■インスパイア・ファイル10
 「機動戦艦ヤマト 
それでもやっぱり愛は勝つ?
 ●原典:「機動戦艦ナデシコ」

 『機動戦艦ナデシコ』(きどうせんかんナデシコ)は、1996年10月1日から1997年3月25日までテレビ東京系で放映されたSF・ラブコメアニメ。1998年8月1日には続編にあたる劇場用アニメ『機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-』が公開された。
 タイトルの由来は『機動戦士ガンダム』と『宇宙戦艦ヤマト』の合成といわれている。コミックス版では『遊撃宇宙戦艦ナデシコ』というタイトルになっている。

 あらすじ
 木星蜥蜴(もくせいとかげ)と呼ばれる謎の兵器群は、圧倒的な戦闘力で火星、月の裏側を次々に制圧。今や、地球各地にもチューリップと呼ばれる母艦を多数降下させるに至っていた。そんな時、民間企業ネルガルは実験戦艦 ND-001 ナデシコの艤装を終了していた。
 ナデシコには技術的優位に立つ木星蜥蜴に唯一対抗できる兵器、ディストーションフィールドとグラビティブラストを装備していた。そして、各地からスカウトされたクルー達は、能力が一流なら性格は問わないとばかりに一癖も二癖もある人物ばかり。
 出港間際のナデシコに、今一人、火星生まれの青年、テンカワ・アキトは偶然ナデシコに乗り込むが、その後コック見習いとして雇われた。ところが、偶然が積み重なった挙句、アキトはコック見習いとして働きながら、機動兵器エステバリスのパイロットまでこなす事になってしまった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

●インスパイアへ

 まずは、キーワードの解析。登場人物はとりあえず無視する。
 なお、「太陽帝国」、「八八艦隊1934 第三章・F.R.S plus No.3 Return Match」で、超巨大航空戦艦と通信指揮艦の2隻により艦艇そのものに対するインスパイアを行っているのはここだけの秘密だ。もちろん、連載中に気付いて慌てて盛り込んだというのもナイショだ。

・世界観
 最大の問題点として、古代文明などというSF設定が思いっきり横たわっているが無視する。また、劇中の表面的な飾り物を全部ひっぺがすと、かなりヘビーなSFなのだがこれも出来る限り無視する。
 いっぽう、原作はその中心に必ず日本人(日系人)が居ることも問題だ。しかも敵味方共々ほとんど全て日本人(日系人)となっている。これは避けられないファクターだろうが後にしよう。
 まずは原作の勢力関係、地政学的位置などをインスパイアしてから、他のファクターを考えてみよう。
 見るべき点は、地政学的位置。
 地球、月、火星、木星。これを地球単体で置き換えることができれば大きな問題はない。
 地球=主人公側の本国。敵にとってのかつての宗主国。この図式は動かせないだろう。原作に従うなら日本列島が地球だ。月=その近傍入植地。これも問題ない。台湾や沖縄、小笠原諸島になるだろうか。火星=かつての入植地。今は敵勢力圏。そして重要なキーワードの存在する場所。この場合、新大陸や資源地帯とするのが妥当だろうか。双方にとっての重要資源にして架空戦記のお約束となると、石油がその立ち位置に相応しいだろうか。
 そして、木星=棄民の住むテリトリーになるだろう。
 そしてこれら全てを日本(日本人)中心に構築しなければならないのが一番の難問だ。欧州勢力は今回完全に端っこだ。
 日本人が大量の新たな入植地を持ち、しかもそれが本国から目の届かない遠隔地という設定を成立させるには、相当長い期間の歴史改竄をしなければならない。しかも棄民達は、優れた技術を持っているクセに、本国真っ青のサムライ&ジャパニーズな連中でなければならないのだ。
 SF的要素を排除してもなお、正直頭が痛くなる設定だ。
 まあ、頭が痛くなるのはいつもの事なので、最低限の個別キーワードを見てから、プロットに取りかかろう。
 なお今回は、プロットは白人を台頭させたいため「だけ」に、モンゴル帝国の時代にまで遡る事にしたので、気の長いおつき合いを願うかもしれない(この時点では、ゴールにたどり着けるのかすら分からないが……)。

