■小論「真珠湾攻撃せず!?」

 

 「大東亜戦争」もしくは「太平洋戦争」の号砲となった、俗に言う所の「真珠湾奇襲攻撃」が行われなかった場合の日本の戦争について少し書いていきたいと思う。(正式には「真珠湾攻撃(Attack on Pearl Harbor)」)
 しかし、「架空戦記的要素」については可能な限り排除して進めたいと思うので、日本軍の活躍などを期待しないでいただければ幸いである。

 さて、「真珠湾奇襲攻撃」が行われなかった場合の日本の戦争は、実のところ戦争そのものが始まる前に、既に一つの結論が提示されている。
 日本の総力戦研究所が行った研究結果がそれに当たる。そして戦後、総力戦研究所に関わった人たちが証言したように、「真珠湾奇襲攻撃」と「ミッドウェー沖海戦」以外は、同研究での予測範囲内の事しか起きなかったらしい。つまりは、都市無差別爆撃、ドイツの敗北、ソ連の参戦、原爆すら既に予測(予言?)されていた、という事にもなるのだろうか。
 もっとも、ここでは結論を急がず、順番に見ていこう。

 まずは「真珠湾攻撃」がない場合の日本軍の初期配置だ。単純に攻撃を中止してしまうと、南雲機動部隊こと第一航空艦隊と第六艦隊(潜水艦隊)の仕事が無くなってしまう。そして第一航空艦隊は、代わりにどこに置かれるだろうか? 内地待機、トラック諸島などでのアメリカへの押さえ、東南アジア侵攻部隊の増強などが考えられるだろう。
 しかし第六艦隊の仕事は、あまり変化がないと想定しやすい。開戦頃の日本軍最大の脅威は、ハワイに拠点を構えるアメリカ太平洋艦隊となる。これを監視、できるなら行動を抑さえておきたいと考えるのは、真珠湾攻撃がなくても十分あり得る。そして常識的に考えてハワイ近海で作戦行動ができる戦力となると、潜水艦しかない。潜水艦にハワイの封鎖と監視を行わせ、出来るなら日本海軍の金科玉条である漸減戦術の役割を果たさせたいと考えるのが自然ではないだろうか。
 よって第六艦隊の初期配置は、史実とほぼ同じものとする。甲標的の攻撃がなくなるぐらいだろう。
 では第一航空艦隊はどうだろうか? 単純に考えれば訓練不足の第五航空戦隊を切り離して内地訓練を行わせ、残りの戦力でフィリピン方面のアメリカ軍を叩くのが、最も可能性が高いように思う。もしくはイギリス東洋艦隊の撃滅が任務となるだろう。どちらにせよ、日本軍全体の南方侵攻を少しばかり円滑にする事に貢献するだろう。
 一方アメリカ軍の動きはどうなるだろうか? 開戦と共にアメリカ太平洋艦隊が動き出すだろうか? これは否だ。確かに艦隊主力はハワイに進出しているが、この時のアメリカ太平洋艦隊は、基本的に平時の範囲内での体制強化しか行っていない。実戦を行う事は、泥縄式のしかも短期間の防衛戦程度が限界だろう。即座に日本近海や東南アジアに進出することは、補給や備蓄弾薬ばかりか、兵員数そのものの関係からまず不可能である。当然だが、日本領のどこかを占領するなどと言ったマネも全く不可能だ。出来たとしても、空母艦載機による空襲や艦砲射撃を限定的に行う以上は出来ないだろう。
 そして開戦と共に本当の戦争準備を進めるので、最低でも二ヶ月、常識的に考えれば三ヶ月程度経たなければ、アメリカ太平洋艦隊はハワイより先に進むことは出来ない。つまり、1942年2月以後となる。
 では、アメリカ海軍が出撃するのは、いつ頃になるだろう? 恐らくは、フィリピンからの救援要請が強まる頃ではないだろうか。フィリピンのアメリカ軍は、3月にはバターン半島とコレヒドール要塞に完全に押し込められ、5月には降伏してしまう。また2月になると、日本軍はインドネシア侵攻を本格化する。
