■長編小説「虚構の守り手」

●終章「再開」

 一九八九年十一月十日未明 対馬海峡

 まもなく空は、夜の蒼から日の出へと向かうプリズムをまたいだ変化を行おうとしている。そんな夜明け前の海上を、二つの人工構造物が接近しつつあった。
 二つの塊は、鋼鉄でできた巨大な船であり、全体として似ているが細部は全く違っていた。これが人間なら、兄弟姉妹というにはあまりにも姿が似ていないと指摘しただろう。朝日が天空の支配を取り戻すに従って、その姿を満天下にさらしつつある。
 色も明灰色と暗灰色。まるでそれぞれの歩んだ道のりを現すように明暗分かれていた。
 「大和」と「武蔵」。
 約四十年にわたる東西冷戦の中で、二隻の巨大戦艦が双方の海の象徴として競い合い続けた結果だった。
 そしてこの二隻が、互いに警戒をする事なく平和なうちに邂逅しつつあるのが、時代の象徴として歴史に刻まれようとしている。
 そう、彼女たちの再会により、長きにわたった冷戦に幕が下ろされるのだ。

 「武蔵」を抱える大東亜人民共和国の崩壊は、劇的なほど呆気なかった。もしくは逆に、呆気ないほど劇的だった。
 この邂逅の少し前、人工国家を支えていた官僚と軍による統治が、ソ連という後ろ盾を失うと急速に魔力を失いかけた。この時国のトップ達は、自分たちの権力基盤を無理にでも維持するか、全てを手放すかを昼夜を問わず数日間議論した。そして自分たちの手元に少しでも実質的なものを残すため、一度全てを手放す事を決意する。
 簡単に言ってしまえば、西側、より詳しくは列島日本と呼んだ日本国との完全和解と同時に、一気に自国の民主化に踏み切ったのだ。
 民主化しようが、この国の日本人も軍人も官僚も、特権階級すらも生き残れる。列島日本に併合されることはない。自分たちの立つ場所は、もはや歴とした独立国家である。
 それが彼らの結論だった。
 だからだろうか、国家崩壊の過程はいちおうの段階は踏んでいたが、諸手をあげて西側に降伏したようなものだった。そこには、ソ連であった形ばかりのクーデターすらない。
 この国を構成していた現状維持派が、行動を起こすいとますらないほどの素早さ。とある研究家が、まるで計画倒産だといったほどの見事さだった。
 背景には、東側の優等生として産業化が進んでいたことと、政府による強力な日本化政策があると言われた。しかし裏には、新たな仮想敵として急速に浮上しつつある、南の国境を接する国に対抗するためという理由がある。
 外圧で大きく動くというのは、日本的政権の特徴なのだろう。
 そして大東亜人民共和国は国名を東亜連邦共和国と改名し、日本やアメリカ、西側世界と電撃的に和解。
 和解の象徴として、今まさに「大和」と「武蔵」が同じ朝日を迎えるべく、対馬海峡での邂逅を果たそうとしているのだ。
 洗練された外観にライトグレーの「大和」。ソ連製電子機器によりゴテゴテした外観に深いダークグレーの「武蔵」。
 そして冷戦で勝者側となった「大和」艦上では、異形の姉妹を見つめる人々があった。普段はアメリカ風の流れを受けるラフな軍服だが、今日は最も海軍将校らしく見える第二種軍装を決めている。こればかりは、世界中どこに行っても似たような出で立ちだ。