・機動戦艦ナデシコ
 架空戦記の成立しうる世界であっても、民間企業が最新鋭の戦艦を勝手に建造するという事自体、通常ありえない。市販作品では時折見かけるが、建造費、維持費、人材を考えると頭が痛くなる。
 政府外注の傭兵組織、外人部隊とするのが最大限の譲歩か。
 また、搭載されている機動兵器だが、本国の一般部隊が複葉機なら単葉機。単葉機なら、初期型ジェット機とするしかないだろう。もちろん敵の主戦兵器も、初期型のどちらかという事になる。
 戦艦に搭載されている制圧型兵器についても、けた外れの巨砲という以外設定のしようがない。

・民間企業ネルガル(ナデシコの建造元)
 存在を容認するなら、税金すら影で流用でき、政府を黙らせることのできる軍産複合体とするしかない。しかも企業中枢は、相手(敵)のことを知っているのだから、陰謀史観に基づいた巨大コングロマリットで問題ないだろう。

・木星蜥蜴(木星連合)
 かつての移民者の先達。その後棄民。さらなる流浪の末、勢力を再興後に本国に対する復讐という流れになる。(原典は古代文明の遺産を利用して勢力を再興。)
 本国の目の届かないところで、独自にシヴィラゼーションした「じゃぱにーず」な連中とすればいいだろう。だがこの場合、数百年単位のタイムスケジュールが必要になってくる可能性がある。

・古代文明
 これを取り込んだ時点で、SFかタイムスリップという要素を含んだトンデモ系になるので今回は無視する。

・相転移エンジン、ボソン・ジャンプ、他
 こういったSF設定をある程度成立させうる新技術は、原子力ぐらいしかない。だが、それを実現するには20世紀半ばまで待たねばならないので、とりあえず見なかったことにしよう。

・『ゲキ・ガンガー3』
 かなり劇中の設定(しかも精神面、政治面)に食い込んでいるのだが、無視するしかないだろう。
 もしくは、「サムライ」、「ブシドー」で代用するか。

●プロット

 話は13世紀にまで遡る。
 事の起こりは、今では歴史の常識となり、かつては闇の歴史とされた「義経=ジンギスカン伝説」から始まっている。
 日本の民間伝説では、源平合戦の英雄源義経は平泉で死なず、モンゴルにまで落ち延びてジンギスカンになったとされた。
 その説によれば、元寇こそが義経の復讐だそうだ。
 だが彼の伝説は生き延びたという点のみ正しく、ジンギスカン(チンギス・ハーン)になったわけではなかった。
 しかし彼らが歴史の表舞台に登場するには、数百年後を待たねばならない。日本史上で登場(再登場)するのは、さらに後の事だ。
 だが、彼らが日本列島や世界から忘れ去られたのにはワケがある。日本史以上に世界の歴史が動いていたからだ。

 最大の原因は、モンゴル帝国が欧州を席巻した事にあるとされる。歴史に「もし」は禁物だが、大ハーン・オゴタイの死が2年早ければ、バツーの欧州遠征軍は東欧の玄関口あたりで引き返し、「タタールのくびき」はロシアで止まったであろうと。
 しかし現実のモンゴルの遠征は、西暦1244年にピレネー山脈とアルプス山脈、そしてドーバー海峡にまで至った。アルプスの峰の向こうにあるイタリア諸都市も、それまでの威勢の良さがウソのように諸手をあげてモンゴルの経済的従属下に入った。島国イギリスやイスラムの支配から脱したばかりのイベリア半島、あまりに寒い北欧には手を出さなかったが、それは欧州にとって小さな慰めに過ぎなかった。ウィーンもパリもタタールの馬蹄によって蹂躙されたのだから。
 バツーの欧州侵攻により、それまで独特の中世世界を構築していたヨーロッパ世界は壊滅した。平原の多くが農地からモンゴルのための牧草地へと姿を変え、欧州中原に強大な遊牧帝国を人工的に出現させた。
 キリスト教は存続を認められたが、ローマは一度騎馬軍団に蹂躙され、当時の教皇はモンゴルの力によって退位を迫られた。キリスト教の政治的権威が大きく低下した事も疑いない。その証拠に、神聖ローマ帝国などというものは、跡形もないぐらい滅ぼされている。

