■長編小説「煉獄のサイパン」

●第一章 2

1944年7月25日 南シナ海・フィリピン沖

「夜空がお好きなのですか、山科中佐」
 落ち着いた声に、山科はゆっくりと振り返った。
 しかし山科は言葉を返すでもなく、声の主を少しばかり見つめると再び夜空に視線を戻した。
 表情は険しいというほどではないが、本来なら温厚なのであろう雅た顔立ちには、不釣り合いな厳しさを眉間に刻みこんでいる。
 いつも通りの客人の応対に小さく嘆息した男は、自らの職務を思い出すかのように気を取り直すと、気分をほぐす方法を巡らせながら山科の側に並んだ。
 男は、《伊29潜》艦長の木梨鷹一中佐。ドイツ訪問の最後の行程をこなしている、日本海軍はおろか世界第一級の潜水艦乗りだ。
 木梨が山科の横に並ぶと、山科が夜空を見つめたまま、独白するような声で話し始めた。艦の速度のせいで風がうるさく、木梨以外にその声を聞く者はいない。
「長々とご迷惑をおかけする。埋め合わせはいずれ」
「我々乗員一堂は、任務を果たしているだけです」
「しかし、最後まで同乗した上に、差し出がましい事まで言ってしまった。おかげで、海軍にとって裏庭のような場所で、この《伊29潜》は夜しかまともに浮上航行していない」
「事実そうですが、山科中佐の言葉が正しいでしょう。危うく最後で油断する所でした」
「木梨艦長に認めてもらえるとは、本当に嬉しい。私の研究も少しは役に立つというわけだ」
 山科は、悲しげとも言える微笑みを見せた。それは、かつての彼とはかけ離れた影のある笑みだった。

 見張り員が詰める艦橋の間で、それぞれ決められた時間だけ外の空気を満喫している中、二人の中佐が南シナ海上で言葉を交わしている。
 本来なら、この場に中佐は《伊29潜》艦長の木梨鷹一しかいない筈だった。ところが、便乗者に山科博中佐の急遽便乗が決まってから小さな変化が積み重なっていった。
 もともと《伊29潜》水艦は 横須賀の海軍工廠で建造され、1942年(昭和17年)2月27日に竣工した大型の伊号乙型潜水艦だ。優れた性能を持つ上に水上偵察機を搭載できる帝国海軍の自慢だった。
 最初は通商破壊任務に用いられ、インド洋を主戦場として4隻の船舶を撃沈した。そして1943年4月28日、マダガスカル島沖でドイツ海軍の《U180》と会同し、インド独立の闘士チャンドラ・ボースを受け入れるなどの活躍を示した。
 そして1943年12月16日、ソロモンの海で空母《ワスプ》を撃沈した英雄、木梨鷹一中佐を艦長に迎え入れると、第四次遣独潜水艦としてシンガポールを出航した。そして荒海、連合国軍の厳しい警戒などの障害を乗り越え、苦難の道のりの末に1944年3月11日、フランス大西洋岸のドイツ潜水艦基地ロリアンに入港した。
 この時の往路は、乗員105人と便乗者16人、総員121人である。便乗者のなかには駐独武官を交代する小島秀雄少将と、木梨と海軍兵学校同期の3人の中佐がいた。
 そしてロリアンのブンカーに入ると、ドイツから盛大な歓迎を受けると間を置かずして、隙間無く詰め込んできた物資の揚陸作業が始まる。
 持ってきたのは生ゴム、タングステン、スズ、亜鉛、キニーネなどドイツでひどく不足する南方資源と、受け取る物品の代金ともなる金塊が2トン。全てがつつがなくドイツに引き渡された。意外な事だが、純金の保有量に関して国力に劣る日本帝国の方がドイツより余裕があったのだ。
 積み荷を降ろし終わると、今度はドイツの科学の精粋が積載される。
 連合国すら持ち得ないV1、V2ロケット、ジェットエンジン、局地戦闘機、潜水艦用聴音機など、ドイツ新兵器の設計図類とそのモデルなどだ。中には現物が積み込まれているものもある。