 アメリカ軍、連合軍としては、この辺りで日本の横合いを突いて、本格的反抗の時間を稼ぐための大規模な戦闘を行いたいところだろう。当然だが、「決戦」で日本海軍を「撃滅」しようなどという考えは、感情面以外では存在しない筈だ。
 ここで多少は架空戦記的要素を入れたいので、日本側には《大和》、アメリカ側には《ワシントン》《ノースカロライナ》が編入され、艦隊行動が出来るようになるまで双方決戦を待つとしてみよう。そうなると、早ければ3月中頃、遅くとも4月初めぐらいにマーシャル諸島辺りで、日米の大規模な海戦が行われる。両者の目的は、期間の大小こそあれ時間を稼ぐ事になる。
 ここは日本海軍にまともな迎撃を行わせるため、史実で日本軍がインドに押し掛けた頃にしてみよう。ここでの決戦日の想定は、お釈迦様の誕生日辺りとしてみよう。
 日本側は戦艦11隻、大型空母6隻、軽空母2〜4隻、アメリカ側は戦艦11〜14隻に大型空母4隻程度になる。(※《サラトガ》は史実通り損傷しているものとする。)双方とも、巡洋艦、駆逐艦の数もかなりに上るだろう。日本側の戦力には、基地航空隊が加わっている可能性も高い。(※逆に、インドネシアでの戦いが行われている間にアメリカ軍が侵攻した場合は、日本海軍の主力水雷戦隊と基地航空部隊は、中部太平洋に展開できなくなる。)
 戦いの結果そのものについては、総力戦研究所の結果通りとして、真珠湾とミッドウェーを足した史実とさして違わない結果という想定とする。となると、日本側は正規空母4隻の喪失、もしくはそれに匹敵する損害を受けることになる。一方アメリカ側は、真珠湾での損害なので旧式戦艦2隻の損失、6隻の損傷、他多数の損害となる。加えて、空母も1隻失う事になる。
 しかし、この時点(42年4月)で日本の機動部隊が大損害を受けると、少なくともインド洋、珊瑚海での戦いも消えてしまう。このため二つの戦果(結果)も上乗せしておこう。となると、アメリカ側はさらに空母1隻ずつを喪失、損傷、イギリスが受けた傷も余分に受けると、軽空母1、重巡洋艦2隻も失わないといけない。日本側も大型空母1隻の損傷と軽空母1隻の損失が上積みされる。
 これら全ての損害を合計すれば、「世紀の大海戦」に相応しいぐらいの損害になるだろうか。
 戦闘の経過としては、日本側が初期の空襲に成功して油断したところに空母部隊が大損害を受け、その後双方の艦隊決戦になるも日本側が初期の優位を維持したまま勝利を飾る、という辺りになるだろうか。もっとも、アメリカ側は戦艦同士の砲撃戦が不利になるとすぐに逃げ出したため、損害こそ多いが損失は少なく済んだという辺りのオチになるだろう。ただし艦隊決戦をしてしまうと、日本側の戦艦にも多くの損害が出るので、その分日本側の空母の損失又は損害を減らしてもいいかもしれない。損失の辻褄もなるべく史実に合わせたいが、戦死者の数や修理の手間など様々な要素もなるべく同じにしておきたいからだ。それに空母1隻程度の誤差があっても、大勢に影響は少ないだろう。
 なお海戦の結果そのものは、損害数から見てほぼ完全な痛み分けになる。短期戦略的には日本の勝利で、長期戦略的にはアメリカの勝利といったところだろう。
 日本海軍は、空母こそ多数(3〜4隻)失うが戦艦と空母をそれぞれ2隻沈め、さらに多数の戦艦を大破させたということで自らの勝利を宣言するし、内心でも勝利したと感じる者が多数に上ることだろう。