 いっぽう、欧州遠征から十数年後に、東の果ての日本列島にもモンゴル軍は押し寄せた。
 日本への二度目の遠征は、モンゴルに与した欧州出身の航海士の助言により成功したと言われた。その後半世紀にわたり、北九州地域を南宋の勢力が支配したことがその結果だ。
 しかし、14世紀にはモンゴル人による元帝国は衰退していく。中華中央では明という新たな帝国が勃興し、世界を征服した筈のモンゴル人は草原へと帰っていく。
 だが、モンゴル人が世界史に与えた影響は、かのアレキサンダーすら凌駕すると言われ、東西双方で好対照の影響を与えていた。
 フランスでは、ジャンヌダルクに始まる祖国奪回運動を契機として、15世紀中にモンゴルは欧州から駆逐された。ドイツもロシアも、16世紀中には自らの統一国家を再び興すことができた。
 だが復興した欧州諸国は、自らの進歩よりもモンゴルが来る前の自らの世界再建に血眼になった。理由はいくつかある。
 最大のものは、モンゴルが欧州の主要部全てを農地から放牧地にしてしまった事だ。おかげで欧州の人口は激減。モンゴルと共にやって来たペスト(黒死病)の惨禍もあって、信じられないぐらい人口が減少していた。
 かくして、一度破滅した欧州世界の淵から再生したのが、より完成度が高められたカトリック教中心の中世世界だ。宗教に比例して中世的封建制度もさらなる完成が図られた。
 だが、彼らに現世の平穏は訪れない。
 15世紀中頃からのオスマン朝の隆盛が原因だ。
 オスマン朝は、16世紀中頃のスレイマン大帝の時代に、ウィーン攻略成功を受けてベネツィア前面にまで迫った。ポーランド主要部もモンゴルに変わって支配下に置いたほど欧州世界に食い込んだ。全ては、欧州世界がタタールによって弱められていたのが原因とされた。
 理由はどうあれ、その後の欧州はカトリック世界を二度と異教徒に蹂躙されないよう、欧州世界はオスマン朝との戦いにのめり込んだ。
 なにしろ、オスマン朝の隆盛によって、ローマ帝国の再興すら白人以外の手によって成されてしまったのだ。その挫折感、恐怖たるや、想像を絶するものがあっただろう。
 ドイツとロシア、イタリア諸都市は、宗派を越えて巨大なキリスト教連合を形成してオスマン朝の矢面に立った。その後ろをフランスやスペイン、イギリス、スウェーデン、全ての欧州諸国も支援した。
 オスマン朝の脅威は、それ程強大だったのだ。
 裏を返せば、それだけ欧州中央部の人口と国力が減少していたと言えるだろう。もともと豊かな土地とは言い難かったが、外への膨脹や移民などせずとも土地は余るほどだ。
 それらの要因全てもあって、欧州は海外へと飛躍することを長くにわたり行うことはなかった。
 いっぽう、東の果ては違った意味で大混乱だった。

 二度目の元寇を防ぎきれなかった日本は、その後長らく列島全てを統べる国が出現することがなかったのが最初の転機だ。
 元寇の部分的成功で、日本の一部地域に数十万人の異民族が居座り、半世紀近くも日本中央のコントロールを離れた国が成立したのが原因とされた。
 このため当時鎌倉幕府と呼ばれていた封建政府、いまだ命脈を保っていた古代政権たる朝廷の二つが、責任をなすり付け合う形で政治的に対立して完全に決別。しかも両者の争いに中華勢力が割り込んで、事態を複雑化させてしまう。
 だが逆に、元の勢力後退に伴い日本全体の勢力拡大も図られていく。
 図らずも日本列島に異民族を迎え入れたため、日本人の目が一時的であれ外に向かったのが原因だった。
 旧南宋地域へと伸びる琉球、小琉球(台湾)へと日本人の手が伸び、北方でも蝦夷を乗り越えてアムール川河口まで日本人の足が向くことになる。
 そして九州と琉球を重心とする中華色の強い南方政権、旧朝廷を中心にする中央政権、関東から北へと伸びていった武士による北方政権の三つに勢力分割が進む。意識も、南方がより海洋民族的になり、北方は騎馬民族的色彩をおび、中央は日本的な中つ国の意識を強くする。
 しかし、新たに出現した筈の政治態勢は長く続かなかった。
 中央政権と北方政権は、それぞれ事実上の反乱で崩壊、新たな政府がそれぞれに成立したからだ。しかも双方の新政権から追われた人々が、新たなテリトリーとなっていたさらなる遠隔地に亡命。結果として日本人のテリトリーを広げていく。また逃れた一部は、新大陸に流れてもいた。

