●その14 北米大戦 後半

 1932年
・1月
、「上海事変」
。上海で中華民国軍と共産党(中華ソヴィエト)軍が戦闘。規模が大きくなり市街戦に拡大。中華民国は、後清が共産党軍を支援しているとして強く非難。国境線の防衛を固める。中華ソヴィエトは独立戦争だと発表。
・2月、
・後清と中華民国が国境各地で戦闘が多発。後清が、中華民国の団結を警戒しての揺さぶり行動。中華民国は、万里の長城を越えたことに強く反発。各地で国境紛争が相次ぐ。
・スイス、ジュネーブで国際会議。「国際連盟」の本格的設立について議論が始まる。
・3月、後清、中華民国の侵略行為を非難した後に宣戦布告。「中華戦争」勃発。
・ロシア式訓練の大軍を用いて北平(北京)進撃。中華地域が全面戦争に発展。後清をロシアが支援。中華民国には、日英を始め多くの協商各国が協力。武器輸出面で勢力の強かったドイツも中華民国側に付く。
・戦争は、地域的にも「世界大戦」の規模にまで拡大。また列強各国は、中華での全面戦争はロシアが欧州を戦場にしない事への表明と受け取る。

・春頃、北軍の戦時計画での大型艦艇の就役が本格化。海軍の異常膨張も合わせて本格化。しかし連合軍全体の艦艇数の方が多く、日々の消耗のため大兵力を一度に揃えることは難しいまま。
・5月、日本で犬飼挙国一致内閣成立。戦争の早期終結のための動員強化と攻勢を宣言。北軍に焦り。
・6月、南軍、「ボーナス・アーミー事件」。長引く戦争での困窮に対して軍人が中心となって反発して、南軍首都アトランタにて大規模なデモ行進。大統領のマッカーサーは武力鎮圧して国内外から非難。しかし北軍の陰謀だどされ、戦時でもあるためこれが肯定される。
・7月、フランスが北軍に宣戦布告。無差別爆撃、無制限通商破壊を止めないことが理由とされる。フランスの大軍が大西洋横断を開始。英独仏による本当の意味での欧州連合軍結成。北軍国内で孤立感が蔓延。逆に徹底抗戦の機運が盛り上がる。
・8月「ニューファンドランド沖海戦」。英仏独連合艦隊と北軍艦隊が艦隊決戦。戦闘は痛み分けに終わり、北軍は船団襲撃が失敗。北軍海軍の脅威が注目され各国の海軍増強に拍車し、欧州各国の団結は強化される。
・11月、北軍大統領選挙では、挙国一致推進のため結局フーバーが再選。対向者として予備選挙を競っていたルーズベルトは、最後でフーバーに合流。国民に共和党下での団結を訴えるが、国民には動揺が広がり戦争が長引くことを国内外が懸念。
・フーバー、改めて抗戦継続が宣言。
・南軍、マッカーサー大統領が圧倒的支持を受けて第二期に突入。フーバー、ルーズベルトは全体主義者の共産主義者であり、彼を勝利させるとアメリカの自由と理想が破壊されると演説。北軍の挙国一致体制による国家社会主義的政策がこれを肯定する形となる。
・12月、「レッド・パージ作戦」。南軍が国内での勢いのまま大規模な攻勢を仕掛けるが、戦時生産がフル稼働し要塞と塹壕線で膠着しきった戦線はほとんど動かず。数ヶ月の間に南北双方に膨大な犠牲者が発生。
・この年、主要参戦国の戦時動員と戦時生産共にピークに達する。しかし欧州では大量の常備軍の睨み合い状態のまま何事もなく、戦争特需に沸き返る。北米と中華地域が、列強にとっての大規模な代理戦争の場としての役割を果たす。