 揚陸から積載のスケジュールは慌ただしいとも言える状況だが、一日経てばそれだけ復路の海が危険になると考えれば、当然の事だ。
 また、先に連絡使として渡独していた小野田捨次郎大佐以下陸軍中佐3名、技術士官など日本人14名と、渡日する武官補佐官や技術者などのドイツ人4名が復路の便乗者に予定されていた。そこに、山科中佐と彼が連れたもう一人の便乗者が、日本本国の軍令部を動かしてまで加わった。
 《伊29潜》は潜水艦としては大型なので、便乗に大きな問題はなかったが、軍令部のごり押しとあってあまり快い便乗とは言い切れなかった。もちろん寡黙で度量の広いと言われる木梨艦長は何も口にせず、予定外の便乗者すら飲み込んだ《伊29潜》は、ロリアンのブンカーでドイツ側の盛大な送り出しを受けつつヨーロッパを後にした。ドイツにとっても、それだけの応対をすべき訪問者だったのだ。
 なお、最後の便乗者は、かなり早くにロリアンに駆けつけていた。そして軍令部からの許可証を見せなり、持ってきた機材で《伊29潜》の修理・補修と同時に、出来る限りの改装に手を付けた。
 その時山科中佐は、説明を終えると険しい顔のまま木梨に語った。「少しでも多くを日本に持ち帰るため、というのは方便だ。本当は、私の生還率を少しでも高めたいだけ。笑ってください」と。この言葉に木梨は、話が通じないガチガチのエリートや険しい表情から見える通りの人物ではないとの感想を抱いた。言葉の最後が他と違い丁寧語なのは、公でなく私が滲み出ていると感じたからだ。
 そして準備を終えた《伊29潜》は、敵の厳戒警戒中のビスケー湾、やはり気の休まる時のない大西洋、荒天下の南緯40度線などが待ち構える地獄の海路を引き返す旅路へと就いた。
 だが復路は、順調と言えた。往路同様に航路の大半は危険に満ちたものだったが、ほとんどが取り付けられたドイツ製の電探や逆探で事前に危険を回避する事もできた。
 急の工事で新しく据え付けられた電探や逆探操作は日本側だけでは荷に余ったが、山科が連れてきた技師などの指導を受けつつ運用された。山科が連れてきたのは電波兵器の専門家で、彼が個人的ツテを利用して最後に持ってきた荷物ともども連れ込んだのだ。
 もっとも操作手順を教える際の通訳を、兵にとって雲の上のような軍令部中佐が務めているのだから、むしろそちらの方が重荷だっただろう。
(確か、マイアー技師とか言ったかな)
 7月14日、無事シンガポールまで到着した《伊29潜》は、ここより空路となる復路の便乗者と図面の一部を下ろすと、しばしの休息となった。なにしろ三ヶ月近く地面を踏んでいないのだ。乗組員に半減上陸の一つもさせてやるのが軍の務めというものだ。上層部の方も《伊29潜》の活躍にはいたく感謝しているらしく、一刻も早く帰国すべきなのにシンガポールでは一週間の滞在となった。
 《伊29潜》の艦橋で腰かけタバコをくゆらせている木梨自身も、到着時に純白の二種軍装に身を固め、第十根拠地隊司令部に挨拶に出向き、少しばかり丘でくつろいだものだ。
 急に乗り込んできた軍令部のエリートと、彼の連れてきたマイアーという名のドイツ人技師もすでに艦を降り、今頃は市内の一級ホテルでしばしの休息を楽しんでいる事だろう。
 何しろ今のシンガポールは、いまだ日本の牙城。東南アジア統治の最重要拠点だ。しかもどの前線からもはるかに遠く、連合国軍の潜水艦すらあまり近寄ってこないほどだ。
 当然ながら空襲もなく、山下将軍がロイヤル・アーミーを降伏させてからは砲声一つ聞くことのない、日本軍の一大拠点にして南洋の楽園に等しかった。今や危険な海となりつつある海を通り日本本土と南方を往来している船員も、シンガポールに来た時だけは大いにくつろぎ異国情緒を楽しんでいた。
