■長編小説「煉獄のサイパン」

●第三章 1

1944年10月5日 横須賀

 日本的には、巨大という言葉すら不足する空間を散策するのが、ここ数ヶ月の山科博海軍中佐の日課になっていた。
 巨大な空間は、日本でたった3つしかない巨大なドックであり、玉座とすら言える場所を占有するに相応しい巨体が横たわっている。
 巨体の周りでは、王の従者よろしく小さな影が無数に動き回っているが、シロアリの女王を世話する働き蟻のようにも思えてしまう。
 だが、従者達が彼女の肌に気安く触れるのも後僅か。もうすぐ彼女は、6万トンに達する巨体をみなもに浮かべる事になっている。
「いよいよ、進水式ですな」
 山科は人影を感じると重々しく口を開いた。
 無理矢理張り付けたような顔の険しさは相変わらずだが、口調は以前にも増して重くなっている。
「ああ、だが階段を一段上っただけだよ」
「確かに。あと十日で就役させろなど、無茶も良いところ、ですな」
「だが、中佐のおかげで助かった。危うく竣工を先延ばしにしてしまうところだった。感謝する」
 横で、眼前に鎮座する彼女の侍従長もしくは主となるべき人物、十日後には艤装委員長から艦長になる阿部俊雄大佐が軽く頭を下げたのが分かった。
 山科の方も儀礼として軽く会釈したが視線を合わせることはなく、すぐに巨体を見つ直す。
 その表情は、若干緩やかになっていた。
「なに、仕事の合間の気分転換が、偶然お役に立っただけです。12月の人事異動まで居場所があまりない身の上ですから」

 1944年7月29日、無事呉鎮守府の桟橋に横付けした《伊29潜》水艦は、日本が待ちかねていたドイツの最新機器の無数の図面や実物を陸揚げし、事前に飛行機で到着していた技師や技術将校と共に各所へと散らばっていった。
 ドイツから半年かけて持ち帰られたのは、V1、V2ロケット、ジェットエンジン、局地戦闘機、潜水艦用聴音機などドイツ最新兵器の設計図類とその実物モデル。さらに《伊29潜》に無理矢理取り付けられた各種装備も十分に土産と言える。今すぐに使える点では一番有効だろう。
 そして、最後の便乗者となった山科が持ち込んだのが、ある兵器の図面と多数のドイツ製真空管。そして一人のドイツ人技術者だった。
 もっとも山科は、技師と合流するなり東京に向かう飛行艇へとその身を滑らせた。東京から来た軍令部次長以下幹部は一日ぐらい疲れを癒してはどうかと親身に勧めたが全てを断り、今すぐに帝都へ、海軍省へ向かいたいと考えます、という山科の言葉に気圧されるように山科が求める当面の要求を全て受け入れた。
 かくして山科は機上の人となる。
 なお、彼が持ち帰った図面と真空管は、ドイツ人技術者と通訳の将校に任せ、鉄路来てもらうことになった。その日手当の付いた横須賀行きの飛行艇に、空席がほとんどなかったからだ。
 そして横須賀に到着すると行動を開始した。だが彼は、12月の人事異動まで形式上は軍令部第2部所属となる。横須賀にいてもあまり意味はない。彼はドイツから持ち帰った技術や資料を整理したり、持ち帰った実機を組み上げたり、もしくはより専門的な者へ伝授するのが主な役割となる。しかも四ヶ月後の人事異動では、軍令部第1部の課員参謀への栄転がほぼ内定していた。
 栄転は、山科の海軍内での毛並みが良いのに加えて、ドイツ帰りの防空戦の専門家というのが効いていた。少なくとも、後日会った山科の同期の人事課課員は祝いの言葉と共に語ったものだ。
 もっとも、次の勤務先となる軍令部へ今赴いても、あまり意味はない。内閣総理大臣すら引きずり下ろしてしまった海軍内での人事異動、つまりは終戦に向けての動きが影響していたからだ。
 開戦以来、海軍大臣と軍令部総長は嶋田繁太郎が兼任していた。だが、サイパン陥落に伴う東条内閣倒閣工作の結果、海軍大臣、海軍軍令部総長は二転する。
 海軍大臣は、嶋田繁太郎から野村直邦、そして米内光政へと代わり、軍令部総長は嶋田繁太郎が一度は留任が決まるが三度は適わず及川古志郎へと移った。
 だが、軍令部総長の椅子はまだ固まっているとは言えず、及川古志郎に代わるのは書類上では8月2日を予定。山科が日本に戻った時点では、嶋田繁太郎が軍令部総長だった。つまり、向こう数日間は山科にとって軍令部は不要のものとすら言えた。
