伊勢型戦艦
新造時
同型艦
伊勢 | 1916年9月(1938年近代改装 1940年小改装) |
日向 | 1917年1月(1938年近代改装 1940年小改装) |
要目(新造時)
項目 | 数値 | 武装 | 数値 |
基準排水量 | 32400t | 主砲 | 45口径35.6cm砲 3連装4基 12門 |
全長 | 213.4m | 副砲 | 50口径15.2cm砲 単装20基 20門 |
全幅 | 29.0m | 高射砲 | 50口径 8.8cm砲 単装4基 4門 |
機関出力 | 84000馬力 | 艦載機 | なし |
速力 | 27.0ノット | 水線部装甲 | 305mm |
航続力 | 16ノットで5500浬 | 甲板装甲 | 76mm+25mm |
備考
扶桑型の3、4番艦として計画された超弩級戦艦。
金剛型(バッチ3)からの急な計画変更で建造が遅れた為に長門型の実験艦的な扱いを受け、設計を新たにして主砲配置、艦型の変更などを含む変更を行い建造された。
しかし建造が遅れた為、欧州派遣とジュットランド沖海戦には間に合っていない。
その装備、速力は当時としては第一級のものだったが、その後出現した八八艦隊の系譜と比較すると二線級の戦力であることは否めず、主力艦隊の補助戦力的な位置づけの戦力とされ、特にアメリカとの対立が決定的となった1940年頃には、遣布艦隊の主力として、前線に配備されていた。
また、艦型が長門型と似ていたが、主砲が14インチだった事、艦の規模が金剛型とはあわない事から、2隻で行動する事が多かった。
このため、主砲を長門型と同様の45口径41cm砲に換装しようと言う動きが根強くあったが、新型の軽量砲を開発しない限りバーベットから改装しなければいけない事から、大戦中も結局実現することなくそのままとされた。
太平洋戦争では、布哇からの後退の後、主力艦隊に属し主要な作戦に従事し一応の活躍を示している。
しかし大戦後、大和型の就役、大量の新型戦艦や装甲巡洋艦が就役した事などから、完全な二線級艦の扱いを受け、軍縮の流れに従い第三次世界大戦勃発の頃には予備艦とされたが、大戦の勃発と共に特に徹底的な近代改装を施される事もなく、消耗が予想される上陸部隊の支援任務や船団護衛に投入された。しかし、戦争中に機関の寿命がきてしまい、機関の換装を含む改装工事が三度施される事となる。このため老体ながら将兵からは重宝され各地で活躍した。
また、船団護衛に投入される事が決定した当初、一時期後部を全て飛行甲板と格納庫にして、護衛用の軽戦闘機と対潜哨戒機を護衛空母程度に搭載し、砲力もある程度維持した「航空戦艦」にしようというアイデアが浮上したが、航空本部の「そんな中途半端な船に回す機体はない」との一言で立ち消えている。
第三次世界大戦後は、インドネシア海軍に売却され、その後も長期に渡り現役を務める事となった。
ある意味数奇な運命をたどった戦艦と言えよう。
近代改装後要目(1941年時)
項目 | 数値 | 武装 | 数値 |
基準排水量 | 39000t | 主砲 | 45口径35.6cm砲 3連装4基 12門 |
全長 | 224.2m | 副砲 | 50口径15.2cm砲 単装12基 12門 |
全幅 | 33.8m | 高射砲 | 65口径10.0cm砲 連装6基 12門 |
機関出力 | 136000馬力 | 艦載機 | 3機 |
速力 | 30.4ノット | 水線部装甲 | 305mm |
航続力 | 16ノットで9800浬 | 甲板装甲 | 103mm+25mm |
近代改装後(1941年)