 木梨にしても、今は兵達に対する演技ではなく、心からくつろいでいる。
(これが油断や慢心にならなければ良いが)
 自身に対する懸念が浮かばないではないが、今ぐらいは構わないだろうと、自分自身にも少しばかりの贅沢を許していた。
 だが、心の緩みが次に来た小さな不意打ちを現実のものとした。
「すまない、復唱してくれ」
 素早く船内の発令所から通信を持って上がり通信文を読み上げた恩田上等兵曹に、木梨は思わず聞き返してしまった。通信文を持ってきた上等兵曹にしても、物好きがいたものだという顔をしている。
 通信文が正しければ、あと1時間に迫った出発をもう1時間延ばし、同乗者を迎え入れろという命令文だ。しかも同乗するのは、欧州から便乗してきた者だった。当然ながら通信文に詳細については書かれてなく、戻ってくる人物を思えば詳細について知らされる事はないだろうと想像がついた。

「迷惑をおかけする。内地までの道中よろしく頼む」
 社交辞令だけ言った山科は、ホテルでクリーニングしたばかりと思われる第二種軍装に身を包み、木梨たち《伊29潜》の前に舞い戻ってきた。今度は一人で、他に同行者もいない。ただ、それまでと違うのが左手だった。左手には一目で丈夫な作りと分かるアタッシュケースが握られており、しかも鞄には手錠が付けられ山科の手首と固くつながれていた。
 欧米で言うところの『クーリエ』、伝書士というやつだ。帝国海軍で同じ事がされるのは珍しく、厳しさを増した彼の抜き差しならぬ雰囲気と合わせて、よほど重要な情報を持っていると思われた。
(だが)
 木梨は手錠付き鞄つ山科に疑念を持った。本当に重要なら、むしろ航空機で素早く目的地に向かう方が安全な筈だからだ。彼とは別に空路で同じ任務に就いている者がいるとも考えられるが、やはりおかしい。なにより、海軍武官にして技術の伝達者で、帰国すれば軍令部の中枢に行くようなエリートが、わざわざ二重任務を任されるとも考えにくい。
 しかも《伊29潜》側も、ドイツで得た重要物資を持ち帰るという重大な任務がある。『ものはついで』と言わんばかりの状況には不可解な点が多すぎた。
 よほど厄介ごとを抱え込んだと予測するより他なかった。それとも、あの手錠付き鞄こそが見せかけで、山科中佐本人が便乗することに何か意味があるのかもしれない。
 そこまで思考を進めたところで、イギリス製の黒塗りの高級車を降りた山科は《伊29潜》へと登り始めていた。そして登ってくる山科を見た木梨も腹を括った。
 今は考えている場合ではない。何としても内地に無事帰り着かねばならない時なのだ。

 昭和19年7月中頃、南シナ海はまだ安全な方だった。主に豪州西岸からやってくる連合国軍潜水艦には手を焼くというレベルを超えつつあったが、空襲は蘭印(インドネシア)のチモールや東部ニューギニアあたりで止まっている。
 少なくとも、東部ニューギニアや中部太平洋のように増援を送り込む事すら不可能で孤立している拠点に比べれば、まだ天国のような状況だ。
 しかも《伊29潜》は、日本海軍の中では優秀な性能を持つ潜水艦であり、長旅でいささかくたびれていたが、ただ航路を消化するぐらい何ら問題ないと考えられていた。
 しかし、その常識的見解に異を唱えたのが、最後の便乗者、山科博中佐だった。
 山科は、シンガポールまでと比べて格段に改善された居住環境、専用の寝台を与えられた事でリラックスしたのか、乗員にとって迷惑になりつつあった。
 発令所の片隅で立っているぐらいならまだ良いのだが、発令所近くの士官室(と言っても、少しばかり広い通路に固定式の椅子とテーブルを置いただけの、食堂兼用の狭い空間)で過ごす事が多く、何やら持ち込んだ資料に目を通したり、書き込みや筆記をしては食事や休憩に来た士官たちの僅かな休息を邪魔することしきりだった。