 1933年
・1月、
北軍、フーバー大統領就任。自ら掲げた「マニュフェスト・ディステニー」「正当なアメリカの回復」の継承並びに実現のための南軍及び南軍に連なる列強の排除を改めて宣言。ルーズベルトは、副大統領に就任。共和党の独裁がさらに進むと共に、北軍の政治姿勢が徹底抗戦に傾く。
・2月、中華民国の大規模な反撃。北平(北京)を奪回するに止まらず長城線を突破。熱河省にまで進出。裏に日英の強い支援があるとして、後清並びにロシアが非難。北東アジア情勢が緊迫するが、日英は対話路線を継続。自国軍を中華地域に入れることもなし。ロシアも支援以上は行わず。
・3月、
・「第二次東太平洋海戦」
。北軍は、航空機を用いて封鎖線を一時的に破壊。艦隊保全状態だった北軍艦隊が、日英の大輸送船団を攻撃。護衛艦隊との間に交戦。北軍太平洋艦隊は壊滅。その後日英の過剰なまでの反撃を呼び込み、継続的な爆撃で無力化される。同時にワシントン州の主要地域も爆撃により壊滅。
・日英軍は、そのまま太平洋での航空攻勢を強化。一時的に北軍の中西部戦力が壊滅。
・「カリフォルニア動く」。日本、総兵力250万人を用いて西海岸戦線で遂に攻勢に転じる。在西海岸英軍も同調。前月から開始されていた徹底した爆撃後、三ヶ月の攻勢で北軍西海岸諸州を制圧。ロッキー山脈地帯の多くを占領。ビクトリア湾地域には、海上からの強襲上陸作戦も実施。北軍は初戦を除いて大規模な地上軍(連邦軍)を置いていないため、州軍(郷土軍)の少数部隊によるゲリラ的攻撃と遅滞防御に止まる。
・その後日本軍主力は、英軍のカナダ中央軍集団に合流。大陸横断鉄道を修復しつつ西と北から北軍に圧力を加え、ロッキー踏破後は北軍の戦力を吸引。北軍に予備兵力が減少し、戦線にもほころびが見られるようになる。
・4月、
・「マンチュリア・ポケット」
。後清軍総反撃。中華民国軍主力部隊は、熱河省内でロシア式の二重包囲作戦で包囲殲滅されて総崩れ。半月後には長城線に後退。中華民国内では、国民党支配が大きく揺らぐ。
・6月、
・「北大西洋海戦」
。北軍が大規模な輸送船団を総攻撃するも、連合軍艦隊の反撃を受けて北軍艦隊に大損害。以後北軍艦隊は、大西洋でも艦隊保全に入り主要制海権を失う。北軍が無理を押したのは、6月初旬の連合軍による大規模な上陸作戦を警戒したため。
・7月、
・インド、ガンジーが対英不服従運動開始。英国での戦時体制による植民地負担に抗議。
・日本、太平洋艦隊主力がパナマ運河を越えてカリブ、大西洋に進出。連合軍の制海権は絶対的なものになる。
・後清、北平(北京)に再び入城。主力を失った中華民国軍の後退止まらず、後清は黄河流域を占領。中華民国各地が動揺し、離反の動きが出始める。
・8月、
・連合軍による爆撃が強化。初の1000機爆撃。東海岸北部要衝のボストンが目標となり、工業施設の多くが壊滅。以後北軍各地の工業施設が対応不可能な都市爆撃を受けて次々に沈黙破壊。以後終戦まで継続。当面は、距離の問題から東海岸北部に限定。
・9月、
・連合軍による各地の爆撃が強化。北軍は対応に追われて、防衛密度が各地で低下。連合軍の航空優勢が明確になる。
「ノヴァスコシア沖海戦」。連合軍大艦隊出撃を受けて、北軍残存海軍が総出撃。北軍艦隊は善戦するも壊滅。日英は空母機動部隊を初投入。
「セントローレンス上陸作戦」。ニューファンドランドに駐留する欧州連合軍の大部隊が、セントローレンス湾を越えてセントローレンス川河口部に強襲上陸作戦決行。北軍は、上陸場所をノヴァスコシア半島と考えていたためほとんど対処できず。上陸後も防衛戦力の不足から各所で快進撃を許し、連合軍は無人の野を進撃する様相を呈する。月内にケベックが解放。連合軍の大部隊がカナダに溢れる。
・四方から迫る敵に対して、北軍の防衛線は遂に破綻。
・後清、華中地域で前進がほぼ停止。兵站限界に達したため。
・中華ソヴィエト、中華民国軍に代わって各地で主にゲリラ戦術で活躍。華北奥地で勢力圏を拡大。
・10月、
・連合軍、在カナダ北軍主力部隊を包囲。
・独、自国主導での欧州国際会議を開催。新三国同盟とロシアの間の対立解消に尽力。
・後清が、万里の長城に代わり黄河を新たな国境線とする停戦条件を提示。中華民国は即座に拒絶。
・連合軍とロシアは、中華情勢のため水面下で話し合いを開始。
・11月、
・連合軍、オタワ奪回。北軍30万人が降伏。
・年内には、欧州連合軍がカナダ主要部を奪回。戦闘では、戦車を中心とする機械化部隊と戦術航空機を多用した電撃戦を展開。従来の運動戦や塹壕戦を否定。しかし北軍は石油不足、南軍は工業力不足で大規模な機械化戦を行うには至らず。
・同月、カナダ国境近辺の北軍工業都市の多くで生産力が大きく低下。民心の不安増大と連合軍の都市爆撃の影響。同じく、鉄道輸送の多くも各地で大混乱。北軍の戦時生産が大きく低下。
・12月、
・「クリスマス・ショック」
。日本軍の急激な進撃を前に、北軍中西部諸州の一部が中立宣言。カナダを奪回された事で東部諸州でも動揺広がる。北軍国内では合衆国崩壊の危機として国論が大いに揺れ、戦争終結に就いての水面下での交渉が始まる。一方では、国民義勇兵という名の民兵が多数導入され、国内防衛ではなりふり構わない防戦に出る。