「それにしても、こんな事になるなんてなあ」
 肩に少しばかり派手な意匠を施した男が、全てを要約した言葉をボソリと呟いた。
 彼の呟きに周りが反応する。
「まったく隊司令のおっしゃる通りですね。四十年前はここで何度も殴り合いをしたんですから」
「ああ、ベトナムでも睨み合ったしな。けど、原因がなんだったにせよ、丸く収まってよかったよ。今じゃ向こうの国民の多くが日本人と似たような生活をしてるんだろ。そんな奴らになかなか銃は向けられないぜ」
「民族まるごとでそれやって懲りてますからね。ところで、向こう側、もとい東亜連邦共和国に行った事がおありなのですか?」
「いや、ない。しかし、これからはいくらでも行く機会はあるだろ」
「そうですか。じゃあ、なるべく早く行く事をお薦めしますよ」
「なぜだ?」
「鋼鉄のカーテンの向こうの悪の帝国に、本当は何があったのか。それを知るためですよ」
 そう言った星三つを付けた男は、少し楽しげに肩をゆらしている。
 それは、これから大臣のお歴々と共に向こうの人間と握手しにく海将が、降ろされた鋼鉄のカーテンの向こうで驚く様が目に浮かぶようだからだ。
 数ヶ月前の彼がそうだったように。

 虚ろいの都、蜃気楼都市「新京」。
 昭和前半期の日本が、まるで映画のセットのように再現されたかのような佇まいをしていた。見た目は日本人とは少し違う人々が多かったが、言葉も振る舞いもバブル景気と共に現代日本人が忘れつつあった日本人そのものだった。
 着物や民族衣装を着た人々。丁寧な挨拶。きれいに掃除された車の少ない街路。外で走り回る明るく元気な子供達。全ては昭和半ばぐらいまで日本で当たり前だった景色だ。そう思えば、景色もセピア色に見えてきそうになる。
 しかし、最もショッキングだったのは、招待された軍部中枢要人の住む純和風邸宅に入ったときだった。
 なんと彼を出迎えたのは、三つ指を立てて客人を出迎える着物姿の東欧系白人女性と、明らかに混血と分かる子供たちだったからだ。
 そんな景色に、大陸日本の徹底した日本化政策を思い知る事になる。もちろんここまで極端な例は、国の一割程を占め国を牛耳る日本人コミュニティーだけだろうが、そこはある意味歪んだが故に純粋なままの日本があったのだ。
 そして歪んだ日本の象徴たる「武蔵」が、彼らの眼前に徐々に接近しつつある。
 かつてと変わらないのは、船体と艦前方に設置された二基の主砲塔、そして艦橋ぐらいだ。
 マック化された煙突。その上にそびえ立つ巨大なハエ取り網のような電探。主砲の前など各所に並べられた巨大な筒状のミサイルランチャー。全てが大造りな大量の防空兵器と誘導システム群。
 そして艦後部に広がる飛行甲板。全ては日本動乱以後に設置されたものだ。
 歴史の中で姿を見せるたびに形を変えていた彼女が行き着いた衣装がこれだった。
 それに引き替え、アメリカを始めとする合理的でコンパクトにまとめられた西側装備を満載する「大和」は、総合戦力で「武蔵」をはるかに凌駕しながら、出で立ちはスマートそものも。
 もちろん戦艦としての凶悪さは全く失っていないが、イージスアンテナまで装備した姿が、二度の戦後を体験した列島日本の繁栄のほどを現している。

 星三つを付けた男、現「大和」艦の艦長の含み笑いをいぶかしんだ隊司令だったが、軽く肩をすくめると軍人の顔へと戻った。
「さあ、雑談もここまでだ。そろろそ真面目にいってくれ。何と言っても、数十年ぶりの二つの日本軍の友好的な再会だ。世界も注目している。恥ずかしくないようにな」
 そう言うと、視線を左舷方向に向けた。そこには、百メートル近くにまで接近した「武蔵」の姿がある。
 ここまで接近するのは数十年ぶりだ。
 お互いいささか古びれているところもあるが、海の女王のとしての威厳を全く失うことない鏡のような存在がそこにあった。
 昔と変わらないこちらと同じ場所で、自分たちの同類が動き回っているのも見える。服装も似たようなものだが、向こうは何故か真っ黒な第一種軍装だ。
 そして、隊司令の視線に気付いた向こうの指揮官らしき人物が、唐突に敬礼するのが見えた。
 無礼のないよう隊司令も応える。
 それはまるで、かつての決別の時できなかった事を、今ここで再現するためのような光景だった。

 了

●年表と略歴 へ