 しかし当人は、いたって真面目な顔、真剣な眼差しで自らが行うべき事にうち込んでいた。
 発令所にいるときも、暇つぶしというよりは、観察している風な視線が強かった。下士官の一部などは、積載された重要資料に対する情報漏洩を監視するため乗り込んできたんじゃないかと噂しあったほどだ。
 確かに、乗員の誰かが間諜で情報漏洩の恐れ有りと上層部が判断したと仮定すれば、山科の急な乗艦も少しは納得できそうだ。手錠付きの鞄を閉鎖空間の潜水艦に持ち込んできた事も納得しやすい。
 しかし木梨としては、家族のごとく思っている乗員、しかも都合半年以上にわたり日独横断という偉業を成し遂げつつある部下達がそのような目で見られる事、場合によっては乗員同士が互いに疑心暗気になることは耐えられなかった。
 そこで、自らの僅かな休息の時間を利用して、山科との会話を多く取ることにした。
 もっとも、取れる時間は一回につき数分から十数分。すでに今までの旅路で簡単な個人的プロフィールなど交換しあっているので、いまいち会話すべき内容も思いつかなかった。何より木梨は口数が多い方ではない上に、山科の方もほとんど雑談はしない。いきおい士官室で向かい合って、戦局などについて小声で少し話し合うという程度で数日が過ぎていった。
 もっとも、シンガポールに着いてからは戦局についての話題には事欠かない。
 昭和19年6月11日から連合国軍はマリアナ諸島に侵攻。《伊29潜》が息も絶え絶えで実質的な出発点となったペナンまで戻って来た頃には、米軍がサイパン島に上陸して激しい戦闘をしているという情報が、主に水面下から噂という形で入ってきた。
 しかも、箝口令に近い情報統制があったが、海軍主力部隊である空母機動部隊も壊滅的打撃を受けている事が分かっていた。
 そしてシンガポールで様々な情報に触れていると、戦況が日本に圧倒的不利なことも分かってきた。
 まずは、欧州。旅立ってきたヨーロッパでは、連合国軍の大規模な反攻作戦がスタートしていた。既にフランス沿岸に連合国軍の大きな橋頭堡が築かれているとも、各方面から入る短波ラジオや新聞が伝えていた。同時に、ソ連軍が東部戦線で大攻勢に出ている事も分かり、ドイツが今までにない苦境に立っていることを伝えた。
 いっぽう、激戦が続いている筈のサイパン島では、7月6日に現地司令部からの決別電があった事も分かった。加えて、同月8日には米軍がグァム島に上陸していた。海軍実働部隊の壊滅的打撃、空母部隊の壊滅も事実だった。
 そして《伊29潜》が到着してから二日後の7月16日、聯合艦隊の主力艦隊である第二艦隊が、シンガポールとは目と鼻の先のリンガ泊地に到着したという話しも舞い込んできた。もう内地に多くの石油がなく、危険を承知で石油の豊富な南方で訓練するより他なかったのだ。
 そしてシンガポール滞在中の7月18日、日本のラジオ放送はサイパン島『玉砕』と発表し、敗北の責任を取っての東条英機内閣総辞職を伝えた。
 将兵たちは噂しあった。
 サイパンが落ちて東条内閣が総辞職すれば、帝国は降伏して戦争が終わるのではないかと。特に《伊29潜》乗員は欧州で同盟国イタリアの脱落についてよく知っていたので尚更だった。イタリアの状況は、今の日本と似ている。それに欧州での激しい爆撃も直に体験しているので、何とか内地が爆撃される前に事を収めるべきじゃないかという意見もあったほどだ。だが、連合国が無条件降伏という近代国家にあるまじき暴論を枢軸国に突きつけている以上、米英の鼻面を叩き折らねばならないとする景気の良い意見の方が多数派と言えた。
 特に補給で第二艦隊を見てきた船舶関係者は、聯合艦隊今だ健在と鼻息荒く、日本人の戦意という点では戦いはまだまだ終わりそうになかった。
