日本海軍・戦艦「信濃」 アメリカ海軍「BB-J Montana」

同型艦

艦名

就役年
大和
武蔵
信濃
1941年就役
1942年就役 
1944年就役

・要目(就役時)
項目 数値 武装 数値
基準排水量 64,000t 主砲 46cm45口径3連装砲 3基 9門
全長 263.0m 副砲 15.5cm65口径3連装砲 2基 6門
全幅 38.9m 高射砲 65口径10.0cm砲  連装6基 12門
喫水 10.4m 高射砲 40口径12.7cm砲  連装6基 12門
機関 タービン4基 4軸 高射機銃 25mm3連装機銃  42基 126門
機関出力 150,000hp 舷側装甲 410mm(信濃は400mm)
最大速力 27.0ノット 甲板装甲 230mm(20度傾斜)
航続力 16ノットで6400浬 艦載機 6機

・メモ
1939年度計画で予算が承認され、1944年12月に就役した日本帝国最後の戦艦。
実戦は、レイテ沖海戦、第二次マリアナ沖海戦で、乗組員の練度が十分でないながらも活躍した。
就役時点から針鼠のような対空兵装が施され、対空防御力は実質的に日本海軍最強だった。

停戦後、戦時賠償としてアメリカへの譲渡が決まり、以後半世紀近くをアメリカ軍の艦艇「Montana」として過ごす事になる。
艦歴としてはアメリカ軍の艦艇としての方が断然長いので、日本生まれのアメリカ艦と表現する方が相応しいほどとなる。
実際、戦争のことにうといアメリカ国民は、本艦の事をアメリカ製のアメリカ最強の戦艦だと認識していた。

アメリカへの譲渡後、アメリカ海軍は自らが建造した戦艦の多くが退役、予備役になる中で、本艦を自分たちの運用し易いように近代改装を実施する。
本艦は、火力、装甲は十分すぎる程なので、改装の主な点は間接防御力の強化、電子装備の刷新、対空装備の刷新、航海艦橋の新設、そして居住性の大幅改善になる。
本来は船体と主砲以外の全てを刷新するつもりだったが、予算の都合で日本海軍当時の姿を多く残すことになった。

見た目には艦橋周りの変化が大きいが、内部もかなり改装されている。
副砲、副砲弾薬庫のうち前部、後部の後にはディーゼル発電器が区画変更の末に増設されている。
また機関は、もともとの機関はリミッターがかけられていたが、これを部品交換と増強工事で解除。さらに増強を図ることで、1万2000馬力の向上を実施。
これにより最高速力は28ノットへと向上した。
居住性の大幅改善のために、旧ランチ格納庫を全廃し、さらに航空機格納庫の三分の二も区画整備され、そのほとんど全てが新たな居住区となった。

対空兵装は大きく減らされたように見えるが、高角砲は54口径の当時の新型なので実質的には大幅に向上している。機銃、機関砲は大きく減らされたが、これは艦隊全体での防空能力が大きく向上しているためだ。また、1艦当たりの乗組員を減らすため、あえて機銃、機関砲を減らしてもいる。

当艦は1951年にアメリカ軍の戦艦として再就役したが、早くも1956年には予備役入りする。
しかしその後、ベトナム戦争にも臨時に現役復帰して持ち前の火力を発揮した。

その後1980年代にも、アイオワ級と共に近代改装が実施され、巡航ミサイルを搭載している。
しかし日本に残った姉妹艦の大和、武蔵ほど徹底した近代改装は実施されなかった。
そして1992年にアメリカ軍内でも退役が決まると、その前後に日本との間に交渉が持たれ、1995年に日本への里帰りが実現し、旧来の姿への復旧工事を経て記念艦となり、現在に至っている。