 さて日米の大決戦が日本の勝利で終わり、アメリカは当面打つべき手を失ってしまう。海軍が大損害を受けたので、修理と再編成を考えると秋頃までまともに動くことが出来なくなる。アメリカの生産力も、まだ本格的には発揮出来ていないからだ。一方の日本海軍も、大損害を受けたので同様だ。ある程度艦隊を立て直すだけで、三ヶ月は必要となるだろう。
 春に戦闘が行われたと想定すると、次のステージは双方夏から秋口頃。
 もっとも、アメリカの横やりをかわした日本は、東南アジアの制圧と占領を達成し、次の目標に向かわなくてはならない。
 真珠湾攻撃を中心とする短期決戦の方針が大前提として否定されているので、海軍は「米豪分断」、陸軍は「インド作戦」を押すだろう。しかし4月頭に海軍が大損害を受けてしまうと、海からの大規模な侵攻作戦は不可能となる。地続きのビルマ作戦は問題ないだろうが、インド洋のイギリス海軍撃破はまず不可能だ。米豪分断作戦も、予定を大きく遅れる事は間違いない。艦艇の損害や損傷からの復旧度合いでは、侵攻作戦自体が不可能となる。連合軍の圧力が高まって、侵攻どころでなくなってしまうからだ。
 4月のインド洋作戦はもちろん、5月前半に「MO作戦」を行うことは、恐らく不可能だろう。何しろ春の時点でミッドウェー沖海戦に匹敵するほど空母が損害を受けているという想定になっている。それにアメリカ(連合軍)が受ける損害も、「大海戦」の方に上積みしてしまった。
 このためインド洋作戦は、せいぜいがベンガル湾での通商破壊戦のみで、「MO作戦」は当初から陸路侵攻のみと変更する。当然だが、「MI 作戦」「AL作戦」も存在自体が消えて無くなる。
 そして42年の夏頃だが、恐らく史実とそれほど違わないスケジュールで、ソロモンでの戦いが起きるだろう。これは、日本軍が「米豪分断」を完全に棄てない限り、大きな違いは発生しない。そして秋口辺りでの侵攻開始を日本軍が予定しているとしたら、我々の世界と似たようなスケジュールでガダルカナル島への進出も行われるだろう。連合軍の反応も同様の筈だ。
 かくして以後の戦いは、史実とほぼ同じ経緯を辿っていく事になる。これ以後の戦いは、少なくとも戦術面で変更を加えるべき要素はほとんど無い。例え空母が一隻二隻日本側に多く残されていたとしても、それは誤差修正範囲内の要素でしかない。

 一方、国家戦略面だが、史実と大きな違いが発生している。
 言うまでもないが、「真珠湾攻撃」が行われていないからだ。このためアメリカで「リメンバー・パールハーバー」の言葉は生まれないし、アメリカ人の戦意も我々の世界ほど昂揚しない筈だ。少なくとも、日本人に対する敵愾心は低くなる。
 アメリカが日本に対する敵意を燃やすのは、フィリピンが完全に蹂躙され、艦隊決戦で実質的に敗北して以後になるだろうか。それでも、我々の世界ほど盛り上がらない筈だ。人種差別を表す「イエロー・ジャップ」はともかく、「スニーキー(卑怯者)・ジャップ」という言葉は生まれないかもしれない。場合によっては、「正々堂々戦った相手」と認識するかもしれない。
 アメリカ政府は、フィリピンやマレーもしかしたらグァムでの戦いを口実にして日本を悪辣な侵略者や卑怯者に仕立て上げようとするだろうが、どう考えてもインパクトに欠けてしまう。何しろ、ハワイは準州とはいえアメリカ本土の一部だったが、他は全部植民地に過ぎない。「リメンバー・パールハーバー」に代わる言葉となると、それこそ「アイ・シャル・リターン」ぐらいしかなくなってしまう。
 また宣戦布告前の攻撃となると、マレー半島での戦闘開始がそれに当たるが、こちらはイギリス領であってアメリカ領ではないので、アメリカが直接的に卑怯者呼ばわりするわけにもいかない。したところで、アメリカ人の戦意も昂揚しないだろう。フィリピンでの戦いも、天候不順などの影響で現地アメリカ航空隊は初日で壊滅的打撃を受けるも、攻撃自体は開戦からかなり時間が経過している。
 しかも我々の世界において、日本とアメリカが戦争状態になっても、アメリカの世論はドイツに宣戦布告することには否定的だった。ドイツの方からアメリカに対して宣戦布告している。
 全てを合わせて考えると、開戦からしばらくのアメリカ国民の戦意は比較的低く、戦争への盛り上がりに欠けること甚だしいだろうという事になる。こうした国民感情の違いは、アメリカの戦争体制強化にも若干の影響を与えるのではないだろうか。開戦すぐの志願兵の数は、大幅に違う筈だ。とはいえ、一度アメリカが戦争に向けて動き出すと、大きな違いはほぼ存在しないと考える方が妥当だろう。
 だがアメリカ国民(+連合国国民)の間の心理的影響は、恐らく日本にとっての戦争末期に影響を与える可能性を持っている。
(※戦争スケジュールは、史実と同じと想定する。)

