■ファインド、ファニーニッチ


 ■大東島の固有種

 大東島固有の動植物は、大東島そのものが大東洋上で一億数千万年孤独に過ごした為独自のものが多い。しかし、いわゆる「ガラパゴス化」は起きていない。
 また旧ローラシア大陸から分離した時に、島と共に旅立った生き物を直接の祖先とする生物も多い。特に植物において顕著で、巨大な「大東大杉」、「大東向日葵」などが有名。固有の昆虫種もかなり見られる。しかし生存能力は他の大陸からやって来た動植物より弱い場合が多いため、既にかなりが絶滅している。6500万年前までは、独自進化の恐竜も生息していた。島の南部に生息する体長2メートルを超える「大東大とかげ」は、その名残だとも言われる。
 恐竜が絶滅した6500万年前から1000万年前ぐらいまでは、独自進化の動植物による生態系が形成された。
 鼠サイズからのほ乳類の独自進化も見られたが、極端に大型化する事は無かった。

 一方で、1000万年前ぐらいからは、風、海流、渡り鳥などにより他の地域から運ばれた種子、鳥類も数多い。数多くの鳥や一部の昆虫も大東島へとやってきた。そしてユーラシア大陸に数百キロメートルと近づいた事で、ユーラシア大陸からの動植物の流れそのものが一気に加速した。
 早くは数十万年前程度から、氷河期の固く凍り付いた冬の海を渡ってきた常温性の動物種も少なくない。大東島に鹿やヘラジカ、トナカイ、狐、猪、熊、マンモスなどの各種ほ乳類、さらには「サーベルタイガー」「ダイアウルフ」の子孫(剣歯猫、茶色狼)が生息しているのは、島で独自に進化したのではなく何らかの方法で(ほとんどは固く凍り付いた流氷の上を渡って)大東島に渡ってきたからだと考えられている。そして彼らは、古くからの動物に対して大陸で培った能力で圧倒し、天敵のいない大東島での繁栄に成功した。
 ただし、各種家畜(馬、牛、鶏、アヒルなど)、犬、猫、家雀は人間が連れてきた。逆に南方系の鳥以外の動物は、基本的に人が連れてきた以外では大東に至ることもできていない。

 今回はその中でも、特徴的な動物種をいくつか紹介する。

 
隠鼠人(Homo daitholensis)

 ヒト属ヒト科の人類の中で、ごく最近まで現生人類と平行した進化の歩みを記した亜種人類の名称。学名「ホモ・ダイソレンシス」。
 この種は約10万年前に大東島に渡来し、その後7万5000年ほど前から島嶼性矮小化したと考えられている。東京自然史博物館に所蔵された多数の隠鼠人標本の平均値から、彼らの標準的な姿を垣間見ることができる。10万年前の隠鼠人成人男性の平均身長は155cm、脳容積は1300cc程度であった。
 しかし彼らの存在が、大東島の動物たちに人類の「危険性」を遺伝的に教える役割を果たしたと考えられている。
 それが2000年前には身長120cm、脳容積600ccまで低下しており、急激な小型化は他の人類に見られない特徴となっている。
 現在の最も有力な説によると、7万5000年前のスマトラ島トバ火山噴火後、成層圏まで巻き上げられた塵によって地球の気温が低下、環境負荷の増加により、隠鼠人を含む人類は大きく減少した。地球上の他地域のクロマニョン人は人口を減らしつつも大きく姿を変えることなく生き延びたが、隠鼠人の場合はもっと状況が深刻だったようだ。
 逃げ場のない島という特殊な環境のもとで生き延びたが故に強く現れたボトルネック効果(ある生物集団の個体数が激減することにより遺伝子浮動が促進され、生き延びた生物集団の子孫が繁殖することで、ある遺伝的特徴が色濃く残ってしまうこと)により、隠鼠人は小さく、エネルギー消費の少ない新人類として大東島で生き延びてきた。
 木や石を用いた武器の作り方は知っていたようだが、前頭前野背外側部が退化していたためか、火の使用は現生人類と接触した時には既に見られず、体毛が増え、寒冷な環境に適応しつつあった。
 わずかに尖った耳を持ち、足裏の皮が厚くかった。また、彼らの容貌は前頭部が押しつぶしたように平たく目が離れていたために、蛙に例えられる。
 一夫一婦制は失われており、更に頭蓋縮小による出産容易化のためか、一度に2-3人の新生児を産んでいた。これは、人口損耗を出生数で補う生存戦略への変化(退化)の明確な表われであろう。

