●備考・資料
●海軍・大型艦の変遷・概容 1950年 空母:「赤城」「瑞鶴」「飛龍」「葛城」 戦艦:「大和」「武蔵」「長門」 1956年 空母:「瑞鶴」「飛龍」「葛城」「阿蘇」(予備「赤城」) 戦艦:(戦艦は全て予備役。「長門」は保管艦) 1961年 空母:「瑞鶴」「葛城」「阿蘇」(予備「飛龍」、「赤城」は退役) (戦艦は全て保管艦。「長門」は退役) 1966〜72年 戦艦:「大和」(一時現役復帰) 1973年(1960年代半ば2隻新造) 空母:「赤城」「加賀」「瑞鶴」 (「葛城」はコマンド母艦化、「阿蘇」は練習空母) 1976〜8年(イオージマ級強襲揚陸艦) 揚陸艦:「三浦」「男鹿」「薩摩」 1983年 ※「新六六艦隊計画」発表。 空母型艦艇6隻、大型防空艦6隻を中核とする艦隊を今後10年間に整備する。 1985、6年(大改装後、現役復帰) 戦艦:「大和」「武蔵」 1988年(1982年より空母新造) 空母:「赤城」「加賀」「蒼龍」(「瑞鶴」練習空母化) 1998〜04年(新型揚陸艦:3万トン級) 揚陸艦:「大隅」「下北」「国東」 (「三浦級」は1隻予備役、他2隻モスボール化) 2002年(1994年より空母新造) 空母:「加賀」「蒼龍」「飛龍」(「赤城」練習空母化。「瑞鶴」退役・記念艦) 2003年 戦艦:「大和」「武蔵」 (95年予備役後、TMD構想に従い現役復帰) 2006年 「三浦」電子指揮艦としての再就役 2009年 戦艦:「大和」「武蔵」退役 2012年 空母:「翔鶴」就役 空母:「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」(「加賀」予備役。「赤城」退役)
・主要艦艇 スペック概要 「赤城級」航空母艦(赤城、加賀) 満載排水量:7万2000トン ※全長310m、米空母より少し小型。 航空機:約70機 乗員:2000名(総員4200名)
「蒼龍級」(原子力)航空母艦(蒼龍、飛龍) 満載排水量:8万5000トン ※320m、米空母より少し小型。 航空機:約70機 乗員:1600名(総員3400名)
「翔鶴級」(原子力)航空母艦(翔鶴) 満載排水量:8万7000トン ※320m、米空母より少し小型。 航空機:約70機 乗員:1300名(総員3000名)
「大隅級」汎用揚陸艦 満載排水量:3万6000トン 航空機:約30機、エアクッション艇:2隻 兵員1500名収容可能
「大和級」戦艦(イージス装備)※現在モスボール保管状態 満載排水量:7万2000トン 装備:46cm砲3×3 :トマホーク4×8 :VLS×2(64セル) 航空機:約3〜8機
「金剛級」防空巡洋艦(イージス装備) (金剛、霧島、妙高、鳥海) 満載排水量:1万2000トン 装備:VLS×2(122セル) :SSM4×2 航空機:2機
「愛宕級」防空駆逐艦(イージス装備) (愛宕、足柄、高雄、那智、摩耶、羽黒) 満載排水量:1万トン 装備:VLS×2(96セル) :SSM4×2 航空機:2機
「風級」防空駆逐艦(各種合計6隻) 満載排水量:7000〜8000トン 装備:ミサイルランチャー1×2 :トマホーク4×2
「村雨級」駆逐艦(ミニイージス艦) 満載排水量:7200トン 装備:VLS×1(48セル) :SSM4×2 航空機:2機
「雪級」、「霧級」駆逐艦(合計24隻整備) 満載排水量:5000〜5500トン 装備:127ミリ1×1 :SSM4×2 航空機:2機
「風級」フリゲート艦(合計12隻整備) 満載排水量:3200トン 装備:76ミリ1×1 航空機:2機 ※速力40ノット