 そしてそれから数百年後。日本は三つの勢力がせめぎ合う中、大きなシヴィラゼーションを実現し、大きな発展を迎えようとしていた。そして大きな発展は矛盾をも表面化させ、日本中央部で戦国時代が到来する。
 日本中原で起きた戦乱は、南北双方の政権も巻き込んだ百年戦争に拡大。日本列島が近世、近代を迎えるための胎動の始まりとなった。
 戦乱は、南北双方の影響圏にまで波及し、当時の世界最大の国家明帝国までが干渉してくる始末だった。
 しかし大戦乱の中にあっても、日本列島の経済は爆発的な拡大を経験する。主な理由は、技術向上による農業生産の拡大と、戦乱の拡大による需要の発生と大軍運用が影響していた。
 大軍を効率的に運用するには各諸侯は街道を整備するしかなく、それは平時においての良好な通商路となっていた。そして大軍運用そのものが巨大な軍需生産を各地にもたらし、経済を牽引していた。
 また、日本人のテリトリーが南北に拡大していた事は、必然的に航海技術の向上をもたらし、日本周辺部も平然と戦場として取り込む事を可能としていた。
 まさに混沌と発展の競演だ。
 そうした日本中央の戦乱を収拾したのが、覇王織田信長だ。彼を中心とする極めて独裁的な中央集権態勢は、世界で初めて絶対王制を出現させる。
 中原の動きに南北にあった政治勢力も強く反応し、それぞれも似たような政体の建設に躍起になる。そのいっぽうで、列島以外の同盟者を探し歩いた。新たに味方を増やさねば、中原の覇王に食い尽くされ、飲み込まれてしまうからだ。
 反対に覇王が列島全てを統一したければ、南北双方が手を伸ばし、味方を作っている大陸に手を出さねばならない。
 17世紀初頭まで存命だった列島の覇王は、自らのライフワークを完成させるべく、躊躇無く大陸へも出兵。なんとか列島内で納まっていた戦乱を、北東アジア全域に広げた。
 そしてさらに数十年後、南方政権が頼みとする明、北方が新たな同盟者とした女真(満州)、周辺の戦乱で停滞と鎖国どころでなくなった朝鮮を巻き込んだ大戦乱が17世紀前半に勃発する。
 「中華三十年戦争」だ。
 この戦争では中華大陸中央部、つまり世界で最も豊かな地域が主戦場となり、大陸中央部、朝鮮半島の勢力図が目まぐるしく動いた。各地で略奪、破壊、そして技術奪取が発生。結果として、北東アジアのシヴィラゼーションを加速させる。
 戦争の最盛期には、草原の覇王ガルダーン率いるジュンガル、東南アジアで中華のくびきから逃れようとしたベトナム王朝、東南アジアの覇権を求めるシャムなどまでが中原の戦争に介入。中華中央部は、破壊と殺戮により向こう一世紀大きく衰退するも、アジア全体の文明加速度は計数的な上昇を経験していく。

 そしてさらに百数十年。
 日本列島で始まった戦乱とシヴィラゼーションの加速は、その後アジア大陸全域に拡大。アジアの勢力圏も必然的に膨脹した。
 ジュンガルは、かつてモンゴル帝国の辿った道を進んで中央アジアからコーカサスへと至る。中華世界の覇権を一旦棚上げした清(金華)は、ジュンガルより北に進路を取ってシベリアを総なめしつつ西進を続けた(もっとも東へと進んだ者達は、タダの一人も帰ってこなかったが)。
 日本各勢力と後明は、海洋国家化しつつも海沿いに西進。競うようにインドの現地政権と衝突しつつ勢力を広げていた。
 だが、全体として中途半端な航海技術しか発展しなかったため、太平洋、東に広がる海に対する進出はおざなりなものとなる。
 そうした海での停滞が、決定的な歴史的瞬間を演出してしまう。