 連合艦隊が壊滅し、日本本土空襲が本格化して沖縄での戦いが始まり、ルーズベルト大統領が死去し、ドイツが敗北すると、日本にとって本格的な政治の季節が到来する。
 この段階まで戦争が進むと、日本としては起死回生の逆転などよりも、「国体護持」を最低条件にした停戦もしくは講和を真剣に考えるようになる。
 そして日本への敵意が我々の世界よりも低いまま戦い続けたアメリカは、日本に対して多少甘くなるかもしれない。もしそうなら、1945年7月26日のポツダム宣言に、日本が求める「国体護持」に関する文言が入る可能性があるのではないだろうか。
 実際、我々の世界でも、「ソフトピース案」と呼ばれるポツダム宣言の素案の一つでは、日本に立憲君主を認める一文が盛り込まれていた。
 真珠湾攻撃がなく、アメリカ国民の日本に対する敵意が低ければ、「ソフトピース案」のような宣言文が採用された可能性も十分に存在するだろう。
 そして仮に「国体護持」を認める内容を含んだポツダム宣言が出されていれば、我々の世界で8月9日に行われた日本での御前会議が、7月26日又は27日に行われた可能性も十分に存在する。そして日本側がポツダム宣言受諾を言えば、アメリカ側の返答も我々の世界より早まる。我々の世界で、アメリカから日本への返答が若干時間があった理由も、日本が受諾の条件として「国体護持」を持ち出したからだ。最初から宣言内に盛り込まれていれば、この点も問題はなくなる。
 そして原爆投下のため日本が降伏しにくいような宣言文を発表したなどという陰謀史観的な要素を排除すれば、日本に多少なりとも降伏しやすくする宣言が出される可能性は十分に存在するだろう。何しろ、戦争が簡単に終わる事が分かっているのだ(まあ、アメリカ(+連合国)側は、流石に即座に返答があるとは思わないだろうが。)。
 そして史実の経緯と上記した要素を加味すれば、ポツダム宣言発表の7月26日から、最短5日後の7月31日に日本は宣言を受諾して終戦に至ることができる。この場合、降伏調印を8月15日(史実は9月2日)にすれば、我々の世界からも受け入れやすい終戦になるのではないだろうか。

 以上が、賭博師山本五十六が大冒険しなかった場合の、一つの結論である。
 真珠湾攻撃とインド洋作戦、珊瑚海海戦、ミッドウェー沖海戦がないので史実より地味な戦争になるが、無茶な事をしなければまあこんなもんだろう。そもそも日本がアメリカと戦争を吹っかける事自体が、無茶を通り越しているのだ。
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 なお、我々の世界より15日早く戦争停止状態となった場合の、その後の経過はどうなるだろうか。ついでなので、少し考えてみたい。
 まず何より、広島、長崎の原爆投下が無くなる。ネバダ砂漠での原爆実験は7月16日に行われているが、実験や実戦使用が一週間早まることはないだろう。日本側の宣言受諾表明は、早くても7月27日だ。重巡洋艦インディアナポリスは7月26日に原爆をテニアン島に届けているので、日本への投下は不可能ではない。だが、日本側が宣言を受け入れると表明しているのに、政治的に原爆を落とすわけにはいかない筈だ(でも、タイムスケジュール的には、インディアナポリスは沈められる)。
 アメリカが行うことは、7月30日まで半ば嫌がらせの本土爆撃をするぐらいだ。7月24、28日の呉、柱島の海軍へのトドメも、本土決戦がなくなっても恐らく変わらないだろう。もしかしたら、28日の呉空襲が無くなるぐらいだ。

