■長編小説「虚構の守り手」

●21世紀初頭の各国概況
●各国詳細

■列島日本(アイランズ・ジャパン)

正式国名/日本国
元首/天皇(名目君主)、内閣総理大臣
政体/天皇を名目君主とした立憲君主国
国土/日本列島、南樺太、千島列島、琉球諸島、小笠原諸島 他(国土面積は約42万平方キロメートル)
総人口/約1億2800万人(2013年時点)
人種構成
ほとんど全てが日本人。他はパーセンテージで示す規模にない。日本人以外は合計しても1%程度。ただし、旧大陸日本人は日本人として計算。
主要言語/国語=日本語(公用語、第二外国語は存在せず)
宗教/神道、仏教、ほか少数

概要/

 第二次世界大戦の停戦時期がイタリアに次いで早かったため、国内の被害は少なかった。だが、日華事変から続く戦争による国庫・経済の傾きと、停戦直後に造反勢力が多く離反したことも重なって、戦後大きな不況に襲われる。また、未曾有の規模のクーデターによる統治不安を指摘されて連合国の大きな干渉を受け、連合国の強い監視のもと大幅な民主化が行われる。
 国名も憲法の大幅改訂に伴い「大日本帝国」から「日本国」に変化し、天皇主権は国民主権となり、完全な立憲君主国家へ体制を刷新した。
 そして東亜動乱以後は、西側陣営の東の防波堤としての役割が強まり、以後アメリカの大きな援助と軍事力の庇護のもと経済発展に力が注がれる。いっぽうで、自らも一定の軍備を維持し続ける事を余儀なくされ、これは冷戦時代半ば以降のGNP3%枠という国防予算に象徴されている。
 経済の方は、東亜動乱による自らの戦時特需からオイルショックまで高いレベルでの経済成長が維持され、この時の成長により資本主義国のトップグループに入ることができた。
 冷戦時代全般を通じて西側陣営の重要な一角として認識され、政治、軍事、経済の多くにおいてアメリカに次ぐ地位にまで上り詰める。これはニクソン・ショックでの円の為替価値上昇に伴いドイツを越えたGNPを実現して以後強まり、冷戦崩壊まで崩れることはなかった。

 冷戦崩壊以後は、手のひらを返したように仇敵だった大陸日本との和解と協力を大規模に進める。バブル経済と呼ばれる不健全な投資景気で生まれた膨大な国内資産を用いて、瞬く間に大陸日本を自分たち同様の先進国に改造してしまう。また、冷戦崩壊後に、不足が予測された労働力確保のためいち早く徴兵制(選択及び選抜徴兵制)を廃止している。
 1990年代の一時期は、様々な変化の影響で一時的に停滞したが、21世紀初頭では大陸日本と密接に連携する事で、アメリカ、EU(欧州連合)に並ぶ経済力を持つ盟主としての地位を確固たるものにしつつあるが、政治の弱体のためあまりうまくいっていない。
 それでも、冷戦、バブル経済、冷戦崩壊、満州特需を経た日本は、アメリカとは同盟関係を維持しつつも一定の政治的距離を置く姿勢を強めており、これは近年の中東政策などにも現れている。

民族/

 日本列島の住民は、ほとんど全てが日本民族に類別される。
 琉球系、アイヌ系、マレー・ポリネシア系、華僑系なども居住しているが、琉球系、アイヌ系は日本人に含まれている。
 また、戦前列島内に多数いた朝鮮系は、東亜動乱以前に過半が強制帰国させられ、一部残った者も完全帰化して今では詳しく出自を調べない限り分からなくなっている。大陸日本のスパイの可能性もあるため、密航その他も厳しく禁じて、発見された場合は第三国経由で送還されている。
 そして冷戦崩壊後大陸日本からの移民が増え、21世紀初頭の在住外国人は約200万人に達する。むろん過半数以上が大陸日本人になる。アメリカ人を始めアジア系以外の人種は20万人程度、多くは国内駐留を依然続けるアメリカ軍人とその家族となる。
 21世紀に入ってからは、古くからの華僑以外の中華系が都市部を中心に増えつつある。

