戦」、「ヘブリディース諸島沖海戦」、「アイラ島沖海戦」、「オークニー諸島沖海戦」と呼ばれる。枢軸軍の主要艦艇と洋上航空戦力壊滅。英空軍半壊。連合軍、勝利宣言。
・6月8日: イギリス、国王エドワード八世退位。
・6月10日: イギリス、緊急議会開催。議案は「ジョージ六世を君主として認めるかどうか」。
・6月10日: 連合軍、北イタリアのフィレンツェを占領。アペニン山脈も突破。
・6月13日: 連合軍、「ドラグーン作戦」発動。南フランス上陸作戦開始。
・6月13日: 連合軍、南フランスのツーロン近辺に大規模な空挺降下実施。
・6月15日: イギリス、ハリファックス首相が過労で政務不能。労働党のクレメント・アトリーが首相代行となる。
・6月15日: 連合軍、南フランスのツーロン東岸に上陸。
・6月15日: ソ連軍、対独夏季攻勢「バグラチオン作戦」開始。
・6月28日: イギリス、英本国政府が形式上連合軍に降伏して政府を解体。

・7月16日〜: 連合軍、北イタリア方面で大規模な攻勢。サロ共和国軍及び同方面のドイツ軍はアルプス山脈山麓に後退。(9月末頃までに戦闘は停滞化)
・7月20日: ドイツ、ヒトラー暗殺事件発生。ドイツで混乱。
・7月24日、26日: 日本海軍、予想外の大損害を受ける。
・7月25日: イギリス、ジョージ六世がバッキンガム宮殿に帰還。
・7月26日: ウィンストン・チャーチルが国会議事堂に首相として壇上に登る。
・1945年7月〜8月: 連合国「ブレトン・ウッズ会議」、「ダンバートン・オークス会議」開催。戦後の戦後の国際金融機構を決める。
・8月6日: 連合軍、ブルガリア方面で攻勢
・8月6日〜: 連合軍、北大西洋沿岸各地で空母機動部隊を用いた西欧及びノルウェー沿岸部の空襲を開始。
・8月7日: ブルガリア、連合軍に停戦を打診(15日に降伏)
・8月9日: ソ連軍、満州軍、東ヨーロッパ南部ルーマニア方面で大規模攻勢開始。
・8月15日: ブルガリア、ルーマニアの国境で連合軍とソ連軍が初の握手。
・8月15日: 連合軍、ハンブルグを大規模に空襲。以後、ドイツ北西部への爆撃が日常化。
・8月25日: ルーマニアで政変。ルーマニアは枢軸から連合へ鞍替え。

・9月3日: ソ連軍、ブーク川渡河。
・9月15日: 連合軍、北イタリア、イストラ半島のトリエステ市を占領。
・9月16日: ソ連軍、ワルシャワ前面まで進軍。
・9月21日〜: 「ワルシャワ蜂起」。進撃できないソ連軍は、実質的に見殺し。
・9月25日〜: ソ連軍、満州軍、ハンガリーへ進撃開始。「デプレツェンの戦い」開始。
・10月6日: ソ連軍、ハンガリー南部方面の先鋒部隊が包囲殲滅されて壊滅。同方面の戦線が停滞化。
・10月13日: ドイツ軍の反撃で、ハンガリー方面の全戦線が停滞。ソ連軍、満州軍は根本的な建て直しを強いられる。
・10月16日: 連合軍、ドイツ北西部に対する本格的な戦略爆撃を開始。

・11月6日〜: 連合軍、北イタリア東部で攻勢。「未回収のイタリア」を占領。しかしスロベニアには進撃できず。
・11月6日〜: 連合軍、ルール工業地帯への大規模な戦略爆撃開始。同時にドイツ北西部沿岸地域への大規模な爆撃を実施。
・11月15日: 枢軸軍、北イタリア北東部で局所的反抗。連合軍のスロベニア進撃を止める。
・11月23日〜: 「ワルシャワ蜂起」鎮圧。ワルシャワ市街壊滅。
・12月16日: ドイツ軍、「東方の守り」作戦発動。ブレスト=リトフスク目指して攻勢開始。
・12月24日: ドイツ軍、ソ連軍2個方面軍を包囲に成功。
・12月30日: ソ連軍、包囲下の友軍救出を断念。