 1934年
・1月、

・連合軍、デトロイト包囲。
・連合軍、「大西洋憲章」発表。新たな世界の枠組み作りの表明と共に北軍に降伏を勧告。
・北軍政府は反発するが、兵士のサボタージュ多発。すでに民衆は限界を向かえつつあった。
・後清、新たに西安方面に向けて攻勢。華北での中華共産ゲリラを前に疲弊。
・中華民国、広東、四川など各地の勢力が中華民国の弱体を批判。自治の拡大を要求。
・2月、
・連合軍、最北のメーン州以外でも北軍国境を突破。英独仏による欧州の工業力が、既に疲弊しきっていた北軍工業力を圧倒。
「南軍総反抗」。戦争全般にわたり防戦一方だったが、北軍の戦力減少と、連合軍からの膨大な軍事援助を前に遂に反抗に転じる。南軍機械化部隊が各地で戦線を突破して、北軍領内各地で激戦。パットン将軍率いる主力機甲部隊は大きく前進。北軍主要都市を陥落させ国民の英雄となる。しかし進撃は続かず半月ほどで停滞。最大で100キロ程度前進。しかし戦争特需で拡大した欧州の工業力と南部の石油の力を見せつける。
・北軍、デトロイト奪回作戦失敗。激しい攻防戦によりミシガン州の約半分が荒廃。
・3月、
・「ニューヨーク爆撃」
。奪回されたモントリオール付近から、1000機の重爆撃機による波状爆撃。北軍阻止できずニューヨーク主要部は壊滅。以後、連合軍の北軍主要都市に対する無差別都市爆撃がより活発化。北軍の戦時生産破綻が加速。戦争のルールが変わったことを市民も実感。
・北軍、3月末までに東部諸州のうち北部の州のいくつかで無防備都市宣言。合衆国崩壊の危機感強まる。
・4月2日、
・連合軍、ボストン前面に迫り北軍全軍に動揺。
・4月11日、「フィラデルフィア行進」。北軍市民・軍人約100万人が首都をデモ行進。戦争終結を政府と大統領に求める。出動した鎮圧部隊も行進に合流。
・4月18日、フーバー、大統領を辞任。副大統領のルーズベルトが直ちに大統領に昇格。戦争終結に向けて全力で任務に当たることをラジオで演説。
・4月20日、アメリカ合衆国(北軍)、連合軍に即時休戦と講和会議の開催を打診。
・4月21日、連合軍はアメリカの申し出を受け入れ。実質一週間前から水面下で交渉が行われていたため迅速な対応となった。
・4月22日、戦闘完全停止。北米大陸を中心とする戦闘は終わり、世界大戦終了。北米大陸の中部と東部の多くが戦闘と爆撃で荒廃。また南北両国は、経済、財政など全ての面で激しく疲弊。
・一方で中華戦争は終戦の兆しなし。
・4月25日、南軍大統領マッカーサー、南軍の勝利宣言。アメリカの復活と理想実現のため、南部連合によるアメリカ統一という方法も存在すると発言。北軍は反発。各国に大きな波紋。
・5月、
・「フィラデルフィア講和会議」開催。

