播磨型戦艦
同型艦
播磨 | 1948年9月就役 |
備前 | 1949年1月就役 |
要目
項目 | 数値 | 武装 | 数値 |
基準排水量 | 102000t | 主砲 | 55口径46.0cm砲 3連装4基 12門 |
全長 | 315.0m | 副砲 | 60口径12.7cm砲 連装20基 40門 |
全幅 | 40.5m | 誘導弾 | 9式対空誘導弾 連装2基 4基 |
機関出力 | 320000馬力 | 艦載機 | 4機 |
速力 | 30.5ノット | 水線部装甲 | 400mm+127mm |
航続力 | 18ノットで8000浬 | 甲板装甲 | 257mm+50mm |
備考
元々は戦時計画で『紀伊』型戦艦の3、4番艦建造が予定されていたが、第二次世界大戦の終了による軍縮で建造が中止となり、その後の整備計画で代艦的な位置づけとして建造された重戦艦。
そのため名前は、『紀伊』型戦艦の3、4番艦に予定されていたものが受け継がれた。
海軍は、計画当初から『紀伊』型戦艦に搭載された50口径51.0cm砲の効果を主砲発射速度、砲門数、単位時間当たりの投射弾量などの点から疑問視しており、当初は『紀伊』型戦艦をストレッチしたような艦になるはずだったものを、新開発の55口径46cm砲という化け物を搭載する事となった。
こうして本型は、主砲こそ『大和』型戦艦と同サイズとなったが、口径の増加による威力増大と発砲システムの自動化により2.5発/分という高い発砲速度を誇っていた。また、この当時主砲弾の改良が進み比重の大きな専用の砲弾を持つ事となり(比重の重い1.8トンの徹甲弾を使用していた。)、それと相まって単位時間当りの弾薬投射量は『大和』型戦艦の2倍近くに達していた。
特に、単位時間当たりの弾薬投射量の多さは、軍令部も運用側の艦隊でも好意的に受け入れられた。
また、対空装備においても新型が装備され、新型の高角砲はもちろん、その射撃システムにおいて格段の進歩が見られており、多少強引な射撃方法を選択すれば、全ての高角砲が単体で敵を追尾する事ができた。また、戦艦としては世界で初めて対空誘導弾を装備しており、それらと相まって、従来の戦艦の数倍、なみの防空専門巡洋艦以上の防空能力も持っていた。
さらに、見た目は大和型をストレッチしたような艦形をしているが、全長に相応しい幅も持っており、そして防御方法は極力排水量を減らす為に改良が加えられており、従来の防御方法に加えて航空機に対する間接防御に重点を置いて設計されている。このため、当初9万トンクラスとして収まるはずだったものが、大きく超過し、世界で初めての10万トンクラスの戦艦として完成する事となった。
こうした贅沢な艤装は、実戦でも大きくその効果を発揮し、圧倒的な攻撃力で敵を粉砕しつつも近距離からの高初速の16インチ砲弾に耐え抜く強靱さをみせており、建造目的の正しさを証明する事となった。
ただ、艦の規模が大きくなりすぎたので、大和型との共同行動を行う機会は少なく、またその攻撃力をかわれて水上砲戦部隊へと配備され、第三次世界大戦ではその戦闘力を誇示する事となる。
もっとも、こういった贅沢な艦を平然と前線へ送り込む日本の財力を物語るという点でそれを象徴していると言えるかも知れない。
ちなみに、オーストラリアが図面を買い取り、一部自国風に改良しマゼラン級戦艦とし建造し、
さらに、この艦をタイプシップとしてアイヌ王国の「シャクシャイン」型戦艦が建造されている。