 一方、日本が速攻降伏する事に大慌てするのが、ソ連のスターリン書記長だろう。ソ連は、スターリンの強い命令により対日参戦の準備を進めていたが、当初の参戦予定は兵力の準備などの物理的要素から、予定を大幅に前倒ししても8月20日〜25日だった。これをアメリカの原爆実験後に強引に10日前倒しにしたが、それでも8月10日頃。我々の世界では、さらに前倒しされて8月9日の参戦となった。しかし7月中に日本が戦争状態を止めてしまうと、政治的には参戦が不可能となってしまう。我々の世界でのソ連赤軍は、実質的に9月5日まで一方的に侵略を続けたが、そもそも戦闘開始時点で始められない状態に置かれてしまう。参戦準備も不足している(と、ソ連軍は考えていた)。
 果たして書記長閣下は、当初の予定より1ヶ月近く早い参戦を命令するだろうか。
 しかし、日本が7月27日か28日に降伏を受諾すると発表しているのに、そこから攻め込めば外交的に不利となるのはソ連となってしまう。普通に考えれば、今更対日参戦は行えないだろう。しかし今度は、ポツダム宣言と連合軍という立場を利用して、「進駐」を行ってくる可能性は十分存在するだろう。
 一方で、トルーマン政権となっているアメリカも、ルーズベルトのようにソ連を信頼していないので、既に戦争が終わった後の火事場泥棒を安易に許さないだろう。日本がどうこうよりも、この時点でソ連が日本に事実上の侵略を行うことは、既にトドメがさされた他人の獲物を横取りしようとする狡い行為でしかない。対日戦に何ら貢献しなかった以上、許されざる行為だ。
 アメリカが、ソ連が参戦しないまま日本が降伏を受諾する事が分かると、可能な限りソ連の参戦及び日本領への「進駐」を阻止する可能性が十分にある。中華民国やイギリスも、ソ連が対日参戦もしないまま利益だけ得ることは強く反対するだろう。中華民国にとっては、今後の死活問題にもなりかねない。
 ただしアメリカにとっては、ソ連に対する抑止力の一つとなる原爆が実戦使用されないまま戦争が終わっているので、アメリカによる抑止がどこまでソ連に及ぶかは未知数となる。そうなるとアメリカは、ソ連の動きを封じるため日本との降伏調印を急ぐかもしれない。降伏調印後も戦闘をした場合、ソ連は本当の悪者となってしまうからだ。

 ここではまず外交の常識に則り、ソ連は結局日本への参戦も早期の進駐もしなかったと仮定してみよう。そしてその後、政治的に日本の共同占領をアメリカに提案するという流れにしてみたい。
 とはいえ我々の世界でも、ソ連軍の対日占領参加はアメリカから断られている。結果としてソ連が対日戦に参戦しなかった以上、ヤルタの密約で渡すといった場所をソ連に与える理由もない。ソ連というよりスターリンが望んだ、アジア、太平洋での発言力の確保や日本勢力圏での火事場泥棒はやはり難しいだろう。当然だが、日本に対する日露戦争での雪辱を果たすことも不可能だ。そしてソ連が満州、朝鮮に深く関われない以上、現地共産党(中華、朝鮮)が勢力拡大する可能性もかなり減少する。
 一方では、アメリカ軍だけで、日本本土、朝鮮、満州全てに占領軍を派遣することは難しい。日本本土はともかく、日本の他の勢力圏内は、台湾がそうであったように関係国を含んだ複数の国による占領統治という可能性は高くなる。
 それでも満州国に入るのは、常識的には中華民国となる筈だ。少なくともアメリカがそう望む筈だし、中華民国の蒋介石はやる気満々だろう。朝鮮半島はもともと日本軍が少ないので、我々の世界とあまり変化もなくアメリカ軍の一括軍政になるだろう。
 常識的に考えれば、ソ連はアメリカが日本各地を占領していくのを指をくわえて見ているしかない。アメリカ海軍の大艦隊を東シナ海にでも浮かべておけば、海軍を恐れるスターリンに対する脅しとしては十分効果的だろう。また我々の世界でのトルーマン大統領は、ソ連の対日侵攻で北海道に侵攻するなとソ連側に伝えている。参戦しなかったソ連に対しては、もっと強い態度で当たる可能性も十分あるだろう。
 この場合の戦後は、可能性が色々あって興味をそそられる。が、ここではもう一つの可能性を見ておきたい。

