■第二次世界大戦(大東亜戦争)


 ■概況

 ここでは、最初のターニングポイントである第二次世界大戦の、史実と違う点を重点的に見ていきたい。
 まずはおさらいしてから、見ていこう。

 作中では、主人公(桂華院瑠奈)の祖父(桂華院彦麻呂)が歴史の最初のターニングポイントに立っている。
 歴史の上ではこの人物が最も重要で、最も大きな歴史的変化をバタフライ的にもたらしている。
 また主人公の一族自体が、時間犯罪上でのこの世界での「歴史改変点」と言える。

 なお曾祖父は、某最後の元老的に紹介されているが、それだと西園寺公望になってしまう。
 一方祖父の方こそが、戦後に史実で最後の元老だった西園寺公望の立ち位置を継いだような形なのだろう。
 まあそれくらいじゃないと、公爵という近代日本史上でとんでもない位は貰えないだろう。
(※史実の元老は大正天皇の頃に6人を任命。いずれも歴史上の偉大な人物。)

 それはともかく、日本政治の中枢部に手を伸ばしたソ連のスパイを中心とした「ゾルゲ事件」が、物語と歴史上のターニングポイント、もしくは最初のフラグだ。
 桂華院彦麻呂は、ロシア帝国時代の大公家の子女を妾として主人公に繋がる血統を残したが、歴史上では時のソ連政府に『日本は対ソ戦を決意』という誤った情報を掴ませている。
 そして偽情報に踊らされたソ連指導部(スターリン?)は、41年に冬季戦に強い熟練兵で編成された極東ソ連軍の極東からの本格的移動が出来ず、モスクワ攻防戦で苦戦を強いられたとされている。

 そしてここからは、歴史のバタフライ的変化が派手に舞う。
 モスクワ攻防戦が尾を引いて、42年のスターリングラードを巡る一連の戦いでドイツが辛戦で押し切る。
 さらにその後の「独ソ戦」の推移は、おおよそ1年遅れてのスケジュールとなってしまう。
 その後ドイツは、史実より少しゆとりのある戦争を展開して、44年6月の連合軍による西欧総反抗作戦である、所謂「ノルマンディー上陸作戦」を失敗に追い込む。
 この結果、さらなる大きな転換点を迎える。

 一方で、「ゾルゲ事件」で存在感を増した桂華院彦麻呂は、日本の政変と終戦工作に関与している。
 その日本では、44年6月のマリアナ諸島を巡る攻防戦の最中に発生した首相暗殺事件から始まった宮中クーデターによって、日本海軍の主力部隊が出撃する機会を逸してしまう。
 続いて、フィリピンを巡る前哨戦だった「パラオ沖海戦」で超巨大台風に米艦隊(空母機動部隊)が突っ込んで大損害を受けたことから、ドイツ戦を優先させたい連合国との講和の機運が高まる。

 そして44年10月、日本は連合国に「降伏」と同時にドイツに宣戦布告。
 実質的な講和、もしくは条件付き降伏だ。
 だが、独立(=国体)の保持だけでなく戦力も保持しての降伏で、陸海軍(の特に過激派)はそのまま欧州に派遣され、45年8月のドイツ降伏まで欧州の地にて血を流すことになる。
 そしてドイツは最後まで善戦。
 次々と新兵器を繰り出し、さらには弾道弾による生物化学弾頭を使用するドイツ軍を恐れたアメリカは、原爆を3発を実戦使用。
 45年8月の三都市核攻撃の後、ドイツ内部でクーデターが勃発。総統の死亡と連合国への降伏という事で第二次世界大戦は終結する。

