加賀級戦艦

新造時

同型艦
加賀 1921年2月(第一次改装後1940年6月)
土佐 1921年5月(第一次改装後1940年7月)

要目(新造時)
項目 数値 武装 数値
基準排水量 42900t 主砲 45口径41.0cm砲  連装5基 10門
全長 242.0m 副砲 50口径15.2cm砲  単装20基 20門
全幅 31.8m 高射砲 50口径 8.8cm砲 単装4基 4門
機関出力 131200馬力 艦載機 なし
速力 29.2ノット 水線部装甲 280mm
航続力 16ノットで6000浬 甲板装甲 115mm+50mm

備考
八八艦隊の3、4番艦として設計建造された高速戦艦。
今までの形を踏襲していた長門型とは、砲塔が一つ多くその分船体が長い程度しか外観上の違いははかったが、装甲の配置方法など本来の八八艦隊基本形となる戦艦である。
このため設計に手間取り、同時に計画された長門型に比べ着工時期がずれ、建造開始は第一次世界大戦勃発後となった。その後有名なジュットランド沖海戦が発生し、従来の扶桑型に重大な損害を受けた事から建造を一時延期し、船体延長、装甲の強化など可能な限りの改正がなされて急ぎ完成された。
だが完成したその要目は、初期計画時の紀伊型戦艦と酷似したものとなり、一部の財務官僚などからは、設計変更でよけいに予算がかかった事から、これならば建造を中止し紀伊型を建造した方がましだったと言われている。
しかしその設計改正のおかげで、バランスのとれた高速戦艦として就役でき、運用実績も良好で艦隊側からは好評だった。
実戦においても、改設計が有効であったことを存分に示し、その後第三次世界大戦においてまで第一級戦艦として新型戦艦に混じり、ベテランとしての貫禄を見せつつ活躍している。
そのため軍縮時代、皇国海軍の三羽ガラスとして1隻しかない高千穂型にかわり何度か連合艦隊旗艦を交互に務めている。

要目(第一次改装後(1940))
項目 数値 武装 数値
基準排水量 51000t 主砲 45口径41.0cm砲  連装5基 10門
全長 252.0m 副砲 50口径15.2cm砲  単装12基 12門
全幅 31.8m 高射砲 65口径10.0cm砲  連装6基 12門
機関出力 150000馬力 艦載機 3機
速力 29.0ノット 水線部装甲 280mm+50mm
航続力 16ノットで9600浬 甲板装甲 115mm+50mm


近代改装後(1940年)