扶桑型戦艦

新造時

同型艦
扶桑 1915年7月就役
山城 1915年11月就役

要目(新造時)
項目 数値 武装 数値
基準排水量 31900t  主砲 45口径35.6cm砲 3連装4基 12門
全長 215.1m 副砲 50口径15.2cm砲  単装20基 20門
全幅 28.7m 高射砲 50口径 8.8cm砲 単装4基 4門
機関出力 84000馬力 艦載機 なし
速力 27.0ノット 水線部装甲 305mm
航続力 16ノットで5500浬 甲板装甲 76mm+25mm

備考
欧米列強の最新鋭の戦艦と伍して戦える本格的戦艦として満を持して建造された大型戦艦。
当時アジア中で整備が進んでいた金剛型戦艦は、戦隊戦力としては非常に有力な存在だったが、個艦として見た場合アメリカが整備しつつあるペンシルヴァニア級、ネヴァダ級戦艦などに対して主に砲力、防御力の点で劣勢だった。そこで日本皇国は、金剛型バッチ3として当初計画が進んでいた、扶桑型を急遽変更しより強大な攻撃力とそれなりの防御力を持った本型を計画した。
ただし、建造を急ぐ為、資材などの共用を計るためと設計期間を短縮するために金剛型をスケールアップし、主砲をそのまま3連装にしたような設計となった。
しかし、主砲は発砲速度を上げるため、当時最新式の機械式を大幅に導入し高い攻撃力を誇っていた。
完成当初は多大な期待をされ、建造すぐに発生した第一次世界大戦に際して、遣欧艦隊旗艦として勇躍第一次世界大戦中の欧州へ艦隊を率いて赴いた。

そして、1916年の史上最大の海上決戦である『ジュットランド沖海戦』に英国側で参加し、英国の巡洋戦艦隊と共にドイツ艦隊を激しく砲火を交えドイツ艦隊の集中砲火を浴びる事となる。
戦艦2隻、巡洋戦艦2隻を主力として高速艦ばかりで構成された日本艦隊を率いる扶桑、山城は、イギリス巡洋戦艦戦隊のすぐ後を進んでいたが、撃破されつつあるイギリス艦隊を救援するため代わって陣頭に立つ。
そこで、その先頭を進んでいた扶桑型二隻は、その砲撃能力の高さを見せつけドイツ巡洋戦艦一隻を撃沈し、二隻を大破に追い込んだが、ドイツ海軍主力が繰り出す、高い角度から打ち込まれる砲弾により爆沈された。
だが、このお陰で英国主力艦隊はドイツ主力艦隊の捕足に成功しており、結果として多大な戦果をあげることに貢献した武勲艦といえよう。
しかし、このクラスの全艦撃沈に皇国海軍は色を失い、新たに建造・計画されている戦艦全てに作業の待ったをかける事となる。
攻撃力と機動性にばかり目を向けていた当時の戦艦設計に対する考えを根本から変える要因となったという意味において意義深い艦と言えるだろう。