 以上が、この世界での第二次世界大戦の史実との大きな違いになる。
 さて、果たしてこの歴史の隙間には、何が隠れているのだろうか。少し考えてみたい。

 ■備考:日本「降伏」時の戦線と戦災

・1944年10月1日時点の日本の戦線

・マリアナ諸島陥落
・B29が北九州を爆撃(※史実通り)
・サイパン島からもB29が帝都を爆撃(※史実は11月24日が初空襲)
・パラオのペリリュー島攻防戦は、史実通りなら9月15日からだが、この前に「パラオ沖海戦」という米軍のオウンゴールが発生。
・パラオの戦闘は、戦闘中に終戦もしくは攻防戦自体が未発
・支那戦線の「一号作戦」(大陸打通作戦)は第二段階
・北ビルマを事実上放棄(※インパール作戦失敗後に、現地日本軍は総崩れ状態)
・ニューギニア戦線はほぼ全滅

 第二次世界大戦での日本軍の最終的な戦線は、大まかにこのくらいになるだろう。
 この結果、史実とはかなり違っている。

 パラオを攻める前段階の空母機動部隊による空襲で米軍が躓いているので、フィリピン戦自体が未発。
 当然だが、硫黄島、沖縄の戦いもなし。ソ連の参戦もなし。日本本土無差別爆撃も原爆投下もない。
 結果、民間人の戦没者は、船舶沈没の被害とマリアナ諸島での死者、九州北部、東京無差別空襲を中心に、多めに見て約5万人ほどとなる。
(※史実は約80万。この世界では船舶被害が大半。)

 一方、史実での戦没者数は軍人230万、民間人80万と言われる。これに最低シベリア抑留の死者が加わるが、これが最低でも6万。最大だと30万人を越える。
 さらに、戦後の荒廃と混乱、食糧不足による死者(主に餓死者)が加わる。
 しかし上記したように、戦没者数は大きく減少している。
 1944年10月時点での日本の戦没者は、軍人が90万、民間人が5万人程度になるだろう。
 つまり200万人以上減るという概算が出てくる。

 加えて重複になるが、ソ連参戦による死者ばかりかシベリア抑留もないので最低6万人、最大34万人近くが助かる事になる。
 さらに、戦後混乱期の餓死者・死者を加えればさらに多くの人が助かる可能性が高い。支那残留孤児など、復員や逃亡の混乱の中で埋もれていった人々も同列に助かる可能性の方が断然高い。
 そして本土無差別爆撃がなく、大陸との交通途絶前、国内交通の寸断前、機雷投下前に実質終戦になるため、国内の食料供給や流通が辛うじて維持され、国内での戦災者、戦後の死者が計数的に少なくなる。
 史実での終戦後1年以内も含めると、史実より助かる日本人の数は合計で約210〜250万人に達する。

 ■考察

 1941年6月からのドイツによる突然のソ連侵攻を受けて、日本でもソ連に対する戦争準備が進んた。
 これが「関東軍特別大演習」、通称「関特演」だ。
 予定なら、8月末頃に対ソ開戦予定だった。
 しかし史実では、思ったほど極東ソ連軍が減らない事、関東軍の兵力と物資の集中が遅れていた事、米英との関係が悪化の一途を辿っている事などから、ソ連との戦争は中止された。
 そして日本が対ソ参戦するかどうかの情報を、日本の中枢でスパイしていたのがリヒャルト=ゾルゲ。
 だから「ゾルゲ事件」と呼ばれた。
 史実では、ゾルゲは正確な日本中枢の情報をソ連の独裁者スターリンにもたらし、ソ連(スターリン)は安心して極東の精鋭部隊を首都モスクワ正面での冬季反攻作戦に投入する事が出来た。