 山科にとって過去の人物は不用であり、会うべきはこれからの人であった。
 そして彼が会うべき人物は、軍令部、海軍実戦部隊にはいなかった。また赴いた先も、政府、軍の関係施設ではない。

 横須賀到着の夜、山科は庭付き一戸建て塀囲い付きながら比較的簡素な屋敷にいた。
 海軍大臣米内光政大将が使っている私邸だ。
「ま、座りなさい」
 すでに夜半をかなり回っていたが、米内は気にする風でもなく、一介の中佐を迎え入れてくれた。
 ただ、山科にとって少しばかり意外だったのは、他に来客があったことだ。
「まずは、遠路長旅ごぐろうさま。井上君、今し方潜水艦でドイツから帰った山科君だ。ボクは彼にお使いを頼んでいてね。それを取り急ぎ持ってきてもらったんだ」
 山科が持ってきた鞄から書類を取り出す間、井上成美中将に略歴を紹介していく。一方山科には、井上の事は軽く紹介したに止まる。と言うより、山科の出した書類以外のものが米内の口を止めてしまったのだ。
「山科君これは」
「ドイツ土産、と言ったところです。向こうの知人にドイツの魂なのでぜひにと言われて土産に持たされたのです。ただ私は酒をあまり嗜まないもので、閣下にと思いました」
 山科は取り出した書類の傍らに、2本のボトルを丁寧に置いた。重厚ながら透明さを失わないボトルの中に、これまた透明な液体が満たされ、当然ながら口には厳重に封がしてあった。
 横で井上の目が「スゥ」と細くなったが、米内が朗らかな口調でフォローを入れる。
「土産とは、山科君にしては珍しいねえ。けど、有りがたく頂戴しておくよ。ドイツのシュナップスか、懐かしいねえ。今の日本じゃ、飲める機会は滅多にない。ありがたく飲ませて頂くよ。それより井上君、そちらの書類だ。山科君が命がけで作ってくれたものだ。持って帰って良いので検討して欲しい」
「これは?」
「ウン、一言で言えば、欧州での総力戦に関する概容だ。兵站、空襲、通商破壊、そう言ったことの最新情報がまとめられている。一部では日本との比較も記されている筈だ。そう言う注文を出したからね」
 では失礼します。そう言って書類を手に取った井上は、最初はゆっくりと、そして徐々にスピードを上げながら、目で書類を追っていく。
 その間米内は、山科にお茶を勧めながら語りかけた。浴衣姿でそうしていると、往年の伊達男未だ健在を思わせる。
「山科君。ドイツでは随分とご苦労なさったようだが、現場を直に見てどうだったね」
「はい。工業先進国ドイツだからこそ支えられている戦場ばかりでした。ドイツの夜は一千機の連合国爆撃機を500機の夜間戦闘機が追い回すというような戦闘が、三日とおかず行われています。同じ事が日本の空で起きたら、三月と保たないでしょう。同じ事態を招かないよう、早急に対策をとらねばなりません」
「ふむ、米英は一千機の爆撃機か。釈迦の上で戦争するようなもんだね」
「はい。しかも、昼には米軍機一千機が夜とは別にやって来て、ドイツの昼間戦闘機と戦闘を繰り広げています。加えてソ連赤軍一千万が、東部戦線でドイツ陸軍を圧迫しています」
「まいったな。山科君の話を聞いていると、サイパンが落ちたぐらい大したことないように思えてしまう」
「いえ、大したことです。いや、して頂かなくては困ります。それにサイパン陥落は、千載一遇のチャンスとも言えます」
「なるほどね。で、井上君、さっきの話を踏まえてその書類を見てどう思う?」
「先ほども申しましたが、この戦争は、だめです。今から終戦工作を始めるより他ないでしょう」
 途中から米内と山科の話を聞く形になっていた井上が、にべもなくと言い切った。三角定規と言われた剛直さは流石としか言いようがない。
 チラリと益体もない事を思った山科だが、我が意を得たりと頷いた。
「井上提督のおっしゃる通りです、米内提督。イタリアでは、本土の一部に上陸された時点でムッソリーニ総統が退陣を余儀なくされ、政府としてのイタリアは降伏しました。我が国でもサイパン陥落の政治的衝撃を利用して終戦すべきです」
「そう巧く行くかね?」
「行ってもらわねばなりません。恐らく半年後には100万の銃後の民が死に、1000万人の民が焼け出されてしまいます。そうなっては、遅すぎるのです」