軍備/

 冷戦時代最盛期は、常備軍65万人(陸軍40万人)、戦車2000両、重砲2000門、空軍作戦機800機、戦艦1隻、大型空母3隻、艦艇60隻、戦略原子力潜水艦6隻、原子力潜水艦10隻、潜水艦18隻を保有していた。
 1960年代後半から独自の核軍備を持ち、21世紀初頭は戦略核を運用する戦略原子力潜水艦(潜水艦発射型弾道弾)と、各種長距離巡航ミサイルを保有する。
 軍備の大きさは、GNPが世界第二位となってからのGNP3%枠(国家予算の約18〜24%)という国防予算が冷戦崩壊まで維持されていることに象徴されている。
 戦艦「大和」、空母「信濃」は長年日本軍の象徴的装備だったが、冷戦崩壊と共にどちらも1990年代に退役。現在は空母3隻体制で、10年に1隻の間隔で大型空母を建造している(※その間に強襲揚陸艦の建造が挟まる事で造船関係者の技術維持を行っている)。

 以上のように、地域覇権国家として核兵器、大型空母を持つなど軍事力も大きく、軍備への予算傾注がなければ国内開発は不要なレベルにまで進んでいたと言われている。
 そしてオホーツク、日本海、東シナ海な方に仮想敵国を抱えた長大な国境線を持つため、ひじょうに大きな軍備を常に維持しなければならなかった。海軍、空軍が重視されたのも、敵陣営と接する海洋が多いためだった。
 海軍は重視する項目が多すぎ、結果として常に多くの予算が配分された。有事に制空権を補強するための大型空母、東側の潜水艦隊に対処するための対潜水艦部隊、そして現代の主力艦となる各種潜水艦、全てが常に多くの戦力維持を求められた。
 空母はアメリカ海軍より小型(※「信濃」を含め満載7万トン級)の事もあって、対空護衛艦艇を減らす為に戦闘機重視とされ制空空母と言われる事も多い。潜水艦は艦隊随伴用の原子力潜水艦と哨戒用の通常型の双方が均等に整備され、対潜水艦戦力は世界最強と言われるほど強化された。ただしイージス艦導入後の空母艦載機は戦闘攻撃機とされ、任務の多様化に対応している。
 空軍も制空権維持が第一の任務とされ、数で圧倒するソ連、列島日本空軍に対向する出来る装備の充実が目指された。このため戦闘機、戦闘爆撃機ばかり保有し、アメリカのような純然とした攻撃機、爆撃機は保有されなかった。ただし冷戦終末期にF15Eを導入するなど、攻撃力が軽視されているわけでもない。ただし国産機は、艦上戦闘機以外は、戦闘爆撃機ばかり開発しており、装備開発の偏りを見て取ることはできる。
 陸軍は、オホーツク方面でソ連、北九州方面で朝鮮半島の大陸日本という二つの敵を抱えねばならず、冷戦時代の多くは40万人以上常備陸軍が維持されていた。防衛方針は南樺太以外では洋上撃滅を中心に据えられ、空軍による制空権の維持、海軍による機動防御と空爆、ミサイルによる飽和攻撃が重視されていた。だが、陸軍もおざなりにする事ができず、各方面で15万人規模の重装備陸軍部隊が常駐していた。陸上の装備面でも、ソ連の兵器と戦うため南樺太、北九州の部隊はとにかく重装備が多く、他の地域の防衛用の装備と違う二種類の装備が多く、特に十数年おきに更新される戦車開発が顕著だった。
 軍隊の規模は、西側ではアメリカ、ドイツに次いで巨大な規模で、軍隊は規模相応の権威を国内で維持していくことになる。国内の軍需産業も戦後の一時期を除いて大きなままで、アメリカ、ソ連には及ばないが、フランス、ドイツなど欧州列強に匹敵する規模と市場を持つ。
 また、西側最前線ということで国内の在日米軍も多く、北九州と南樺太には米軍の正規師団が常駐し、その他海空戦力も各地に駐留するため、在日米軍の規模は最盛時8万人にも達していた。有事には、アメリカの空母機動部隊もほぼ常駐状態となった。

