ビスマルク(Bismarck)級戦艦
新造時
同型艦
要目
備考 第一次世界大戦において、からくも生き残ることに成功したドイツ帝国は、戦後海軍が皇帝のものではなく、純然たる国民海軍となった。 そして戦後、列強が集った海軍軍縮会議により規定された制限に従い、新生ドイツの象徴として新たな戦艦の建造が決定された。 しかし、大戦において大きく疲弊していたドイツでは、当初建造は早くても1930年代初頭と思われたが、国民からの熱烈な支持により、列国に遅れることなく建造される事になった。 建造に際して、ドイツ海軍艦政本部が選択したタイプシップは、大戦後工事が再開され就役していたマッケンゼン級であり、これを純粋に14インチ砲戦艦から16インチ砲戦艦とする方向で設計、建造される事になった。 ただし、防御力においては、巡洋戦艦でなく戦艦としてのものが付与され、列強が建造しつつある高速戦艦に対抗出来るだけの能力が与えられている。しかし、速力だけは技術的な限界から27.0ノットに我慢せねばならなかった。もっとも、海軍側は取りあえず列強と張り合えるだけの戦艦が建造できるだけで大いに満足しており、これで十二分だったと言う意見が大半を占めていた言われている。 また、1939年から近代改装工事が施されたが、海洋帝国に比べると一枚看板の海軍として、新造戦艦とも共同行動が可能な事が求められた事から、高速戦艦として徹底した改造が行われることになった。その改装の大きさは増加した排水量が1万頓にも及ぶと言えば、その大きさが分かると思う。このため、副砲以外ではまるで新造戦艦のようであり、間違える将兵が多数いたと言われている。 海軍休日から、第二次、第三次世界大戦を戦い抜き、戦後も改装を繰り返しつつ長らく使用された事から、まさにドイツ海軍を代表する戦艦と言え、列強からも「ザ・ドイッチュランド」として認識されている。
近代改装後(1940年)