■フェイズ29「近代6・アメリカとの対立」

 19世紀終盤、1885年にアフリカの本格的分割が始まった頃、ヨーロッパを中心に各種国民国家が成立し、熾烈な帝国主義競争を繰り広げるようになっていた。
 リードしていたのは、いち早く産業革命を実施して広大な植民地を支配し、「パックス・ブリタニカ」を作り出した大ブリテン連合王国。猛烈な勢いで追いかけていたのが、アメリカ合衆国とドイツ帝国。その後ろをロシア帝国、フランス共和国、イタリア王国が続いていた。既にヨーロッパの中小国は競争から脱落しており、総人口の絶対的な差もあって競争する気すら失っていた。かつて七つの海に覇を唱えたネーデルランドも、この頃には衰退していた。ヨーロッパ以外だと、大日本帝国が近代的国民国家としての再編成を実現していたが、まだヨーロッパの中小国程度の弱小国に過ぎなかった。現状では、南アメリカ大陸の三大国の方が、文明程度では日本よりも有利な位置にあった。
 そして世界の果てに、竜宮という国がポツンとあった。

 竜宮は、本国は小さな国だが人口密度は高く、太平洋一帯に広大な海外領土を有しており、19世紀半ばの時点で既に工業化も達成していた。
 工業力に裏打ちされた海運力と軍事力、領有地域の面積を考慮すれば、当時としては大国と言ってもよいぐらいで、地理的要因もあって簡単に侵略や進出を許すような国ではなかった。各種数字の上だけなら、列強(グレート・パワー)といっても問題ないほどだった。
 しかし国の内部では、制度面での疲弊と停滞が進んでいた。
 国の政治はドイツとロシアの中間ぐらいの君主制で、憲法と議会はあったが選挙はなく、常備軍はあったが徴兵制はなかった。農奴はいなかったが明確な市民もいなかった。
 竜宮は、国民国家ではなかったのだ。
 国としてのアドバンテージは、植民地以外でほぼ単一民族で構成されている事と、国民一般が勤勉で商業に明るいという事だった。また地下資源に比較的恵まれており、国家規模に似合わない産金量のおかげもあって大航海時代からの繁栄が続いていた。
 しかしその繁栄のために新時代の国家に必要不可欠な「国民」を作り出す精神的土壌がなかなか現れず、繁栄を作り出すための窮屈な法制度が上流階級、支配層を硬直化させていた。
 そうした状況の竜宮人に、数百年ぶりの「敵」が出現しつつあった。
 新興大国のアメリカ合衆国だ。