 冷戦崩壊後の1992年には、大陸日本とソ連に対する備えがほとんど不要になったため大幅に削減され、一気に志願制軍隊に移行した。特に陸軍は、最盛時40万人を抱えていたのが三分の一にまで減っている。在日米軍も同様に大きく削減された。国防予算もGNP3%だったものが2%が基本となった。
 現在では、海空軍の規模は最盛時の7割程度で維持されているが、軍全体ではPKFや災害救助が主な任務となりつつある。


※※日本海軍の大型艦艇の推移

1950年代前半
 戦艦:《大和》《長門》
 空母:《信濃》《瑞鶴》《雲龍》《天城》《葛城》

1960年代
 戦艦:《大和》※一時現役復帰
 空母:《信濃》《瑞鶴》
 対潜空母:《雲龍》《天城》《葛城》

1970年代
 空母:《信濃》
   :《赤城》《加賀》
 コマンド空母:《雲龍》《天城》《葛城》
 練習空母:《瑞鶴》
 ※《瑞鶴》はベトナム戦争中まで現役維持。
 ※《雲龍級》はベトナム戦争中まで一部を運用。
 ※その後アメリカの強襲揚陸艦をライセンス建造

1980年代
 戦艦:《大和》※近代改装後、現役復帰
 空母:《赤城》《加賀》《翔鶴》
 練習空母:《信濃》
 ※日本海軍は母艦サイズからF-14を運用せず。国産機運用。

1990年代
 空母:《加賀》《翔鶴》《瑞鶴》
 練習空母:《赤城》
 ※湾岸戦争時、一時的に4隻体制化。《瑞鶴》はまだ未完成で《信濃》最後の任務。

2000年代
 空母:《翔鶴》《瑞鶴》《大鳳》
 練習空母:《加賀》

■大ニッポン計画

 この呼び名は、日本政府が呼称したものでも計画したものでもない。日本の東亜連邦への進出を総称して、一部マスコミなどが後に言うようになった大きな変化の通称である。

 1989年1月の昭和天皇の死。1989年11月の列島日本と大陸日本の歴史的和解。
 それが始まりだった。
 この当時、列島日本は為替相場の急速な円高と国内の土地・不動産騰貴、株価高騰により、異常なレベルにまで名目資産額が膨れあがっていた。俗に言う「バブル景気」である。
 列島日本の「YEN(=円)」は、為替レートによる異常な価値上昇を受けて欧米の資産や会社、美術品などをむさぼるように購入していたのだが、「バブル景気」末期に発生した歴史的な変化、「平成御一新」と「対馬の邂逅」で全ての方向が変化してしまう。
 日本人達の一部も、いつまでもバブル景気が続くとは思っていなかった。だがそこに、「冷戦崩壊」という天からの恵みがやってくる。
 大陸日本の民主化と二つの日本の電撃的和解により、降って湧いたように日本本土の数倍の土地と同数以上の人口を持つ市場を、日本の圧倒的優位で得る事になったのだ。
 そこで日本は、自ら値をつり上げた世界中の美術品や土地、資産、株式の多くを、極端に値下がりする前に再び元の主や他の者に買収価格より安価で売却してしまう。このため世界は、日本のバブルが急速に縮小しつつあると勘違いしたほどだった。だが日本は、国内にいまだ有り余る資金と世界最強の日本の土建屋集団を組み合わせて、世界中の土木機械をリースし、国内及び大陸日本の建設業者を雇い、新たに手に入った「日本」の改造に取りかかった。1970年頃、列島日本の総理が自国のインフラ整備を「列島改造」と揶揄したが、この時も「大陸改造」や「満州改造」と呼ばれた。
 しかも大陸日本では、国内の富裕層や特権階級、主に日本民族を自認する人々が、その当時有り余る列島資産と結託して自らの一部利権と引き替えに国土を安価で提供して尻馬に乗ってしまう。後は、日本企業の大量進出と消費経済の拡大、そして建設特需と工場進出による雇用創出を始まりとする大陸日本の急速な西側化、高度経済成長の始まりだった。