「扶桑級」戦略原子力潜水艦(二世代目) (扶桑、山城、伊勢、日向、長門、陸奥) 満載排水量:16500トン 弾道弾サイロ×16(トライデントD) 発射管:4(各種合計12発) (※一世代目は、70年代建造で、ポラリス装備。艦名:薩摩、安芸、河内、摂津)
「高千穂級」原子力潜水艦(6隻在籍) 満載排水量:6200トン VLS:12(巡航ミサイル12発) 発射管:4(各種合計20発) 水中速:力32ノット
「常磐級」原子力潜水艦(6隻在籍) 満載排水量:5800トン 発射管:6(各種合計30発) 水中速:力30ノット
「潮級」潜水艦(各種合計12隻在籍) 満載排水量:3500トン 発射管:6(各種合計30発) 水中速:力20ノット
●日本軍の装備する航空機
※航空機の変遷
・空軍 戦闘機 疾風改→→セイバー→→F104J→→F15J→→F8 F1→→F2→→F4EJ→→FA7 戦闘爆撃機・爆撃機 疾風改→→コルセア→→F2→→FA5→→F15EJ →→F4EJ→→FA7B 飛竜→B24→B29(以後爆撃機は装備せず)
・海軍航空隊 戦闘機 烈風改→→フュリー→→F4EJ→→FA6→→FA6R (※F4EJは退役後、過半を空軍に移管) 戦闘攻撃機・攻撃機 流星改→→A1H→→A4→→A6→→FA6R →→AV8→→(F35?) 対潜哨戒機 二式大艇→→PS1→→PS2→→PS3→→PS3C
※戦後日本の軍用機開発(戦闘機・戦闘爆撃機)
・F1(1950年代半ば) アメリカのF86セイバーを発展型させたような形状。実用ジェット機の経験が不足する日本航空業界にとっての習作的存在。セイバーの発展型(セイバーD)と似ていた事から「Jセイバー」と呼ばれる。 なお日本空軍は、大戦後からF1以前の航空機は全てレシプロ機で、中華戦争時に過半が二線級戦力となった。また、アメリカ依存体質からの脱却もあって、技術供与を受けつつ開発された経緯がある。 通称「旭光」。(F86D=「栄光」、F104=「電光」)。三菱・富士製。
・F2(1960年代前半) 日本の航空産業の本格的復活を賭けて開発された汎用小型戦闘機。単発デルタ翼。三菱・富士の共同開発。 ベトナム戦争で、日本空軍主力として登場。 独自開発のエンジンパワーの限界から、速度性能より空力特性による運動性を重視している。 その後順次改良型のFA5に似た改修を施され、マイナーチェンジと派生型を多数生産、広く海外にも輸出されているベストセラー戦闘機。 アメリカのF5、フランスのミラージュ系戦闘機のライバルと言われ、アジアを中心に各国でも採用されている。なお、性能は他国の機体と比べて特に優れた点はない。機銃の有無と運動性のおかげで、ベトナム戦争で有名になった。 海外向けのニックネームとして「隼(ファルコン)」とも呼ばれた。三菱・富士製。
・FX3 F2と同時期に開発された機体。 川崎・新明和共同で開発されていた、双発ジェットエンジンを搭載した重戦闘機。コスト、メンテナンスなどの面でF2にかなわなかった。 またエンジンパワーの不足を補う筈の双発エンジンとそれに関連する機器がデッドウェイトとなり、予定の性能が発揮できなかった。これら3つの要因から、F2との競争に敗北する。 以後、川崎、新明和は、共に小型機の開発を断念する。
・FAX4 三菱が開発した、意欲的な戦闘攻撃機。 米軍のF4を上回る能力を持たせるべく開発されるが、所定の性能に達しなかった。このため、FA5との競争に敗れる。ただし、機体そのものの完成度は高い。特に、空力特性と短距離離着陸性能は世界のトップクラスだった。 一部完成した機体は、研究用として空軍で運用され、後の機体に貴重なデータを提供した。