 アメリカは、ヨーロッパからの移民を飲み込み、国内の先住民族を文字通り駆逐しつつ開拓と発展を続け、1880年代後半にはイギリスを抜いて世界最大の工業生産高を達成した。国民の数も、急速な右肩上がりで増えた。1860年頃、国民には含まれない黒人奴隷を含めて3000万人を少し越える程度だったのが、20世紀が幕開けする頃には二倍半の7600万人にも増えていた。
 しかも白人にとって移民の国であり自由の国であるため、人々は自分が得られると信じるが故に富に対してどん欲であり、しかも白人一般の人種差別の考えを幼稚で危険なまま持っていた。
 そして、インディアン(=先住民)に代わってアメリカ人の新たな「敵」もしくは「障害」として浮上してきたのが、北アメリカ大陸北西部を牛耳る有色人種国家の竜宮だった。しかも竜宮は、以前からインディアンを支援してアメリカの邪魔をしていた。
 しかし竜宮は、蛮族としては発展した国だった。
 中でもアメリカ人にとっての心理面での大問題だったのは、西の果てで工業化を果たした民族が有色人種だという事だった。竜宮が白人の国なら、また違った歴史となっただろう。
 竜宮の総合的な国力は南のメキシコよりもずっと高く、政府も軍も民衆も見た目からも強固だった。かつてのメキシコのように簡単に攻められる相手でも、インディアンのように駆逐できる相手でもなかった。しかも、ロッキー山脈の向こう側にいる上に、竜宮の本国は北太平洋上に存在していた。
 アメリカは、初期の頃はテキサスのように移民を浸透させて乗っ取ることを考えたが、本格的な行動に移る前に白人移民は閉め出されてしまった。しかも竜宮は、アメリカの悪意を感じ取り日を増すごとに態度を堅くしており、自らの防波堤ともなるインディアンへの支援も増やしていった。
 このためアメリカは、西へ進むために大きな犠牲と莫大な出費を強いられ、投機による資金を元手に推し進められていた西部開拓はつまづき続けていた。東部の投資家にとって、強固に武装したインディアンのいる西部開拓は、危険(リスク)の高いものだったからだ。
 仕方なくアメリカ政府は、国費を軍備に投入して陸軍を増強し、軽装備の騎馬部隊でしかない「騎兵隊」とは比較にならない本格的な軍事力を、またも国内で使わざるを得なくなった。強力な軍とインディアンの食料源、資金源だったバッファローの大虐殺により西部の鎮定と開拓は一気に進んだが、その様をイギリス人は、北のカナダにから内心せせら笑っていた。これだから新大陸人は洗練さに欠ける、と。
 イギリス人にとっては、先住民は力だけで駆逐・蹂躙するものではなく、まずは利用するものだった。
 しかもアメリカ人にとって気に入らなかったのは、竜宮とアメリカの対立が強まるにつれて、イギリスが竜宮に接近し、竜宮もイギリスを後ろ盾として利用するようになった事だった。
 この時イギリスの目的は二つあった。
 一つは、竜宮を利用する事でアメリカを抑え付ける事。もう一つは、最終的には竜宮の持つ北米植民地(副皇領)を乗っ取り、自分たちのアーシアン・リングを完成させることだ。しかもイギリスは、可能ならば全竜宮領土を飲み込むつもりだった。竜宮側もそれなりに慎重だったが、背に腹は代えられない状況を前に、イギリス人の予定より少し遅れる程度で事態は進んでいた。
 このイギリスの目論見は、1882年には竜宮側の鉄道と連結することで一部実現する。アメリカと竜宮の鉄道連結が、いまだ条約すら結ばれていないままでの出来事だった。
 そして竜宮、アメリカ、イギリスそれぞれの思惑の中で、新大陸北西部の情勢は進んでいく。
 そして竜宮とアメリカが強く関係する事件が二つ起こった。

 最初の事件は1885年、「末日聖徒イエス・キリスト教会」いわゆる「モルモン教」が原因だった。モルモン教は、開拓の国アメリカが生み出したキリスト教だった。一夫多妻を認めるなど様々な宗教の特徴を持ったりもするが、一応はキリスト教の分派とカテゴリーできるだろう。
 そしてそのモルモン教徒が住むアメリカ以外の唯一の国が、竜宮の新竜領(副王領)だった。何しろモルモン教の本拠地ソルトレークと新竜領は目と鼻の先だった。しかも新竜領には、白人のモルモン教徒ばかりか竜宮人のモルモン教徒も若干数だが住んでいた。各地に教会もあった。そして彼らが、かつてアメリカで教祖が失敗した独立運動を実施したのだ。独立運動は、教徒の多い相田圃(アイダホ)辺境伯領で行なわれた。しかも運動は隣接するアメリカ国内のユタ州にも及び、皮肉なことに両国が協力してこれを鎮圧するという事態に発展した。事件自体はそれほど大規模にもならず、戦争や内乱と言うよりも武力デモや小規模武力紛争程度だった。
 ちなみに、この時モルモン教徒の間で活躍した人物の一人が、ジョン・ブローニングという人物だった。彼は銃器開発者で、その後世界的に有名となる優秀な拳銃、ライフル、ショットガン、機関銃などを開発するも、開発者として生涯を捧げた。
 そしてこの事件とその後彼のアメリカでの活躍を知った竜宮では、モルモン教というツテを利用することで人種差別を乗り越え、銃器開発を次々に依頼する事になる。そしてその縁と仕事の関係で、彼は最終的に新竜領の冬霞に移住し、そこでの生活の中で人生を終えることになる。彼にとっても、モルモン教総本山の近い新竜領はそれなりに都合の良い場所だったのだろう。
 そして彼の銃はその後竜宮軍に広く使われることになり、新竜領に本拠を置く銃器メーカ「竜岩(ロンガン)」を世界的な兵器企業「ドラゴン・ストーン(D・ストーン=英名)」として有名にするのは、この事件から四半世紀ほど経ってからの事となる。