 さらに時が経った19世紀半ば。
 19世紀初頭、ついに日本列島統一を果たした中原の政府、日本連合帝国は、新大陸とのワースト・コンタクトを発生させる。
 だが政府は、民衆からワースト・コンタクトを隠匿した。
 数百年の間、数々の戦乱を勝ち抜きアジア最強の国家となった日本政府は、単に太平洋方面の入植政策の縮小を発表しただけだった。
 そればかりか、オスマン朝を盟友かつ尖兵として経済植民地化を進めている欧州への進出と、アフリカの植民地化を推し進め、意図的に太平洋方面の事を無視した。
 しかし自らの列島で始まった産業革命による技術発展が、日本人を新大陸進出へと傾けていく。
 結果、北米大陸北端に進出していた日本の入植地がさらに東進。
 大規模な軍事力を伴った彼らは、現地の民衆を押しのけて自らの新たな新天地を新大陸西岸北部一帯に築いた。
 新大陸への本格進出開始に日本本土は喜ぶ。
 しかし真実が本国の民衆に伝えられることはなかった。
 現地に進出した人々も、自分たちの行いがどんな事か自覚していたので、本国に対して都合の悪いことはすべて伏せた。真実を語ろうとした者が次々に抹殺されたほどの徹底さだった。
 それが、ワースト・コンタクトから数十年経た19世紀末の出来事だ。

 その頃世界は次なる変化を経験しつつあった。
 欧州、アフリカ大陸に達した日本を中心とするアジア勢力の膨脹は、一時的な限界に達していた。高い文化レベルを持つ欧州の幾つかの国では、自らの近代化(産業革命)による巻き返しも進行した。
 二つが重なった結果、一度アジア勢力と欧州の国との間で戦争が勃発。それが清露戦争だ。
 戦争は、ロシアを支援したドイツ、ポーランドなど新興欧州国家の助けもあって清が敗北。欧州反撃の狼煙となった。
 またこれは、世界の植民地争奪戦争を加速させる事になる。結果、アフリカ大陸はのたうち回りながら、アジア、欧州によって細切に分割されてしまう。
 だが、新大陸進出はどの国も躊躇していた。
 新大陸の情報について日本国民は真実から隔離されていたが、世界の国々の為政者たちは知っていた。
 北米大陸主要部には、なにやら巨大な勢力、未知の文明国家が存在している、と。
 事実、強引な進出を図ろうとした仏国船団は、カリブ海からただの一隻も帰ってくることはなかった。北米の一部に進出していたイングランドのみが未知の国家と国交を開いているが、それはイングランドが彼らのルールを厳格に守っているからだ。
 新大陸にある国家の名は「マニトウ合従連合」。王国でも帝国でも共和国でもない。日本人もしくは日本列島を祖とする人々を中心、現地の混血者を取り込んで形成された連邦国家。奇妙な武士達の国だ。彼らは通常、自らの事を「連合」と呼んだ。
 しかし、日本人以外の民族から見れば新大陸の国は日本だった。何しろ新大陸の支配者達は、かつてに日本列島にいたと言われる禁欲的で礼儀正しく、勇敢なサムライ達なのだ。言語と文字もいささか古めかしく独特の訛りはあるが、間違いなく日本語だ。表音言語とそれを現す文字など、言語学的にそうそうあるはずがない事は明白だ。
 このため、本当のジパングが新大陸にあったと噂しあった。
 しかも新大陸の彼らは、相互不干渉主義を伝統的政策としていた。彼らの主張が正しければ、新国家建国以来300年以上も自らの政策を守っている事になる。彼らは、新大陸を限定とした「侵さず、侵されず」の政策を「両尾主義」と呼んでいた。
 しかし、そのルールを破って新大陸に居座っている勢力がある。
 日本だ。
 しかし日本の進出も、長らく新大陸北西岸に限られた。新たな開拓よりも重視すべき事が多かったからだ。
 特に、東アジアを中心とした世界で最初の世界大戦は、アジア各国に大きな惨禍をもたらした。
 再び戦場となった中華中央は荒廃。
 敗戦国となった国々は、戦勝国から膨大な賠償金を課せられてさらに没落。
 戦乱は欧州で列強となった国々にも波及。アジアと同様の事態を欧州中原に呼び込んでいた。このため欧州の勢いも一部を除いて停滞。東洋を出し抜いて世界覇権を確立するチャンスを逃していた。
 この間新大陸は中立主義を堅持。
 戦時特需に湧いたと言われるが、もたらされる情報は相互不干渉主義の壁の前に常に最低限。不用意に軍事力を近づけた時のみ、圧倒的軍事力が通せんぼを行うに止まっていた。