・FA5(1960年代後半) F2の全面改修型。F2派生型のT2(練習機)同様複座にしてエンジン、電子兵装を強化し、その他爆撃装備を搭載した戦闘爆撃機型。対艦攻撃能力を持つのが特徴。 エンジンパワーの大幅増加から、F2とは別もののようなペイロードを持つ。また、単価も安く抑えられており、採用の決め手の一つとなった。 ベトナム戦争後期から活躍。通称「ボム・ファルコン」。F2同様各国にも輸出された。フォークランド紛争での活躍が有名。富士製。
・FA6(1970年代半ば) 海空共同開発の戦闘攻撃機。ただし空軍は、日米の政治的取引で結局F15を採用したため、その後海軍専用として開発が継続され、主力戦闘攻撃機となる。 大馬力エンジンを搭載し空力特性を追求した優秀なSTOL機で、米軍以外が開発した海軍専用機として注目を浴びる。双発。通称「海燕」。三菱製。 F14より軽量で完全な戦闘爆撃機のため、FA18とよく比較される。 空戦性能は、見た目の流麗さに反して平凡。しかし、地上機に比べて攻撃機としてのペイロード不足を補うため、スマート化の先駆けとなる精度の高い対地攻撃力・対艦攻撃能力を持つ。日本海軍に、訓練型も含めて200機以上が納入された。 輸出に向けての動きもあったが、海軍機特有のデッドウェイトによる性能低下と整備の面倒さから本機は失敗している。
・FA6L(1980年代半ば) FA6の輸出型というべき機体。日本国内では採用されていない。空母艦載機としての能力をほとんど取り払い、機体の軽量化とペイロードの増加、コスト削減を行った。 これまで同様米軍の主要装備が使え、機体価格と性能のかねあいも何とか釣り合ったため、FA5を運用する国から大量の発注を受けることに成功した。改良型の輸出は、21世紀に入っても続いている。 ちなみに、「L」は軽量化を現すライトの意味。海外では、「スワロー」と呼ばれ、国内では、「海燕二一型」と呼ばれる。
・FA7(1990年代前半) 冷戦終末期、次期主力戦闘攻撃機として日東共同で開発。FA5、F4EJの後継機として開発されたマルチロールファイターの先駆け。富士・満業製。 アクティブ・フェーズドアレイレーダー、カナード翼、ステルス素材など最新技術を用い、格闘戦能力も高い次世代型汎用戦闘機。ただし、機体形状からステルス性能は限定的で、当初予定されていたベクターノズルの採用も見送られた。通称デジタル戦闘機。 1993年に実戦配備が始まる。しかし、日本では同時期にF15EJも採用したため国内の非難を浴び、日本では形式上制空戦闘機として運用されている。双発。通称「疾風」。 一部あえて低技術を用いた輸出用は「ゲイル」と呼ばれるが、基本的に高価で高度な整備能力を必要とするため販売は苦戦。 日本、東亜連邦では、訓練機を含めてそれぞれ300機近く導入を予定していたが、冷戦の崩壊に伴い三分の二程度の配備数に止まる。 なお、就役当時レーダーやステルス素材に問題を抱えていたが、後の改良で問題は克服。培われた技術は、その後の日本製戦闘機にフィードバックされている。
・FA6A(1990年代後半) FA6の機体を全面改修し、エンジンとレーダー、電子機材など一切をF15Jの最新型とほぼ同じものにしたマルチロールタイプの戦闘攻撃機。原型より機体形状が大柄になり、戦闘力も大幅に向上し、見た目にもかなり違っている。ステルス性能も限定的に有り。 原型機で言われていた平凡な対戦闘機戦闘力は、大幅に向上していると言われる。 海軍は、戦術偵察機、戦術電子戦機など、この系列機での統合が進んでいる。 Aは、アジャイルの意味。国内では、もっぱら「海燕三二型」と呼ばれる。
