日本海軍・航空母艦「瑞鶴」
同型艦
翔鶴
瑞鶴
・要目(就役時)
・メモ 大東亜戦争を生き延びた瑞鶴は、アメリカ軍による調査の後日本に返還され、1950年代の中華動乱を機会にアメリカ軍の最新装備の供与を受けて第一次近代改装が実施される。 近代化の主な目的は、今後10年間に出現するジェット噴射型の航空機を円滑に運用する事だった。 当時予算に限りのあった日本海軍だったが、1941年就役の空母を就役から30年後の1970年頃まで運用することを前提とした、極めて大規模な近代改装となった。 改装項目は多岐に渡り、見て分かるとおり多くの面で原形をとどめないほどの改装が実施された。 中でも大きな変更は、就役時2段だった格納庫を1段に減らし、重要増加に対応して重心を下げると共に格納庫の天井を高くして大型機の運用を可能とする事にあった。
近代改装の結果、バルジの装着や様々な重量増加で基準排水量が5000トン以上増加して速力こそ32ノットに低下したが、次世代型の航空母艦として生まれ変わることに成功した。 改装結果は良好で、搭載機数こそ大幅に減少したが、その後もさらに小規模な改装を重ねることで練習空母時代を含めると半世紀以上も活躍する事ができた。