 最初の一年で農地を作り替えた工業団地用地が整備され始め、開始二年で国家規模の道路網再整備と区画整理が始まり、三年目には高層マンション群によるニュータウンの建設が始まった。その間、日本のあらゆる消費産業が、各地で店開きして大衆の消費を拡大。始まりから五年もすると、都心部で商業目的の超高層ビル建設ラッシュが始まり、都市計画が得意な東亜連邦官僚団が厳重に設定した新規都市計画に従い、かなりの面積が取られた文化保存地区と緑地帯、災害用区画以外の都市区画再整理も始まる。日本列島をほったらかしにした設計技師達もてんてこ舞いだった。
 そして改造開始から十年を経た世紀末には、東アジア最高と言われた美しい景観だった主要都市の新市街、副都心は、超高層ビルが乱立するハイテックな計画都市へと新たに変貌を遂げていた。郊外にも巨大なマンション群や大型ショッピングセンターが建設され、郊外には距離感を間違うほどの巨大工場が建ち並んだ。
 労働賃金格差から進出した日本の工場によって、大陸日本での所得上昇も急速だった。

 なお大陸日本は、冷戦期において東側で最も発展した国だった。一人当たり所得も高かった。冷戦中で東側トップの8000ドル(名目)だった所得は、冷戦崩壊による東側経済の崩壊の余波で一時的に半減した。だが、この「大ニッポン計画」による日本資産で大きくてこ入れされて持ち直し、約10年で先進国に準じるまでにで上昇していた。
 いっぽう列島日本の一人当たり所得はバブル開始前に1万ドルを越え、5年後のバブル末期には1・5倍に膨れあがっていた。その間の二倍以上の円高を加味すれば、ドル換算で3倍近くになっていたほどだ。だからこそバブル景気とも呼ばれたのだ。
 しかも大陸日本という広大な土地と消費すべき民衆、さらには域内で石油、石炭、鉄鉱石など有望な資源を得た事で「円」の価値は上昇し、これを大陸日本の大人口と発展した消費市場が補強を行った。
 なお、この頃の両国の総人口は合計で2億6000万人に達し、経済圏の規模としてはアメリカ合衆国や欧州共同体に匹敵する規模となる。
 双方の日本での経済力は、融和後2年はかなりの降下曲線を描いたが、3年目の1992年にはV字回復に転じ、93年からは再び長期的な好景気に転じた。
 そして2000年の通貨統合によって、「円」経済圏は間に挟まった民主化韓国も含めて3億人近くになる。その後も周辺地域を飲み込みながら、21世紀を迎えた今日では名実共に合衆国、EUに並ぶ巨大な経済圏へと成長しつつある、と言われている。
 もっとも、二つの日本が国家統合をすることは話し合いすら持たれず、あくまで違う国家として政治的には分立し、経済面など都合の良い部分だけ一つになるという結末を迎えたのは、一種の分断国家という状態を思えば奇妙な現象と受け取られている。
 また、列島日本が大陸日本への進出を強化しすぎたため、他の地域の諸外国への資本進出、企業進出では一部を除いて遅れを取っている。特に常に関係が思わしくない共産中華への進出では、致命的な遅れが出たと言われている。
 さらに、1990年代に日本語圏以外での進出ノウハウが十分得られなかったなどの弊害も多数見受けられ、21世紀初頭の二つの日本の未来がバラ色なわけではない。
 世界の識者は、日本人の経済圏は一世代も経ずに三倍以上の巨体となったが、グローバル化は欧米の一〇年後ろを進んでいると見られている。しかし逆に、日本社会には馴染まないアメリカ型経済(ハイエク型経済)を敢えて取り入れなかったとも言われている。この点は、アメリカで始まった所謂リーマンショックの影響が、比較的少なかった事からも確かだと言われている。
 また、いずれ対立や競争すると言われていた二つの日本の関係が、グローバル化の遅れから協力関係を続けざるを得なくなったと言われることも多い。

(※神の視点より:発展度合いは私たちの世界の21世紀に入ってからの中共に少し似ている。なお、この原文を書いたのは2006年です。)

※※史実日本との違い(神の視点より)

