紀伊型戦艦
同型艦
紀伊 | 1945年12月就役 |
尾張 | 1946年3月就役 |
要目
項目 | 数値 | 武装 | 数値 |
基準排水量 | 82000t | 主砲 | 45口径51.0cm砲 連装3基 6門 |
全長 | 275.0m | 副砲 | なし |
全幅 | 38.9m | 高射砲 | 60口径12.7cm砲 連装20基 40門 |
機関出力 | 230000馬力 | 艦載機 | ヘリ4機 |
速力 | 29.0ノット | 水線部装甲 | 400mm+127mm |
航続力 | 18ノットで8000浬 | 甲板装甲 | 257mm+75mm |
備考
大和型戦艦と同様の船体を用いて建造された20インチ砲戦艦。
もちろんその建造目的は、大和型の出現により第二次世界大戦中に起工されるであろう重装甲、重武装となった敵性国家の新型戦艦を撃破する事にあった。
しかし、コストパフォーマンスと言う点と第二次大戦中の起工という事と、そのために完成が急がれたために艦の規模が大和型と同様とされた。このため、主砲を連装3基6門しか搭載できなかった事から、建造時から単艦としての戦闘力には疑問が持たれていた。
ただ、防御においてはより進化した傾斜装甲などが取り入れられており、また航空機対策として重装防御方式もさらに完成され、極めて防御力の高い艦として完成している。また、この多層重防御は誘導弾に対しても有効だった。
だが、起工こそ第二次世界大戦中だったが建造中に終戦を迎え、戦後の軍備への緊縮予算の都合から工事が遅れ、その為新型装備をいくつか装備し一部大和型よりも使いやすいものに変更されている。
また、速力が若干遅いながら艦の規模が大和型と同じだったので、大和型との共同行動をしやすい事から用兵面での評価は高く、その運用実績は前線指揮官からは良好だった。
また、当初の目的の一つである列強海軍へのブラフとしての20インチ砲はその効果を発揮し、砲艦外交に一助する事となった。このため、完成した当初から非常によく知られた存在となり、戦艦として若干バランスの悪い姿ながら、国民からも親しまれた。
完成のち発生した第三次世界大戦では、速力が若干遅い事から空母機動部隊での運用は避けられ、その砲力と防御力を買われてもっぱら打撃艦隊の中核として運用され、米艦隊と激しい砲火をかわし大きな戦果を挙げている。
最も戦艦らしい運用をされたという意味において成功作と言えるかもしれない。
なお、本来なら同型艦として3、4番艦も建造を予定されていたが、戦時で他の艦艇の建造が急がれた事から起工が遅れ、さらに米戦艦群が壊滅した事と終戦により建造がそのまま中止されている。
ちなみに、命名は八八艦隊で建造中止になった艦より名を引き継ぐ形で命名されている。