 約1万5000年前、のちに縄文人となる旧石器時代人が大東島に渡来すると、当初約10万人もいたと推定される隠鼠人は1000年余りで旧大東島を追われた。
 1万年前には新大東島南部からも駆逐され、西暦1000年前後に絶滅した。隠鼠人の個体数激減に合わせ、彼らを捕食していたチャイロオオカミやケンシネコもその数を急速に減らした。

隠鼠人追加情報:
主食は果実、大東象(1万年前に絶滅)、ダイトウムラサキ貝など雑食性であった。
大東象は矮小化した大東島固有種であったが、氷河期の終了とともに絶滅した。約6000年前からは隠鼠人はどうにかして原始的なトナカイ放牧を開始し、食糧不足を補ったと見られている。隠鼠人の生息域が縄文人に押され北上し、寒冷な針葉樹林に適応した結果、縄文人よりも早く一種の放牧を基盤とする定住部族社会(というより群れ)を形成していた。

 
オオツノシカ(Daitou great elk)
 大東島最大の哺乳類。肩の高さが2mもあり、左右の差し渡しが3-4mにも及ぶ巨大な角を有した。氷河期の終焉前から大東島の環境に適応し、温暖な旧大東島まで生息していた。
 温暖な環境に適応するに従い、オオツノシカは大型化した。これは矮小種だらけの大東島の哺乳類固有種の中では例外的な事象であった。
 オオツノシカは巨大な角を武器にしたため、大東島の食物連鎖の頂点に君臨する剣歯猫の強敵であった。剣歯猫は特に必要がなければマンモスやトナカイ、大東シカを捕食していたが、剣歯猫の化石資料の中にはオオツノシカと戦った痕跡も発見されている。だが、剣歯猫がオオツノシカを捕食することは決して頻繁に見られなかったと推測される。
 オオツノシカを攻撃するためには複数の剣歯猫が共同して戦い、恐らくは巨大かつ非常に重い角を逆手に取り、オオツノシカの首を折ったのだろう。それ以外の方法では剣歯猫も一撃で致命傷を負う恐れがあった。

 オオツノシカは紀元前4000年頃に温暖化が最も進んだ時期に絶滅しているが、大規模な獣の群やオオツノシカの捕食に役立ったと思われる剣歯猫の集団行動能力は、のちに人間によって利用されることになる。

 絶滅したため現存していないが、縄文人の遺跡では主に頭部の骨は頻繁に見かけることができ、保存状態の良いものは今でも好事家の間で高値で取引されている。
 また小型の亜種となる大東ヘラジカが北部に生息しているが、大陸のヘラジカに比べるとやや小型である。


ケンシネコ(剣歯猫:Sabretooth cat)

 氷河期の終焉とともに、大東島以外の地域では絶滅したサーベルタイガーから進化した。直接的な祖先はスミロドンとみられている。
 大東に至ったスミロドンは、生物学上では珍しく、新大陸から旧大陸へと渡った種が存在する事を示している。
 体長約1.8m(尻尾含まず)。20cmもある鋭い牙を2本有し、牙の後縁は食事用ナイフのようにギザギザした形状である。これは、獲物の肉に牙を食い込ませるのに適応した結果である。
 素早く動き回るシカ、トナカイ、隠鼠人などを主な捕食対象としていたため、スミロドンに比べて前足が短くなっており、走行に適した体型をしている。同時に走行速度を上げるためにスミロドンに比べ体重は3割程度少ない。(130〜200kg程度)
 新大東州北部の厳しい環境に耐えるために体毛の密度は濃く、縄文人は防寒着として剣歯猫の毛皮を利用していた。
 かつては旧大東州にも剣歯猫の亜種が生息していたが、社会性に劣ったため縄文人に狩られ、およそ5000年前に絶滅した。
 現生剣歯猫は群れで行動する性質があり、知能は高い。繭村式知能検査によると、他人性・社会性・自己認識性において4.5ポイントの成績をあげる個体もおり、これは霊長類のボノボの数値を超える。
 クジラやイルカに次ぐ知能指数だが、海生生物が人類とはかけ離れた知能形態を有する生物種である点を考慮すれば、剣歯猫は高等霊長類や象と並んで人類に最も近い知能を有する陸生生物種である。