 しかしこの世界では、ゾルゲ事件を日本が逆手に取っている。
 故にソ連は、モスクワ正面での防戦と冬季反抗に使うべき、極東に駐留する精鋭部隊がいない。つまりそれだけ、ソ連軍はドイツ軍に対して無理な戦闘を行わなくてはならない。
 恐らく、練度不十分の突撃しか出来ない兵士にもなれていない俄兵士の群れが、代わりに用いられる事だろう。
 そして無為に失われていくのは確実だ。
 史実なら生き延びて、その後熟練兵となって活躍した者達の一部、もしくはかなりの数が、史実より早く退場してしまうのだ。
 その数は数十万の単位になるだろう。そうでなければ、その後のドイツ軍の優位が生み出せない。
 作中では、モスクワが危機に陥った(危うく陥落しかかった)とされているが、史実では多くの極東軍が冬季総反抗に投入されているので、冬季総反抗も低調に終わる可能性が高い。

 一方ゾルゲ事件に連動して、日本がレンドリースの嫌がらせをしたとある。
 日本がそうする可能性があると言うだけで、ソ連としては頭の痛い話しになるだろう。
 ただし史実でのアメリカのソ連向けレンドリースは、ソ連が文句言って交渉が長引いたので決まったのが41年10月、本格化は42年春以後。
 41年の冬季反抗は、ソ連は援助に頼らず自力でしたという研究も多い。
 そして最も用いられた援助ルートが、有名なノルウェー沖を船団が突っ切るルートではなく、日本との中立関係を利用したソ連船が太平洋を使って行き来したルートになる。
 他にペルシャルートもあるが、アメリカにとってほぼ地球の反対側な上に、ソ連領に至るには中東の貧弱な鉄道を使うしかなく、主なルートにはならない。
 実際、史実では、太平洋からシベリア鉄道を使うルートで、ソ連向けレンドリースの約半分が運ばれている。

 だから日本がソ連船を威嚇したり臨検すると、ソ連は凄く困る。
 日本が早期降伏して即時連合軍参加するのに、ソ連が後押しする大きな理由になるだろう。
 しかし日本の戦争はまだ先なので、もう少し欧州戦線を先に見ておこう。

 独ソ戦、42年のスターリングラードの戦いは、ドイツが辛勝で押し切ったとされている。
 そしてここで戦略的に重要な結果が主に2点発生する。
 1つは、ドイツ軍がコーカサス地域に長く居座る事。
 もう1つは、ソ連の石油輸送ルートのメインルートを、ドイツ軍が押さえる事だ。

 ドイツ軍がスターリングラードが面するボルガ河を押さえる事は、ソ連の(河川)物流の一つを押さえた事になり、コーカサスにあるバクー油田からソ連各地に運ばれる石油の流れを大きく停滞させる。
 南北に流れる河川はロシアの大地の大動脈なので、鉄道を押さえるより高い効果を発揮する事があり、それが巨大河川のボルガ川となれば尚更だ。
 そしてこれが、スターリングラード陥落で発生するフラグの一つだ。当然だが、ソ連にとっては非常に痛い。
 ドイツ軍の計画通り、ボルガ川河口部のアストラハンも落としていれば言うことなしだ。
 何しろバクー油田は、当時のソ連の石油産出量の約7割を占めている。
 バクーの石油が十分に使えなくなると、兵器の生産が停滞し、前線への補給もままならなくなり、機械化部隊が動かなくなり、さらに冬の暖房にも事欠いてしまう。
 しかもソ連は、豊富な国内油田の上で戦争運営していて、石油は必要な分だけ採掘して運べばよく、各所の備蓄が少ない。
 ドイツ軍がボルガ河流域とコーカサスから立ち去らない限り、ソ連は大規模な反攻に出る事が難しいだろう。

 次に「ハリコフ攻防戦・クルスクでソ連勝利から反攻でソ連勝利から反攻」となり、さらにドニエプル河でドイツ軍がかなり粘っている。

 この世界では、「ドニエプル河での河川防御」が成功したらしい。つまり、ドイツ軍に時間と兵力と物資の優位があった事になる。逆に、ソ連赤軍には色々足りなかったのかもしれない。
 やはりソ連軍に、史実より燃料、兵士が不足している影響と考えるべきだろう。