 話しが少し逸れたが、次の事件は1890年に起きた。
 アメリカ中部平原での「ウーンデッド・ニー虐殺事件」が発端だった。この事件の経緯は除くが、事件の中でアメリカ軍に大量虐殺されたインディアンの中に竜宮人が含まれていた事が問題となった。このことは虐殺を生き残った竜宮人によって竜宮側に伝えられ、伝えるための移動もアメリカ軍に追いかけられる生死を賭けた逃避行だったことも合わせて伝えられた。
 この結果、竜宮特に副皇領ではアメリカ人の横暴と残虐さが叫ばれ、アメリカでは竜宮のこれまでのアメリカに対する干渉が強く非難された。竜宮では、いずれアメリカが攻め込んで、インディアンばかりでなく竜宮人をも根絶やしにすると噂された。アメリカでは、竜宮によるインディアンへの行いがアメリカを再び分裂させるための謀略だという話までが出るようになった。
 翌年すぐにも行われた互いの政府間交渉でも、アメリカは竜宮の内政干渉を非難し、竜宮はアメリカ国内での竜宮人虐殺を強く非難した。時のアメリカ大統領は、第23代で共和党出身のベンジャミン・ハリソン。竜宮皇は、咲久女皇の時代だった。ただし女皇は既に老齢のため、本国の名代と副皇と本国から派遣された特使(大臣級)がアメリカとの交渉に当たった。しかし両者譲らず対立したため交渉は決裂した。
 その後竜宮の国論は、アメリカを非難する声がさらに高まった。アメリカでは、ずっと過去に遡ってのインディアンに対する竜宮の援助という名のアメリカへの敵対行為が取りざたされ、イエロージャーナリズムによって竜宮への敵意が無軌道に煽られた。しかもアメリカでは、インディアンの制圧を終えフロンティアの消滅が宣言されたばかりの出来事だったため、竜宮という新たな敵と竜宮が持つ広大な領土が次なるフロンティアとして注目された。しかも竜宮は黄金が豊富な国と長らく伝えられていた地域だったため、無知な人々の欲望を駆り立てた。黄金郷のロマンも、資本主義にかかればただの金蔓でしかなかった。

 そして両者の国境警備が厳重になり対立は熱を帯び始め、竜宮は俄に軍備増強を開始し本国から軍を派遣するまでになると、アメリカが強硬な態度に出てくる。
 竜宮は副皇領を本国の一部としていたが、アメリカは竜宮による竜宮の「アメリカ植民地」への本国軍の投入はモンロー主義に違反し、アメリカへの敵対行為だと竜宮側に通告したのだ。
 しかも既に国境各所に軍隊を配置しており、大西洋から太平洋に向けて、増強が始まったばかりの艦隊の派遣が開始されつつあった。
 ここに至って竜宮側も、座視して領土をかすめ取られるよりも戦争を決意せざるを得なくなった。急いで本国での本格的な軍の動員と、派遣艦隊の編成が始められた。もっともこの時竜宮海軍には、イギリスから購入したばかりの最新鋭戦艦が3隻もあるので、当面は海上で負けることはないと考えてもいた。このため竜宮側が強気の態度を崩さなかったのだ。
 竜宮の強い対応に、アメリカ政府も態度をさらに強硬なものとして、アメリカ国内に動員の準備命令までが発令された。近代的な武器を持った国相手の陸上戦では、現状のアメリカ陸軍では脅し以上では全く足りなかった。しかも最初の障害のほとんどが山間部の近代要塞とあっては尚更だった。
 しかし陸戦の主体が、まともな鉄道が敷かれていないロッキー山脈山麓になるため、大軍を用いる戦争はしたくてもできなかった。万が一戦闘になった場合でも、山間部の谷間に構築された要塞網で防衛に徹するであろう竜宮軍の優位が言われた。竜宮側は、古くから国費を投じて国境線に多数の要塞や陣地を既に構築していたからだった。要地には、近代要塞までが作られていた。
 またアメリカ市民は、安易で取り分の多い戦争には賛成でも、軍及び兵士の動員に対しては反対だった。明らかに外征となる戦争に対しても、自らの政府に対して好意的ではなかった。何しろ竜宮は、有色人種とはいえ他国からも認められた国家だったからだ。
 自分たちがヨーロッパと同じ事をする事に対する幼稚な感情の発露ではあったが、アメリカの良識があった事も間違いない事実であり、戦争準備の傍ら様々なルートで戦争を避ける努力も行われた。世界で初めての近代的な反戦運動すら行われ、これが後の友好関係にもつながったりもした。
 それでも戦争は、ロッキーの雪解けを待って春の開戦だろうと人々は噂しあい、アメリカ東部市場では様々な株が乱高下した。短期戦はともかく、長期戦ならアメリカの勝利は動かないと考えられていたので、戦争までが投機対象となったのだ。気の早い者の中には、「旧竜宮領」での開発会社を起こす者までいた。
 しかし両者が戦端を開く寸前、大きな変化が起きる。