 そして大戦後。日本は自らの経済再建のため新大陸の進出を強化。これが太平洋での戦乱の撃鉄となった。
 193X年、日本の新大陸入植地が、連合の突然の総攻撃を受けて呆気なく陥落。続く連合による電撃的な侵攻で、布哇の入植地も残らず壊滅。一連の攻撃によって、入植地は一人残らず殲滅されたと言われた。
 日本政府は、現地の野蛮な存在によって与えられた自分たちの損害のみを強調。大虐殺と宣伝した。いまだ情報の限られた世界にあって日本国民も激昂。激しい敵愾心を燃やす。
 しかし戦争は、常に祖国防衛を念頭に十分以上の軍備を整えていた連合の圧倒的優位で進む。いつのまにか世界最先端の軍備を揃えていた連合の軍事力は、個体戦闘力差でも圧倒的だった。
 連合は、開戦一年で日本近傍にまで進出。占領した硫黄島から、日本列島軍事施設に限られた爆撃すら行うようになっていた。

 そうした中、佐世保の民間造船所で一隻の新鋭艦が就役しようとしていた。
 機動戦艦と名付けられたその新鋭艦は、雄大な船体に巨砲と飛行甲板の双方を装備。それ故の「機動戦艦」という名称だった。
 艦そのものは大馬力ディーゼル機関も搭載し、長大な航続距離も確保。その他居住施設も充実しており、それまで以上の長期航海を前提としていた。それもこれも、人によっては遊撃戦艦と呼んだ通り、主な任務が太平洋という広大な海洋に適合した「筈」の単艦による機動戦、遊撃戦にあったからだ。そのための航空機運用能力であり、巨砲と長大な航続距離だったのだ。
 また搭載される航空機も、連合が常用するのと同じ最新型の単葉機。「ゼロ」と名付けられた機体はいまだ増加試作段階のもので、連合の機体を上回る圧倒的能力が付与されていた。

 一癖も二癖もあるクルーを迎えた新鋭艦は、勇躍太平洋の遊撃戦に出撃。なぜか微弱な抵抗をはね除けつつ、太平洋深部へと突き進んでいく。
 そこでクルー達は、自分たちが「敵」とした人々とファースト・コンタクト。
 驚愕の真実を知る事になる。
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 う〜ん、時間犯罪を少しやりすぎたかも。
 オチを、ほとんどの日本人が忘れ去っていた異境の日本人達とのワースト・コンタクトに置こうとしたが、失敗だったかもしれません。
 もう少し、主役メカに重点を置いた状況再現だけを目指した簡単なものにすればよかったかも。

 補足:「マニトウ合従連合」について
 プロット中でも触れていましたが、平泉から遠く北米大陸へと落ち延びた源義経とその主従、彼らに付き従ってきた人々を祖とする「じゃぱにーず」な国家です。
 彼らは、自らの持ち込んだ馬や刀、車輪、農業などの優れた武器、道具と、製紙、製鉄などの技術を新大陸に持ち込みます。さらには文字、仏教などの先進的な文化を伝えて、北米のプロメテウスとなります。
 また、彼らが図らずも持ち込んだユーラシア大陸の凶悪な疫病(主に単なる風邪(インフルエンザ)や天然痘)で原住民族が彼らの行く先々で激減。結果的に無人となった荒野を開拓。義経の目指したという理想国家建設に燃えて邁進します。

 その後は、日本の海外拡大、航海技術の上昇、度重なる戦乱での亡命者の発生などのファクターにより北米方面に逃れた日本人達も取り込んで、日本人の数を増やすと共にその後の日本で発達した文化や技術も獲得。
 その後数百年は、モンゴル帝国のおかげで欧州勢力もロクに新大陸に来ないので勢力を順調に拡大。西から日本人がやってくる頃には、北米大陸全土に広がる国家建設に至るという経緯をたどったとしています。

 かなり無理はありますが、たまにはコレぐらいの作品も見てみたいものですね。