カリマンタン級戦闘空母
同型艦
カリマンタン | 1930年5月 |
要目(1941年時)
項目 | 数値 | 武装 | 数値 |
基準排水量 | 37200t | 主砲 | 50口径35.6cm砲 三連装2基 6門 |
全長 | 248.4m | 副砲 | 50口径14.0cm砲 単装10基 10門 |
全幅 | 30.3m | 高射砲 | 40口径12.7cm砲 連装6基 12門 |
機関出力 | 131200馬力 | 艦載機 | 常用32機 補用8機 |
速力 | 30.5ノット | 水線部装甲 | 203mm |
航続力 | 14ノットで8000浬 | 甲板装甲 | 75mm+20mm |
備考
インドネシア海軍が、日本に発注した異色艦。
1920年代より、石油需要の高まりにより日本を中心として輸出を伸ばし、一躍「油成金(オイルダラー)」となったインドネシア政府は、いつまでも日系国家に近海の制海権維持を頼むわけに行かないとして、自国海軍の整備を開始した。
しかし、大型艦艇を建造する能力はなく、その大半は石油輸出で友好的となった日本皇国から多くの艦艇が輸入された。
1920年代から30年代にかけて、金剛型戦艦、5500トン型巡洋艦、高雄型巡洋艦が輸入され、さらに駆逐艦にまでおよんでいた。
そうした中、いち早く自分たちの艦隊にも航空勢力を導入しようとしたインドネシア海軍関係者だったが、高価な大型空母や惰弱なことが分かっている軽空母などを導入するにはためらわれた。そこで、戦艦としても空母としても使える一種の万能艦として当時世界唯一だった航空戦艦「飛翔」が注目されることとなった。しかし「飛翔」は彼らの望む大きさでなかったことからこれをスケールアップした形で本艦が計画された。
日本側にも通達された建造費軽減のため、準備半ばで保留されていた天城型巡洋戦艦の3、4番艦の資材が流用され天城型とほぼ同調のスケールを持った大艦として建造された。
攻撃力は、戦艦としてかろうじて許容範囲の50口径35.6cm砲が三連装2基装備され、航空機も1個飛行大隊が搭載できるように作られた。天城型の大きな船体がこれを可能としたのだ。だが、防御だけはトップヘビーを避けるため金剛型とほぼ同等のものとなっている。
就役の後は、「飛翔」ともども変な艦をつくったと珍しがられたが、「飛翔」と違い大きな船体であったことから、1940年頃まで十分新型機の運用が可能だったこともあり、運用側であるインドネシア海軍は満足した。
また、その目立つ姿からインドネシア海軍の象徴として広く親しまれ、1940年代後半に正規空母に改装される時など反対の署名活動まであった。
世界唯一の本格的航空戦艦あり、インドネシア海軍側はこれを自信を持って「戦闘空母」と呼称していた。