白鳳型航空母艦
同型艦
要目(新造時)
備考 大和型戦艦の5番艦として建造の進んでいた112号艦を途中から空母に改装したもの。 当初は、1939年の計画で大和型戦艦の5番艦として建造が進んでいたが、一部次への実験の為として建造を延ばし改設計工事を行っていたら船体が完成した頃に戦争を迎え、その後、船体の完成後ドックより出され建造は中止され放置されていたが、空母が大活躍した1942年のマリアナ沖海戦の影響を受けて、空母への改装が決定された。 また、単艦しか建造されない事から、実験艦としての扱いを受けることとなり、改装当初からジェット機運用を前提に工事が再開された。改装には、コストの削減ため当時建造計画のあった大鷹型航空母艦と同様の機関を持つなど多くの共通点をもっている。また、元々戦艦だった長所を生かし、飛鳥型以上の強靱な防御力を付与された重防御空母として完成している。 本艦の運用目的は、飛鳥型の戦訓をふまえ艦隊前衛でその強大な防御力と強力な防空直掩機によって自身と艦隊を守り、艦隊前衛で航空要塞としての役割を担う事だった。そのため防御においてかつて無いほど注意が払われ、その最たるものとして、今までの装甲空母よりなお頑健な飛行甲板装甲が施されており、防御甲板では敵の放つ急降下爆撃による2000ポンド爆弾の直撃に耐えうる能力があった。また格納庫も戦訓により解放型とされた。この重防御のため格納庫が1段だけとなったが、大型のジェット機を運用するため高さを十分にとった構造だったので、搭載機数については重防御艦ということもあり許容範囲となっている。また、戦艦として進んでいた弾薬庫など工事を改設計し、大量の弾薬を搭載され継戦能力は高く設定されていた事もこれを許容していた。 そして、その後その強靱な艦体を見込まれ、当初の目的とは少し違った艦隊旗艦として任務を行うのに最適と判断されたため、建造の最終行程で旗艦施設と通信施設の拡大が図られた。そして第三次世界大戦では終戦に至まで空母機動部隊の旗艦任務に就くことが多かった。 また戦場においては、大和型戦艦の眷属である事を十分に示し、最前線において幾多の攻撃を耐え抜き、傷だらけになりながらもその任務を全うした。特に魚雷を4本片舷に受けてなお、航空機の発着を行う様子は全将兵から賞賛された。 戦後も、戦艦を元にしたにもかかわらず船としての素性がよい事から重宝され、幾多の改装を重ね1979年まで現役で在籍しており、その後は大神で記念艦として保存されている。 また、本型は日本の空母としては初めて、試験的にアングルドデッキを採用しており、一度に4機もの航空機が発艦可能だった。そして航空機をポンポンと発艦させるアクロバット的な航空機運用の様子は、建造当初一流の武闘家に例えられ注目の的となった。 ちなみに、本艦は就航当時世界最大の航空母艦であり、後の改装によりさらに排水量を増し、その記録は1961年就役の原子力空母『鳳祥』の完成まで抜かれることはなかった。 なお本艦は、世界最後の改装空母でもある。