 縄文時代中期にはマンモスの絶滅などの影響により個体数は激減していた。縄文時代後期以降紀元前1000年頃までは、毛皮と大きな牙が珍重されたが故にヒトに狩られ絶滅寸前に陥った。
 肉食性哺乳類は肉に臭気があることが多く、脂肪分が少ないため食用に適さない。剣歯猫も食用に適さなかったため、ただ毛皮のためだけに捕獲されてきた。
 紀元前1000年頃、採集・採猟を行う縄文人の移動性氏族(バンド)が剣歯猫を狩猟に同伴させるようになった。定住部族社会(トライブ)に移行し、農耕の開始に伴い鼠害が深刻になるまでイエネコの飼育が行われなかった点とは大きな相違である。剣歯猫は狩猟採集民にとっての犬と同じ位置づけの益獣だったと言える。
 また、弥生時代前期から「戦闘兵器」として注目されるようになり、専門的に戦虎の飼育が行われていた形跡がある。

 日本・大東では西暦700年頃から、剣歯猫の優れた知覚力と外見の迫力から、騎馬隊に付属する戦虎として活用されはじめた。これと類似する動物兵器として、インドにみられた戦象が挙げられる(剣歯猫に騎乗はできないが)。
 日本には騎兵という兵種は存在せず、戦士の身分を示す飾りに過ぎなかった。武士たちは弓で武装した弓騎兵として、一族郎党を引き連れて戦いに赴いた。大陸の騎兵が機動力を生かした集団突撃戦法を採っていた一方、日本の騎兵は弓矢を用いた一騎打ちが主流であり、この戦法は蒙古襲来まで変化がなかった。
 農耕民族である日本人には、馬を大量に飼育する余力がなく、騎兵による集団突撃戦法を運用できるだけの資源もなかった。だがそこに、馬を保有して身分を示し、弓によって武芸を見せるという”虚仮脅しドクトリン”の内にこそ戦虎を採用する下地があったと言える。
 戦虎匠という職業が誕生し、剣歯猫の飼育と調教に取組んだ。戦虎狩りは鷹狩りと並び、武士の実益を兼ねた遊戯として支配階級に広まった。
 剣歯猫の保有は一つのステイタスであり、平安時代には位階を授けられた剣歯猫もいた。
 15世紀から17世紀にかけては戦闘兵器としても多用され、戦国時代最盛期には1000頭が集中使用された例も見られる。
 剣歯猫の飼育は主に給餌の面で困難が付きまとった為、有守州・新大東州での飼育が最も適していた。当時の先進地域であった本州西部-九州北部においては、新鮮な肉を常に入手するのは困難であった。
 瀬戸内の一部地域では、魚の干物が剣歯猫に与えられていた。また餌として与えれば、雑食的な食事でも食べることは可能となるが、その分大量の食事は必要となる。

 14世紀からの地球規模の寒冷化以降、新大東島を中心に牧畜が発達すると、大東島固有種のチャイロオオカミから牛馬・トナカイを護るための”牧畜猫”としての役割が見出された。
 17世紀以降には牧畜の進展に伴い大東産牧畜猫の需要が増加、剣歯猫の個体数も数万頭まで増加した。

 その後、大航海時代の中で世界中に紹介され、世界各地に「輸出」されていく事になる。
 現在でも、世界中の動物園の定番猛獣としてよく知られている。また現在でも、大東島の一部、豪州など牧畜の盛んな地域の農場主の中には、牧畜猫として用いる者もかなりの数が確認されている。
 また、他の猫科の猛獣との交配も一部可能で、一代限りの亜種も存在する。

 なお、他の猫科の猛獣としては、かつては虎、豹などかなりの種が生息していたが、山猫の一部を除いて縄文時代に絶滅している。





fig.1 剣歯猫

 

チャイロオオカミ(Daitou great wolf)

 大東島のみに生息する大型の狼。
 一般の狼(灰色または大陸狼の亜種の大東狼)よりも大柄で、その体毛から茶色狼と呼ばれてきた。
 その大きさから恐狼(きょうろう)と呼ばれることもある。
 氷河期の末期に、スミロドンの後を追いかけるように新大陸からやってきたダイアウルフの末裔。
 スミロドン同様に、新大陸から旧大陸へと渡った種が存在する事を示す珍しい事例。

