アヴドゥール・ファーター型戦艦
同型艦
アブドゥル・ファーター | 1939年2月就役 |
アマンクラット1世 | 1939年6月就役 |
要目
項目 | 数値 | 武装 | 数値 |
基準排水量 | 44250t | 主砲 | 50口径40.6cm砲 3連装2基 連装2基 10門 |
全長 | 238.0m | 副砲 | 60口径15.5cm砲 連装6基 12門 |
全幅 | 33.0m | 高射砲 | 50口径12.7cm砲 連装4基 8門 |
機関出力 | 136000馬力 | 艦載機 | 3機 |
速力 | 28.5ノット | 水線部装甲 | 381mm |
航続力 | 18ノットで8000浬 | 甲板装甲 | 152mm+50mm |
備考
1920年代より、石油需要の高まりにより日本を中心として輸出を伸ばし、一躍「油成金(オイルダラー)」となったインドネシア政府は、いつまでも日系国家に近海の制海権維持を頼むわけに行かないとして、自国海軍の整備を開始した。
しかし、大型艦艇を建造する能力はなく、その大半は石油輸出で友好的となった日本皇国から多くの艦艇が輸入された。
1920年代から30年代にかけて、金剛型戦艦、5500トン型巡洋艦、高雄型巡洋艦が輸入され、さらに駆逐艦にまでおよんでいた。
そうして1930年代には小規模ながらバランスの取れた海軍が整備されつつあった。そこで、次のステップとして計画されたのが本級である。
本級は、当然友好国であった日本皇国に発注され、発注するときおおまかな要目と予算だけ告げて後は優れた日本の艦艇建造能力に任せることとなった。
発注当時日本では、金剛型戦艦の代艦として1934年度計画で計画された条約型戦艦の葛城型が建造されつつあった。
インドネシア海軍も、これを知っており葛城型よりも強力な4万5000トン級戦艦をと要望していた。
しかし当時の日本海軍は次なる新型戦艦を開始しておりあまり余力がなかった。そこで日本側は当時すでに引退していた平賀教授に依頼して、この新型戦艦の設計を任せることとした。
そうして完成したのが本級である。その特徴はとにかく砲撃戦に重点をおいた集中防御方式を採用しており、部分的なら高千穂の46cm砲にすら耐えるよう堅牢につくられていた。しかし、このため若干速力が犠牲になっていた。
これを受け取ったインドネシア海軍は、予想以上に強力な戦艦を受け取れたことを喜び、平賀教授に一級勲章を贈っている。
就役の後、新たなインドネシア海軍の象徴として、幾多の戦火をくぐり長らく現役艦艇としてその名を艦艇名簿に止めている。