金剛型型戦艦
同型艦
バッチ1
|
バッチ2
|
バッチ3
|
要目
項目 | 数値 | 武装 | 数値 |
基準排水量 | 26330t (バッジ3は27500t) |
主砲 | 45口径35.6cm砲 連装4基8門 (バッチ1は50口径30.5cm砲 3連装4基12門) |
全長 | 214.6m | 副砲 | 50口径15.2cm砲 単装16基16門 |
全幅 | 28.0m | 高射砲 | 40口径8.8cm砲 単装4基4門 |
機関出力 | 64000馬力 | 艦載機 | なし |
速力 | 27.5ノット | 水線部装甲 | 203mm(バッジ3は254mm) |
航続力 | 14ノットで8000浬 | 甲板装甲 | 70mm(バッジ3は95mm)+25mm |
備考
日露戦争以来の教訓から砲力と艦隊運動に重きを置く日本帝国が、超弩級戦艦の先陣として計画された巡洋戦艦(後期型は高速戦艦)。
珍しく日本とアイヌの共同開発で建造された大型艦でもある。
巡洋戦艦ながら性能自体は、戦艦としても当時としても非常に有力だったが、この艦の最大の特徴はその同型艦の多さにある。
この当時、欧州での軍拡の促進、アメリカの海軍拡張、そして各国の経済力の増大などを背景として日本帝国のみならず、友好各国から有力な戦艦の建造が大きな建造能力を持つ日本皇国とアイヌ王国に依頼されていた。そこで各国の要求を調整し、これを量産する事で建造コストを軽減し、多数の建造を企図したことがこのクラスの最大の特徴となっている。
本型は、大きく3つのタイプに分かれており、バッチ1は主砲が間に合わない事から12インチ3連装とされ、後に14インチに改装されている。バッチ2は、当初の計画通り建造され、バッチ3は防御力等の改正をおこない純粋な高速戦艦として建造された。
こうして同型の改良型を含めて日本、アイヌ両国合計20隻(うち1隻は紆余曲折の末航空戦艦となっている。)もの量産が行われアジア各国などに輸出されている。そのため、アジアの主要軍港に行けば必ず見られるとすら言われ、その建造の多さもあり諸外国からは『標準戦艦』というニックネームをいただいている。しかしその後、各国で勝手に改装が施された事が多く、そのスタイルは1940年後半には非常にバリエーションに富んだものとなって、『標準戦艦』の名も相応しいとは言えなくなったが、1940年代半ば以降、再び日本またはアイヌ王国での徹底した改装を依頼する国が増えたため、結局似たような艦様に戻った。
就役した当時は極めて有力な攻撃力と高速力を兼ね備えた巡洋戦艦(戦艦)がアジアで大量生産されたことは欧米列強を畏怖せしめ、この量産こそが海軍軍縮の呼び水になったと言えるかも知れない。
運用実績は、それまでの日本、アイヌの建造経験を生かした堅実なものであったこともあり非常に良好で、運用各国でも特にその砲力、速力は好評で、どの国でも長らく使用され各国国民に親しまれたた。また、この戦艦をアジア・太平洋団結の象徴とする見方もあり、図らずも国際政治でも大きな影響を及ぼしてもいる。
戦績の方は、敵戦艦を撃沈したという華々しい経歴を持つものは殆どなかったが、どの国の艦も幾多の戦火をくぐり大作戦に顔を出しているのに、撃沈された艦は非常に少なかった。もっともこれは、空母機動部隊の護衛か上陸支援ばかりに投入されたからだと言われている。
ちなみに、クラスネームは設計・建造で主要な役割を果たした日本にその名誉が与えられ、日本籍の一番艦の「金剛」がクラスネームとされた。
日本皇国所属 戦艦 比叡 第二次改装後(1941年時)
戦艦「比叡」 1941年状態
項目 | 数値 | 武装 | 数値 |
基準排水量 | 34720t | 主砲 | 45口径35.6cm砲 連装4基 8門 |
全長 | 224.4m | 副砲 | 50口径15.2cm砲 単装8基 8門 |
全幅 | 31.0m | 高射砲 | 65口径10.0cm砲 連装6基 6門 |
機関出力 | 150000馬力 | 艦載機 | 3機 |
速力 | 32.1ノット | 水線部装甲 | 203mm |
航続力 | 18ノットで9800浬 | 甲板装甲 | 102mm+25mm |