葛城型戦艦

同型艦
葛城 1938年5月就役 阿蘇 1940年3月就役
笠置 1938年9月就役 生駒 1940年11月就役

要目
項目 数値 武装 数値
基準排水量 38500t 主砲 50口径40.6cm砲  3連装3基 9門
全長 235.0m 副砲 60口径15.5cm砲  連装6基 12門
全幅 32.0m 高射砲 50口径12.7cm砲  連装4基  8門
機関出力 150000馬力 艦載機 3機
速力 32.0ノット 水線部装甲 356mm
航続力 18ノットで8000浬 甲板装甲 127mm+50mm

備考
金剛型戦艦の代艦として1934年度計画で計画された条約型戦艦。戦艦としての重防御、高速力など従来同様の建造方針を重視しつつも、大型戦艦を投入する程でない場合の艦隊中核戦力として運用することを目的としており、そのため強力な通信指揮設備も搭載している。そしてその建造方針が正しかった事は後の戦争で遺憾なく発揮され機動部隊、水上砲戦部隊、夜戦部隊などあらゆる任務に活躍している。
 しかし、本型はとかく大和型と比較されており、その事からこのクラス以後の中型戦艦を悪い意味での「巡洋戦艦」だと評価した。だが、海軍側はこの呼称を復活させることは余り気に入らず、その代わりその後建造された本型の雛型の艦に対して日露戦争で戦艦の補完戦力として縦横に活躍した「装甲巡洋艦」という艦種を復活させ遠因となる。
 もっとも海軍側から見れば、八八艦隊計画の後期の頃から当時建造が開始され、そしてローマ会議で誕生した重巡洋艦の戦闘能力に不審を抱いており、それを払拭するために建造した「装甲巡洋艦」は、本来の意味での重巡洋艦と言えるかも知れない。そう言う意味でも「装甲巡洋艦」とは的を得た名称と言えるだろう。しかし3万トンもの巨大な艦を巡洋艦と呼ぶのに将兵は抵抗があったという。しかし、分類上で葛城型は常に戦艦であったし、就役当時は十分な戦闘力を持っていたし運用実績も良好であった。
 そして、これ以後のやや能力を落とし、ある程度量産可能な艦となった穂高型には「装甲巡洋艦」の艦種名が付けられている。

阿蘇 生駒

要目 阿蘇 生駒(また改装後の葛城、阿蘇もほぼ同様の要目)
項目 数値 武装 数値
基準排水量 40500t 主砲 50口径40.6cm砲  3連装3基 9門
全長 238.6m 副砲 なし
全幅 32.2m 高射砲 65口径10.0cm砲  連装10基 20門
機関出力 164000馬力 艦載機 3機
速力 32.5ノット 水線部装甲 356mm
航続力 18ノットで8000浬 甲板装甲 127mm+50mm