■第二章  日本帝国内のその他の地域

INDEX
海南島
遼東半島
中道島
大鳥島



◆海南島
 1895年日清戦争で、当時の清朝より戦時賠償として譲渡を受けた島。
 大勝した日清戦争において、当時の当然の国際政治原則に従い、清朝より日本帝国が割譲した地域である。
 しかしその土地は、日本人の進出当時、非常に劣悪な環境にあり、清朝のいい加減な統治により、先住民による反発、風土病、阿片の蔓延が根強く存在していた。
 しかし、新たな国土開発において数百年の開拓の歴史を持ち、世界最高レベルの開発能力を持つ日本、アイヌの官僚団は、この土地を自分たちの手により一から作り上げることを決意し、膨大な予算を編成して、熱心にその開発に取り組んだ。
 それは、乱れていた治安の安定はもとより、社会資本建設の基本中の基本であり、また莫大な投資を必要とする、医療、教育の普及にまず尽力し、さらに上下水道や治水、治山工事、鉄道、港湾など交通の整備などが段階的に行われた。また、通貨の安定に始まる経済の建設も行われ、1930年頃には、日本帝国の他の地域と全く遜色のない近代文明を作り上げることに成功している。
 一部には、日本帝国主義の最たる地域として言われることもあるが、この地域がいかなる環境であるかを示す例として、華南地域から膨大な数の支那移民があったことからも、この施政がいかに素晴らしいものであったかを如実に示していると言えよう。
 もっともその反面、日本文化や日本的価値観がその基本とされた事から、支那本土からは切り離される事になり、海南島は支那の一部でなく、日本の一部と呼べるものに変化してしまっている。
 現在の人口は、1940年統計で400万人あり、主な産業は島にある鉄鉱山を用いた製鉄業と、その気候風土から普及された砂糖産業がある。
 公用語は、日本語と広東語とされ支那の中の日本、日本の中の支那としてその時を刻んでいる。
 現在はまだ、日本帝国の直轄地域とされているが、近く住民投票による自治の確立が図られる動きがある。

◆遼東半島
 日露戦争で、ロシアからの戦時賠償として租借権を譲渡された地域。
 世界史上初めての総力戦により、日本帝国がロシア帝国から勝ち得た利権の一つ。しかし、そこは中国満州地方の一地域にあるが、この利権のやりとりに支那政府は蚊帳の外とされている。
 土地面積的には、半島の一部でしかない事から大したことはなく、日本にとっては、支那市場への橋頭堡的な役割しか持っていない。
 しかし、だからこそ半島の付け根にある大連市は貿易港として大きく発展し、日本からの商売のための移民だけでなく、膨大な支那からの移民が殺到し、たちまちこの街を満州最大級の人口を持つ都市へと発展させた。
 また、満州の自治独立、そして軍事クーデターによる完全な独立以後は、支那でなくむしろ満州への門戸として、日本、満州の双方の架け橋としての役割を担っている。
 なお、1999年に満州国に返還が予定されている。

◆中道島(英名:ミッドウェー諸島)
 その軍事的重要度から、太平洋上にあっても南洋諸侯国に編入されず、日本帝国の直轄領となっている珍しい島。
 島となっているが、珊瑚礁に申し訳程度の陸地しか存在しない小さな島々より構成されている。
 しかし、もともと無人であり、日本人が進出しても産業面ではほぼ無視された存在で、ハワイへの中継点以上の役割は持っていない。
 また、進出した目的が、アメリカへの軍事面での対応と言う側面が強く、小さな島の大半が日本帝国海軍の基地となっている、文字通り要塞の島でもある。
 最近では、周りの島々ともどもハワイ王国へ編入されるという動きもあるが、そのまま基地の存続は続けられると思われる。

◆大鳥島(英名:ウェーク)
 中道島同様その軍事的重要度から、太平洋上にあっても南洋諸侯国に編入されず、日本帝国の直轄領となっている。
 日本がアメリカへの対抗上、20世紀に入り本格的に進出をした島で、島内には大きな軍事基地以外わずかに先住民と邦人が住むだけで、航空機や遠洋漁業の中継点と言う以外の価値は存在していない。
 ちなみに、日付変更線の近くにありながら、行政区分的には帝都特別区に属するという異例の場所でもある。


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