 戦争が一年早く終わったので国内の借金がその分少なく、国内も破壊されていないので終戦時の国富が多いのでスタートラインは有利となる。ただし、日本動乱で九州北部が大きく荒廃した。そして、大陸日本との対立で軍備が重視されたため、その分経済成長は抑制される(※一割程度鈍化)。また、満州からの帰国組(実務官僚)が一部いなくなるので、抜本的な経済発展には若干鈍りが出る。全体としては、高度経済成長は史実の8割程度になる。
 一方では、史実で中華への無償借款や半島の漢河の奇蹟で使われた日本の資金は、列島日本の軍事費と東北、北海道、南樺太開発に消えているのである程度相殺。
 また、戦争が一年早く終わったので東南アジア各地の被害が小さく、東南アジア各国に支払った様々な無償援助、賠償金もその分少額になっている。(※終戦が史実より一年早い)
 当然、軍需産業、航空宇宙産業が肥大化。フランス以上の規模になっている。
 なお、日本が戦争で失った海外資産の三分の二は大陸日本が土地ごと飲み込みんでいる。

 一方民意の点は、国内の戦争被害が殆ど無いので、戦争に対するネガティブな感情は少ない。日本人にとっての太平洋戦争は、「兵隊が沢山死んだ戦争」でしかない。日本動乱での北九州の戦災は「内戦」というまた別の感覚があるため、ネガティブな方向性に傾いていない。
 また国内の共産党など反政府的団体、組織が非常に弱いので(※多くが大陸日本に行って粛正されている)、反政府、反日本的な思想が広まる事も非常に少なくなっている(※もちろん皆無ではない)。

 

■日本以外の国々

■中華人民共和国

 中華人民共和国は、大陸日本(大東亜人民共和国または東亜連邦共和国)を承認しない国家で、日本帝国の軍国主義者に不法占領された地域と定義し続けている。大陸日本も、中華民国を正統な中華国家と認め、中華人民共和国を認めていない。
 当然だが、両国はいまだに互いの主権を認めていないし、正式な国交も開いていない。交流も、冷戦時代初期の頃のように一時期以外は最悪の状態が続いている。大規模、小規模な武力衝突も頻発した。国境となる万里の長城辺りの境界線には、いまだに冷戦自体に匹敵する軍隊を並べあっている。
 同様に台湾(中華民国)も国家承認しておらず、東トルキスタン、チベットについても冷戦時代初期にソ連に言われて渋々認めただけで、事実上の対立状態が続いている。21世紀に入ってからは、「一つの中華」をスローガンにして旧清朝領域の統合という名の征服を目指している。
 近隣の日本やロシア(ソ連)など近隣諸国との関係も悪い事が非常に多く、近隣諸国の全てが敵という状態が常に続いている。

 国内の発展は、平穏だった場合よりも大きく遅れているとされる事が多いが、理由は以下の通りとされる。
 中華人民共和国は、建国時から旧日本により工業化や経済的発展の進んだ満州、台湾を持たないため、国内資産が少なく工業化も大きく遅れた状態でのスタートとなった。満州で資本主義を学んだ人材がいない点も大きなマイナスとなっている。また東トルキスタン(ウイグル)も建国時に援助の見返りにソ連に譲り、チベットも動乱中に国連が入り込み(緩衝地帯を欲した英国、インドの影響)、清国の時代に比べると国土面積は半分近くになっている。当然そこから得られた筈の地下資源もなくなり、国内資源の少なさは発展の足かせとなった。
 そして大陸日本との対立状態も、政治、軍事だけでなく様々な面でマイナスに働いた。
 また、1950年代の終わり頃からソ連と関係の悪い一党独裁の共産主義国として世界中から孤立・冷遇され、人材も亡命という形で一部が満州地域に流出している。
 「大躍進」では、史実以上に資金も技術もないのに無茶な工業化と産業転換を行おうとして、対外的に約一千万人、実数約五千万人とされる餓死者を出している。「文化大革命(文革)」においても推定約二千万人が粛正され、国内の文化財が多く破壊され国際非難を受ける。この情報のかなりが、大陸日本に命からがら亡命した共産中華国内の亡命者がもたらした。
 また文革時に、東側諸国とも完全に断交。国際的な孤立を深くしている。
 ソ連と対立が深くなると1970年代から西側寄りの姿勢を強め、頑迷だった毛沢東死去後には市場経済面でのみ改革解放路線に入る事でようやく経済、工業の発展が行われるようになった。