・FA8(2000年代半ば) 主に三菱で開発された次世代機。F15系列の後継機とされる。日本、東亜連邦全ての軍需航空メーカーが開発に参加。 2000年代に就役したためか、通称「ゼロ」の名で呼ばれる。 開発は冷戦中から早くも開始されるが、新技術、新素材、新機軸を採用したため開発が大きく遅れる。さらに、冷戦崩壊で開発予算も減り、一時は開発中止が取りざたされた。 その後東亜連邦との共同開発となり、18年近い開発を経て2007年ようやく実戦配備を開始した。 アメリカのF22がライバルとされるが、F22ほど完成度の高いステルス戦闘機ではないし、特殊な電子装備も持っていない。 機体形状は、日本伝統の空力特性も重視した機体で、FA7同様にステルス性能は形状よりも素材面に重点が置かれている。 超音速巡航を可能とするエンジンを備え、格闘性能を引き上げるベクター・ノズルを装備する。また、優れたレーダー、電子戦能力により、戦闘を優位に持ち込むコンセプトを持っている。新開発のアクティブ・フェーズドアレイレーダーはF22に対してもある程度有効で、ベクター・ノズルなどによる格闘戦能力は「ゼロ」の名に恥じず当面世界一の座にあると言われる。 なお、非常に高価で、かつ高い技術が使用されているため、日本及び東亜連邦以外で運用されることは当面ないと言われている。日本及び東亜連邦も用いている技術の高さから当面の輸出を禁止している。また価格の高さから、配備がなかなか進んでいない。 PSシリーズ 対潜哨戒機として、1950年代始めに速くも就役したPS1からスタート。以後約10年ごとにPS2、PS3、PS3Cと発展している。 そのどれもが米軍との技術共用が図られているが、かなりの対艦攻撃兵装(主に対艦ミサイル)を搭載できるのが特徴となっている。
ターボジェット機として完成したPS3は多数シリーズ化され、早期警戒管制機(AWACS)など各種電子戦機や実験機などの派生型が存在する。 この機体の元になった国産の中型旅客機シリーズ(YS-31系統)や空軍も使う輸送機型もあり、バリエーションは多い。 しかし、冷戦崩壊に伴う軍備削減により主力の対潜哨戒機型の後継機開発が遅れている。4発機。川崎製。
※90年代に運用されていた輸入機 ・F4EJ(RA4J): 1960年代半ばより海空軍双方で大量導入された、アメリカ製の重戦闘機。日本空軍では、形式上は制空戦闘機として導入されるが、ベトナム戦争の影響で実際は戦闘爆撃機としてそのまま運用される。なお、2000年代も爆撃機、戦術偵察機として延命されている。 また、空・海軍で大量に採用されたため(総数400機以上)、現在でも予備機として100機以上が格納庫の奥で眠っている。
・F15J/DJ: 制空戦闘機。非常に贅沢だがその分高性能で、長い間世界最強の戦闘機と呼ばれた。1970年代後半からの日米貿易摩擦の影響で、他の様々な兵器共々大量導入が行われる。その後、エンジン、レーダー、電子兵装などを国産のものと換装し性能を向上して第一線を維持している。
・F15EJ: 発達余裕のあったF15の戦闘爆撃機型。今のところ世界最高クラスの戦闘爆撃機。非常に高価で、日本経済力の象徴と言われた。F15J同様、レーダーやアビオニクス、電算などが国産のものに換装されている。
