諏訪型護衛艦
同型艦
諏訪 | 1936年2月就役 | 琵琶 | 1937年9月就役 |
北浦 | 1936年5月就役 | 中禅寺 | 1937年11月就役 |
要目(戦時改装後)
項目 | 数値 | 武装 | 数値 |
基準排水量 | 6690t | 主砲 | 60口径15.5cm砲 連装2基 4門 |
全長 | 155.5m | 高射砲 | 65口径10.0cm砲 連装3基 6門 |
全幅 | 14.7m | 魚雷発射管 | なし |
機関出力 | 48000馬力 | 艦載機 | 2機 |
速力 | 28.0ノット | 水線部装甲 | 100mm |
航続力 | 16ノットで7200浬 | 甲板装甲 | 37mm |
備考
浜名型の改良型。日本海軍の護衛艦は、火力、速力では完全に軽巡洋艦に達しているため、諸外国では分類上は防護巡洋艦か、大型フリゲート艦とされている。しかし日本海軍は戦中も護衛艦として船団護衛の中核として運用している。
本型は浜名型同様5000t以下、3インチ(上限6.1インチ)砲4門以下、速力24ノット以下、雷装なしなら巡洋艦、駆逐艦枠外とする、ジュネーブ条約(日英の激烈な反対により承認された条項)に則って建造された仮装巡洋艦に対抗するための海上護衛艦隊用もしくは植民地警備用として計画、建造された純粋な大型海上警備艦。
船体はフラシュデッキ型なので排水量の割りには堂々とした艦様をしており、また長期行動を想定した各種装備を施していた純粋な植民地警備用船舶。日本海軍の艦隊決戦主義と海上護衛戦略が生み出した異端児と言われている。
また、この艦種の出現により日本海軍において護衛艦と巡洋艦の違いは雷装をしていない点にあるとされ、新型の15.5cm砲が試験的に搭載されている。
本艦の最大の特徴は、砲門数の不足をその発射速度で補うため海軍で始めて半自動装填式の砲を極めて強固な砲塔に搭載していることだ。これにより1門あたり分発15発を誇り、単位時間当りの弾薬投射量は5500t型を完全に圧倒していた。また、防空用の両用砲としても限定的に使用する事ができた。さらに、強固な装甲を持つことから極めて有力な護衛専門艦艇として船舶関係者からは守護神のごとき扱いを受ける事となる。
そして、戦時には護衛駆逐艦の戦隊旗艦用として短期間で機関を換装し、軽巡洋艦的に使用することも考慮された。しかし本型の前身である浜名型がもともとローマ条約以前に計画されたもので、そのため機関については本来改装後のものを搭載予定していたのだがローマ条約により、計画そのままの護衛艦では軽巡洋艦に指定されてしまうための措置として機関のみ交換して就役している。しかし改装時、速力が低速の24ノットでも運用にはさほど苦労しないので、あえて改装が必要だったのかと言う司令部側の意見があったが、改装することによるメリットも多く、この速力がその後第三次世界大戦まで本型の運用を可能にしたと考えれば妥当だったといえよう。
さらに、ヘリコプターの実用化後は後部甲板を航空装備にあて、多数の対潜用ヘリを搭載した対潜ヘリ母艦として運用され、活躍している。
ただ、その装備(主砲)が高価だったため戦時は量産されることはなく、駆逐艦の大量建造となっている。