 経済開放後は、巨大な人口につられた欧米の資本進出が始まるが、近隣との不安定な状況もあるため、進出は共産中華側の思ったほど進まなかった。周恩来が訪問したほど一番期待した列島日本も、大陸日本の牽制はしたいが、感情的に共産中華に大陸日本が飲み込まれたくもないため、交流や投資が低調な状態が続いた。列島日本が大陸日本を庇うような行動に出たのは、「同じ日本人」という同族意識が強く働いた為、共産中華の働きかけは無駄だった。
 そして、1989年に発生した天安門事件で、列島日本などの冷淡な対応の長期化とその後の冷戦崩壊により国際的孤立状態が長引く。列島日本の投資と進出も、冷戦崩壊後は大陸日本に向くばかりとなった。先進各国の投資も、まずは投資し易い大陸日本や他のアジアに向かい、21世紀に入ってようやく共産中華への進出が本格化した。
 しかも国内では、陸で境界線を接する大陸日本との水面下での交流、謀略放送、宣伝工作などにより、共産党政権への疑問が華北地方を中心に根強く、内政の安定が低くなった事も海外の投資を遅らせた原因となっている。天安門事件はその象徴とされている。
 そして様々な理由により、共産中華政府は大陸日本を非常に憎んでいる。この事も、結果として国際評価を下げて海外からの投資を減少される要因の一つとなった。

 また、中華共産党自身も資金繰りに苦心し、建国後ずっと地方軍閥の勢力が大きいまま推移している。当然だが中央統制は独裁というには少し弱く、軍事力を楯にした地方(軍閥)の権力が強い。しかも地方では、この地域特有の極度の腐敗官僚と腐敗軍人が蔓延り、中央政府の足を引っ張る状況が建国後ずっと続いている。また政府や党はともかく、官僚は人民解放軍の統制ができておらず、政治と軍事が噛み合わない事も多々見られる。
 列島日本との関係は、1970〜80年代の十数年間を除いて希薄なまま推移している。列島日本は、大陸日本が自らの投資で発展して以後は、東南アジアやインドに生産拠点を求める。欧米資本の動きは日本よりましだが、経済原則に従い概ね列島日本と似た動きをとっている。
(※神の視点より:経済発展は史実の半分程度のペース。)

 21世紀初頭の中華人民共和国の総人口は11億人程度。21世紀に発展が約束されていると言われるも、発展が本格化するのは、2005年時点で最低で十年、最大で四半世紀は先と見られている。その上、1970年代からの強引な人口抑止政策もあって、2012年には労働人口がピークを過ぎ、発展できないまま人口減少に傾く傾向を強く見せている。このため発展できないまま少子高齢化する最初の国になると言われている。
 しかも経済的にはインドに先を越されつつあり、ブラジル、メキシコなど他の途上国の台頭も始まって、近隣諸国との歴史的な根深い対立を考えると前途は明るいとは言えない。
 また、自らの中華第一主義(「一つの中国」主義)のため、満州を有する大陸日本(東亜連邦)と台湾にいる中華民国、東トルキスタンやチベットとの外交関係が極度に悪く、これも海外からの評価を低くさせる大きな要因となっている。

 

■中華民国

 中華民国(台湾)は、国共内戦に敗北した1950年以後は、連合軍が日本から取り上げた形の台湾島に本拠を置く。建国当初は、海峡が辛うじて自主独立を存在を維持させるだけの弱小国だった。
 共産中国の外交、内政の失敗と、大陸日本の存在により存続が続いたと言われる。だが、アメリカを中心とする西側全てが、長らく中華民国こそ唯一の中国としていた事が存続の最大の要因となった。
 特に西側の多くが、共産中国の核開発まで正統な中国として見る向きが強く、冷戦崩壊後は共産中国との関係から大陸日本(東亜連邦)と協調。「一つの中国」を国是にする共産中国と強く対立している。諸外国も、完全な自由主義国家となった大陸日本の存在もあって、共産中国との関係が微妙な国が多い。特に旧東側諸国は、冷戦崩壊後も共産中国に対して冷淡で、台湾との関係を結んでいる国もある。大陸日本と連携する事も非常に多い。
 列島日本と台湾の関係は、1970年代までは東側陣営の包囲という目的により親密だった。だが、結局はアメリカに追従した日本の共産中国承認と共に、国家間としての関係はほぼ断絶。逆に大陸日本と台湾の関係は、共産中国の国際承認以後大きく進み、現在でも共産中国への対抗上のため強く維持されている。