 逆に、ソ連が強硬に動いた場合、どうなっただろうか。
 我々の世界では、アメリカの日本占領はマッカーサー元帥が厚木に降り立った時から実質的に開始される。しかし、占領軍の多くが日本各地に派遣されたのは9月下旬だった。日本の宣言受諾が半月早まったとしても、9月中頃となる。しかも今回の仮定でのアメリカは、満州にも占領軍を送り込もうとするだろう。
 対するソ連軍は、我々の世界では8月9日に参戦し、9月2〜5日に占領行動を停止するまでに、満州の主要部、南樺太、千島列島、さらには北方領土まで進んでいる。しかも千島列島(厳密には占守島)への侵攻は、8月15日以後に行われている。
 この世界でソ連が最も強硬に動くとすると、日本が宣言受諾を発表した直後に侵攻命令が下るだろう。ソ連の対日参戦は、最低限の宣戦布告文書を準備したり必要なので、最短で7月30日ぐらいだろうか。我々の世界よりもさらに10日ほど早い戦争開始と仮定する。そしてアメリカに面と向かって文句を言われない8月15日(降伏調印)まで、後は時間との競争となる。時間は我々の世界の24日間に対して、16日間と約一週間短い。またソ連側の準備期間が短くなるので、先に運んでいた兵力はともかく、兵站物資の準備が不十分となる。この場合、我々の世界の状況進行より10%程度遅れると想定すると、ソ連軍はさらに二日ほど失う事になる。逆に日本はすぐにも終戦なので、ソ連が攻め込んできてすぐに戦闘行動を停止してしまう。この点は、ソ連軍にとって非常に都合が良い。日本軍の組織、設備を「進駐」の手段として使えるからだ。
 恐らく満州、朝鮮北部での占領状況は、我々の世界と大きな違いはないだろう。またソ連の侵攻準備が全然整わない南樺太、千島は、アメリカが北海道に入るなという以上のメッセージを出さない可能性が高いので、戦闘以外では変化がない可能性の方が高い。つまり、結果として我々の世界との違いはない、ということになる。
 果たしてどちらの選択肢がソ連の行動として妥当なのか、ここでは結論を避けたいと思う。

 では最後に、終戦前後の事以外だと一体どういう変化があるだろうか。
 大きな違いがあるとするなら、それはやはり心理面になるだろう。
 この世界での日本は、真珠湾攻撃をしていない。アメリカ人としては、日本人を責める大きな口実を失っている事を意味する。しかも実質的な日米初の手合わせは、正面からの大海戦だ。我々の世界よりも、日米間特にアメリカ側の心理的な壁は低くなるのではないだろうか。先にも書いた通り、「アメリカに正々堂々戦争を吹っかけてきた相手」と認識されるかもしれないだろう。

 「リメンバー・パールハーバー」がないと何だか寂しい気もするが、今回の仮定では一人の男の与えた影響の大きさについて少しでも掘り下げることが出来たのなら、という思いで書いてみた。内容自体は、戦争そのものよりも戦後の方に比重を置きすぎた気もするが、変化の仮定を細かく追いすぎるよりも、変化がもたらす結果に比重を置くことの方が小論としては正しいと思う。




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