 戦争の最終的な決着から逆算すると、「ハリコフ攻防戦・クルスクの戦い」は、史実より1年近く遅れ、1944年に行われている筈だ。
 44年となれば、クルスクの戦いはかなり壮絶な戦車戦が見られたのではないだろうか。何しろ「ティーゲル・ツヴァイ」と「IS 2型」が双方に配備されているなど、両軍の戦車が恐竜的進化を遂げている。

 そして、全体として史実より1年近く遅れでドイツとソ連の戦争は推移すると考えられるが、そうなるとソ連軍の終着駅は、精々ポーランドのワルシャワ前面から東欧の東部一帯という事になる。
 しかも史実では秘密交渉で英米が戦後に入ったギリシアは、連合軍に寝返った日本軍が攻め寄せている。
 スターリンの心情、察するに余りある状況だ。

 なお、戦後の状況が史実と似ていると予測されるので、1年の遅れではなく、史実より半年から1年の遅れと少し幅を持たせて考える方が無難かもしれない。
 丸一年遅れの推移で45年8月を迎えてしまうと、ソ連は殆ど東欧に押し入れていないからだ。
 その辺りを考えると、史実の45年に入る辺りがソ連の最終到達ラインと見るべきかもしれない。
 
 一方連合軍(=米英軍)の動きは、44年6月のノルマンディー上陸作戦失敗以後は地中海戦線に力を入れる。
 降伏した日本軍もこき使って、ギリシア地域を奪回。イタリアもゴリゴリ攻める。
 その隙に英米軍が南仏に上陸する。
 そしてヴィシーフランスが崩壊したと後、恐らく45年の5月から6月くらいにカレー上陸作戦とパリ開放を達成している。
 連合軍の終着駅は、恐らくライン川西岸だろう。
 ベネルクス地域は、市場庭園な作戦が決行され成功していれば、全部解放出来ているかもしれない。
 暇な海軍と海兵隊が頑張っていたら、ノルウェーも軍事的に奪回しているかもしれない。

 そして日本軍が大挙して欧州に来るという事は、太平洋戦線にいたアメリカ軍も大挙欧州戦線に参加していると考えて間違いない。
 と言うところで、少しアメリカの戦争に対する国力配分を百分率で見ておこう。

 アメリカは開戦から43年の春から半ばくらいまで、国力リソースの配分を「本国経済:欧州:太平洋:貸与=25:55:15:5」にしていた。これが欧州に足がかりを作った頃からは、日本への配分を30(%)程度に上げている。
 そしてこの世界では44年10月以後、対日戦に向いていた分の殆ど全てが欧州に注がれる。(※アジアで日本を抑え付ける必要があるので、全部とはいかない。)
 つまりアメリカが戦争に振り向けられる国力リソースのほぼ全てが、ドイツに叩きつけられる事になる。
 大艦隊もB-29も海兵隊も、全部ドイツ軍に襲いかかるわけだ。
 日本軍からしたら、「俺、いらなくね?」と思う事だろう。
 同時に、両手を挙げて良かったと心底思う事だろう。

 そして原爆投下、総統暗殺、クーデターでドイツの戦争は終わるが、連合軍&ソ連はそれほど甘くはない。
 実質的な本土決戦前に戦争自体が終わるので、戦後の状況は史実の日本に近似値が求められるだろう。
 つまり戦後、東西双方から連合軍とソ連軍が大挙ドイツと東欧に「進駐」してくる。
 ドイツの降伏条件も、史実日本の「ポツダム宣言」に近いと予測される。

 作中でも東ヨーロッパ全体で、史実と似た占領統治が実施されるという流れになるようだ。
 この事は、ドイツが東西分裂していて「ベルリンの壁崩壊」やドイツ統一が語られている点から逆算して、ほぼ間違いないだろう。
 ただ、ソ連が強引に推し進めた、ドイツ東部や東欧の一部での強制的な民族の大移動が実施されたのかという事に対する疑問は残る。
 そしてこれをしておかないと、第二次世界大戦前からある東欧の国境と民族の分布が違う状態は解消されない事になる。