 そして乾坤一擲の反撃への期待と連合国の物量戦に対する不安を抱きながら、日本の起死回生を実現する筈の品々を積んだ《伊29潜》は、7月22日出港し日本進路を向けた。

 シンガポールを出発してから3日後の7月25日、《伊29潜》は南シナ海を順調に航海を続け、台湾とフィリピンの間にあるバシー海峡まで一日に迫った。バシー海峡を越えてしまえば、琉球列島沿いに北上しつつ、海峡通過3日後には呉に帰投できる。
 そうした中、しばしの時間を得ることができた木梨艦長は、士官室の片隅で資料に目を通している山科を見つけて側に行った。手には、烹炒長に入れてもらったコーヒーが、カップで二つ握られている。
「一服、取られてはいかがですか。どうぞこちらに」
 香りにつられて顔を上げた山科は、よほど不意を打たれたのか呆然としたような顔をしている。木梨が今まで見た事のない素直な顔つきだった。
 (いい機会かもしれない)そう思った木梨は、《伊29潜》唯一の個室である自らの部屋に招き入れがら、彼なりに畳みかけることにした。
「昭南(シンガポール)で、烹炒長が買ってきた英国製の高級品です。砂糖も多めに入れてあるので、疲れも取れると思います。それとも無糖がお好みだったでしょうか」
「いや、ありがとう木梨艦長」
 呆然としたまま山科はカップを受け取り、部屋の中の小さな椅子に腰かけると、そのまま口元でカップをゆっくり回して香りを楽しんでいる。目を閉じてそうしていると顔の厳しさが消え、普段の彼が戻っているように思えた。
「……いい薫りだ。つい先日まで飽きるほど飲んだと思っていたんだけどね」
「カフェ(コーヒー)がお好きですか?」
「好きという程では無かったつもりなのだが、ドイツでは南方の品々はとかく不足しがちでね。飲めるのは代用カフェと言って、正直閉口する味だった。だから、仕返しのようなつもりになって、昭南では日に5杯は飲んでいた」
 そう言いつつ、美味しそうに口にする。どうやら甘党でもあるようだ。顔も険しさが少ないままだ。
 木梨は切り出した。
「正直私は、カフェはあまり口にしません。それよりも砂糖たっぷりという方に魅力を感じてしまいます」
「内地じゃ今は貴重品というわけか。まあ、そうだろうな、この有様では」
 言葉と共に厳しさを増した顔の視線の先には、多数の表組みが並んだ数字の集まりがあった。何かの統計資料のようだ。さも興味深げに木梨は紙面に興味を持ったような仕草をした。もちろん演技だ。
(さて、鬼が出るか蛇がでるか……)
 無視か、怒るか、隠すか、部屋を出ていってしまうか、様々な状況での次の一手を考えていた木梨だったが、どうやら今日は不意を打たれるのはお互い様だったようだ。
 山科が向こうから踏み込んできた。
「ああ、ちょうどいい。少し専門的な意見を伺ってよろしいか」
 彼は言いながら、幾つかの紙面をあまり広いとは言えない部屋にしつらえられたテーブルの上に並べていく。そればかりか、左手の鞄からも追加で取り出す。
 唖然とした木梨に、山科はこともなげに言った。
「ああ、これはただの小細工だ。内地に戻るとすぐに、ある場所に内密に来いと言われてね。だが、まだ資料は揃わない。そこでまとめる時間が欲しいから、無理矢理軍令部向けに理由を作って便乗させてもらった。再び乗艦するときに迷惑をかけると言ったのも、内心言葉通りの意味があったのだ。後で正式に詫びるつもりだったが、この際今誤っておく。申し訳ない」
 頭を下げる山科を見ながら木梨がどう返答すべきかと答えあぐねていると、それよりもと、頭を上げた山科の方が積極的に話しかけてくる。
(本当に今日は意外な事ばかり起こる)