 台湾自身は、1980年代に自ら民主化。工業化と経済発展にも成功して、自力でも四半世紀先までは共産中国と対抗できている状況が続くとされている。大陸日本や東トルキスタンなどと合わせれば、共産中国が台湾島を軍靴で踏みつけることは事実上不可能というのが、国際的に一般的な見解となっている。
 現在では、国民の間でも中華民国ではなく「台湾国」として独立する方向が強くなっており、国際社会が「独立」を認めるのも時間の問題と見られている。
 

■朝鮮半島情勢

 日本人勢力分断の折りに、旧日本勢力側、いわゆる大陸日本の領土として取り込まれる。
 東亜動乱で朝鮮半島は大陸日本の出撃拠点、兵站拠点とされるも、主に朝鮮半島南部が米軍の爆撃で壊滅。都市は破壊され、社会インフラの多くも失われた。この時、米軍により、釜山が港湾部を中心にして原爆の洗礼を受けている。
 東亜動乱後の政治的副産物として、半島南部に大韓人民共和国(人民韓国)が成立。北部は朝鮮半島の民意としてそのまま大陸日本の領土として保持され、日本語圏への残留を望む朝鮮民族の民族自治国(高麗王国)とされた。
 建国後の共産韓国は、冷戦中は西側との緩衝地帯として大陸日本とソ連が相応の援助をするも、労働党による一党独裁、金一族による強権支配、軍部優先の軍国主義という歪んだ政府が全期間にわたり存続したため、国家として健全な発展ができなかった。
 それでも冷戦中は、主に大陸日本駐留軍が落とす駐留費と、大陸日本向けの米の輸出、そして大陸日本とソ連から同盟国価格で輸入される各種資源、東側各国からの援助・支援により国内経済と最低限の発展は保たれていた。
 ただしナショナリズムに少し走りすぎ、高麗王国では維持された漢字を自ら棄ててしまうなど、教育や発展に弊害となる政策も多く実施された。

 冷戦崩壊後は、いち早く民主化した大陸日本との関係を自ら絶ち、誰からの援助も受けないまま遅れた農業国として世界から取り残される。しかし、二つの日本に挟まれた地理条件のため地理的に完全に孤立しており、軍備増強に走るもそれが経済状態を日増しに悪化させる。
 1997年に発生した大規模な飢饉を契機として、ついに軍事クーデターという形で政変が発生。国を牛耳っていた金一族は国外に逃亡し、以前より少しばかり民主的な国家として再出発が始まっている。ただし、国連や近隣諸国からの援助機運は様々な要因により数年で霧散し、経済の停滞によるさらなる政変、軍国主義化が懸念されている。宗主国となる大陸日本からの支援は継続しているが、声が大きくなる一方の援助要請に大陸日本が辟易とするのが常となっている。
 また、冷戦崩壊後から大陸日本の民族自治国(高麗王国)との民族統合に向けての話し合いが継続されているが、今だ具体的な話にはなっていない。経済格差が大きすぎる事と、大陸日本側のコリアが大陸日本人化し過ぎているため、民意において別民族と言える状態になっているのが大きな原因とされる。また、大陸日本側の高麗王国では伝統階級が復活して、政治的に相容れにくいという要因も大きい。現時点では、最終的に高麗王国も完全独立して二つの国家になる可能性が高いと言われている。
 なお大韓民国(人民韓国)は世界で唯一の被爆国であり、その点での国際的知名度が冷戦時代から高く、東側によるアメリカ非難の宣伝材料とされ続けた。民主化後は、自ら国際宣伝を積極的に行い、原爆投下の日は国を挙げての祭りの様相を示し、主にアメリカとの賠償問題が日常化している。また二つの日本に対しても、戦災賠償を言い立てる事が、同じように日常化している。