 山科は、ここしばらく被っている険しい顔の仮面をかなぐり捨て熱弁を振るった。
 だが、米内の目は一層冷静さを増している。
「それぐらいなければ、日本人は両手を上げることができんのじゃないか? 日本人は自分で自分の身を切って膿を出せるほど強ぐはないよ」
 一瞬言葉を失った山科だが、反論する事ができず、たまらず井上を見た。井上も硬い表情を浮かべたが、山科よりは現実が見えている目をしている。
「米内閣下の言には一利あります。ただ事態がどうなろうとも、私の基本行動に変化はありません。終戦工作は、どのような状況でも必要不可欠です」
「確かに終戦工作が必要だが、南方に行った聯合艦隊がどうなるかにもよるだろう。敵と差し違えて全滅してくれれば、海軍は説得し易くなる」
「お二人は、一週間と経たず大阪ほどもある街が廃墟になる様を見ていないから、客観的に行動できるのでしょう!」
「では、山科君はどう行動するのかね?」
 達観したような二人を前に山科は感情を露わにするが、冷然と井上が言い返した。少なくともこの場にては、感情論を全く受け付けない顔だ。
 だが山科は、感情論を静かな口調で叩きつけた。
「私は軍人です。軍人の務めは、国を護り、民を守ることです。他に何をせよとおっしゃいますか」
 山科の言葉に対し、一度口を開けたが言葉を選べなかった井上が、その後何かを口にすることはなかった。二人を横で見ていた米内の嘆息が議論の終了となったからだ。
「ボグも、山科君ぐらい純粋であれたらと思うよ。……山科君、君の思うように動きだまえ。出来る限りの便宜は図る。ボグだって、街が無為に焼かれるのは見たくない」

 その日を境に山科は、軍令部第2部課員という肩書きと米内からの一札を用いて動き始めた。また、山科がドイツからの秘密兵器を実用化するため動いていると言うことで、胡散臭いと思う者がいる反面、何かにすがってでもと期待を寄せる者も多かった。
 もっとも、山科とドイツ人技術者が行っている新兵器開発は、敵を撃滅するという性格のものとは違っていた。
「マイスター・フォダスや日本の技術者を悪く言いたくはありませんが、ウルツブルクが開発・量産に成功しても効果は低いでしょう」
「ドイツで使用されている同種の機械が、改良してもすぐに妨害されるようになっているからですね」
「ヤー・ヴォール」
 山科が無理矢理借りたような建物の一角で、二人の男が会話していた。一人は山科本人、もう一人はいかにもドイツ人らしい髪と肌の持ち主。
 会話している部屋は休憩室のような場所らしく、長椅子や床には毛布でくるまった同僚達が寝くるまっている。時間は深夜で、他に起きている者はいない。それに会話はドイツ語でされており、もし全員が起きていても半数も会話を理解できなかっただろう。
 ドイツ人の言葉に、二人はため息なきため息をつくと、先ほど淹れたコーヒーに一口付ける。
 そしてゆっくり香りを楽しんでからコーヒーを飲むドイツ人が、一度瞑目してから視線を山科に据える。
「日本行きと日本での開発が、困難な事は最初から分かっていました。ですが、何としてもやり遂げてみせます。それが、娘の遺言のようなものですから」
 決意にも似た言葉に、山科は胸が詰まされた。それが表情に出たのだろう。
「お気になさらず。娘が死んだのは、娘が望んだ行動の結果です。もし仮に誰かに責任があるのなら、娘のエリザに行動を決意させた連合国の爆撃、そして戦争そのものに責任があるのです」
「しかしマイアーさん」そう言いかけた山科に目の前のドイツ人は続ける。
「それに山科中佐は、少しばかり考え違いをされています。誰か一人の働きで勝敗が決するほど戦争が大きく動いたり、娘が助かるほど甘い物ではありません。
 確かに、エリザは祖国を憂う山科さんに自身を重ね、心を通わせたのかもしれません。しかし、それでも山科さんが責任を感じられる事はない。山科さんと亡き娘の影響で私は今ここにいますが、これも私が選んだこと。娘が死んだのも、娘が選んだ結果の一つだったのです」
 ですが、山科はそれでも食い下がろうとするが、瞳の圧力に押されてそれ以上言葉が出ない。