・主要参戦国の北軍、南軍、英国、日本、ドイツ、フランス他参戦国のすべてが参加。その他の中立だったロシア、オーストリアなどの欧州主要国がオブザーバー参加。敗者となった北軍は、戦争を引き起こした責任を追及される。
・連合軍は、共和党一党独裁体制の解体、軍備の一方的削減、高額の賠償金、軍需産業の解体、領土割譲の要求などそれまでの戦争より厳しい条件を突きつける。特に大規模な軍備の削減と保有兵器の強い制限が要求される。またイギリス、日本、ドイツの過剰な軍備が戦争原因だとして北米・カリブ海での軍備削減を要求。
・北軍は、国家の中枢部を侵略されていないとして、対等な条件での講和と戦前の状態への復帰を要求。北軍は戦争再開すらちらつかせる背水の陣で会議に臨む。連合軍も北米大陸の軍をそのまま臨戦態勢とする。
・6月、
・「フィラデルフィア講和条約」締結。

・賠償金問題については、天文学的単位になることが分かり切っていたため、かなり厳しい限度額が会議半ばで決められる。それでも北軍は総計150億ドルの賠償金支払いを決められる。南軍、英、日、独、仏が受け取り国となる。
・また軍備制限については南北双方から強い反発があって、結局は北米大陸内での海軍保有枠と、大型航空機や潜水艦、戦車など一部兵器の保有制限に止められる。ただし大規模化していた軍需中心の企業の多くが、新たに制定された独占禁止法により解体。
・領土については、南北境界線は北米大陸の戦争前への復帰で合意。新たに、一部に中立地帯を設定。なおワシントン市も非武装中立地帯とされ、その後南北統合会議の場となる。
・東部沿岸からオンタリオ湖にかけての北緯44度以北をカナダに併合。デトロイト市、バッファロー市一帯は非武装中立地帯とされる。主に日本が占領した中西部地域は、シアトルに軍備制限を設けただけで賠償金と交換の形で全て返還される。
・北軍政党は、共和党が事実上解体。新たに民主共和党(旧共和党)、自由党、民主キリスト党が大政党として躍進。多党体制によりその後の政治的混乱が続く。
・また同会議で、中華地域の戦乱終息について各国連名で共同声明を発表。中華民国、後清双方に戦争終結を勧告。各国は、戦闘継続の場合援助と支援の引き上げと発表。
・8月、
ドイツ、政変。憲法の大幅改訂により皇帝を象徴権力化。立憲君主体制になる。独露対立と北米参戦での事実上戦時動員下での負担に対して、国民の権利要求に応えた形となる。また政党政治の台頭により、革新政党(社会主義政党)の勢力が拡大。後にドイツ保守派だけでなく世界中が警戒感を持つ。
・9月、
・ロシア、後清との交渉成功。中華情勢のため兵力の多くをアジアに移動。欧州各国も概ね合意。欧州各国と日本も、中華情勢沈静化に向けて軍を差し向ける。
・10月、
・「中華停戦合意」。

・中華民国と後清は戦前のラインでの停戦に合意。ただし国境沿いはほとんど全域が非武装中立地帯に設定される。
・なお中華中央部は、戦争中盤以降が漢民族とそれ以外という形での民族浄化的な戦闘となったため人口が激減した上に大きく荒廃。また華北を中心に共産主義が蔓延。共産主義化への恐怖が、二つの国家を停戦させたと言われる。
・なお、後清は北平からの撤退時に紫禁城を中心に大規模な略奪を実施。紫禁城がもぬけの殻になるほど、ありとあらゆるものを持ち出す。後に事実を知った中華民国は厳しく非難するが、後清は清王朝のものを取り戻しただけと応対。列強も大きく荒廃した北平にはあまり興味を抱かず。
・12月、
・「上海講和会議」開催。
中華地域での講和会議。中華民国、後清帝国以外にも、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、日本が会議に参加。
・戦前への復帰、不賠償で合意。また双方の国は各国からの支援と共産主義の殲滅で合意。
・「世界大戦」終戦。戦争期間はほぼ丸五年となった。

・1935年1月、
・「ジュネーブ会議」開催。
・同月、「国際連盟」設立。
世界中から独立国が参集。しかし会議の中心は、力を持った欧州列強と日本となる。
・「国際連盟」は世界間の国際平和をはかる機関として設立。当初、法的拘束力や物理的制裁力に弱いなど問題点も多かったため会議を継続。様々な面で強化され、国連による軍事介入すらも盛り込まれる。
・常任理事国には、英、仏、独、露、墺、伊、日が選ばれる。米南も参加。米北は国内の反対から参加辞退。
・本部はジュネーブ。他にブリュッセル、ハーグなどに各機関が置かれる。
・なお会議内にて、第二次南北戦争と中華戦争を合わせて、正式に「世界大戦」の呼称が確定。