●1946年
・1月23日: ソ連軍、ブレスト=リトフスク方面で約80万人が降伏。
・1月28日: 連合軍、ドイツ北西部の港湾都市を集中攻撃。ハンブルグなどが壊滅。
・1月末: ソ連軍、反攻作戦の大幅な見直しを決定。
・2月14日〜: 連合軍、4発重爆撃機1000機、作戦参加機5000機を導引した大規模な爆撃作戦を実施。

・3月初旬〜: 連合軍、フランス北西部への爆撃を強化。
・3月6日〜: ドイツ軍、「春の目覚め作戦」発動。ハンガリー方面で大規模な攻勢。
・3月22日: ドイツ軍、大損害を受けてハンガリー方面の攻勢を中止。
・3月25日: 連合軍、ノルウェー沿岸を激しく空襲。
・3月27日〜: 連合軍、ドーバー海峡沿岸の枢軸軍砲台の破壊作戦を開始。
・4月1日: 連合軍、ノルウェー奪回作戦開始。
・4月6日: 連合軍、カレー港周辺の沿岸砲台を激しく攻撃。
・4月12日〜: ソ連軍、「ペルーン作戦」発動。ポーランド方面で春期大攻勢開始。ドイツ軍の前線を大規模に突破。
・4月17日: オスロ陥落。ノルウェー政府は連合軍に降伏。
・4月21日: 連合軍、ノルウェーを解放宣言。(※終戦まで一部で戦闘は続く。)
・4月20日: ソ連軍、満州軍、ハンガリー方面での攻勢強める。
・4月27日: ソ連軍、オーデル川に到達。
・4月29日: 連合軍、フランス南西部で大規模な攻勢開始。
・1946年4月〜7月: サンフランシスコ会議開催。

・5月1日: 連合軍、フランス南西部で戦線突破に成功。
・5月6日: 連合軍、各艦隊が出撃開始。
・5月7日: 連合軍、「オーバーロード作戦」発動。
・5月8日: 連合軍、上陸前の事前空襲開始。
・5月9日: 「A-day」。カレー方面で上陸作戦開始。 
・5月9日: 連合軍、フランス南西部から北部への進撃開始。15日以後進撃は本格化。
・5月14日: ソ連軍、満州軍、ブタペスト占領。
・5月15日: スロベニアが反枢軸で一斉蜂起。連合軍に鞍替え。近在の連合軍が激しく動き始める。
・5月20日: ドイツ、政府機能の約半分をベルリンからフランクフルトに疎開決定。
・5月25日〜: フランス中部で中規模の機甲戦。フランスのパリ防衛の最終防衛戦が突破される。
・6月4日〜11日: 「ヤルタ会談」。連合軍首脳が戦争終結と戦後について話し合う。
・6月9日: パリ解放。フランス降伏。
・6月14日: ウィーン陥落。連合軍とソ連軍、同方面でも握手。 
・6月18日: アントワープ解放。この時点で前線は燃料枯渇。
・6月25日: 連合軍「マーケット・ガーデン作戦」発動。史上最大規模の空挺作戦実施。

・7月1日: 連合軍、オランダ中枢への進撃路を確保。しかし燃料枯渇がさらに進んで、アントワープが機能するまでの半月は大きく動けなくなる。
・7月13日: 連合軍、アルザス・ロレーヌ地域へ進軍。
・7月16日: アメリカ、原爆実験成功。(首脳会談後の43年10月に開発決定。当初は先行していた日本が技術協力。)
:7月16日: ソ連、ドイツ中部、西部への侵攻開始。
・7月25日: ソ連、ベルリン包囲。
・7月25日: 連合軍、デンマーク上陸作戦開始。
・7月26日: ソ連軍、エルベ川到達。
・7月30日: ソ連軍、エルベ川渡河。
・8月6日: 連合軍、原爆使用。ニュルンベルク壊滅。
・8月6日: 連合軍、北イタリアからアルプス越え開始。
・8月6日: ヒトラー死亡
・8月9日: 連合軍、ケルンに2発目の原爆使用。
・8月9日: ベルリン陥落
・8月12日: ドイツ、フランクフルトの臨時政府降伏交渉開始。
・8月15日: ドイツ降伏。降伏文書に調印。戦争状態終了