●プロット

●「帝国の守護者 in19世紀」 其の三

 次なる事件は、20世紀に入って起こる。
 一度は日本の勝利で終わった日露の勢力争いだったが、日本の躍進とロシアの南進再開が、ロシアの剣を再び日本に向けさせたからだ。
 ロシアは、1857年から行われた日露戦争で日本に敗北。露土戦争でも、主に英仏に敗北した。
 この二つの敗戦により、ロシアの膨脹は20年後退したと言われた。逆に、ロシアとの戦争以後の日本の躍進ぶりは、ロシアと好対照をなしていた。そして日清戦争で日本が満州を得た事がロシアの怒りを誘う。
 もっとも、すぐには戦争に発展しなかった。多くは日本の躍進と膨脹が原因だった。

 日本は1831年に新政府を樹立。日露戦争から5年を経ずして態勢を刷新して近代憲法を布告。天皇を中心とする完全な立憲君主国となった。
 産業の近代化の方も、日露戦争から続く南北戦争での特需で拡大。日清戦争(1874年)の頃には工業化を達成していた。
 しかも日露戦争以後は、列強との植民地獲得競争に奔走。列強が手を付けていない太平洋各地に日章旗を立てて回った。
 くだんの騎兵将校がハワイ王国で晩年を迎えようとしたのも、日本の膨脹と発展によりハワイが日本人にとってのなじみの深い土地になっていたからだ。
 海外領土の方も、日露戦争で得たアリューシャン、カムチャッカ、アラスカに加えて、日清戦争では台湾、海南島、南満州を獲得している。戦争以外では、北ボルネオ地域、南洋諸島、ニューギニア島(和名:新奄美)を始めとする島々の過半の領土化を列強にも認めさせ、太平洋の三分の二で日章旗が翻ることになった。
 反面、欧州列強が進出を強めていたアジアでの植民地獲得競争にはほとんど参加しなかったが、日本が効率よく勢力圏を拡大したことは疑いないだろう。
 何しろ、20世紀に入る半世紀までの間に、広大な太平洋を横断したければ、商用、軍用を問わず日本人を無視する事が物理的に不可能になったのだ。
 だが、国家が膨脹すれば疎まれるのは常。
 アジア・オセアニアの領土化と日本の海外進出を黙認しあった英国との関係は比較的良好だったが、日本によるインドシナ干渉で仏との仲は険悪化。日英仏が太平洋を牛耳ったおかげで、遅れてきた列強であるドイツ、アメリカ合衆国は焦りを強くし、特に有色人種国家である日本への恨みを強くしていた。ロシアが国家として日本に恨みを持つことは言うまでもない。
 そんな時、イギリスが南アフリカでボーア戦争を開始。アジアでのイギリスの覇権が一時的に低下する。
 一度は押し込められたロシアにとってのチャンス到来だった。
 ロシアは、日本を気に入らないフランス、ドイツ、合衆国を誘って外交圧力を強化。清帝国の父祖の地を奪ったとして、日本に清への満州返還を要求する。いっぽうで、英国のスキを突く形で、中央アジアから西アジアを目指しての歩みも強くした。
 ロシアの無体な要求を前に日本世論が激昂。英国もロシアとの対立を激化。
 結果として、ボーア戦争で疲弊した英国が、ロシアの膨脹を牽制すべく栄光の孤立を棄てて日本との同盟に調印。世界を激震させる。
 すわ世界大戦かと言われたが、世界最強の海軍を持つ日英に対して大きく出られるほどの海軍力はロシア陣営にはなかった。国家の存亡を賭けた戦いなど、ナポレオンの時代だけでたくさんだとも思っている。
 そこでロシアが考えついたのが、トルコとの争いで欧州列強が行った一種の代理戦争だった。
 今度は、トルコの立場を清にしてやればいいのだ。
 ロシアは、日清戦争後より清と様々な協定を結んで関係を強化。20世紀を迎える頃にはウイグルから蒙古、北満州にかけての全域を、実質的に飲み込むことにも成功。清も、外郭地域を切り売りすることで得た様々なものを用いて産業と軍事力を強化。ロシア主導の露清同盟態勢で日本へのリターンマッチの準備を始める。

 その頃日本は、新政府成立から70年以上が経過。国内外の日本人テリトリーはどこも繁栄しており、軍事力も海軍を中心に列強五指に入る地位を常に維持。念のため交わした日英同盟もあって安心しきっていた。
 そんな時、突然山東省の要衝・威海衛がロシアに租借される。
 時を同じくしてロシア海軍の大艦隊が威海衛に入り、日本はウラジオストクと威海衛の艦隊によって、大陸とのつながりを事実上分断されてしまう。日本にとって、南満州を人質に取られたようなものだ。
 しかも清は軍の一部建て直しに成功して、日本の政治的干渉を容易く受け入れようとはしない。朝鮮でも政変が発生して、親清・親露政権が誕生。日本の排斥にのりだした。
 繁栄から一転、亡国の危機を前に日本中が大混乱になる。
 繁栄におぼれていた政府も右往左往するばかりで、同盟を結んだ英国をして同盟は失敗だったかと思わせるほどだった。
 そして、古い世代の人々は思い出す。そういえば子供の頃、大人達は今の自分たちみたいだったと。そして、英雄が全てを覆してしまったのだ、と。
 彼が、迎えの軍艦から横浜の埠頭に降り立った時、そこは歓迎の坩堝だった。
 いつものように内心のとまどいを隠せない彼だったが、高度な政治的判断すら行える彼の頭脳は、熱狂的な群衆の向こうに二度目の日露戦争を見ていた。

