筑波級一等巡洋艦

同型艦
筑波 1944年2月就役 六甲 1944年4月就役
1945年9月就役 普賢 1945年1月就役

要目(第一次改装後)
項目 数値 武装 数値
基準排水量 17680t 主砲 60口径20.3cm砲 連装5基 10門
全長 212.0m 高射砲 65口径10.0cm砲 連装6基 12門
全幅 21.4m 魚雷発射管 61.0cm  4連装4基  8門
機関出力 164000馬力 艦載機 3機
速力 35.0ノット 水線部装甲 152mm
航続力 16ノットで8000浬 甲板装甲 89mm

備考
日本皇国が最後に建造した一等巡洋艦。
その基本スタイルは、かなり重厚ながら最上型をそのままスケールアップしたような日本巡洋艦としては、オーソドックスな配置をしているが、日本巡洋艦らしからぬ外見の重厚さを裏切らない重武装、重装甲が施されている。その内容は、主に装甲防御という点で初めてと言っていいぐらいの対20cm砲装甲が施されており、日本が建造した唯一の本格的重巡洋艦と言える防御力を持つ。主砲塔の装甲も前面203mmを始め、完全な8インチ砲防御がされており、砲塔一つの重さも自動砲塔と言う事もあり300トンに達している。
また攻撃力においても、一見従来の条約型とあまり変わりない艤装が施されているが、新型の20cm砲は、口径をあげ発射装置を自動装填方式にすることで全く次元の違う攻撃力を持っていた。単位時間当たりの弾薬投射量は、条約型の三倍に達しており圧倒的な砲撃が可能で、対空射撃こそ不可能だったがその性能は列強随一と言える。
しかし、就役が第二次世界大戦の後となり、時代も砲撃を重視した艦よりも防空力を重視した艦を求めるようになっており、優秀な能力を持ちながら不遇をかこつことになる。
建造後すぐに一部装備を防空用のものに改装されたが、基本的なスタイルは維持し第三次世界大戦を迎えている。
その第三次世界大戦では日本皇国の巡洋艦不足の中、安心して戦線に投入できる巡洋艦として重宝され幾多の戦いに参加し、その存在価値を誇示し用兵側の見識を覆す事になる。このクラスの撃沈には、装甲巡洋艦を以てせねば不可能と言われた。
ある意味、日本が建造した最初で最後の重巡洋艦と言えよう。

また、一時期この艦を全面改装し大型の防空巡洋艦にしようという動きもあったが、コスト面で引き合わない事からそのままの打撃型巡洋艦として生涯を過ごし、残存した艦は「剣」が一時期砲撃支援任務で現役復帰したのを例外として、戦後ずっとモスボール状態で大神の岸壁の片隅でひっそり佇んでいる。

改装完成状態予想

改装予定時要目

武装 数値
主砲 65口径10.0cm砲  連装18基 36門
高射砲 40mm機関砲 連装12基 24門
魚雷発射管 なし
艦載機 なし
水線部装甲 152mm
甲板装甲 45mm