 そう思いつつ木梨が目にした資料は、一かたまりは欧州でのドイツ軍潜水艦の戦果と損害について簡潔にまとめられた資料。もうひとかたまりは、日本とアメリカの潜水艦作戦についての分かる限りの資料だ。驚くべき事に、一週間前の日付のものまである。
 木梨が一通り目を通し終わるのを待って、山科が資料を差しつつ口を開いた。
「見てもらえれば分かると思うが、無制限潜水艦戦を中心にした、世界の潜水艦の分かる限りの活動資料の概容だ。中でも注意して見て欲しいのがこれ、アメリカ潜水艦の活動状況だ」
 提示した資料には、折れ線グラフがあり、まるで右肩上がりのベクトル線のようなラインが形作られている。
「この原因は何だと思う。開戦時から一年ほど稚拙だった米潜水艦の戦果だが、ここ一年ほどで見違えるほどの向上を見せている。単純な技術や戦術、そして数の違いだけでこれほど上昇するものだろうか。しかもこの間、我が海軍もまったく手をこまねいていたわけではない。十分ではないにしてもな」
「我々は、潜水艦同士で向かい合う事はほとんどありません。ですから、米潜水艦の事については自分たちの経験を元に推測するより他ないのですが、初期は魚雷の不発が多かったと聞きます」
 それだけか。山科の目が次を促した。
「それとお気づきと思いますが、戦意の問題も大きいでしょう。組織化された巨大な軍隊では、自らが優勢なら将兵も自ずと積極的になります」
「戦意か、不発魚雷も数字の上で記載される事は少ないが、確かに戦意は全く書かれていないな」
 少しばかり満足そうに、山科はコーヒーに口を付ける。精神安定剤のように効果は絶大のようだ。
 と、何かに気付いたかのように山科の目線が再び木梨を捉えた。
「ところで艦長、潜水艦同士は対戦しないと言うが、本当に潜水艦同士の戦いは不可能か?」
「互いに海中で音だけを頼りに魚雷を命中させるのは、よほどの幸運がないと不可能です」
「確かに二次元と三次元では、確率も大幅に違ってくるな。……では、片方が水上ならどうか」
「潜水艦は影が小さいので潜望鏡で捉えるのは難しいですし、見えるところまで来たら相手の聴音に捉えられる可能性が高くなります。耳のよさだけが、潜水艦の取り柄みたいなものですから」
 フム。考え込んだ山科の顔は、今までの険しさが消えている。一心に思考を巡らす時の彼本来の姿と言えた。何か別の事が心を埋めているとき、つまりほとんど全ての時間が険しいのだろうと想像できた。戦争で病んだ者には、時折ある姿だ。
 本来の山科中佐とゆっくり話してみたいものだ。そんな事を思った木梨に、思考を終えて険しさを少し戻した山科が切り出す。
「米軍は、優れた電探を持つ。既に潜水艦搭載の電探もかなり高性能だ。事実、大西洋では哨戒活動に潜水艦も活発に活動している。太平洋でも、電探で測定したような攻撃を受けた例が見受けられる。同じ事を潜水艦に対して行うことは可能だろうか?」
「……可能です」
「では、米軍が優れた電探を持つと想定して、両方が水上で活動中ならどうか?」
 何を聞きたいのだろう。今まで潜水艦同士が会敵する事など確率的にほとんどなかった。単に技術談義をしたいだけなのだろうか、それとも資料の穴を埋めておきたいだけだろうか、そう考えた木梨だが、山科の言っていることは完全には無視できない。
 そして懸念が出てきた木梨の内心に、山科からの何気ないような一言が突き刺さった。
「海峡など狭い海域で張っている米潜水艦にとり、水上航行する艦船が相手なら、相手が何であれ関係ないのではないかな? 数字もそれを示していると思う」
 山科の言葉も表情も単なる可能性を論じている。が、今の木梨に無視する事はできなかった。


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