(※共産韓国は、日本が全く支援しない韓国を金一族と労働党が支配しているような状態。)

 ちなみに、アメリカ主導の朝鮮民族による民主主義政府による仮政府は、1940年代後半に済州島に暫定政権を作ろうとした。しかし、二つの日本の分立と東亜動乱でうやむやとなり、戦争中の米ソの取引により立ち消えている。済州島は冷戦中はアメリカの国連委任統治領として軍事拠点化し、その後大韓民国に返還しようとしたが、自殺者すら出た住民の猛烈な反対運動があったため、米委任統治領のまま維持されている。連合軍から指導者として担ぎ上げられたイ・スンマンなどは、あまりにも現実と乖離した事しか言わない為、アメリカが政治的に排除する結果に終わった。

■第二次世界大戦後の欧州情勢
 (※我々の世界の視点から見ていく。)

 西側中欧・東欧諸国/
ドイツ(※統合ドイツと同規模)、オーストリア、「チェコ」、ギリシャ

 東側中欧・東欧諸国/
ポーランド、ハンガリー、「スロヴァキア」、ルーマニア、ブルガリア、(ユーゴスラヴィア、アルバニア)

 ドイツ(ドイツ連邦共和国)は、史実の東西統合後の国土を最初から保持。東西分裂はなく、東ドイツの辺りが西側の最前線となる。首都もベルリンのままで、冷戦時代は実質的にソ連にとって最も邪魔な存在となる。ただし、史実でポーランドなどの領土となった東プロイセンやシュレジェンは、完全に喪失している。
 チェコスロヴァキアは、米ソの政治的取引の結果民族自決という表面上のお題目のもとで、チェコとスロヴァキアに最初から分裂。それぞれ東西陣営に属する。分割線などは冷戦崩壊後のチェコとスロバキアに準じる。
 ドイツとチェコスロバキアの状況の変化によって東西分割ラインは大きく東進し、その分ソ連の防衛ラインが史実よりも数百キロメートルも後退している。結果として、極東(東アジア)に大きく食い込んでいる大陸日本を政治的に重視するようになる。
 また、ドイツ(東ドイツ)、チェコは東欧の工業力の要だったため、その分東側の工業力、技術力も低下している。しかし、人口、生産力の面では大陸日本が肩代わりしている。
 ただし大陸日本は質の面で東ドイツ、チェコを完全にカバー出来ないため、東側陣営の工業は史実より規模は少し大きいが質の面で少し劣っている。

 一方では、ドイツのオーデル・ナイセのラインと、チェコ、スロヴァキア国境が西側の最前線となるため、NATO(北大西洋条約機構)の欧州駐留軍もその地域に集中。自然、ドイツの役割が強まる。 
 駐留するNATO軍も、史実のライン川駐留軍ではなくエルベ川駐留軍になる。駐留するのは、ドイツ以外だとアメリカ、イギリスのみ。ベネルクスやフランスは、コスト問題もあって本国待機。この辺りは史実と同じ。
 当然、欧州西側陣営の戦力は史実より大きく、西側に取られた分東側は戦力を都合2倍も失っている事になる。これによる戦力格差は、東ドイツ、チェコ合計で3個軍団に相当し、東側は差し引き6個軍団の戦力と数百キロメートルの縦深を失っている事になる。当然、ソ連国境に近づく。
 このため、ソ連は欧州正面で史実よりも守勢傾向が強くなり、ソ連極東の安全も保障する満州を得た東側で積極的な動きを取り、さらには列島日本の軍拡傾向が強まっている。逆に東欧駐留軍が減っているので、若干だが軍事費が削減できる。
 またドイツは、最初から統合された状態で戦後復興に入るので、その分国力も大きく国内的混乱も少ない。長い間西側第二位の大国として位置づけられる。日本に抜かれるのは、ニクソン・ショック以後になる。
 しかし、近隣諸国のドイツに対する警戒感は強まり、国力が大きくなったからと言って国際的地位に大きな変化はない。ドイツ自身もナチス時代はトラウマであり、自ら強く出ることはない。あくまでソ連の矢面に立つ国としてのスタンスを維持する。
 中欧、東欧情勢で史実との変化が強くなるのは冷戦崩壊後のことになる。