 竜宮本国並びに副皇領の都である冬霞(トウカ)に、イギリス東洋艦隊がはるばるやって来たのだ。しかも竜宮本国にはイギリスの全権大使が乗った船が到着しており、ただちに両国の間に交渉が持たれた。
 一方で大西洋でも、女王陛下の海軍が動き始めた事が報じられた。名目は演習だが、目的は明らかだった。間違いなく、アメリカに対する牽制と威嚇、さらには恫喝だと考えられた。
 このイギリスの動きでアメリカ国内の戦争機運は吹き飛んでしまい、アメリカの戦争関連株は一気に暴落した。
 今度は、世界最強のイギリスと世界最大の工業国となったアメリカによる「第二次米英戦争」が始まるのかという報道が、世界中を飛び交った。既に電信(海底ケーブル)が世界中に張り巡らされているので、情報が駆けめぐる早さはかつての比ではなかった。
 しかし数日後、イギリスの特使を乗せた船がアメリカへも至り、その翌日にイギリス政府、竜宮国皇双方からの発表が行われる。
 まずは竜宮国が、副皇領の事実上の主権放棄を宣言する。合わせて副皇領での独立宣言が行われ、新竜(シロン)王国の建国が宣言された。政治については当面は国王親政とするが、順次憲法を制定し民主選挙による議会を設ける立憲君主国家となる事が宣言された。領土はアラスカ地域以外の旧副皇領とされ、首都(王都)は冬霞(トウカ)とされた。
 そして新竜王国は、北アメリカ北西部随一の港湾都市である冬霞の軍港使用権利をイギリスに与え、カナダ大陸横断鉄道と連結する鉄道の株式の3分の2も合わせてイギリスに売却するという、さらなる発表を行う。
 この間アメリカの狼狽は酷く、大統領が突然竜宮皇との交渉を求めるようになり、国境線に配置した軍を突然引き上げるなど完全な腰砕け状態となった。
 アメリカの恐れていた事態が突然表面化したからだ。
 結果イギリスは、労せずして北米大陸でのアーシアン・リングを手にし、アメリカ大陸の独立国がカナダと契約を結んだと言う形なので、モンロー主義を盾にしてアメリカが文句を言い立てることも難しかった。だいいち、イギリス相手に文句がいえる力は、まだアメリカにはなかった。

 こうして竜宮は、我が身を切り売りすることで当面の戦争を回避し、国難から逃れることができた。
 しかしアメリカから半ば理不尽な恨みを買った事は事実で、同時に領土を守れなかった事から本国でも国に対する不満が一気に高まることになった。
 そしてその不満こそが、国民国家の誕生を促すものであった。


●フェイズ30「近代7・四度目の政変」