 また、東欧の国境線の疑問点がかなりある。
 作中の設定の初期は、東欧以外も色々国境(と歴史)が違っているという描写があったが、その後表現的には史実とほぼ同じイメージに変更されている。
 だが、ソ連がドイツ本土に攻め込めていないので、ドイツとポーランドの国境線、ドイツ民族、ポーランド民族の分布などは大きく変化している可能性が高い。
 ドイツの古都ケーニヒスベルグは更地になるほど破壊されてカリーニングラードにならず、ソ連領にもなっていないかもしれない。
 ただしそうなると、ソ連に領土を奪い返されるポーランドが随分可哀相な事になるのだが、世界史の上では程度問題だろう。
 逆に東ドイツの領土が、東プロイセンとシュレジェンを有したままとなるので、かなり広くなる可能性が高い。
 この辺りは、アメリカの政権の推移も関わってくるので、一旦視点を日本に戻そう。

 日本に関してはマリアナ諸島を巡る戦いまで、アメリカとの戦いに変化はないと考えられる。
 そして日本海軍から見ると、44年6月からの状況は梯子を外されたような推移となる。

 マリアナ諸島を巡る戦いでは、首相暗殺の影響で中央から出撃命令がないまま終わってしまう。
 日本海軍にとっての決戦の地で、決戦させてもらえなかったのだ。
 その後史実と同じように、夏頃に燃料不足からシンガポール近辺(リンガ泊地)に主力艦艇は移動するだろうが、その次も締まらない。
 恐らく9月くらいにパラオ諸島に米軍が殺到して、連動して日本艦隊も迎撃に出撃するだろう。
 だが本格的な戦闘前に、アメリカ艦隊は勝手に台風に突っ込んで自滅してしまう。
 不戦敗の次が不戦勝というのは、なかなか皮肉が効いている。
 なお、米艦隊が史実より早く動くのは、マリアナでの海上戦闘が不発に終わった影響と考えて良いだろう。

 ここで米艦隊は大きな損害を受けたとあるが、これは台風だけのもで良いだろう。
 アメリカの空母は解放式格納庫と言って、一部を装甲シャッターで開閉可能になっている。これに対して日英の空母は、それぞれの本国近辺の荒々しい海に対応して、閉鎖型格納庫を採用していて荒波に強い。
 また、対空装備などを甲板上に満載している為、小型艦艇は船としての安定性がかなり低下している。
 実際、史実でも米艦隊は台風を舐めて突っ込み、かなりの損害を出している。

 そして首相暗殺からの政変と、ヨーロッパでの戦況の大きな変化の二つによって日本は連合軍に降伏し、「大東亜戦争」もしくは「太平洋戦争」の幕は閉じる。

 この世界での太平洋戦争は、日本帝国海軍の視点で見るとかなりの竜頭蛇尾だ。
 ハワイ奇襲からミッドウェー沖海戦までは派手だったが、ソロモンでの消耗戦とニューギニアでの惨敗の後、西部太平洋での決戦となりうる戦いが、日本海軍にとって不発だからだ。
 戦っていないので戦後にロマンを残した形だが、当事者達は今ひとつ納得いっていないのではないだろうか。
 日本陸軍も「自分達の戦い」をしていないので、負けた気はしてないだろう。
 だが日本帝国にとっての「自衛戦争」は、これで実質的に終了となる。

 余談

 この世界の架空戦記小説は、未発のマリアナ、フィリピン(レイテ)、台湾、沖縄を巡る戦いで盛り上がりそうだ。
 「降伏」後、「あのまま戦い続けていたら」というシチュエーションも多いだろう。
 だが、この作品の歴史的背景のモチーフとなった『征途』が存在しないかもしれない。
 少なくともかなり違った作品となっているのだろう。