日本海軍・戦艦「信濃」 アメリカ海軍「BB-J Montana」
同型艦
・要目(就役時)
・メモ 1939年度計画で予算が承認され、1944年12月に就役した日本帝国最後の戦艦。 実戦は、レイテ沖海戦、第二次マリアナ沖海戦で、乗組員の練度が十分でないながらも活躍した。 就役時点から針鼠のような対空兵装が施され、対空防御力は実質的に日本海軍最強だった。
停戦後、戦時賠償としてアメリカへの譲渡が決まり、以後半世紀近くをアメリカ軍の艦艇「Montana」として過ごす事になる。 艦歴としてはアメリカ軍の艦艇としての方が断然長いので、日本生まれのアメリカ艦と表現する方が相応しいほどとなる。 実際、戦争のことにうといアメリカ国民は、本艦の事をアメリカ製のアメリカ最強の戦艦だと認識していた。
アメリカへの譲渡後、アメリカ海軍は自らが建造した戦艦の多くが退役、予備役になる中で、本艦を自分たちの運用し易いように近代改装を実施する。 本艦は、火力、装甲は十分すぎる程なので、改装の主な点は間接防御力の強化、電子装備の刷新、対空装備の刷新、航海艦橋の新設、そして居住性の大幅改善になる。 本来は船体と主砲以外の全てを刷新するつもりだったが、予算の都合で日本海軍当時の姿を多く残すことになった。
見た目には艦橋周りの変化が大きいが、内部もかなり改装されている。 副砲、副砲弾薬庫のうち前部、後部の後にはディーゼル発電器が区画変更の末に増設されている。 また機関は、もともとの機関はリミッターがかけられていたが、これを部品交換と増強工事で解除。さらに増強を図ることで、1万2000馬力の向上を実施。 これにより最高速力は28ノットへと向上した。 居住性の大幅改善のために、旧ランチ格納庫を全廃し、さらに航空機格納庫の三分の二も区画整備され、そのほとんど全てが新たな居住区となった。
対空兵装は大きく減らされたように見えるが、高角砲は54口径の当時の新型なので実質的には大幅に向上している。機銃、機関砲は大きく減らされたが、これは艦隊全体での防空能力が大きく向上しているためだ。また、1艦当たりの乗組員を減らすため、あえて機銃、機関砲を減らしてもいる。
当艦は1951年にアメリカ軍の戦艦として再就役したが、早くも1956年には予備役入りする。 しかしその後、ベトナム戦争にも臨時に現役復帰して持ち前の火力を発揮した。
その後1980年代にも、アイオワ級と共に近代改装が実施され、巡航ミサイルを搭載している。 しかし日本に残った姉妹艦の大和、武蔵ほど徹底した近代改装は実施されなかった。 そして1992年にアメリカ軍内でも退役が決まると、その前後に日本との間に交渉が持たれ、1995年に日本への里帰りが実現し、旧来の姿への復旧工事を経て記念艦となり、現在に至っている。