 1903年暮れに彼が日本に帰国した時、日露はまさに激発寸前だった。双方の戦いを止めていたのは、日本が海軍大国、ロシアが陸軍大国という双方の軍備の違いにあった。
 だが、世界最高の陸軍軍人と評価を得ている彼の帰国が、日露の均衡を崩してしまう。
 事を起こしたのは、ロシアと同盟を結んでいる清。
 彼らは地続きの満州に突如進駐を開始。対外的には、父祖の地を取り返すことは当然と声明したが、日本の激発を狙ったの間違いない。
 大陸勢力に対する防衛拠点である満州は、食糧自給率に劣る日本にとっての食料供給地。満州を失うことはできないのだ。
 この難局に際して、政府は彼に軍権の全てを預ける。
 彼には勅命により元帥の地位が与えられ、それまで単なる名誉職に過ぎなかった元帥という地位で、始めて軍権を振るう事が許された。
 新たな地位を無理矢理与えられた彼だったが、仕事には忠実だった。史上最高齢の軍司令官であっても、思考と行動に曇りも翳りもなかった。
 就任後、彼は最初の参謀会議で敵の意図を断じた。
 清の行動に激発した日本が大陸に大軍を派遣、そこを狙ってロシア艦隊が日本全土での通商破壊を行い、日本軍主力の補給が途絶えたところでロシア軍がシベリアより殺到、清軍と日本を挟み撃ちにして一気に戦争に決着を付けるつもりだと。
 そんな事になっては、日本は二流国に転落してしまう。そう焦る人々を後目に、彼は次々と手を打っていく。
 まずは、外交。政府に様々な要請を出して、またたくまに清、ロシアを世界戦略的に追い込む。
 ついで、南満州を現地固守だけ厳命して、喉元に突きつけられた匕首である威海衛の攻略。
 ロシア、清の動きを掴むや、聯合艦隊の全軍を派遣して威海衛を包囲。国内軍の半数を派遣して威海衛攻略を行う。ここでの戦いなら、ロシアが補給線の問題から大軍を派遣することは難しいと判断しての行動だった。
 しかも彼は、とある文明の利器を用いて威海衛の偵察を行う。
 文明の利器とは飛行機だった。
 ハワイでの隠居生活時代に、とある物狂いの発明を全面的に援助して、この時までに人二人が乗れる実用的な機体が完成。それを軍事目的に利用したのだ。
 予期せぬ空からの偵察に、ロシア軍、清軍の行動は筒抜け。海での戦いも、日本側の幸運もあってロシア海軍は敗北。山東半島での戦いは短期間で終息した。
 そして世界中の列強が居座る天津でのパフォーマンスをしつつ船で北上した日本軍主力は、固守に徹していた南満州守備隊と本土から増派された軍団と合流。現地の清軍を文字通り粉砕した50万人の大軍は、南満州鉄道沿いの北進を続けた。
 対するロシア軍も、予想外に早い戦争展開を前に、シベリア鉄道の片道運航でロシア本土より大軍を派遣。遼陽で戦術的敗退を喫するも、日本側の予想を上回る40万人以上の大軍団を動員して、極東最大の拠点ハルピンを基軸に日本軍に対抗した。
 ロシアにとって、ハルピンを失うことはウラジオストクを失うことも同じ。シベリア鉄道がハルピンを軸に北満州を横切っているので、戦争と極東を失うにも等しいのだ。
 かくして日露の決戦、彼にとっての最後の戦いが開始される。

 ……以上のように、波乱に富んだ人生を歩んだ彼だが、祖国日本帝国、その敵対者となったロシア帝国、清帝国、友好国のオスマン帝国、ハワイ王国、それらの国全ての皇室、王室と関わると言うことそのものが、その波瀾万丈さを物語っていると言えるだろう。
 このためだろうか、噂の域を出ないが、南北戦争の際にもネイティブのとある有力部族の存亡に関わったと言われている。それ以外にも、彼の薫陶を受けた後の指導者の数は十本の指では足りないと言われ、彼と一夜を共にした美姫達の数に至っては、足の指を全て足しても足りないと町雀たちは噂しあった。
 国家の興亡と浪漫、そして戦いこそが彼の人生だったと言えるだろう。
 そして彼の波乱に満ちた生涯こそが、ロマンが許される最後の時代だったことの証だと言えるのかもしれない。

 そしてさらに興味深いのは、今日の日本連合帝国を作り上げ、広大な太平洋帝国とでも呼ぶべき基礎を得る戦いに、彼が全て関わっていることだ。
 このため、近代日本軍の父ばかりか、日本人による太平洋帝国成立の最大の功労者という意味をこめて、「帝国の守護者」と呼ぶ者もいる。

 なお、第二次日露戦争の顛末については、ご存じの通りだろうからあえて割愛させていただいた。
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 幕府の開国がもう少し早ければという、架空戦記界ではごくありきたりなイフにインスパイアしてみたが、特に違和感がないのがいっそ笑えてくる。
 ただ、旧時代的なロマンが許される戦争は日露戦争で終わったいえ、これ以後の時間軸でインスパイアさせるのは難しいだろう。
 無理矢理、史実の日本の祖国防衛戦争でもある日露戦争まで押し通してみたが少し無理があった。

 補足設定:騎兵将校の略歴
1831年出生 新政府成立
5、6才頃 日本で内戦
26〜28才 日露戦争出征
30〜34才 アメリカ南北戦争
37〜38才 第二次クリミア戦争
43〜44才 日清戦争
50才半ばで退役
67才 オワフ島事変
73〜74才 第二次日露戦争
83才 第一次世界大戦?
89才 ベルサイユ会議?