「最善を尽くされたのでしょう。それは、周りの者からも聞いております。もし万が一山科さん個人が何かを思われているのなら、それに対しても最善を尽くしてください。私もそのつもりで、今ここにいます」
 生真面目さと誠実さを合わせた言葉に、山科はただ頭を下げるだけだった。
 それから十数分後、二人気持ちを新たにした。感傷に浸っていられる時間はそう多くは取れない。
「それで、足りないものは何ですか」
「贅沢を言えば際限がありません。しかし、試作品一台だけなら三ヶ月から四ヶ月で完成にこぎ着けられる筈です」
「あれだけ用意して試作品一台ですか」
「はい、これでも日本のマグネトロンの出力が、私どもの予想したものより大きかったからこそです。後は、製造を依頼しているゴムで皮膜された、伝導率の高いケーブルを用意いただければ問題ありません」
「そうですか。それで、重量は?」
「概算ですが、10トンは超えるでしょう。使用する出力を上げれば効果範囲を広がりますが、その分装置は大きくなり重量も嵩みます」
「となると機載は望めないか」
「残念ですが。それに、機械の信頼性を考えると振動の大きな航空機に搭載するのは、可能だったとしても反対申し上げる」
「日本の部品では信頼性が足りませんか」
「恐らく今のドイツで製造できても条件は大きく変わらないでしょう。元々、作ろうとしている機械そのものが未知の存在に近いのです。電波兵器先進国であるイギリスですら、これほどの規模の同種の兵器の開発には至っていない筈です」
 一通り言い切ると、マウアーは手近に合った木製の皿から、銀紙で包まれた中身を丁寧に取り出して口の中に勢いよく放り込む。彼が、シンガポールの高級菓子屋で買い求めた逸品だ。
 意外に子どもっぽい仕草に山科がクスリとした。今は顔に険しさはない。
「この年になっても、甘いものが好物でしてね。おかげで歯磨きが欠かせません」
「エリザさんも、そうよく言っていました」
 人物の名を出した時、山科はもう感情的ではなかった。顔の険しさも取り除かれており、憑き物が落ちた事を伺わせる。ただ、少しだけ寂しげなのがマウアーの気がかりだった。彼に残った寂しさは、自分の娘に影響されたものではないからだ。
 その証拠に、山科が鎧っているものは、マウアーの前でだけ脱がれている印象がある。祖国に帰って何かあったのだろうと察しが付いたが、今は戦時、何が起きても不思議ではない。
 マウアーは、自身が感じたことを表に出さないように、銀紙を向いて中身を口に放り込む行為を続ける。
 すると山科が同じ行為をしながら笑った。
「確かにそれでは歯磨きが必要になりますね。けど、カフェにチョコレートは合いますね。まあ、贅沢品なので、今しばらくは自重しないといけませんがね」
「南方戦線は厳しいのですか。昭南では、物資はむしろ溢れるぐらいの印象を受けましたが」
「厳しい、そう厳しいですね。つい先日、日本政府が絶対国防圏と設定していたサイパン島が陥落しました。砂糖の産地である南方との海上輸送も、潜水艦の通商破壊で滞りがちです」
「そうですか。では、製作を急がねばなりませんね」
「お願いします。完成すれば、日本軍でも少しは作戦行動が楽になるでしょう」
「それなんですが、いや、いい加減な言葉で申し訳ないが、本当にかまわないのですか?」
「何がですか?」
「開発を進めている装置が完成すれば、敵が交わす無線を封じ、ラダールもかなり使用不能に追い込めるでしょう。しかしそれは、日本軍に対しても同じ効果を及ぼします。今のところこれは、全てに対して平等です」
「その事ですか。……日本の諺に『肉を切らせて骨を絶つ』という言葉があります」
「捨て身、ですか?」
「少し違います。ただ、双方が同じ条件になるのなら、米軍の方が失う物は多くなります。無線を失えば統制された絨毯爆撃は不可能になるし、ラダールを用いた爆撃はできなくなる。それに電波を使う全ての装置が効力を無くせば、機位を失って帰りそこね、海上で朽ち果てる機体も増えるといった効果も期待できます。