 以後十年間、世界で大きな戦争が起きることはなく、立憲君主制を取った列強を中心とした静かな睨み合いが繰り広げられる事になる。
 なお、世界大戦によって北米大陸では実質的に戦場から遠かった加州(カリフォルニア自治国)以外が大きく疲弊。南北双方共に戦後二十年近く停滞を続ける。ロッキー山脈により隔てられたカリフォルニアだけが例外で、中南米諸国の北米からの自立による交易増加、日本とのつながりもあって大きく発展。1940年には、早くも総人口が2000万人を突破。高度成長と異常なほどの人口拡大を続ける。
 欧州は、ある程度の動員を行うも戦争はなく、戦争特需で景気と産業、経済の拡大を実現。植民地分割が終わって以後続いていた停滞局面からの脱出を果たす。
 また20世紀突入の時点で既に大きな工業力を持っていた英、仏、独、日よりも、露、墺、伊、西などの産業発展中の国の躍進が目立つ。特にロシアの躍進が著しく、しかも戦後はそれまで友好関係だった米北への進出を再開して影響力を拡大。巨大すぎる領土もあり、ロシアは「恐露」として恐れられ世界中の列強が警戒。
 戦後、ロシアの強大化に対して欧州は結束。特に新三国同盟は事実上の「東欧連合(オスト・ユニオンもしくはオスト・ユーロ・ユニオン)」としてドイツ民族中心の東欧全体の統合に向かってロシアに対抗。また、ドイツとイギリス、日本との対ロシア協調が進む。
 一方でロシアと新三国同盟は、南北戦争での戦争特需に湧くも、自らも動員を強化したため戦争景気と相殺。むしろ戦前よりも疲弊し、短期的には大きなリアクションは起こせない状態となる。
 西欧南欧では、どの戦争にも関わらなかったイタリア、スペイン経済が躍進もしくは復活。フランスは伝統的に親ロシアでもあるため、依然として大国的全方位外交を維持。世界大戦により欧州戦争の痛手からも立ち直って国威も上向き。ロシアの強大化によるゲルマン陣営の外交停滞もあって、ラテン国家の復権と言われる。
 イギリスは、世界大戦での動員でそれまでの状態の維持が難しくなり、少しずつ域内の連邦化を進める。しかしそれは、帝国主義的植民地帝国の新たな姿をいち早く模索する事になる。
 アジア・太平洋で唯一の先進国列強となっていた日本は、いっそう太平洋帝国化が進む。日本、加州を軸としてそれなりに発展。加州が日本経済を牽引し、加州の自立は年を経るごとに強まる。またロシアを海から抑え込む事に終始し、国防負担と国防費はむしろ小さくなり、対ロシア外交のおかげで欧州諸国との交流と連携はむしろ活発化。それまで疎遠だったドイツとの関係も大きく進展し、完全な安定期に入る。

 そして世界は、巨大化したロシア「恐露」と、英国を中心とする「立憲君主連合」の緩やかな対立へと流れ、次なるステージへと進んでいく事になる。

 

●あとがきのようなもの?

 今回は、叙述形式に文章を組み上げていく前の、いわばプロットとしての「詳細年表」という形で掲載してみました。
 一度してみたかったのですが、見る側としては少し物足りなかったかもしれないと思います。
 いつもなら、これよりもう少し荒い年表なりプロットを組み上げてから、文章を組み上げて定期連載を始めています。しかし、いつも同じ形式ばかりでは少し面白みや新鮮みに欠けるかと考え、詳細年表の形式にしてみました。
 それと多少味気ない詳細年表形式にしたのは、いつもの形式(叙述文)にしたばあい、反応が少し多いかもと思ったからです。
 今回のコンテンツは、江戸時代後期からの開国と産業革命の進展、産業革命が果たされた状態での幕末、江戸幕府による海外進出の始まり、北アメリカ情勢の変化、南北戦争、アメリカ分裂、世界大戦の不発、アメリカを中心とした事実上の世界大戦、などなど多くの要素を盛り込みすぎています。
 恐らく、歴史(近代史)が好きな方、興味をお持ちの方にとっては、皆様なりの意見がおありと思います。
 そうした声が出る前に、もしくはそうした声が出にくい形でないと、全ての文を一気に紹介する以外では、私自身が意見に流されるかもと考えての事でした。
 

 それでは、また違う平行世界で会いましょう。


●第三部・バリショーイ・ロシア

・・・多分連載はしないだろうなあ。