・AV8: 元はイギリスが開発した垂直離着陸戦闘機。それをアメリカが改修したものを、さらに三菱がライセンス生産した。揚陸艦用として、訓練用も含め50機程度が海軍で導入される。 空軍でもオホーツク方面での局地防衛用に導入を検討するも、雑多な機種を抱える事の不利を考慮した末に見送っている。 近年、アメリカで開発の始まった新型機への更新を計画中。共同開発参加を持ちかけている。
※ほかA6攻撃機、S3BJ対潜哨戒機、E2C早期警戒機など主に空母用の機体の多くが直輸入ないしはライセンス生産されている。しかし、数は多いものでも予備機、訓練用を含めそれぞれ50機程度しかない。また独自改造はあまりされてもいない。 代表的戦車
10式戦闘車: 8輪の装輪式の装甲車の上部に、105mm砲の砲塔を搭載した重装甲車。機動性が高く、都市部などでも運用できる。近年世界各国での配備が進んでおり、日本も流れに乗った形になる。 重量は25トンで、最高時速100キロ以上を発揮できると言われている。 08式戦車: 第四世代戦車。日本本土で運用の難しい87式戦車の反省を受けて、40トン台でまとめられた新世代の戦車。多くの新機軸を用いており、日本の戦車開発も世界のトップレベルに達したと評価が高い。また、現場で対テロ装備や増加装甲を装着するなどで柔軟性を高めるなど、新たな特徴も見られる。 採用されてまだ新しいため能力は非公開かつ未知数だが、既に年100両ペースでの量産配備が開始され、輸出に関するオファーも多数寄せられている。
87式戦車: 第三世代から第四世代の過渡期に属する戦車。各国からミニレオパルドと揶揄されるが、独自の優れた射撃装置を持つなど高い能力を誇る。 共同開発に参加した東亜連邦でも、改良型が大量生産されており、一時期米海兵隊が導入を検討した事もある。 ただし、重量的な問題から、南樺太、北海道以外での国内運用は考えられておらず、装備も北方に駐屯する重装備師団に限られている。 日本での生産数は600両程度だが、東亜連邦では4000両以上が生産された。価格は約500万ドルと高価。
72式戦車(72式改戦車): 最も遅れて登場した第二世代戦車。独自の足回りと空冷ディーゼルが特徴と言われる。起伏の多い地形でのアンブッシュに最適化された戦車で、それ以外の点は標準的能力しかないと言われる。 冷戦終末期に近代改修計画が実働したため、一部の部隊は増加装甲を付けたタイプが存在。湾岸戦争でも派遣されるなど、その独特の形状から国際的知名度は高い。 また、72式シリーズとして、装甲兵員輸送車(25ミリ機関砲装備・派生型多数あり)、自走榴弾砲(155ミリ)などが同時期に開発。それぞれ70年代に、日本陸軍としては一気に大量生産された。 輸出は、登場時期と価格の問題から限られている。生産台数は約1600両。約9割が国内向け。
●戦後日本の戦争・紛争
・中華戦争(50年〜53年) 概要: 中華人民共和国の中華民国侵略に対して国連軍が編成。日本軍は国連軍に参加。海軍と新設されたばかりの空軍が出兵。 派兵兵力: 海軍は、戦艦、空母を含む大規模な艦隊を常時東シナ海、黄海に展開。各種任務に従事。 空軍は、新編成だったが約200機を投入。主に日本各地から出撃。 動員総数約2万人 また、後方兵站基地として、日本各地の基地が活用される。 結果: 戦争全期間中、掃海作業、上陸支援、航空機による支援を行う。また、新規編成の空軍が、沖縄と九州北部から各地を空爆。
・竹島紛争(51年) 概要: 韓国軍の突然の竹島占拠に、海軍が出動。本格的な武力衝突には至らず。 派兵兵力: 海軍の戦艦、巡洋艦、駆逐艦など旧海軍の艦艇のべ8隻。海軍陸戦隊1個大隊。総数約五千人。 結果: 戦艦を含む大型艦艇複数で、貧弱だった韓国海軍と海兵隊を包囲。韓国側を自主退去させる。