 残念ですが、電子兵器とでも呼ぶべき分野で、日本の量産兵器としての遅れは欧州やアメリカの最低5年はあります。他の先端分野も似たようなもので、ドイツよりジェット機や大型ロケットの図面や実物を手に入れましたが、恐らく半年程度では量産には至らないでしょう。ならば、我が身を少しばかり犠牲にしてでも、相手に踏み込んで斬りつけるより他ありますまい」
 山科の嘆息にも似た長広舌に、マウアーも嘆息で付き合うより他なかった。
 アジアを一瞬で席巻した軍事力を持ち、世界最強の戦艦を建造するほどの海軍を持つ東洋の盟友が、これほど電子機器分野で未熟だとは、と。
 だがマウアーは絶望する気も諦める気もなかった。それが彼が自身に課した約束であり義務だからだ。
 だからこそ、さらなる問題点を指摘していく。マイスターの称号も持つ技術者にとって、問題点とは誤魔化す物でも隠す物でもなく、乗り越え解決すべき事でしかない。
「事情は分かりました。しかし、問題点はもう一つあります」
 「?」山科が小さく首を傾げる。手と口はチョコレートが今まさに口に放り込まんばかりの態勢にあった。同じ仕草ながら、マイアーと違いどこか上品な印象がある。
「影響範囲です。基本的に地平線の影に隠れた相手には強く影響しません。それに一定量より出力を上げると、装置が保たなくなります。今は机上の計算しか提示できませんが、完全な効力を発揮できる半径が30〜40キロ程度の装置を組み上げるのが今の物理的な限界です」
「それだけあれば十分でしょう。十分に関東平野が収まります。米軍もまずは首都を狙ってくるでしょうから、まずは1基が帝都で稼働すれば効果はのぞめます。あとは、装置が量産できるかどうかですね」
「そればかりは、精度の高い部品が所定量集められるかどうかにかかっています」
「なるほど。ところで、装置の妨害波は、ほとんど全ての波長を妨害できるとおっしゃりましたが、センチ波、マイクロ波はどの程度まで?」
 口をモゴモゴさせながら喋る山科に対抗するよう、マウアーも次の銀紙の塊に手をかける。皿の上は随分と減っている。
「残念ながら、正確な数字まではじき出せません。ドイツでもセンチ波のラダールそのものが開発されていないので、基準が作れないんです。ラダール自体の理論も構造も分かっているのですが、装置に必要な部品をどう作るかの回答に至っていないのです。ですから、この装置が影響を与えることのできる波長も正確にはわかりません。ただ、多数の強力なマグネトロンで強引に妨害範囲を広げてあるので、ほとんどの電波は妨害できる筈です。要するに、大男が力任せに怒鳴って周りの声を消しているようなものなのです」
「そうですか。いや、無い物ねだりですな。けど、無線に馴れきった米軍に一泡も二泡も吹かせられるだけで効果は十分だ。……あ、そうだ」
「はい?」
 チョコレートの甘さに流石に疲れた舌をコーヒーで口直ししていたマウアーの耳に、山科の無邪気とも言える声がした。
「ところで、機載は無理とおっしゃいましたが、艦載はどうですか? そうですね、発電機や燃料も追加で乗せて、さらに装置用に大きな櫓を組めるほどの規模の艦ならどうでしょう。面白いことができると思いませんか?」
「面白いこと?」
「近寄るもの全ての電波兵器を無力化できるんですから、量産できれば通商破壊の被害を減らすことができるんじゃないかと思いまして。敵が無線通信で味方を呼び寄せたり、電探索敵、電探攻撃ができなくなる」
「なるほど、それは面白い。けど、使いようによってはもっと意外な事もできそうですね」
「意外な事?」
「いや、防御ばかりではなく、逆用すれば攻撃にも使えるんじゃないかと思いましてね。まあ、素人意見なんですが」
「なるほど、それは気付きませんでした。さっそく検討してみます」
「いや、ですから素人意見だと」
「だからこそ出てくる意見もあります。私が今言ったことも素人意見ですからね。どれも検討して損はないでしょう。成功すれば、さまよえるオランダ人やブロッケンよろしく神出鬼没で米軍を翻弄できるかもしれない」
「ブロッケンですか、言い得て妙ですね」
「あ、それ良いですね。装置の名前にしましょう」
 言い切ると、山科は皿の中の最後のチョコレートを何の遠慮もなく口にした。


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