 もともと新大陸のダイアウルフは、スミロドンなどの食べ残した腐肉を食べていた。だが、大東に至ると新大陸ほど獲物が多くないスミロドンの末裔の剣歯猫の食べ残しは少なく、また剣歯猫以外に食べ残しをするような肉食動物が少なかったため、自らも積極的に狩猟をするように変化していった。
 また、別方向から大東に至った大陸狼と混血化する事で種として大きく変化した。さらに島での生活の中で小型化していった。
 このため元のダイアウルフと比べると少し小柄で軽量であり、四肢の形状などもより狩猟向きに進化している。
 また脳幹の発達も見られ、他の狼同様の高い知能を有している。

 変化しても通常の狼よりも大型で、ユーラシア大陸などに住む大陸狼よりも大きく、現在では史上最大の狼となっている。
 主に寒くて人口密度の低い新大東州でのみ生息するが、縄文時代頃は旧大東州にも生息していた。
 人の生存圏の拡大と発展に伴い生存範囲を狭められ、個体数も減る一方となった。
 現在では絶滅危惧種一歩手前で、野生種は北部のツンドラ地帯か針葉樹林帯にしか生息していない。

 なお、犬と混ざった亜種も存在しており、橇の犬としても使われる駒城犬はかなりの大型犬である。

アルキナマコ(Walking sea slug)

 大東島にのみ生息する珍しい生物。
 古くは「蛭子海鼠(エビスナマコ)」との名で古事記に記されている生物である。
 コナマコの近縁種であるオンナナマコ科に属するアルキナマコは、無脊椎動物だが体壁の内部に石灰質の骨片を棒状に配した体軸を有し、海水から離れて海岸近くの陸上に進出した珍しいナマコである。
 比較的寒冷な浅い海の、それも親潮-黒潮境界の栄養豊富な海域付近にしか生息しない。
 全体に肉白色をしており、頂部に鮮紅色の微細な触手(毛髪様触手)を有す。陸上では、管足が変形した4本の筋肉肢のうち2本を器用に動かして前進する。水中では全長2メートル以上にもなるが、陸上では体内の水分を排出して体長1.3-1.4mほどに縮まり、シリコンゴムほどの硬さになる。
 肛門の下20cm程度の部分に、ご飯茶碗程度の大きさで左右対称の体液瘤が隆起し、重力下での血流と酸素交換機能を担っている。組織は弾力に富む海綿状組織より成り、アルキナマコの個体により大きさが比較的ばらついている。
 消化器官は単純で口から肛門まで直線状につながっている。肛門は頂部の毛髪様触手付近に位置し、口は陸上を移動する時に使う管足の股の部分に位置する。肛門には肛歯と呼ばれる5本の歯が生えており、かなり硬いものでも齧り取ることができる。
 消化管口付近にはキュビエ器官と呼ばれる糸状の器官が格納されており、指で触れると微小な吸盤で吸い付いてくる。
 皮膚呼吸が発達しており、陸上でも体表からある程度の酸素を吸収できる。
 毛髪様触手付近には顔様紋と呼ばれるヒトの顔に酷似した模様が見られ、アルキナマコの個体識別を容易にする一因となっている。

 1543年に大東島をはじめて訪れたスペイン船サン・ファン・デ・レトランは船上からアルキナマコを観察していて大東島の原住民と誤認し、「その島の原住民は小柄で白人のごとき白い肌を持ち、長い赤髪を頭上にまとめている。動きは緩慢にして性質は怠惰である」と報告している。

 1653年、イギリス商船が大東島東岸に寄航した際に2匹のアルキナマコが捕獲され、初めてヨーロッパに持ち帰られた。アルキナマコは長時間空気中におかれると休眠状態に入り、数ヶ月は生存できる。消化管に若干量のタンパク質を継続的に与えればより長時間生存できる。
 当時オランダと交戦中だったためか、イギリス人はアルキナマコを「オランダ人の妻」と名付け、以後ヨーロッパではこの名称が定着した。

 現在でも一部水族館で展示されているが、野生種は絶滅危惧種で国際条約の保護対象に当たるため、国際的な売買は禁止されている。
 よって日本国内の一部水族館でしか見ることの出来ない希少な生き物と言える。

a.毛髪様触手

b.顔様紋

c.肛門

d.体液瘤

e.消化管口

f.管足

fig.2 アルキナマコ (食用目的以外の用法はお控えくださいww)