・長城紛争(58年) 概要: 経済が崩壊した中華人民共和国が、大軍を用いて東亜連邦共和国に対する略奪的攻撃をしかける。 派兵兵力: 東亜連邦共和国軍兵士として、もと日本軍兵士が多数参加。 日本軍は、デフコンを3にまで引き上げ、黄海には海軍も派遣。 結果: 東亜連邦共和国軍が、越境してきた部隊を主に砲撃と空爆で徹底的に殲滅。十数万の損害を出した人民解放軍が撤退。
・キューバ危機(62年) 概要: ソ連の弾道弾がキューバに運び込まれ、米軍がキューバを海上封鎖。第三次世界大戦直前にまで緊張が高まる。 派兵兵力: ソ連軍との睨み合い状態で、日本軍の全てが準戦闘態勢に移行。 結果: 米ソの妥協により戦闘は発生せず。 ただし、日本に核軍備を決意させる。
・ベトナム戦争(66年〜75年) 概要: 米ソの代理戦争と化したベトナム戦争に、アメリカの要請を受けた日本が三軍全てを出兵。アメリカは陸軍の派遣を強く要請。 派兵兵力: 陸軍は、特設編成の1個機甲師団と空挺旅団。空軍は、6個スコーンドロンを中心に約200機。海軍は、空母3隻、戦艦1隻を中心にした艦隊をローテーションで派遣。 派遣総数、最大約6万人。ほか日本本国で、予備役の動員や徴兵が強化される。 結果: 主力は71年に撤退。一部が南北ベトナム分断が決まる75年まで駐留。以後、1個大隊が交代でDNZ監視任務につく。
・中国国境紛争(77年) 概要: 南北中国軍事衝突。偶発事件から南中国軍が、北中国国境を越える。これに呼応して、近隣各国ばかりか世界中が戦争準備に入る。 派兵兵力: DNZ監視任務に就いていた陸軍の国連軍派遣将兵数十名が巻き込まれる。これを救援するため、急遽特殊部隊を派遣。 また、全面戦争に備えて日本軍全体もデフコン2にまで上昇。 結果: 国連政治介入により双方停戦。国連軍による中国DNZ強化される。 日本は、両国が非難したため、以後DNZ監視任務から外れる。
・イラン・イラク戦争(84年〜86年) 概要: ペルシャ湾に、タンカー護衛のため駆逐艦など小規模な艦隊を派遣。 派兵兵力: 海軍の駆逐艦と補給艦が合計数隻 結果: タンカー護衛に成功。駆逐艦1隻が大破。艦隊防空に対する認識変わる。
・湾岸戦争(90年〜91年) 概要: イラクのクェート侵攻に対する、国連軍の派遣に参加。冷戦崩壊で余剰した多くの戦力が派遣される。 派兵兵力: 陸軍は、特設編成の機動兵団(師団規模)。空軍は、7個スコードロンを中心に約200機。海軍は、空母1隻、戦艦1隻、揚陸艦1隻を中心にした艦隊を派遣。派遣総数約4万人。 結果: アメリカを含む多数の国連軍約70万人が集結。最新兵器を駆使した航空撃滅戦と機動戦により、イラク軍を撃破し、イラクを電撃的に占領。
・アフガン戦争(01年〜02年) 同時多発テロの後、アメリカと共にアフガニスタンに派遣。戦乱終息後は、主にPKO活動を行うための工兵隊が交代で常駐状態。 派兵兵力: 陸軍は、第一空挺旅団と第七機甲師団の1個旅団を派遣。空軍は、2スコードロンと輸送隊を中心に約80機。派遣総数約1万人。 結果: アフガニスタンのタリバン政権は打倒。日本軍の過半も派兵一年以内に撤退する。
その他 冷戦中は、オホーツク方面(南樺太・千島・北北海道)の部隊は常にデフコン4に置かれる。 東京闘争、成田闘争などの大規模な国内治安維持活動の際、陸軍の軽装甲車やヘリと歩兵部隊が出動し、暴徒を鎮圧している。 また、国連PKF、PKO活動で、常時数千人が国外で活動中。主に、支那以外のアジア諸国に駐留している。装備は、重装甲車、ヘリ程度まで。